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番外編 2.会いたい
「お母さん。えっと、あのね」
 待ってましたとでも言うように、母親の顔がぱっと輝く。
「実は、その……。高校で同じクラスだった、五丁目の……か」
 好奇心に満ち溢れた顔をして、食い入るように見つめてくる母親に圧倒され、そこまで出かかった声が再び逆戻りしてしまう。
「もう、澄香ったら、何をそんなに緊張してるの? 高校の同級生なら、何も問題ないじゃない。なのに困ったわね。お母さんは頭ごなしに反対したりしないわよ。あなたがそこまで一生懸命、想ってる人なんでしょ? お父さんや信雅が何か言っても、私だけは澄香の味方だから、安心して言ってくれればいいのよ。えっと、今、何丁目って言った?」
 いや、そうじゃなくて、お母さんがあまりにもあからさまに、好奇の目を向けてくるから……などとはとても言えなくて、澄香はもう一度自分を奮い立たせ、仕切り直す。
「あのね、五丁目の、か」
「五丁目っていえば、すぐそこじゃない。なら、中学も一緒よね?」
 そんなに仲良しだった男の子がいたかしら? とまたもや途中で話の腰を折られる。
「この町内の人で、中央高校の同級生っていえば……」
「だから、加賀屋君だってば……。お母さんも知ってるでしょ?」
「加賀屋さん?」
「そう」
「へっ?」
「うん」
 母親はそのまま黙り込んでしまった。さっきまでの勢いはどこへやら。澄香は急に不安に襲われ、母親の顔色を伺う。あんなに調子のいい事を言っておきながら、やっぱり反対されるのだろうか。
「もしかして。加賀屋さんちのボクなの? ほんとに?」
 町内で同じ高校に進学した同級生の男子は彼一人だけだ。どうころんでも迷いようが無いほど簡単な問題なのに、母親は尚も首を傾げ続ける。にしても……。加賀屋さんちのボクはないでしょ、ボクは!
 なかなか信じようとしない母親を恨めしげに睨み、ほんとなんだってば、信じてよと言い返す。
「それは大変だわ。こんなことしてる場合じゃないわね」
 一大決心をしたかのようにすくっと立ち上がった母親は、早送りの録画画面さながらのてきぱきとした動きで、ドレッサーの奥からホットカーラーを捜し出し、少し伸び始めたショートカットの毛先に巻きつける。その上、客間の掃除まで始めた。澄香はその変わり身の速さに、ただただ、唖然とするばかりだった。

