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かくれんぼ
作:大平麻由理



番外編  その三


 澄香が秀彦の運転する車に同乗するのはもちろん初めてである。
 家族でこの車を共有しているのだろうか。後部座席にはフリル付きの手作りカバーが掛けられたティッシュが無造作に置かれている。
 その横にあるクッションは色とりどりの刺繍糸でステッチが施され、どこかなつかしい感じが漂っている……。
 澄香はふと思い出したのだ。家のソファに並んでいるクッションと色違いであることを。
 どこかで見たような気がしたのはそのせいだ。確か中学生の頃、母親がPTAの講習会で作ったと言っていた物と同じだと気付く。
 澄香はそんなささいなことでも、秀彦との共通点を見つけたことが妙に嬉しかった。

 そんな澄香の心の中の想いが聞こえたかのように秀彦が笑顔のまま話し始めた。
「この車親父(おやじ)名義のだけど、ほとんどお袋しか乗ってないからな。シートカバーとか趣味悪いだろ? そのクッションもいつのか知らないけど自分で作ったからって車から降ろさないんだぜ。悪いけど今日はこれで我慢してくれ。俺も自分の車が欲しいけど、会社の寮を出るまでは我慢しようと思って。それと……四月には寮を出るつもりだから」 
 突然そんなことを言う秀彦に澄香は少し驚いた。今までそんな話は全く聞いてなかったから。
「寮を出てどうするの? マンションでも借りるの?」
 赤信号で停車したタイミングで秀彦が澄香の方に振り向く。
「ああ。それでおまえに相談がある。前にメールで結婚後も仕事続けるって言ってたよな?」
「うん。そのつもりだよ。でもまあ、結婚ったっていつの話かわかんないし、その時になってみないと……」
 またもやとんでもない秀彦の言葉に澄香は多少面食らいながらも、平静を装ってさりげなく答える。
 まさか秀彦の口から唐突に結婚という言葉が出てくるなんて思いもしなかったから。
「なら、三ノ宮と京都の中間点ってどこだと思う? 距離だけでなく電車の便なんかも考慮しないとな。JR沿線か私鉄沿線か……」
「そうだね。どっちがいいかな……」
 澄香は秀彦の本心などあまり深く考えずに、どのあたりが中間点だろうと生真面目にいろいろな地名を思い浮かべていた。吹田、茨木あたりかな……などと。
 が……。
 でもなんで三ノ宮と京都の中間点なんだろうと、澄香の思考がそこで中断した。
 ──実家に近い方が便利だから? イコールあたしと会うために便利だからということだろうか?
 少しでも秀彦の住まいが神戸と近くなるのであれば、それは澄香にとってはありがたい話ではあるのだが、これといった彼の本当の思惑はまだ浮かび上がってこない。
「会社に近い方が便利なんじゃない? それとも京都は賃貸料が高いの?」
 澄香は秀彦の真意が汲み取れないまま、そんな風に尋ねることしかできない。
「俺はね、今隣にいるお姫様に結婚後もずっと仕事を続けてもらいたいから、中間点って言ってるんだけど? 何なら西宮か尼崎くらいでもいいぞ。俺は遠くなっても平気だから。考えといて」
 楽しげにそう言った後、秀彦は車を西に走らせる。「海に行こうか……」と独り言のようにつぶやきながら。

 澄香は自分の耳を疑った。秀彦の言うところの隣にいるお姫様とはすなわち澄香のこと。結婚後も仕事を続けてもらいたいから中間点って……。そ、それって。
 澄香の心臓はありえないほどの大音量でドキドキ鳴り出す始末。
 ──加賀屋君の言っていることって、つまり、遠まわしにあたしにプロポーズしてるってこと? 夕べ初めて告白されて、抱きしめられて、そして……キスをして。挙句の果てに、ひとっ跳びにプロポーズ?
 澄香はあまりの急展開に気持ちがついて行かない。
 どうしていいのかわからず、膝の上の手を堅く握り締めることしか出来なかった。


 水族園を過ぎて国道二号線を鉄道沿いに西に向うと左手に海が見えてくる。今日も季節風が吹き、波が高く荒れているのがはっきりと見える。
「この寒い時に海っていうのもどうかと思うけど、どうしてもおまえとここに来たかったんだ。もう少し先に海の見える小さなカフェがある。そこでいいかな?」
 やや渋滞気味になり車の流れがゆるやかになった。スピーカーからは秀彦の好きな洋楽が静かにボサノバ調のリズムを刻んでいる。
 秀彦が海の見える場所を選んでくれたことに澄香は心が震えた。大学に入学した時から続いているメールで、夏が巡るたび澄香が言っていたこと。
 夏が好き。そして海が好き……だと。
「もしかして、あたしがここの海が好きなこと、憶えててくれた?」
「そんなのあたりまえだろ。俺達何年メールやってると思ってるんだ。こいのぼりが空を泳ぎ出す頃になると、夏になるのが待ちきれないおまえの海談義が始まって、ずっと秋まで聞かされ続けてたんだぜ。忘れるはずがないだろ? ネットで調べて、ここのカフェを見つけたんだ。きっと気に入ると思うよ」
 子供の頃から家族で泳ぎに来ていた須磨の海。
 神戸の東の方で育った澄香は海も山も常に生活の一部にあって、小さい頃の思い出の節目ごとにどちらかが関わっていた。
 家の近くの海は工業地帯で泳ぐ事はできないが、海沿いの鉄工所の高い煙突と遠く海原に行きかう船は子供の頃から脳裏に焼きついているごくあたりまえの光景だ。
 冬は六甲山人工スキー場でソリ遊びやスキーを楽しみ、夏は須磨や舞子で海水浴をする。
 都会なのに家から三十分ほどでどちらも楽しめるこの町は、澄香にとっても秀彦にとってもいろいろ思い出の詰まったかけがえのない町なのだ。

 須磨の海岸に立って右前方に見える淡路島は、来るたびに姿を変える。
 霞がかかって遠くの方に見えることもあれば、緑の稜線がくっきりと浮かび上がり手を伸ばせば届きそうなくらい近くに見えることもある。
 昔は船で渡った淡路島も、今では明石海峡大橋のおかげで神戸側から車で十五分もあれば着いてしまう。
 船やヨットの帆、カモメを見てるだけでも時間のたつのも忘れてしまうくらい澄香の大好きな海。
「確か、この次の信号を左折だったはずだ。この車、ナビついてないから結構厳しいぞ。迷うかもな」
 そう言いながらもどことなく楽しげに見えるのはあながち見間違いではないようだ。澄香は意外と秀彦の運転が巧みなことに気付く。
 京都では会社の車を乗り回しているというから、週に一度運転するかしないかの澄香に比べると、遥に秀彦の方が場慣れしているのだろう。
 これからもこうやっていろんなところに連れて行ってもらえるのかと思うと、まるで遠足前日の小学生のようにわくわくしてしまうのだった。

 無事迷うことなく着いたその店は南仏プロバンスを思わせるような洋風の建物で、夏にはテラスで食事ができるように椅子とテーブルが海側のテラコッタ貼りの床の上に並べてあった。
 二月のこの時期にテラスに出て食事をするのは誰がどう考えても無謀としか言いようが無い。
 澄香は外に出たいのをぐっとこらえて、室内の窓辺近くのテーブルに秀彦と向かい合って座った。
 目の前には澄香がずっと恋焦がれていた秀彦。そして窓の外は冬の海。
 でも窓越しにさしこむ陽の光は暖かく、テーブルの上の澄香の手の上にはいつの間にか秀彦の手が優しく重なっていた。







   





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