殺戮の舞台女優「Michel・Malebranche (ミシェル・マールブランシェ)」
その生涯には、あまりにも奇怪な謎が多い。
彼女が犯罪史の表舞台に登場すること三度に渡り、そのいずれもが狂気に満ちた幻想の戯曲として知られている。
(初舞台「パパの幸せを描いてあげる……」en21 november1887)
実父「Joseph・Malebranche (ジョゼフ・マールブランシェ)」の凄惨な変死事件.
証拠不十分及び、年齢に対する殺害遂行能力に疑問の声が上がる。
現実と幻想の境界を認識できていない類の言動を繰り返し、行動にも尋常ならざる点が多々見受けられた……。
(識られざる幕間劇)
夜である。いや、夜などという生易しい時間はとうに過ぎている。今の時刻は夜中。それも日付が変わって久しい時間だ。
暗く黒い天蓋には青白い円弧が仄かな光を控えめに地上に注ぎ、その恩恵に安堵しながら人々は安き眠りについている。
しかし、日中にこそ眠りにつき、夜にこそ動き始めるルナティックな者達も当然居る。
古くから魔性として、あるいは神秘の象徴として数多の伝承に上がり、幾多もの人々を魅了して止まない月の恩恵こそを受けたいと思う者がいても、全くもって不思議ではない。
そう、ちょうど彼らのように。
商店や飲み屋の連なる街中。一人の少年が歩いていた。
別段珍しいことでも奇異なことでもない。
日中であれば幾ら働こうとも大人達にその儲けの全てを掠め取られてしまう。ならば大人たちでも眠りにつく夜に働こうと考える貧民の少年など幾らでも居る。
そう、彼はそんな大勢の一人にすぎない。
彼は今日もまた、寝静まった商店に足音を殺して無断入店しその日の儲けを頂いてきたところだ。
だが、流石に回を重ねすぎたのか、馬鹿で愚鈍な赤ら顔のでっぷりとした店主にも学習能力が在ったのか、今日はいつも置いてある金庫の中に金がほんの少ししかなかった。
どうせなら全て隠せばいいモノを、わざわざ少量残しておくあたりに店を家探しされることを嫌っているだろうことが窺える。ならば寝ずの番でもするなり犬を買うなりすればいいのだが、所詮は愚図。そこまで頭が回らなかったのだろう。
なんであれ、少年の今日の儲けが微々たるものであるという事実は変わらない。こんなちっぽけな小銭では、数多いストリートチルドレンの中間達の分まで食料を調達するのは難しい。
だからと言って、食料そのものを盗むのは彼の流儀に反していた。空腹の恐ろしさを誰よりも、経験として識っている彼はどうしても金は盗めても食料そのものを盗むことは出来ないのだ。
さて、どうするか。
あともう一軒くらい回って金を失敬するか。
だが、と少年は考える。
ここにはここのルールがある。そのルールは絶対で、それを守っているからこそ彼らは警察にそう簡単に捕まらずにいられるのだ。
しかし、ポケットの中で空しい音をたてる小銭程度では、精々一食分。それも切り詰めに切り詰めてやっとといったところだろう。
少年が思案に暮れながら、肩を落として歩いていると、不意に街灯や月の光が切れた。
なんだ? と思って顔を上げれば、そこにははっとするほどの美しい女性が立っていた。
「あ、すいません」
思わず彼は頭を下げた。
ぶつかったわけでもないのだが、その美しさの前に彼は萎縮してしまったのだ。
女性は、ふっ、と淡く艶やかな微笑を浮かべると、少年に背を向けて歩いていってしまった。
少年が思わずその後姿を見ていると、やや進んだあたりで女性が首だけで振り返った。
少年はじろじろと見ていたのがバレて途端に気恥ずかしい気分になったが、女性はそんなことに構わず少年を見つづけている。
と、女性は少年が顔を上げたところで角の方に消えてしまった。
「あ、」
少年は思わずその女性の後を追った。
――女性が、こっちへいらっしゃい、と言ったような気がして。
