【定時連絡/AからBへ】
――……ああ、酷い有様だよ。まったく、誰が掃除するんだと思ってるんだか……うっわ、誰の脳味噌だよコレ?
あ? そうだよ。もう部屋中ぐっちゃぐちゃ……そう…………いや、即死だったらしいな。
本当に酷い……さすがは『モンストル・サクレ』と呼ばれることだけはある。こんな惨劇をまた起こすようじゃ、もう処分しかないだろうな……。研究対象は他にもたくさんあるだろ? ……ああ、分かってるさ。
……それにしても、なんでこんな騒動を起こしたんだか……。
ああ、アイツね…そうか、アイツを探してるのか……『モンストル・サクレ』と一番仲が良かったらしいな。
そういえばアイツの名前、なんて言ったっけ……――
【観察記録/1】
「アイバ……なんて読むの、これ?」
少女は僕の名札を指差しながら、全く分からないといった顔をして聞いた。
黒く長い髪、それと同じ色をした目、年は十歳頃だろうか。とても可愛らしい少女だ。
僕は彼女の目線の高さに合わせて腰を屈め、初めての挨拶を交わした。
「初めまして、モンストル・サクレ。この夏の間、君の世話をすることになった、相葉正義です」
「ふうん、セイギって読むのね。ふふ、素敵な名前。どうせなら、私のことは『ミス・モンストル・サクレ』って呼んでちょうだい」
その少女は夜色の長い髪をくるくると指先で遊びながら、可笑しそうに笑った。
長い髪は丹念に手入れをしているのか、どこも痛んだ様子は無かった。
「ミス・モンストル・サクレか……少し長いね。サクレって呼んでもいいかな?」
「ええ、もちろんよ。これからよろしくね、セイギ」
それが、僕とサクレのファーストコンタクト。
おそらくそれは本当の名前では無いだろう。話す言葉はもちろん、見た目だって明らかに彼女は日本人のように見えたから。
あだ名、なのだろうか。その時の僕は、大してその名について深く考えることはしなかった。
だから僕は、彼女の本当の名前を知らない。誰も教えてはくれなかった。
必然と僕は彼女のことをサクレと呼ぶことになった。
「ねえセイギ。何を書いてるの?」
「君の成長記録だよ。これを書くのが僕の仕事なんだって」
レポート用紙の様なものをサクレに見せる。彼女はそれ以上の興味が湧かなかったのか、部屋の中のソファの上へと寝転んだ。
そんな些細なことすらも、僕は書き込む。それが僕に与えられた仕事だからだ。
「世話係って大変なのね、セイギ。この前の世話係もそんなことをしていたわ」
「それが仕事っていうものだよ。君はまだ幼いから、分からないかもしれないけどね」
ドールハウスの中の家具を動かして、小さな模様替えをし始めたサクレを見て、僕はさらさらとペンを動かす。
この夏の間、僕はとあるアルバイトをすることになった。
バイトの内容は、彼女の世話をし、彼女の行動を観察し、そしてそれを偉い人――僕を雇った人に報告することだった。
世話と言っても、何から何まで世話するわけではない。
用意された食事を共にし、遊びに誘われれば興じる。簡単な割に高額な収入を得られる奇妙なバイトだったが、何故そんなことをしなければならないのかだなんて、理由などどうでも良かった。
お金がもらえれば、それで良かった。
学生にはお金が必要なのだ。
「そういえば、前の世話係の人はどうして辞めたのか知ってる? 誰も教えてくれないんだ」
「うーんとね、いらなくなったから、消したの」
サクレは事も無げにそう言った。言葉が言葉なだけに、僕は一瞬だけ思考が停止してしまった。
『消した』ということは、サクレに解雇でも言い渡されたのだろうか。
どうやら、この仕事を続けたいならば、彼女に気に入られなければならないようだ。
「そっか。僕は消されないようにしなくちゃね」
「大丈夫よ。私、セイギのこと気に入っているもの!」
彼女の笑い顔は、決して十歳の子供がするような笑顔ではなかった。
妖しく口角をあげ、どこか大人びたように微笑む、そんな笑みだった。
違和感を覚えつつも、僕は観察を続ける。
【観察記録/2】
サクレを観察するようになってから一週間ほどが経った。
その間、僕は至って真面目に仕事をしたし、サクレとも良い関係を築けるようになっていた。と思う。
「ねーねーセイギ。今日は何をして遊ぶ?」
