5.高校二年生 その二
「ねえ、澄香。あんたさあ、最近やけにかがちゃんと仲良くない? あっ、別に嫉妬してるとかそんなんじゃないよ」
「えっ? そ、そんなことないよ。ただ、選択科目の英語が同じだから……ね? そ、それと、前にも言ったじゃん。同じ中学だったって」
「それはそうだけど。なんか怪しい……」
澄香の親友であるマキこと花倉真紀は、持ち前の鼻の良さで、最近の澄香の変化にそれとなく気付き始めていたのだ。
確かにあの忘れ物の日以来澄香は、秀彦と顔を合わすたび、よくしゃべるようにはなった。
でも会話といっても、澄香にとっては触れて欲しくないあの一件のことばかり。
「俺は、加賀屋秀彦。覚えてくれた?」だの
「あっ、俺、加賀屋。かがちゃんと呼んでくれ」だの
「忘れてないよね、俺のこと。加賀屋だよーーん」だの……。
さすがにこう何回も繰り返されると、たとえ相手が澄香の想い人であるにしても、からかいのネタにされているようで気持ちが荒んでくる。
でも、好きになってしまったのだから、しょうがない。
話し掛けてくる時の秀彦の笑顔が、たまらないのだ。
「ねえ、澄香。あんた、かがちゃんのこと好きでしょ? 違うとは言わせないわよ」
マキは、いつも物事を真正面から突いてくる。
澄香は、到底かわす方法が見つけられるはずもなく、ついに白状させられる始末。
「う、うん。そうかも……しれない。あっ、でもお願い。誰にも言わないで。特に彼には知られたくない。今くらいの関係がちょうどいいの」
「そう言うと思った。わかってるって。でもね、本当に好きなら態度で示さないと、あの手の男は女が黙ってないよ。誰かに取られてからじゃ手遅れだからね。それじゃあ、あたしがまず手始めに……」
「ま、マキちゃん! それだけは辞めて! お願い」
「ばーか! そんなことするわけないでしょ。あたしね、次のターゲット、水泳部の先輩に変えたから。だから安心しな、すみかちゃん!」
マキの不吉な予感が的中するのにそんなに時間はかからなかった。本当に女が黙っていなかったのだ。
澄香は、生まれて初めての秀彦への感情に、自分自身どうしていいのかわからなくなっていた。
部活をして、友人とおしゃべりを楽しみ、テストで赤点ぎりぎりのラインをすり抜け、楽しく過ごせればよしとしていた高校生活に、新たに加わった秀彦への想い。
授業で指名されて、英語のテキストをネイティブな発音で読む秀彦のその声色に、そして、何度も向けられた笑顔に、澄香の心はみるみる奪われていく。
告白したわけでもない。されたわけでもない。
秀彦との関係が進展するはずもなく、ただのクラスメイトのまま一日、また一日と過ぎていく。
そんな時に限って、めったにない一大事が続けて起こる物である。
ゴールデンウィークを前にした金曜日の放課後、学食の裏手のベンチに澄香とマキが座っていた。
「どうすんの? あんたがはっきりしないと流されちゃうよ。これは絶対告られる!」
「そ、そうかな? でもそんなのわかんないよ? ただ話があるだけかもしれないじゃん」
「ほんと、澄香ったらド天然だから困っちゃうよ。あんな真面目な奴が、ただ話があるだけで呼び出すわけないでしょ。木戸は真剣だよ」
木戸翔紀。野球部で秀彦とバッテリーを組んでいて、次期キャプテンとの噂も高い人望のあるこの人物は、皮肉なことに、秀彦の親友でもあるのだ。
澄香は、一年のとき同じクラスだった木戸のことは、全く知らないわけではないが、特別仲が良かったということもない。
ただのクラスメイトだった木戸から呼び出しを受け、不安になった澄香は、マキにギリギリまですがり付いているという情けないありさまなのだ。
「さあ、時間だよ。行っておいで。あたしはここまでだから」
マキに背中を押された澄香は、指定された自動販売機の横のベンチに重い足取りで向かった。
「あっ、池坂! こっち!」
先にそこにいた木戸は、少し頬を赤らめながら、澄香を手招きする。手には、缶ジュースが二種類握られ、澄香の前に差し出された。
「どっちにする?」
「あ、ありがと。じゃ、じゃあ、レモンで」
無言のまま、二人でジュースを飲む。
この先いったいどうなるのかその動向を探るように、時折横の人物を盗み見る。視線の先のその男は、ただおいしそうにオレンジジュースをごくごく飲んでいた。
澄香は二口ほど飲んだところで、いい加減この状況に耐えられなくなり、思わず自分から口を開いていた。
「ねえ、木戸君。何の用かな?」
はっとしたように澄香を見た木戸は、頭を掻きながら恥ずかしそうに話し始めた。
「急に呼び出したりしてゴメン。俺、一年の時から池坂のこと気になってて、それで……」
「え? ああ……。な、何?」
澄香にまで木戸の緊張感がうつったのだろうか。しどろもどろになってしまう。
「それで、付き合って欲しいんだ。俺と」
「は? 付き合うの? 誰が?」
完全に舞い上がっておかしくなってしまった澄香は、木戸の言っていることが理解できなくなっていた。
「誰がって、池坂が。俺が付き合いたいのは君なんだけど」
「そ、そうなの? ってことは、あたしがどうすればいいのかな?」
「えっ? だから、俺と付き合ってくれればいいんだけど。だめ?」
生まれて初めての状況にパニック状態になった澄香は、この先自分がどんな返事をしたのかなんて、何も覚えていなかった。
気がつけば休日の一日は、デートの約束までしてしまっていたのだから。
その日の夜、電話でマキに散々叱られた澄香は、とりあえず一回だけ木戸とデートをして、はっきり付き合えないと言うことに決めた。
澄香が好きなのは秀彦。気持ちを押し殺してまで、誰かと付き合おうとは思ってなかった。
本当なら、呼び出されたその時に、はっきりと意思表示をするべきだったのだ。
秀彦に心を奪われ浮き足立っていた澄香に、するするといつの間にかにじり寄ってきた別の男。
この男の存在が、後の澄香を苦しめることになるとは、この時はまだ、誰も気付いていなかった。
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