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かくれんぼ
作:大平麻由理



3.初恋のヒト


 なんとか約束の一時間は仁太に付き合った澄香だったが、三本目のビールになってもまだ酔えないでいた。仁太に対して警戒心があるからとか、澄香が酒に強いとか、そういった単純な理由ではない。
 今夜で最初で最後かもしれない、人のいい楽天家、吉山仁太との食事中であるにもかかわらず、さっきの携帯の送り主のことが、一時も澄香の頭から離れようとしないのだ。
 彼女の心中を見抜いているかのように、仁太も、あれ以来ほとんど澄香に話しかけることはなかった。

 店内も徐々に混み始め、仁太のグラスが空になったのを区切りに、二人で店を出る。
 家まで送ると言った仁太を気の毒にも駅に残したまま、澄香は乗りなれた私鉄のホームに駆け込んだ。
 電車を降りた後、バスで十五分程揺られると、澄香の家がある小高い丘陵の街に着く。時計の針はもうすぐ八時になろうとしていた。

 会社までは徒歩と乗り物の待ち時間を入れても四十分ほど。通勤には手ごろな距離だ。よってアパートを借りる必要もなく、実家から職場に通っている。
 もちろん澄香も世の独身族と同じく、一人暮らしに憧れていないわけではない。
 このまま独身期間が続くのであれば、来年あたり独立しようかとも考えているのだが、過保護な彼女の親がクビを縦に振るかどうかは、未知数なままだ。

 そんな澄香を愛して止まない両親が温かく迎える家の明かりが、だんだんと近づいてくる。仕事帰りにビールを飲み、あまり酔ってないとはいえ赤い顔をして帰宅することに少し引け目を感じながらも澄香は、玄関戸を開け、母親が待つリビングに向かってただいまと声をかけた。
 すると奥の台所からスリッパの音をパタパタさせながら、母親が駆け寄ってくる。
「あら、おかえり。今日はちょっと遅かったわね。ご飯は?」
 澄香の目の前に現れた母親と共に、揚げ物のおいしそうな匂いまでもが一緒に玄関にやってくる。
 ──そうだ! 今夜はコロッケだったんだ! 今朝、母親が言っていたのを思い出し、澄香はひとり納得して大きく息を吸い込んだ。
「コロッケのいい匂い。残念だけど、食べてきたんだ……。連絡しないでごめん。今晩のおかず、明日のお弁当に詰めるから」
「わかったわ。澄香の大好物だもんね。……あら? なんか目が赤いわね。いや、顔全体が赤いわよ。……飲んできた?」
「う、うん。ちょっと……ね」
「珍しいこともあるわね。誰と?」
 なぜかこの日は、母親が執拗に澄香に問いただそうとする。普段、友人と食事をしたり買い物で遅くなっても何も聞かないのに……だ。
「か、会社の人と」
「そう……。そんな人ができたんだ。もしかして彼氏?」
「な、な、何を言うのよ。カレシなわけないじゃん。ただの同僚よ」
 澄香は、さも残念そうに口をへの字にして見せるが、母親は一向にひるむ様子を見せない。
「ふふふ。知ってるのよ。いつもメールしてる人でしょ? いい加減紹介してくれてもいいんじゃない? もう長いはずよね。お付き合い……」
 勝ち誇ったような母親の顔にたじろぎながらも、澄香は必死になって言い訳をする。
「ええ? ち、違うったら! 本当に違うんだってば。 め、メールやってるのもただの友達だし、今日飲んでた人もただの同僚だし……。そもそも別人なの! その二人は!」
 澄香は、いつになくムキになり、声を張り上げた。
「そうなの? 私の思い過ごしだったのかしら……。でも澄香ももういい歳なんだし、そろそろそんな話があってもいい頃よ」
「そ、そりゃあそうだけど……。もしかして、心配してくれてる? もう、お母さんったら、あたしのことなんか気にしなくていいのに」
「気になるわよ。まさか、一生結婚しないなんて言わないわよね?」
「……それは、わからないわ。この先、どうなるかなんて、あたしにもわからない。でもね、結婚が人生のすべてだなんて思ってないし、今のままでもいいかなって思ってる。だって気楽なんだもん。誰に縛り付けられることもなく、自由気ままだしね。それじゃ、だめ?」
「別にだめじゃない……けど。それが現在いまの若い人の一般的な考え方なのかしらね」
 がっかりしたような母親の姿に少し同情的になった澄香は、彼女の背後に回ると肩にそっと手をのせ、ゆっくりと揉み始めた。ゆるくパーマのかかった髪の間にちらほらのぞく白髪を見るにつけ、母親もいつまでも若くないんだなあなどと感慨深くなる。
「いい人ができたら、すぐに紹介するから……ね。だから心配しないで、お母さん」
 澄香は、肩揉みを続けながら、母親にそっと声をかけた。
「ああ、いい気持ちだわ。ありがと、もう充分よ。あなたも疲れてるんでしょ? お風呂に入って休みなさいな。ふふ……。それにね、相手がいてもいなくても心配するのが親の務めなの。それが仕事みたいなものよ。楽しみは後の方にとっておくことにしましょう。それにしてもどこにいるのかしらね? 澄香の運命のヒトは。まあ、がんばりなさい。仕事も恋愛も……ね?」
 澄香はもう少しで危うく口が滑りそうになるところだった。
 ──あたしの好きな人は、多分、お母さんも知っているヒトかも……などと。

 澄香は、素早く入浴を済ませると、自分の部屋のベッドに腰掛けて携帯を開き、さっき届いたメールを見ていた。
 そこにあるのは、二日後に迫った同窓会についての文面だった。高校三年の時のクラス同窓会だ。もうすでに知っている内容だったが、本人は出張明けで遅れるかもしれないとも書いてある。
 発信元は秀彦。
 そう、彼こそが澄香の初恋の人であり、メールを交換する唯一の心許せる男性なのだ。だが秀彦から切り出してくるメールは、こういった事務的なものばかり。今回幹事の代行もしている澄香に対して、当然とも言える内容のメールだったりする。
 普段は澄香がその日あったことをメール送信して、秀彦から返信されるというスタイル。一日何十回とやり取りすることもある。ただし、いつも始まりは澄香から。秀彦から先に来る事はない。
 きちんとマナーを守り、律儀に返信してくる。ただそれだけのことだと、澄香はいやと言う程思い知らされているのに、彼にメールを送るのを止められないでいた。
 唯一のこの繋がりを断ちたくない一心で、何百、何千というやり取りを六年近くも続けているのだ。

 澄香が秀彦と初めて会ったのは高校二年になったばかりの頃だった。いや、正確には、小学校の五年生の時に初対面を果たしているはずなのだが、澄香には当時の記憶は全くない。
 というのも、秀彦は、澄香のいる小学校に転校してきて一年後には、父親の海外転勤で家族揃ってイギリスに渡ってしまったから。

 中学三年で澄香と同じ中学にもどってきてからも、クラスが同じでない限り彼のことを知る由もなかったというのが、その後の彼女の言い分である。
 高校二年での新たな出会い。

 この時の衝撃は、今でも彼女の心にしっかりと焼き付いているのだった。







   





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