少年が急いで角を曲がると唐突に誰かに抱き寄せられた。
ふくよかな双丘が少年の胸板に押し付けられる。鼻腔を頭のくらくらするような甘い香りがくすぐる。
ぼんやりとした頭で、少年は先ほどの美しい女性に抱かれているのだと悟る。
異性というものを未だ知らない少年は、その魅惑に勝てない。どうすればいいのかもわからない。ただ、幸福感が胸を絞めるばかり。
だから気づかない。
――その首筋に、女性が熱い接吻をしようとしているのを。
少年の液体は仄甘く、血赤色の陶酔感を紡ぎ……。
永遠の夜に囚われた、花は咲き続ける……。
(二度目の舞台「もう一度この手で彼女を……」en30 juillet1895)
養父「Armand・Olivier (アルマン・オリヴィエ)」の手による絞殺・死体遺棄未遂事件。
深夜、半狂乱で笑いながら庭に穴を掘っている所を、近隣住民の通報によって駆けつけた警察官により逮捕。
その後、「Olivier」は獄中にて完全に発狂した……。
(識られざる幕間劇)
男は囁く。
甘い、甘い言葉を。
女は耳元で囁かれるその言葉に照れたような笑みを浮かべ、恥ずかしそうにしながらも男に抱きついた。
二人は世間的には義父娘という間柄になっていた。
しかし、男がその美しい娘に心を奪われるのは時間の問題で。女も熱く激しい男の愛情に心を奪われるのはそう難しい話ではなかった。
二人はたとえ義理であろうが親子だ。
だが、愛という名の前にはそんな些細な事実は易く霞む。
親子。父と娘。それは突き詰めれば男と女で、そんな二人は寄り突き詰めれば結局は赤の他人。
ならば、互いを愛し合うのになんの遠慮が要るだろう。
倫理?
道徳?
世間体?
どこれもこれもそれもあれもが、二人の愛を妨害するには役者不足。
女はこの時ばかりは自らが女であるということをこれ以上ないくらいに歓喜した。
二人は夜な夜な愛し合った。
がっしりとした男らしい身体。
まるく繊細な蟲惑的な身体。
二人は夜な夜な寝台で互いの身体を重ねた。熱く、激しく、互いが互いを貪るように貪欲に、どこまでも淫らに、けれど確かな愛でもって。
しかし、女は気付いてしまった。
――男が愛しているのは、『私』じゃない……。
と。
(三度目の舞台「少年の液体は仄甘く」en4 fevrier1903)
『Michel・Malebranche』による青少年連続拉致殺害事件。
ルーン郊外の廃屋にて多数の腐乱死体が発見される。
当時行方不明となっていた一三人の少年達は、変わり果てた姿で干からびたような老婆『Michel』の遺体に折り重なっていた……。
(自称、天才犯罪心理学者「Mr.Christophe・Jean−Jacques・Saint−Laurent (クリストフ・ジャン=ジャック・サン=ローラン)」曰く)
「彼女がどんな魔法を駆使したのか、それは私の識り及ぶ所ではないのだが、殺害動機という観点でのみ論じるならば、答えは明白であると言わざるを得ない」
「彼女は、自らを閉じ込める狭い折の中から抜け出したかったのでしょうな……。それも極めて偏執的なまでに。……しかし、残念ながらその願望は生涯叶うことは無かった。……そして、死後一世紀を経過した今でも、彼女はその檻の中にいる……」
「……何故そんなことが断言できるのか? ……良い質問だ。よろしい、誤解を招くことを承知で、この『Christophe・Jean−Jacques・Saint−Laurent』あえてここで公言しておこう。
我々もまた、彼女と同じ檻の中にいるからだ
と……」
(『Michel・Malebranche』の手記に遺されていた詩の断片)
檻の中で咲き乱れ、朽ち果てる前に、
愛を失くしたこの世界に……、捧ぐ……お別れの挨拶。
〜連作幻想戯曲『檻の中の花』(著)Noel・Malebranche (ノエル・マールブランシェ)
|