番外編 その二
「ホント、お母さんには敵わないよ。まあ隠しててもいずれはバレることだし……。実は、その……。高校で同じクラスだった、五丁目の……か、か、か」
いざ言葉にしようとすると、恥ずかしくてなかなか次が言えない。
母親の好奇心丸出しな顔が食い入るように澄香を見つめてくる。
「高校の同級生って……。五丁目にそんな仲良しだった男の子がいたかしら? ということはかなり長いお付き合いになるよね? 澄香ったら私に何も教えてくれないで、ホントに冷たいわね。この町内の人で、同級生で、中央高校卒業でっていえば……。か? かの付く人って、もしかして、加賀屋さんちのボクってことはないわよね?」
町内で同じ高校に行った同級生は全部で三人。うち男子は一人だから、どうころんでも迷いようが無いほど簡単な問題なのに。
にしても……。加賀屋さんちのボクはないでしょ、ボクは!
澄香が真っ赤な顔をしてそうだよと頷くと、本日何度目かの「ええっ!」を発した母親が、根掘り葉掘り二人の関係を聞いてくる。
澄香はこれ以上母親に捕まっているわけにもいかず、時間がないからとリビングからやっとの思いで脱出し、どうにか二階の自分の部屋に逃げ帰ることに成功した。
それからの母親はもう大変だった。
ドレッサーの奥から最近全く使ってないホットカーラーを取り出すと、少し伸び始めたショートカットの毛先にそれを巻きつけ、なぜか客間の掃除までやり始める。
澄香が靴とバッグを選んでいると携帯が鳴った。
秀彦からだ。
時計を見るとまだ約束の時刻まで三十分もある。澄香はどうしたのだろうと不思議に思いながら携帯を耳に当てた。
『もしもし、俺だけど』
「加賀屋君……。おはよう」
夕べのことは夢ではなかったのだと、改めてこの現実を噛み締める瞬間だった。
『ああ、おはよう。実はちょっと早いんだけど、もうすぐ迎えに行くよ。……おまえのこと少し親に話したら、おふくろがうるさくて……』
「ぷっ……。フフフ。うちも同じだよ。ついさっきまで大変だったの。もしうちの母が加賀屋君にいろいろ尋ねても、適当にあしらってくれていいから」
『適当にって、それはおまえのおふくろさんに悪いだろ。まあ、何とかするよ。じゃあ、今からそっちに行くから』
昨日で急に形勢が変わった二人の関係であるはずなのに、突然の電話にも、なぜか普通に会話している自分に、澄香は驚く。
たとえメールだけの繋がりであっても、昔から築いてきた信頼関係は、途中の空白も瞬く間に埋める程の威力があるということなのだろうか?
まるでずっと恋人どうしだったみたいに、自然に振舞える。
澄香は電話を切ると白いコートを手にして、行って来ますと母がいるであろう客間に向って声をかけた。
秀彦の家は歩いても五分くらいの距離だから、車だとあっという間にここに着いてしまうだろう。
澄香はあわててリボンの飾りのついたベロア調のパンプスを履き玄関のドアに手を掛けた。
「澄香! もう行くの? ちょっと待って」
ホットカーラーの威力だろうか? 心なしかさっきよりふんわりとウェーブがかかってボリュームが出た髪を手で撫で付けながら、母親も澄香と一緒に外に出ようと玄関に降り、季節はずれのサンダルをつっかける。
「お、お母さん。寒いからここでいいよ!」
「そうはいかないわ! ちゃんと加賀屋君にあいさつしないとね。でもまさかねえ。加賀屋さんちのボク……いやヒデ君と澄香がそんな風になってるだなんて……。この目でしっかり確かめるまでは信じられないわ」
妙にはりきっている母親と玄関先で問答しているうちに、車のエンジン音が聞こえ、秀彦がすでに到着しているのがわかった。
澄香は慌てて玄関戸をあけると、対向車の邪魔にならないように門に沿って車寄せをしている白いセダンを視野に捉える。
側溝ぎりぎりのところで停車し運転席から降りた秀彦は、緊張した面持ちで門のところに立っている母親の前に来て、こんにちはお久しぶりですと挨拶をした。
今日一日澄香さんをお借りします……と言った後、秀彦の瞳がやさしく澄香を見た。
澄香の隣に並んだ秀彦をボーっと眺めていた母親が、急に我に返ったように感嘆の言葉を発する。
「まあ……。加賀屋君なの? 立派になったわね。高校の卒業式で答辞を読んでらしたでしょ? あなたの姿を見たのはあの時以来かもね。お母様とは昨日もご一緒させて頂いてたのに。まさか二人がこんなことになってるだなんて思いもしないんだもの。さっき澄香からあなたたちのことを聞いて、ホントにびっくりしたんだから……」
「ああ……。すみません。家の母も澄香さんのこと、驚いていました。ちょっと事情があって、今まで彼女とはあまり大っぴらなお付き合いは出来なかったものですから……」
「そうなの? それにしても、うまくこそこそ隠し通してくれたもんだわね。全く気付かなかったわ。……何はともあれうちの子、こんなですけど、よろしくお願いしますね。加賀屋君なら安心しておまかせできるわ。そうそう、よかったら帰りうちに寄って頂戴ね。主人も帰ってくるから夕食でもご一緒に……」
と母親が調子に乗りかけたところで澄香が慌てて話しに割り込む。
「もう、お母さんったら……。加賀屋君にも都合があるでしょ。帰りだってそんなに早く帰ってこれるかどうかわかんないし」
「まあまあこの子ったら。しょうがないわね。じゃあゆっくりしてらっしゃい。気をつけてね」
「お母さん、行ってくるね……」
秀彦は母親に向って軽く会釈すると助手席のドアを開けて澄香をエスコートする。
澄香がシートに座ったのを確認し、ドアを閉め、車の前方から反対側に回りこんで運転席のシートにするりと座った。
隣に座る澄香に視線を向けると左手でほんの少し彼女の髪に……触れる。
澄香は少し驚いたが、あまりにも一瞬の出来事だったので、シートベルトをする時にたまたま掠っただけなのかもしれないと思いこむことで、高鳴る胸をどうにか押さえ込む。
秀彦はそんな澄香の慌てた様子も見逃さず、柔らかい笑みを浮かべたままステアリングに手をかけ、アクセルをゆっくり踏み込み、静かに車を発進させた。
澄香は、後方で二人の乗った車を見送る澄香の母親の姿が次第に小さく遠のいていくのを後ろを振り返って確認すると、秀彦の横顔ちらりと覗き見た。
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