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  大根と王妃③ 作者:大雪
第2話
 何が何でも二日で終らせる。
 そう宣言した二日目の早朝。
 襲いかかる眠気と戦い、しがみつく疲労を振り払い、ついでに大根欠乏を嘆きながら書類を書き続けること二日。

 早朝の薄藍色の空に果竪の声が響き渡る。

「終ったぁぁぁぁぁ!」

 長かった。とっても長かった。
 今日まで書き上げた事件に必要な書類の総数凡そ五百枚。
 睡眠時間も休憩時間も削りまくってひたすら書き続けた。

 最後の一枚を書き上げた瞬間、果竪は嬉しさに発狂したか如き咆哮をあげる。

 部屋には果竪一人だけ。
 蓮璋と蛍花は先に睡眠をとらせるべく退室させていたが、ようやく自分も睡眠を取ることが出来る。

「ふっ……朝日が目に染みるわ」

 まだ完全に日は昇って居らず、薄暗さを帯びているが、果竪は零れる涙をそう言って拭った。
 実際に出ているかどうかは関係ない。
 自分の心に朝日が差し込んでいるのだから。

 最後の締めとして、書類をきちんと調えすぐに提出出来るようにすると、果竪はふらふらと部屋を出た。
 いつも仮眠する為に使っている部屋へ向かうべく、吹き抜けの長い廊下を歩く。
 庭に面した廊下は早朝という事もあって人気はなかった。

 庭には大きな池がある。
 本宮から離れた隅っこの小さな離宮だが、細部に至ってまで手入れされた庭はとても美しく、池の水はそこが見えるほど透き通っていた。
 そんな池の中央には、紅い橋がかけられている。

 ふと、果竪はその紅い橋に上りたくなり、スタコラと庭へと入っていった。

 丁寧に調えられた花壇で咲き乱れる花の香りは酷く甘い。
 思わず酔いしれるようなこの匂いは百合の花のものだろうか。

 ようやく橋に辿り着き、中央付近まで渡ると欄干によりかかりながら池の中を覗き込む。
 魚が何匹も見えたが、眠っているらしく動こうとしない。
 静まりかえった水面。
 だが、果竪が身じろぎした事で足下に転がっていた小さな小石がポチャンと池へと落ちた。

 水しぶきが上がり、波紋が広がる。
 下で眠っていた魚達が目を覚まし、一斉に逃げ惑う。
 そうして更に大きくなる波紋。

「私は……今の小石みたいなものか」

 王宮という中に波紋を造りだす存在。
 静かに穏やかに、完璧と言う名の下に動いていた王宮に自分という異分子が飛び込んだ。
 それにより、波紋が作られた。それが大きな波となるか、それともまた何も無かったように静まりかえるかはまだ分からない。

 けれど――

「私が王妃を辞めるって宣言したら……少しは騒がしくなるかしら」

 王妃が自ら退任する。
 それは普通ならば大事だろう。
 しかし、既に王宮には寵姫として遇されている愛妾がいる。
 もしかしたら、それほど騒ぎにならず、すんなりと寵姫が正妃へと繰上がるかも知れない。

