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かくれんぼ
作:大平麻由理



7.高校二年生 その四


 ロビーに静けさがもどり人影がまばらになっても、澄香はその場から動けなかった。 
 雨はまだ降り続き、外は五月の夕方とは思えないほど薄暗い。
 誰か人の気配を感じ、斜め前の靴箱の裏側に目をやる。
 向こうも澄香がいることに気付いたのか、上半身を傾けて覗き込んできた。
「池坂、どうしたんだ? 傘、忘れたのか?」
 その声の主は、今、このタイミングで会いたくない人物の一人である木戸だった。
「木戸君……」
「まさか、俺を待っててくれたなんてことはないよな。当番日誌書いてたら遅くなっちまったよ」
 靴を履き替えた木戸が澄香に笑顔を向ける。
 日に焼けた肌に時折のぞく白い歯。スポーツマンらしい短髪に澄香より頭一つ分は高い背丈。
 次期野球部キャプテンとしての資質を備えた今時珍しいほど真面目で堅物な木戸は、澄香を前にすると、それまで保っていた厳しい表情を突如緩め、誰にも見せたことのないようなはにかんだ笑顔をさらけ出す。
 でも澄香は何度考えてみても、彼氏としてあるいは恋人として木戸が彼女の隣に並ぶことは、この先も多分ありえないとわかっていた。
 手に持っていた黒いジャンプ傘を、使えば、と言って澄香の前に差し出す。
「あ、いいの。傘はあるから。マキちゃん……あ、花倉さんを探してたんだけど会えなくて……」
 澄香は、そこに立ちすくんでいた本当の理由を木戸に知られたくなくて、適当に思いついた言い訳を口にする。
「じゃあ、帰るね」
「おい、待てよ。一緒に帰ろう」
 それぞれに傘をさし、その上に意識的に距離を取って歩く二人は、誰が見ても完全に他人同士だ。
 下校のピークも過ぎたのでじろじろ見る人もいないが、どうも木戸といると澄香は落ち着きを無くしてしまう。
 沈黙がこのまま永遠に続くのかと思うほど、澄香を包む空気は重く、水溜りにはねる雨音すらどこかもの悲しげに聞こえる。
 木戸は電車通学のはず。どこまで一緒に歩くのだろうと、徐々に心配になってきた。
「君の家まで送るよ。確か、加賀屋んちの近くなんだろ?」
 澄香の家へと続く坂道の前で、突然木戸がそんなことを言い出す。
「あいつの家には何度も行ったことあるから……。俺、いつもあいつに救われてるんだ」
 澄香の心臓は、急に早鐘を打ち始めた。木戸の口から語られる秀彦の名前に無意識に反応してしまうのだ。
「あいつって結構楽天家だろ? 俺がいろいろ思い悩むたちだから、あいつの、気にするな! の一言にいつも助けられてるんだ」
「そ、そうなんだ。木戸君達、仲いいもんね」
「ああ。あいつと出会えて良かったと思ってる。今だから言うけど、俺、池坂に……その……付き合って欲しいと言う時、あいつに頼んだんだ」
 澄香の顔が一瞬こわばった。やはり秀彦が絡んでいたんだ……と。
「とても自分から君に話す勇気なんてなかったから、加賀屋からそれとなく伝えてもらおうと思ってな。君達、小学校から一緒だろ? でもあいつ、きっぱり言いやがった。自分で言えってな。それが紳士ってもんだろって。さすがイギリス仕込みは一味も二味も違うよ」
 ははは……と笑う木戸を尻目に、どこかほっとしたような気持ちになった澄香が、さっきのすまなそうな顔をした秀彦を再び思い浮かべていた。
 木戸が自分で言ってくれて良かったと。もし、秀彦の口から伝えられていたら……。
 今よりももっと打ちのめされて、心までもが壊れてしまったかもしれない。

「木戸君、もうここでいいよ。この道行けばすぐだから」
「そうなのか? 加賀屋んちはここのもう少し上の方だよな」
「多分……ね。あたし、加賀屋君ちに行ったことないし、どこにあるのかよく知らないんだ」
 それはほんとうだった。時折、家の前を通り過ぎる秀彦を見かけることはあるが、澄香の家は三丁目。秀彦の家は五丁目になる。歩くと五分以上はかかるくらいに離れているはずだ。
 それに、これ以上秀彦との関係を勘ぐられたくなかったのだ。
 さっき見た秀彦と片桐さんとの親しげなやりとり。
 澄香がいくら秀彦を思っても、それはもう手の届かないものになってしまったとはっきり自覚したからなのだろうか……。


 夏が過ぎ木の葉が色づき始める頃、進路調査票を前に澄香は、枠内に書く文字を決められないでいた。
 今すでに文系クラスに配属されているのだが、三年のクラス分けの資料にするので、具体的に大学名と学部を記入して今日の夕方六時までに担任に提出と厳しく言われている。
 さっきのホームルームでの鬼教師黒川の鋭い視線が今まさによみがえる。これを書かないことには部活にも行けない。澄香は、頭を抱え込んであれこれ悩んでいた。

 教室にはもう誰もいなかった。グラウンドでは、ランニング中の野球部の掛け声が響き、北側の道場からは竹刀の合わさるパーンという音と共に甲高い叫び声があたりにこだましている。
 テニスコートはここからは見えないが、事実上、十一月の試合で引退する予定の澄香は、一刻も早く練習に参加したかったのだが……。
 大学に進学して商学部に入って情報処理を勉強したい……と漠然と思っているだけの現状。
 手元の広辞苑並に分厚い大学案内ガイドを繰りながら、自宅から通える大学をピックアップしていく。
 偏差値との兼ね合いもあるので、行きたいと思う大学が即希望校というわけにもいかず、複数の校名が堂々巡りをするばかり。
 頬杖をつき、窓ガラス越しに遠く霞んで見える本土と人工島を繋ぐ赤い主塔のある橋をぼーっと眺めていた。
 ガラガラと教室後方の戸の開く音がして、それに聞き覚えのある声が重なる。
「いけさか?」
 ──えっ? 澄香はその声の主の方に振り返った。











窓越しに見える橋は、本土と六甲アイランドを結ぶ六甲大橋です。
神戸にある人工島は2つあって、もうひとつはポートアイランドです。

さて、教室に入って来たのは……。






   





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