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かくれんぼ
作:大平麻由理



番外編  その四


「こうやっておまえと二人きりで会えるようになるなんて、ほんとに、夢みたいだ……」
 澄香に重ねられた秀彦の手に一層力が入ったような気がした。
 澄香は周りの客が自分達を見ているんじゃないかとやや落ち着かない。秀彦もそんな澄香の気持ちを察したのか少し名残惜しそうに手を自分のひざに置き換える。
「さっきのことだけど……」
「さっき?」
 澄香は車の中での話を思い浮かべる。きっと寮を出るというあれだ。
「ああ。引越しの話だよ。……結婚しよう。なあ澄香。結婚してくれる?」
 全く濁りのない澄んだ瞳で澄香を見つめながら秀彦が切り出した一言。
 でももう迷わなかった。初めてのデートでいきなりプロポーズだなんて普通ではありえないことかもしれないが、澄香はためらうことなく頷いた。
「うん。わかった。あたし加賀屋君と……結婚する。まだ信じられないけど、もう一分だって一秒だってあなたと離れてなんかいられないから」
 澄香はどんどん自分の心が解きほぐれていくのがわかった。何重にも巻きつけられていた鉄の鎖がゆっくりと解かれていくように、心が次第に軽くなっていく。
 魔法にでもかかったのだろうか。身も心も自由になった自分が、思いをすべてありのまま言葉にしてしまう。
 恥ずかしさなんてもうどこにも存在しなかった。

 秀彦はほっとしたようにため息をつくと少し頬を赤らめて、ありがとう嬉しいよ……ととびきりの優しさを含んだ声でそっと答えた。
「これでもおまえに結婚を申し込むの、遅すぎるくらいだと思ってる。たとえメールだけだったとしてもその間も俺たちはお互い想い合ってたわけだし、六年近くも付き合っていたようなもんだしな。俺だって一分一秒、いや千分の一秒だっておまえと離れてなんかいられないよ。木戸と張り合うつもりはないけど、明日にでもおまえと結婚したいと思ってるくらいだ」
「加賀屋君……。嬉しいよ、そんな風に言ってもらえて。あたし、こんなに幸せでいいのかな? でもね、あなたのご両親はあたしのこと認めてくださるのかちょっと心配。まだ結婚は早いって思ってらっしゃるかもしれないし」
「その時はちゃんと説得するから安心して。俺の方はどうにでもなるけどおまえの方が大変なんじゃないのか? まだ嫁にはやらんとか親父さんに言われそうだな」
「きっと大丈夫だよ。だってうちの親、あたしに浮いた話ひとつないっていつもヤキモキしてたんだ」
信雅(のぶまさ)と比べられてか?」
 秀彦はおもしろがるように口の端を少し上げる。
「もう……。加賀屋君のイジワル」
 澄香の弟の信雅は中央高校で野球部に所属していた。つまり秀彦の後輩になるのだ。
 大学生だった秀彦が神戸に帰省した時、OB対現役部員の練習試合で何度か交流があり信雅とは面識がある。
「あいつの人気は並大抵じゃなかったからな。もちろん野球のスジもよかったけど、周りの女達の騒ぎ方が半端じゃなかった。たかだか練習試合で、応援団の一個中隊ができるんだからな。相変わらずなんだろ?」
「うん。誰に似たのかわかんないけど、大学でも追い掛け回されてるみたい。昔はかわいい弟だったんだけどな……。もう家族なんてどうでもよくなっちゃって、家にも寄りつかないんだ。いまに女の人から恨まれて痛い目に遭うよ、アイツ……」
「ははは……! くれぐれも澄香の第六感が当たらないことを祈るよ。でもな、あいつに最近言われたことがあるんだ」
 急に神妙になった秀彦が声のトーンを落とし、テーブルの上で両手を組んだ。
「ねーちゃんのメールの相手、先輩ですよね? ってな。澄香が教えたわけじゃないんだろ?」
「ど、どういうこと? あたし家族の誰にも言ってないし、もちろん携帯覗かれないように、きっちりパスワード設定してロックしてたし……」
 寝耳に水とはまさしくこういうことを言うのだろう。母親ですら見抜けなかった秀彦とのメールを、あのチャラ男な信雅が知っていたとは……。
 澄香はショックを隠しきれず、握っていたハンカチをおもわず床に落としてしまった。
「おい、大丈夫か?」
 秀彦がさっと席を立ってハンカチを拾いテーブルに載せる。
「あ、ありがとう。それにしてもびっくりしちゃった。まさか信雅が……」
「実はそれだけじゃないんだ。年末のOB会でとどめを刺されたよ。……早いとこ手え打たないと、ねえちゃん狙ってる会社の人本気ですよ……ってな。あいつ男女の絡みになると妙に嗅覚が冴えるみたいだからな」
 別に今更二人の関係がバレたからと言って澄香には何も不都合はないのだが、家族に無関心なはずの弟が裏でそんな動きをとっていたなんて、ますます解せない。

 信雅に澄香の動向を吹き込んだのはいったい誰なのか。
 母親が吉山の存在に気付いたのは年が明けてからだから出所は別だろう。ということは……チサだ。チサならば説明がつく。
 夏の休暇にチサと高山に旅行に行った澄香は、帰りに名古屋で途中下車して信雅に土産を届けたことがあった。
 そこで意気投合したチサと信雅。イケメン好きのチサは軽いノリで信雅とアドレスの交換をしていた。
 チサのことだ。吉山のことをしっかり信雅に報告したに違いない。
 澄香は知らないうちにそうやって周りからも固められていたことに驚くと同時に、弟のとった行動も今となってはありがたかったとも思うのだった。
「ねえ、加賀屋君。あたし情け無いけど、信雅がいなかったら加賀屋君への想いが叶うこともなかったんじゃないかなって思うんだ」
「どうして?」
「だって、高校の時、アイツが置き忘れた算数のプリントを、あたしがまたもやあわてて取り違えたおかげで加賀屋君としゃべるようになって、あなたのこと、す、好きになったんだし……。今回だって、こっそり応援してくれてたみたいだしね」
「まあ確かにそうかもしれないが。でも勘違いしないでくれよ。俺はあの時おまえにぶつからなくてもきっと、いや絶対、澄香を好きになってたから。おまえの飾らないところ、一生懸命なところ、ちょっと抜けてるところ……。全部好きだ。木戸とおまえの間で、もうどうしようもないくらい俺の精神状態はボロボロだったけど、おまえの真っ直ぐな瞳に見つめられるたびにあきらめないぞ、負けないぞと自分を奮い立たせてきた。おまえにふさわしい男になるために勉強も仕事もがんばれたんだ。おまえが大学の入学式の時にくれたメール。どれだけ嬉しかったかわかるか? 俺自慢じゃないけど、超能力も霊感もそういったたぐいのものは一切何も持たない一市民なんだけど、あの時だけは何か感じるものがあったんだ。これから先、ずっとおまえと繋がっていけるってな……って、お、おい! 泣くなよ。澄香……」
 一度床に落としたハンカチだというのも瞬時に忘却の彼方に押しやって、それをしっかり握り締めた澄香は、あたふたする秀彦を目の前にしながらも、次から次へとあふれる涙をぬぐうのに大忙しだった。

 ここで一番困惑していたのは……。気の毒にもそれは、店のホールスタッフの面々。
 注文は受けたものの、あまりにも二人の世界に浸っている、いかにもらぶらぶなカップルが向き合う窓際の三番テーブルに、メインプレートを運ぶタイミングをずっと見つけられないままだったのだ。







   





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