「……それはそれで楽しいかも」

 そんな、心にもない事を呟いていた。

 けど、今更――という気持ちもある。
 それに、そうなれば夫は今度こそ愛する人と一緒になれるのだ。
 幸せで穏やかな暮らしを手に入れることが出来る。

『お前さえ居なければこんな事にはならなかった!!』

「っ――?!」

 脳裏に、あの叫びが蘇る。

 二十年前、果竪がこの王宮から追われる原因となった……

 あの叫びが

 果竪は手を握りしめる。

 懐かしい王宮。
 王宮の前に立った時は感慨深いものがあった。
 一度足を入れれば、懐かしさに心弾んだ。

 けれど同時に、心の何処かでは恐れていた。
 ここで自分は死にたくなるような苦しみと悲しみと怒りを覚えた。

 自分のせいで

 自分のせいで多くの人達が不幸になった

 そんな自分を夫は追放という形で遠くへと逃がした。

『必ず貴方を取り戻します』

 そう言われたけれど、もう二度と戻って来る気はなかった。

 それが悪かったのかも知れない。
 役立たずの王妃。落ち零れの王妃。

 散々迷惑をかけて、更には戻ってもきやしない。
 だから呆れられたのかも知れない。

 だから――愛妾を召し抱えたのかも知れない。
 役立たずで、しかも同情で迎えた王妃よりも今度こそ愛する人と一緒に居たいと――。

 それならそれで仕方がない。
 だって――自分では夫を幸せに出来なかったのだから。

 気付けば歌っていた。
 歌詞はない。
 ただ音だけを紡ぐ。

 あの日以来、こうして果竪は気が滅入ると歌を歌っていた。

 高く低く

 音が次々と紡がれていく

 ――この時が一番心休まる……

 もともと歌を歌うのは好きだった。
 誰かに聞かせるとかそんな事は関係なしに歌うのが。

 ――あ

 ふと脳裏に響く不快な音

 果竪は眉を顰めると、今度は別の音を紡ぎ始めた。

 足りない音、歪んでいる音

それらを探しだし、必要な音を足していく。
あの日以来、果竪は時折不快な音が聞こえるようになった。

 不快な音

 狂い乱れた旋律

 それを正しいリズムと音になおすのが日課となっていた。
 何故自分にこんな事が出来るようになったのか全く分からない。

 けれど、それをそのまま狂わせておくのは酷く辛かった。
 気付けば歌い、奏でていく。
 脳裏に聞こえていた不快な音が、美しい旋律へと変わっていくのが聞こえた。

 ああ、これでもう大丈夫

 果竪は歌うのを止めた。
 すると、旋律が聞こえなくなっていく。

 いつもこうだった。
 旋律の歪みがなおるとその音は聞こえなくなっていく。
 何故だろう?もしかしたら、もう聞く必要がないからかもしれない。

 その音を聞けないのは悲しいが、それでも狂った音でなくなるのが嬉しかった。
 ふと池に注意を向ければ、波紋は既におさまり魚が眠っているのが見えた。

「………波紋……か」

 そう呟き、果竪がくるりと回って欄干を背にした時だった。

「あ――」
「お久しぶりね――果竪」

 そこに立っていたのは、茨戯だった。


「ふ、二十日近くあわなかったわね――って、ちょっと何処行くのよ!」

 スタスタと逆方向へと歩いていく果竪に茨戯が叫ぶ。

 ちっ!もう少しで逃げ切ったのに。

「……何か用ですか?」
「酷い言い草ね。せっかく顔を見に来てあげたのに」
「余計なお世話だ」
「もう、果竪ったらツンデレなんだから」

 オホホホホと上品に微笑む茨戯に果竪は苛立ちを覚える。
 なんだって女の私よりも色気があるんだ。

「ごめん、今から寝るところだから」
「あら、そんな風には見えなかったけど」
「目の錯覚よ。って事でバイバイ」

 が、後ろから閉じ込められるようにして抱きかかえられる。

「うぎゃぁぁぁ! 離せぇぇ!」
「オホホホホ! このアタシから逃げられるとでも思ってるのかしら?」

 身にまとう衣装は侍女のものと大差ない。
 なのに、この貴族の姫君顔負けの美貌と気品、そして漂う色香は何だ?!
 地味な衣装も茨戯が身に纏えば美貌を引き立たせる清楚な装いにしかならない。

 私が着ればよりいっそう十人並みが引き立つだけだというのに――

「ふふ、そんな顔しないで」

 そう言うと、茨戯は果竪をくるりと腕の中でひっくり返す。
 欄干に背中を押し付けられ、見詰め合うような形となる二人。

 傍から見ればこれは

「――カツアゲされかけている可愛そうな子羊?」
「せめて恋人同士って言いなさいよ」
「誰と誰が」

 どこに恋人同士がいるんだ。
 そう呟く果竪に茨戯が妖しく微笑む。

「そんなの決まってるじゃない――」

 アタシと

 アナタが

 果竪の耳元で茨戯が色っぽく囁いた。

「えぇ~~……一番ありえない組み合わせでしょう」

 きっぱりと言い切る果竪に茨戯が苦笑した。
 そう、気付かない。この少女は自分がどれほどの存在なのかを。
 そうなるように、国王が守ってきたから。

 周囲が果竪の価値に気付く前に、あの男は果竪を閉じ込めてしまった。
 自分の腕の中へと。そうして、他の全ての雑音から切り離した。

「ってか、からかわないでよ」
「あら~? 私がからかっていると思うの?」
「思う」

 はっきりと断言された。

「あんた……私だって傷つく心ぐらいあるのよ」
「私はその何百倍も傷つけられたわぃ!」

 頬を膨らませる果竪に茨戯はカラカラと笑う。

「ほら、よく言うじゃない。可愛い子ほど苛めたくなるって」
「それは好きな子ほどでしょうが! ってか、私の周りの男の人ってみんな人の事ばからかうよね!」

 大戦時から人の事をおちょくってきた彼らは、果竪が王妃になってからもおちょくる事をやめない。

「明燐にはあんなにも紳士的で優しくいのに、何この扱いの差!」

 明燐に対しては、まるでお姫様のように扱う彼ら。
 なのに、自分に対してはそれこそペットの犬でも可愛がるような対応である。

「王妃になってからも全然変わらないしっ」
「それだけ明燐が美しく気高く品位を極め、更には優秀で有能だって事よ」
「それじゃあ私が馬鹿って事じゃない! 分かりきってる分余計にムカツクわっ!」
「あんたの自虐的思考もなかなかのものね……」

