8.高校二年生 その4
「大丈夫か?」
「う、うん……」
「気をつけろよ。おまえ、昔っからそそっかしいところがあったからな」
「昔っから?」
澄香は眉間に皺を寄せて、首をひねる。
自分を知っているらしい目の前の人物に、ますます納得がいかない。
「そうだ、さっきは笑ってごめん。クックック……。それにしても、おまえっておもしろいな。昔から元気でユニークな奴ってのは知ってたけど、今日のは極上のグッジョブだったぜ。鬼教師の黒川を笑わせたのは、この学校ではおまえが第一号かもな……」
どうして? なんで?
澄香の懐疑心は強くなる一方だ。
家が同じ方面だということは、中学は一緒だったのかもしれない。
ただし、同じクラスになったことなどなかったはずだと思いをめぐらせる。
澄香はますますわけがわからなくなり、ころんだ時、打ち所が悪くて意識が混乱しているのだと自分に言い聞かせる。
この人は、さっきの忘れ物仲間だったというところまでは理解できるが、名前は全く思い出せない。
澄香は必死になって、知っている限りの名前を脳内に羅列してみるが、どれも目の前の顔の人物とマッチしない。
こめかみには、変な汗まで流れ出す。
とうとう澄香は、もう降参ですと言わんばかりの情けない顔をして、クラスメイトからスッと目をそらした。
「も、もしかしておまえ。俺のこと知らない……とか?」
こくりと頷いた澄香に、またもや爆笑している目の前の知らないおとこ。
「あはは! 信じらんねえ。ホントに知らないのか? 加賀屋秀彦だよ。小学校五年からずっと一緒の学校だったろ? 確かに途中から俺、日本を出ちゃったけどな。それでも卒業アルバムには載せてもらったし。普通名前くらい知ってるでしょ? マジで?」
かがや……ひでひこ。
確か彼は野球部員で、友人のマキが最近気になると言ってたあの人に違いない。
テニス部の後輩も、チームメイトも。かっこいい人がいると言っていたあの帰国子女が、イコール加賀屋秀彦だったのだと、ようやく澄香の中で顔と名前がぴたりと結びつく。
なんだか時代劇にでも登場しそうな変わった名前の子だなあ、くらいの印象しかなかった澄香は、仲間たちがハートマークの目で彼を語っている時でも、自分には関係ないことと気にも留めてなかったのだった。
名前を思い出すのがあまりにも遅すぎたせいか、いつの間にか目の前にいた加賀屋秀彦はどこかに消え去っていた。
その時の彼の笑顔が、笑い声が……。
まるで瞬間接着剤で貼り付けたかのように、ピタッと澄香の心にくっついてしまったのだ。
その後の部活は完全に上の空で、友人達の寄り道の誘いも断り、猛ダッシュで自転車を走らせただいまも言わずに家に入り、二階に駆け上がる。
そして小・中学校の卒業アルバムを取り出し、加賀屋秀彦を確認したのは。言うまでもない。
夜ベッドの中で、目をつぶると浮かび上がる加賀屋秀彦の笑顔。
ぶつかった時の、彼の胸の厚みと弾力性。
次々と湧き上がる彼の一つ一つの行動を思い出すたびにドキドキして、意味もなく、いやーんなどと口走る澄香は、そんな自分の豹変ぶりに、ただただ驚愕する。
人はこれを一目ぼれと言うのだろうか。
いや、昔からなんとなく彼の顔を知っているのだから、ふた目ぼれ、かもしれない。
その日を境に、澄香の高校生活は大きく一変するのだった。

(HPです。)
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