 チェックのワンピースに着替えて靴を選んでいると、携帯が軽やかなメロディーを奏でる。秀彦からだ。時計を見ると、まだ約束の時刻まで三十分もある。どうしたのだろうと不思議に思いながら携帯を耳に当てた。
「もしもし」
『澄香、俺だけど』
 秀彦の心地いい声が耳に届く。
「加賀屋君……。おはよう。夕べは、その、どうも……」
 電話で話すのは、まだどうにも慣れない。変に思われなかっただろうか。
『ああ、いや。こちらこそ、遅くまで電話して、ごめん。よく寝たか?」
「う、うん。ちょっとだけならね。加賀屋君は?」
『俺? 俺はあの後、即行で寝た。おまえ、大丈夫か?』
「平気だよ。心配いらないって。ところで、何かあったの?」
 澄香の気持ちが次第にほぐれていく。
『実は……。ちょっと早いんだけど、もうすぐ迎えに行くよ。おまえのことを、少しだけ親に話したら、おふくろがうるさくて……』
「ぷっ……。うちも同じだよ。ついさっきまで大変だったんだから。もしうちの母が加賀屋君に何か言っても、気にしないでね」
『あはは。わかったよ。じゃあ、今からそっちに行くから』
「待ってるね。それじゃ、あとで」
 電話を切ったあと、自然と笑みがこぼれ、意味もなくぴょんと飛び跳ねてしまった。メールでは感じることのなかった高揚感にしばし酔いしれる。
 お気に入りの白いコートと、ゴールドのチェーンのついたファーのバッグを手にして、行って来ますと客間に向って声をかけた。
 秀彦の家は歩いても五分くらいの距離だから、車だとあっという間にここに着いてしまう。澄香はあわててリボンの飾りのついたベロア調のパンプスを履き玄関のドアに手を掛けた。
「澄香! もう行くの? ちょっと待って……」
 ホットカーラーの威力だろうか。さっきよりふんわりとウェーブがかかり、形よくボリュームが出た髪を手で撫で付けながら、母親が客間から顔を出す。でも、もうタイムリミットだ。母親の相手をしている時間はない。
「お、お母さん。あたし、もう行かなきゃ。寒いから出て来なくていいからね!」
 季節はずれのサンダルをつっかけて一緒に外に出ようとする母親をとにかく引き止める。
「そうはいかないわよ。ちゃんと加賀屋君にあいさつしないと。でもまさかねえ。加賀屋さんちのボク……いやヒデヒコ君と澄香がそんな風になってるだなんて……。この目でしっかり確かめるまでは、やっぱり信じられないわ」
 母親と押し問答をしているうちに、秀彦がすでに家の前に到着しているのが車のエンジン音でわかった。澄香は慌てて玄関戸をあけ、外に出る。予想通り、門の前に見慣れない白いセダンが止まっているのが見えた。運転席から降りた秀彦が、やや緊張した面持ちで澄香の隣にいる母親の前に立ち、おはようございます、お久しぶりですと挨拶をした。
 今日一日澄香さんをお借りします……と言った後、秀彦の瞳が優しく澄香を包見込む様子をため息混じりに眺めていた母親が、急に我に返ったように感嘆の言葉を発する。
「まあ……。ヒデヒコ君なの? 立派になったわね。確か、高校の卒業式で答辞を読んでらしたでしょ? お会いするのはあの時以来かしら。お母様とは昨日もご一緒させて頂いてたのよ。なのに、この子ったら、今日まで何も教えてくれなくて。まさか二人がこんなことになってるだなんて思いもしないんだもの」
「ああ……。すみません。僕の母も澄香さんのこと、驚いていました。ちょっと事情があって、今まではあまり大っぴらなお付き合いが出来なかったものですから……」
「そうなの? それにしても、うまく隠し通してくれたものだわね。全く気付かなかったわ。……何はともあれうちの子、こんなですけど、よろしくお願いしますね。加賀屋君なら安心しておまかせできるわ。そうそう、よかったら帰りうちに寄って頂戴ね。主人も帰ってくるから、夕食でもご一緒に……」
 と母親が調子に乗りかけたところで澄香が話しに割り込む。
「もう、お母さんったら……。加賀屋君にも都合があるんだから、無理言わないでよ。帰りだってそんなに早く帰ってこれるかどうか、わかんないし」
「あらあら、そうなの? なら、しょうがないわね。じゃあゆっくりしてらっしゃい。気をつけてね」
 澄香は母親に手を振り、秀彦にエスコートされて助手席に乗り込む。秀彦は澄香がシートに座ったのを確認してドアを閉め、車の前方から反対側に回り込み、運転席のシートにするりと座った。
 隣に座る秀彦をちらっと見た瞬間、彼の左腕が伸びてきて、上から下にすっと髪を撫でられた。それは、あっという間の出来事だった。シートベルトを固定する時に、たまたま秀彦の手が触れただけなのかもしれない。けれど、そう思うには、あまりにも手の位置が不自然だった。
 みるみる頬が熱くなっていく。昨夜、彼に抱き締められたことを思い出したのだ。あの時も髪を撫でられ、お互いの息遣いが感じられるくらい近くに顔を寄せ合い、そして……。
 そんな澄香の心を見透かしたかのように、秀彦がふっと柔らかな笑みをこぼす。
 澄香は、ありえないほど高鳴る胸の鼓動を鎮めるすべも見つからないまま、動き出す車に、ゆっくりと身をゆだねるのだった。



 
   (HPです。)


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