 普通そこは否定してもいいというのに。
 まあ、明燐が非常に美しく優秀なのは間違いないが。

「ふんっ! でもそうやって私の事を馬鹿に出来るのもあと少しの事よ!」
「あら? どうして?」
「そんなの決まってるじゃない」

 果竪は力強く言った。

「王妃を――辞めるんだから」

 揺るぎのない力強い声音が紡ぐその言葉。
 一瞬、その場の空気が冷えたが、果竪は気付かなかった。

「ふぅ~~ん、そうなの~」
「そうそう。ってか、茨戯に返したじゃん、王妃の証」
「ええ、投げ返されたわね」

 まるで石でも投げつけるように放り投げられた国宝。
 それは今、茨戯の手によって国王へと返されている。

「けど、証を返しただけでは王妃の退任は無理よ」
「それは分かってるわよ。きちんと退任の手続きをすれば大丈夫」
「後任はどうするのよ」

 その言葉に、果竪は思わず息を呑んだ。
 しかし、動揺を悟られないように果竪は笑顔で答える。

「選べばいいじゃない。必要なら後宮でも造って、そこに美姫を集めて――とか」

 寵姫を王妃に――とは言わなかった。
 愛妾から寵姫へと呼び名が変わった元愛妾。
 それだけでどれほど夫の寵愛が深いか分かる。

 本当ならその人を王妃にすればいいのだ。

 けれど、それを言おうとした時、喉が詰まり言葉が出なかった。
 それを知られたくなくて違う事を言った。

 別に、新たに後宮を造ったっていい。
 自分にはもう関係ない。

 ただ――後宮をつくり新たな女性が入ってくれば、寵姫が悲しむだろう。
 自分が愛する人が別の女性を迎えるのは酷く辛く悲しい事だ。
 出来るならばそれは避けて欲しかった。

 寵姫は恋敵。
 けれど、だからと言って自分が受けたような苦しみを味わうのが良いとは思わない。

 愛した人が愛した人なのだ。

 出来る事ならば

 幸せになって欲しい

 そこまで考え、果竪は自嘲する。
 恋敵なのに、本来なら憎んでも憎み足りないのに。
 こんな事を考えるから自分は馬鹿なのだ。

 けれど、仕方ない

 だって夫が心から愛した人なのだ。
 愛妾としてでも側に置きたいと思った人なのだ。
 そんな人を日陰の身に置いておく事はできない。

 今度こそ幸せになって欲しい

「ふぅ~~ん……後宮ねぇ」
「そもそもない方がおかしかったかもね。萩波も国王。一国の王――それも凪国のような大国の王ともなれば妃の数百人は居てもおかしくないわ」
「余所は余所よ」
「まあ――ね。でも、私には関係ないし……王妃辞めるし」
「辞めちゃうの?」
「辞めるわよ。それに、私のような危険なのは王妃にしておかない方が良いわ」

 その言葉に、茨戯が眉を顰める。

「危険――」
「茨戯も知ってるじゃない。寄生生物の事は」

 自分の体には未だ寄生生物が救っている。
 淳飛が命をかけて眠らせてくれてはいるが、それもいつ目覚めるか分からない。
 自分から寄生生物を引きはがせる術者を見つけようにも、それほどの能力者は滅多にいない。

「能力者を捜す為にも、私はあちこち行くつもりだしね」

 必要であれば世界中を旅すればいい。
 もしこの世界にいなければ、他の十二王家が統治する世界を巡ってもいい。

「……能力者を捜すならば待っていればいいじゃない」

 この国の王妃として――

 しかし、果竪は首を横に振った。

「無理。いつ暴走するか、寄生生物が目覚めるか分からない爆弾みたいな王妃よりも、さっさと退任させて別の女性を選んだ方が良いわ」
「どうしても?」
「どうしても」

 果竪はきっぱりと言い切った。
 と、茨戯が果竪に近づいてくる。

 え?と思った時には、欄干に背を押しつけるようにして、茨戯の腕の中に閉じ込められていた。

 茨戯の長い髪が風に揺れ、薔薇の濃厚な香が花をかすめる。
 その濃密すぎる香に頭がクラリとする。
 意識がふわふわと揺れ始め、果竪は額を抑えて欄干に手をつく。
 そうでもしていなければ体を支えてられない。

 ――グラグラする……

 早く逃げなければと果竪の中で警告音が鳴り響く。
 その時、より強い薔薇の香りが漂う。
 首筋に吐息を感じてハッとするが、既に体が押さえつけられ動かせない。

 ゆっくりと茨戯が果竪の首筋に顔を埋めていくのが分かった――

「何を――」

 するのか――と叫ぼうとした時だった。

 音――

 不快な音が果竪を襲う

 ――っ?!