「そうだなあ……サクレは何がしたい?」
「鬼ごっこ!」
「じゃあそれにしよっか?」
「やったー!」
彼女は僕に色んなことを教えてくれた。
自分が、僕を雇っている機関の研究対象であること。
今よりもっと小さい頃から、ずっとこの屋敷から出たことがないこと。今までの世話係はみんなつまらなかったこと。つまらなかったから、僕が雇われたこと。
色んなことを話してくれる彼女だったが、一体どんな研究の対象にされてるのかは分からなかった。
別に研究に興味があってこのアルバイトを選んだわけではない。だから、それ以上追求することもなかった。
「サクレが鬼をするから、セイギはちゃんと逃げてね」
「はいはい」
この役柄はいつも変わらなかった。
サクレはその小さな足を頼りなさげに動かして、僕を必死で追いかける。
狭い部屋の中じゃ、僕を捕まえることはこの小さな少女にも容易なことだった。僕も真剣に逃げることはしなかったのだけど。
「つーかまーえた!」
「捕まっちゃったなあ……」
残念そうに言うと、サクレはとても喜ぶ。
そうやって無邪気に喜ぶ姿は、とても微笑ましいものだった。
「っと……そろそろ帰る時間だね」
僕がそう言うと、サクレは悲しそうな顔をしてから俯く。
僕の勤務時間は、九時から六時。彼女の昼食と間食には付き合えても、夕飯までには付き合えないのだ。
未だ俯いたままのサクレの頭をぽんと撫で、彼女の視線と合うようにしゃがみこんで宥める。
「明日、また来るから。ね?」
「うん……絶対に来てね!」
「ああ、約束だ」
彼女の居る部屋を出て、何時も通り長い廊下を歩く。屋敷のようなこの研究機関は、何日通っても迷いそうになるほど広大だった。
三階建てになっているここは、一階が書物やら何やらの倉庫になっていて、二階が僕の勤務場所――サクレの住居。そして三階が研究員の居る場所になっていた。
僕は階段を上がってすぐに見えるドアへとノックする。
「失礼します。これ、今日の分の観察記録です」
黒縁眼鏡をかけた研究員が、コーヒーカップを片手にくるりと椅子を右回転させる。
白衣の右胸に付いてあるポケットには『羽柴』というネームプレートが見えた。
「ごくろーサマ、バイト君。お茶でも飲んでく? 有料だけどね」
「や、大丈夫です。すぐに帰りますし」
僕は羽柴と観察記録を渡す。彼は僕をじろじろと見て「今日も生きてたんだねー…」と、意味深なことをぼそりと呟いた。
不思議に思いつつも、僕は観察を続ける。
【観察記録/3】
二週間も経つと、サクレのことがよく分かってきた。
いつでもどこでも気分次第。少し我儘な所は、子供特有のものだろう。
好きな色は赤色で、クレヨンはいつも赤色が一番先に無くなる。鬼ごっこや隠れん坊など身体を使った遊びも好きだが、着せ替え人形やおままごとも好き。
簡単な漢字なら読めるらしく、それが一番の自慢らしい。最近は僕の名前を書くことが楽しいようだ。
「見て見てセイギ! これ、上手でしょ?」
すこしだけ歪な『相葉正義』の文字を見て、僕はぱちぱちと手を叩く。
そうすると、誇らしげにサクレは笑ってみせる。
「だんだん上手になってきたね。サクレは偉いな」
「でしょう? あ! そうだセイギ。読んでほしい絵本があるの」
慌てておもちゃ箱の方へと走っていくサクレを見て、僕はゆっくりとその後を追いかける。
「どれかな?」
「んっとねー……これ! このまえケンゴにもらったの」
ケンゴというのは、僕が観察記録を渡すときによく研究室に居る羽柴健吾のことだ。
どうやら新しい絵本をもらったらしく、サクレは興味津々の様子でそれを僕に渡してきた。
「サクレが絵本を読んで欲しいだなんて、初めてだね」
「ケンゴが言ってたけどね、新しいケンキュウの為に新たなカダイがーうんちゃらかんちゃらでー?」
……つまり覚えていないらしい。
とにかく絵本を読んだあとの様子を観察しろということで万事オッケーだろう。
サクレから手渡された絵本の表紙を見る。お姫様と王子様が並ぶ上に書かれた題字は『白雪姫』。
「よし、じゃあ読むよ。サクレ、はい」
僕の膝の上へ彼女を乗せ、一緒に絵本を読む体勢になってから文字を追う。
「むかしむかしあるところに……」
「あ、そこはもう読んだの」
