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かくれんぼ
作:大平麻由理



番外編  その五


 澄香は時折涙を拭いながらも、なんとか残さずにランチを食べ終えることが出来た。

 白身魚のベシャメルソース掛けに温野菜のサラダとオニオンスープ。ランチにしては少しばかり豪華なメニューで味も澄香好みだったのだが、お代わり自由な焼きたてパンは、さすがに泣いたばかりの澄香の口には二切れほどしか入らなかった。
 最初は泣き出す澄香に驚いて、ナイフとフォークの動きが止まっていた秀彦だったが、澄香が泣き止んだのを機に、店員に勧められるままに次々とパンを平らげていく。
 コースの最後に小さなチーズケーキとコーヒーが運ばれ、澄香の顔にもようやく笑顔が戻ってきた。
「ねえ、加賀屋君。今朝はうちの母がしゃしゃり出てほんとにごめんね。お母さんったら加賀屋君の姿を見るまでは、あたしの言うこと信じないとか言っちゃって」
「ははは……。そうだったんだ。俺の家も同じようなもんさ。たまに実家に帰った日は昼前まで寝てる俺が、親父やお袋と一緒に朝メシ食ってるんだから、そりゃあ二人とも何事なんだって驚いていたさ。今日、何かあるの? って聞いてくるお袋に何て言ったと思う?」
「なんて?」
 澄香はちょっと期待をこめて秀彦に尋ねてみる。
「満願成就、祈願達成。バレンタインデーの翌日はデートに決まってるだろ! って宣言してきた。そしたら親父はパンをのどに詰まらせるし、お袋は相手は誰なのと騒ぎ立てるし」
 秀彦がわざとしかめっ面をして澄香の笑いを誘う。
「それで、次はなんて言ったの?」
「お袋も知ってる三丁目の池坂澄香だ、文句あるか! って一言釘を刺して風呂に入った後、即家を飛び出してきた」
「そんなけんかごし……。加賀屋君のお母さん、あたしのことだってわかったのかな?」
「ああ、すぐにわかってたよ。昨日おまえのお袋さんに会ったばかりだとか、なんとか言ってたぞ。……なあ澄香」
「な、何?」
 澄香は急に前かがみになって顔を寄せてくる秀彦に少したじろぎながらも、彼をこんなに近くに感じられるのが、たまらなく嬉しかった。
 昨日から澄香と何度も呼ばれているが、どこかくすぐったいような気恥ずかしさはまだまだ隠せそうにない。
 心の奥底に甘く染み渡っていく彼の声は、澄香を至福の空間に漂わせるだけの魔力を充分に兼ね備えていた。
 次はいったい何? 秀彦の声の余韻に浸りながら、澄香も少し身を乗り出して彼の次の言葉を待った。
「その、加賀屋君っての、いい加減辞めない? いくらなんでも他人行儀すぎやしないか?」
 ──それって他の呼び方をしろってことだよね? ど、どうしよう……。澄香は身体じゅうから血の気が引いていくのがわかった。
 名前で呼ばなくちゃならないんだろうか……。澄香はいくらなんでもそれは恥ずかしすぎる仕打ちだと返事に詰まったまま押し黙る。
「おまえは俺のこと、なんて呼んでくれるの?」
 澄香は、尚も前のめりになってくる秀彦に恐れをなして、椅子の背もたれぎりぎりまで逆に身を反らし、秀彦からなるべく遠ざかるように顔を背ける。
「そ、それは、その……。加賀屋君じゃ、だめ?」
「だめだ! そんな呼び方じゃあ、俺の親父も一緒に振り向くぞ」
 親父もって……。確かに秀彦の家族はみんな加賀屋さんだ。
「じゃあ……かがちゃん」
 澄香は秀彦に聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量でそうつぶやいた。
 これもだめだと言われるのはわかりきったことなのだが、ここは敢えてとぼけてみせることで秀彦の出かたを探る。
「おまえ、ケンカ売ってるのか? 俺が澄香って呼んでるのになんでかがちゃんなんだよ。俺の名前はなんていうのか知ってるだろ? 言ってみ?」
「ひ、ひで……ひこ」
「そうだろ? じゃあそれで決まりね。考えても見ろよ。おまえは四月生まれで俺は二月生まれ。澄香の方がほぼ一年近く年上なんだから、そこんところはびしっとリーダーシップを取ってくれないとな。たのんだぞ!」
 ……っておいおい! それって禁句でしょ。澄香は決死の覚悟で発した秀彦の名よりも最後の年上発言の方が堪える。
 毎年、澄香の誕生日のメールは、そのことでやり合ってきた。
『お姉さま……』
 という書き出しのメールで、四月いっぱいはからかわれるのが慣例化しているのだ。
 もちろん二人してその状況を楽しんでいたのは事実だが、ここまではっきり言われると、たとえ学年は同じであっても、自分は一つ年上なんだと変に意識せざるを得なくなる。
「年上で……悪かったわね。でも来週から少しの間だけ同い年なんだからね! それじゃあこれからは遠慮なくヒデヒコって呼ぶことにするもん!」
 澄香は無意識にほっぺをぷうっと膨らませると、手元のコーヒーにミルクをどばっと溢れんばかりにいれてスプーンでかき混ぜ、ごくごくと飲むのだった。


「まだ一時だけど、どこか行きたいところは?」
 再び車に乗り込んで秀彦が澄香に尋ねる。でも澄香には秀彦がその言葉に何か含みを持たせているのにとうに気付いていた。
 行きたいところは? などと聞きながらも、もうすでに車は東に向いて走り始めていたのだから。
「かが……あっ、ごめん。ひ、秀彦の行きたいところでいいよ。だって今日は寒すぎるし、海岸沿いを歩くのは無理っぽいよね。さっきから雪もちらついてるし」
 澄香はやっとの思いで秀彦の名を呼んで、そう答える。ただ一言、その名前を呼ぶだけで、また彼女の心臓は大音量で鳴り響き、当分鎮まりそうにない。
「よし。じゃあ京都だ。住宅情報誌を買って行こう」
「京都? 今から?」
「ああ。高速飛ばせばすぐさ。今日は平日だし、今なら道路も空いてる。夜も今日中にはおまえを家に送り届けるから。それとも、泊まってく?」
 秀彦の本気とも冗談とも取れる突然の誘いに、澄香は返す言葉も見つからず、そのままシートに固まってしまった。
 しばらく沈黙が続いた後、上空の風がきついせいなのか、まるで頭上すれすれに感じるくらいの低空飛行で旅客機が行き交う伊丹近辺に差し掛かった時、秀彦が(おもむろ)に話を続けた。
「俺の今いる寮は一応単身者用だけど、借り上げマンションだから来客の出入りは比較的自由なんだ。所帯持ちの単身赴任の社員は家族も時々来てるし、おまえが俺の部屋に泊まっても全く問題はないよ。でもさっきのことは……冗談だから。この状況でおまえを泊めてみろ。それこそ俺、勘当されるよ。信用も何もあったもんじゃないよな」
 澄香は秀彦が本気で泊まれと言ってるとは思わなかったが、今から秀彦の寮に向っていることは本人も言っているように、紛れもない事実であるのだ。
 お互い想いあっている二人が向う先で起こるであろうことをおぼろげながらにも感じている澄香は、覚悟めいたものを抱きながら秀彦に言った。
「あたし……。秀彦の部屋に、泊まってもいいよ」 







   





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