 バンっと茨戯を突き飛ばす。
 大きく後ろにそるが、すぐに足に力を入れて体制を整えた茨戯が果竪を見据えた。

「………何するのよ」
「別に~~? ただ、確かめたかっただけ」

 そう言うと、茨戯はペロリと自分の唇を舐める。
 たったそれだけなのに、酷く倒錯的な印象を受ける。

「……私、帰る」
「送って行くわ」
「別にいい」
「ふふ、ならまた後でね」

 楽しそうに笑う茨戯に、果竪はくるりと背を向けると走り出した。
 その後ろ姿を見送った茨戯は先ほどまで果竪が背にしていた欄干によりかかる。

「――で、何か用?」

 スッと音も無く橋の上に現れた青年が一礼する。
 長い蒼い髪と空色の瞳。
 露となった美貌は酷く華奢で優美、一見すれば美少女とも見間違うような美貌だった。
 他者に与える印象は怜悧さが強いが、同時に雪の妖精を思わせる幻想的な雰囲気すら漂わせていた。

「あの方が――」
「王妃」

 すっぱりと茨戯は答えた。

「今後、顔をあわせる事が多いから……後で挨拶でもしておきなさい」
「御意――」

 そうして再び頭を下げた青年に、茨戯が口を開く。

「それで、用は?」
「……あまり勝手な事をするなと」
「宰相から? ふんっ! 自分がこれないからって僻みは醜いわよって伝えておきなさい」
「……元気そうですね」

 青年の言葉に、茨戯は笑う。

「そうね……元気になったと言った方がいいわね、更に」
「王妃様の……力でしょうか?」
「さあ? アタシには分らないわ。でも、あの子が原因でしょうね」

 アタシが元気になったのも

「この王宮、いえ、王都の空気が変わったのも――」

 戻ってきた時、王宮だけではなく王都もそれが覆われ始めていた。
 あの影響を受け始めている事を知ったが、何も出来なかった。

「けれど、あの子が王宮に足を踏み入れた瞬間……変わったわ」

 あの時の感覚をどう表せばいいのか分らない。
 けれど、体を突き抜ける不思議な感覚の後、自分達を覆っていたものの大部分が一瞬にして吹っ飛んだ。
 まるで、砂の山を突風が吹き飛ばすような感じだった。

 完全に全てが払われたわけではない。
 これは一時的なものであり、全ての支配下から抜けられたわけでない事は分りきっている。

 けれど――

「アタシには分るわ」

 果竪の存在がきっとこの王宮を変えることを

 そして

 自分達を助けてくれる事を

 だから

「逃がさないわ……」

 王についていく事を決めたとき、自分達はそれでも抗おうと決めた。

 一番苦しいのも辛いのも王である事が分っていたから

 けれどそれでも無理で、自分達にもその支配が及んだ時、自分達は諦め始めていた。
 それを止めたのが果竪の帰還だ。
 茨戯達は願う。

 どうか

 救って欲しい

 狂って行く自分達を

 そして世界を――

「さてと、アタシも戻りますか」

 大きく伸びをして、茨戯は息を吐いた。
 その時、青年がある方向を見ている事に気付く。
 が、すぐに見られている事に気付いたのかハッと視線をずらした姿に、茨戯は口を開いた。

「何かが気になるみたいね」
「いえ――」
「ふふ……一つ忠告しておくわ。本当に欲しいものがあるなら動かなきゃ駄目」

 そう――

「奪ってでも手に入れなければ……それは消えてしまうから」

 茨戯はクルリと背を向けて足を踏み出す。
 その姿はまるで空気に溶け込むようにして消えた。
 一人残された青年は茨戯の言葉を反芻する。

「奪ってでも……手に入れる」

 そんな権利など自分にありはしない。

 あの人が苦しんでいる時に何も出来なかった。

 けれど――もし、それが叶うのなら。

 そして青年もその場から消えた。
え~~、王宮編の人が出て来るといいましたが……出てきたのは茨戯と、新キャラだけでした。

う~ん、次は出て来るかな……。

あ、(帰郷編)の感想の方ですが少しずつ返信しています。
遅くてすいません……。

という事で、また次話もよろしくお願いします♪


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