出鼻を挫かれた。
がくりと来たが、楽しみでしかたなかったのだろうということで許すことにした。
「ここはまだ読んでないわ」
小さな指が指し示した文字から、僕はもう一度読むことにする。
「えーと……
『白雪姫を殺しておしまい!』
女王様は家来に言いつけました。
家来は森の中へと馬を走らせ、花畑の近くで遊ぶ白雪姫を見つけました。
『家来さん、こんにちは』
白雪姫は笑顔で挨拶をします。その笑顔を見て、家来は泣き出しました。
『私は女王様の命令で、あなたを殺すように言われています。さあ、はやくお逃げなさい、白雪姫』」
「ねえ」
良いところでサクレの質問タイムが始まった。
「どうしたんだい、サクレ」
「どうして家来は白雪姫を殺さないの?」
「殺してはいけないからだよ」
「どうして殺してはいけないの?」
ふむ、そう来るか。
家来は白雪姫に一目惚れしたから……なんて新しい物語を作っても良いのだが、一応これも研究の一環だそうなので、僕はありきたりな言葉を返す。
「大好きな人が殺されたら、悲しいからだよ。サクレもお母さんやお父さんが殺されたら悲しいだろう?」
くりくりとした大きな目を丸くして、サクレはキョトンと首を傾げた。
「オカアサンとオトウサンってなあに?」
僕は落としてしまった絵本の代わりに、雇われてすぐに渡された紙の束を手に取った。サクレの情報が詰まった、大事な紙だ。
だがそこに、僕の望む答えは載っていなかった。
サクレの出生の欄は、空白になっていた。
【観察記録/4】
「少し、お尋ねしたいことがあるんですが」
「あー…えっと……キミ、誰だっけ? ごめんねー、俺ってば物覚え悪いんだよネー。失念失念」
飄々とした態度で、羽柴は煙草の箱を白衣のポケットから取り出した。
サクレの昼寝時間中、僕は三階のバルコニーで休憩を取っていた羽柴に思い切って声を掛けてみた。
思えば、業務以外で初めて言葉を交わした気がする。
「夏のあいだ、サクレの世話係のバイトをしている相葉正義です」
「ああー、そうそう。アルバイトくんね。で? お尋ねしたいことって?」
「サクレの出生につい」「チェンジで」
やはり駄目か。
ライターを探すのに忙しい羽柴を見ながら、僕は質問を変えてみた。
「じゃあ、チェンジします。どうしてサクレを観察するんでしょうか」
「研究対象だからに決まってるジャン」
「いや、それはそうですけど、そうではなくて」
「もっとちゃんとした理由が知りたい?」
「はあ……まあ」
「俺がロリコンだからだよ」
「お忙しい中ありがとうございました。じゃ、僕はこれで」
「ごめん嘘。だから携帯閉じよう通報やめようイジメかっこわるい」
取り出した携帯を閉じて、大袈裟に溜息を吐いてみる。
まあ、こんなバイトに教えてくれるとは思っていなかったけど、ここまで茶目っ気たっぷりに帰されると脅してみたくもなる。
「うーん……ね、バイト君」
「相葉です」
「相葉君。そんなに知りたい?」
ライターは見付からなかったらしい。くわえていた煙草をもう一度箱に戻して、羽柴は楽しそうに聞いてきた。
知りたい、とはどっちのことについてだろうか。サクレの出生、サクレの研究の意味。
「サクレのこと、知りたいんです。何でもいいから教えて欲しいんです」
僕が真剣に話しているというのに、羽柴はまだにやついた笑みのままだ。
「どんなことを聞いても、この仕事、投げ出さない?」
「まさか。夏の間、しっかりと働きます」
僕だって、こんなに好条件なバイト、逃したくはない。
「通報はやめてね。イジメかっこわるい」
そう言って、羽柴は教えてくれた。僕の知りたかったこと全てを。
サクレは何故父と母を知らないのか。
サクレが何故観察されるのか。
こんな簡単な仕事なのに、何故高額な収入が得られるのか。
前の世話係は、一体どうなったのか。
「だから彼女は『モンストル・サクレ』なんだよ」
「それが……モンストル・サクレ……」
彼女の代名詞を呟いて、僕は観察を続ける。続けなければならない。
【観察記録/5】
「ねえセイギ。どうしてそんな顔をしているの?」
サクレは酷く不満げに問いつめてきた。努めて何時も通りに振る舞っていたつもりだったが、子供は敏感だった。
いや、サクレだったからだろうか?
「何を言ってるんだい、サクレ。いつもと一緒だよ」
「違うわ。今のセイギは、いつもと違う。前の世話係と同じ顔をしてるもの……そう、まるで」
目の前の少女は悲しそうに笑う。
「まるで、私に怯えてるみたいだわ」
僕がその少女に出会ったときに初めて思ったことは、恐怖でも畏怖でもなく、何故この子が『モンストル・サクレ』と呼ばれているのだろうか、という疑問でしかなかった。
モンストル・サクレ……それは聖なる怪物。
彼女は、何故そんな奇妙な名で呼ばれているのだろう。そんな些細な疑問だった。
だけど、僕は今全てを知っている。
「サクレ。君は人を殺すことをどう思ってる?」
「どうって?」
「悪いことだと思ってる?」
サクレはまるで分からないとでも言うように首を傾げる。
「それの何が悪いの? みんなだって殺すでしょ?」
背筋にひやりと氷が当たったような感覚がした。
ぞわりと、彼女の無邪気な笑みが恐ろしく感じる。
「殺さないよ、サクレ。人を殺しちゃいけないんだから」
「でも、セイギだってこの前、部屋に居た蜘蛛を殺してたじゃない?」
不思議そうにあげられた声に、僕は寒気を覚えるしかなかった。
『相葉君は何も知らなかったみたいだけど、モンストル・サクレは普通の人間じゃないんダヨねー。研究の為に意図的に作った感じなのかな。いわゆる一種の試験管ベビーっていうやつ?』
『意図的、ですか?』
『そ。大雑把に言っちゃえば、遺伝の研究の延長線上? 俺も下っ端だからイマイチ分からないんだけどネ』
『その……どんな研究なんですか?』
『人間を越える人間の研究』
『……は?』
『モンストル・サクレにはたくさんのオトウサンとオカアサンがいるんだけどね。それぞれの分野で秀でた遺伝子を持つ人達をこぞって集めて、良いところだけを取り出して、作ったんダヨ』
『それで、意図的に天才を作ろうとしたんですか? そんなこと、出来るんですか?』
『出来るはずだったんだけどネ。ちょっと詰め込みすぎちゃっって、要領がパンクしちゃってサ。失敗しちゃって……なんていうの? 罪の意識っていうのを欠落して生まれてきたって言うのかなー……よく分かんないんだけどね。まあ、それが逆に研究対象になったっていうのかな。実に興味深いよ、彼女は』
羽柴の言葉が、鮮明に頭の中で甦る。
「サクレ。君に罪の意識ってある?」
「失礼ね、セイギ。私だって悪いと思うことくらいあるわ」
怒ったように声をあげる彼女に、僕はもう一度質問する。
そう。この一ヶ月で僕はうっすらと気付いていた。彼女にちゃんと罪の意識はある。欠落なんかしていない。
ただ、彼女はやっぱり僕等とは違っていた。
「じゃあサクレ。どうして人間は殺しても良いの?」
「え? 簡単じゃない。自分とは違うモノは、殺しても良いんでしょう? 自分じゃないから」
その答えに、僕は反論できない。
そうだ、僕等は自分と違うモノを殺して生きている。
牛も豚も鳥も魚も、全て自分と違う生き物だから殺している。殺して、食べている。
だけど、彼女はそのカテゴリの中に人間すらも含めてしまっている。
自分と違うから。自分ではない生き物だから。
それはあまりにも危険だ。そしてその危険な思想は、じきに世界から排除されるだろう。
僕等がいままでしてきたように、自分達とは違う生き物である彼女を殺すのだろう。
「サクレ。そんなんじゃ、君は世界に殺される」
いや、もしくは。
「大丈夫よ。その時は私が世界を殺すもの」
この無邪気な殺人鬼に、僕等は殺される。
ここで僕は観察することをやめる。ちょうど夏が終わったからだ。
それから、僕はなるべくサクレのことを忘れるよう努力した。
あれは悪い夢だったのだと思うことにした。そうすることで、僕は日常へと戻れる気がしたのだ。
非日常は、僕の性には合わない。
僕は、普通なのだから。
それから何ヶ月経っただろうか。
風の噂で知ったことだが、あの研究施設は何週間か前に謎の事件が起きて、研究員全員が死んでいたらしい。
研究内容が法に触れることばかりだったため、恨みを買うことも多かったらしく、事件は怨恨関係と見ているものの、迷宮入りになりそうらしい。
隣人の証言によれば、悲しそうな少女の声が微かに聞こえたそうだ。
【定時連絡/BからAへ】
――……ははっ、まあ頑張って掃除しろよ。頼むから、脳味噌踏んだ靴でこっち来るなよ……ああ。また新しい世話係、募集しなきゃな。
あ? なんだって? いや……そういえばさっきから定時連絡が途絶えてるな。
……は。まさか! たとえ普通の人間と違うっつっても、相手は只の少女だぞ?
ただの警備員の職務怠慢だろ……ったく、警備員は何をしてるんだ、か…………!?
な、なんで……! なんで『モンストル・サクレ』が此処に居るんだ!? お前、何を……ひっ……来るな! うあ、あああ……!
よせ! やめろ、やめろぉぉおおお!
い、やだ……まだ 死に た、 く い ?
「ねえ、セイギはどこ?」
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