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かくれんぼ
作:大平麻由理



23.かくれんぼ


 澄香は意を決して携帯を手にして席を立ち、店の入り口付近に移動した。
 なるべく他の客に迷惑にならないように口元をもう片方の手でふさいで、心持ち声を抑えながら話し始める。
「……もしもし。加賀屋君?」
『澄香? 昨日どうしたんだ? 何の連絡もないし……。また風邪か? 何があった?』
 いきなりの質問攻めに澄香はそこがケーキショップの前であることも忘れて、思わずのけぞりそうになる。
 それに……。澄香と名前で呼ばれたのだ。聞き間違いだったのだろうか? メールでは澄香と呼んでくれていても、それは文面上のこと。秀彦の声で直接聞いたのは今が初めてだった。
「あっ、いや……。残業してて、それで寝ちゃって、気がついたら朝で、充電するの忘れてて……」
『はあ? ……ったくしょうがないなあ。今、どこにいる? まだ会社か? なんか騒々しいな?』
「三宮。生田筋南のケーキショップRだよ」
『誰か一緒なのか?』
「一人。加賀屋君こそ突然電話なんかしてきて一体どうしたの?」
『わかった。そこ動くなよ!』
 秀彦は澄香の質問にも答えず、動くな、とそれだけ言って電話を切った。
 澄香は声の聞こえなくなった携帯をしばらくじっと見つめた後、呆然としたまま、さっきの席にもどる。
 ──そこを動くなって……。澄香は秀彦の言っていることが理解できなかった。何度、心の中で彼の言ったことを繰り返しても答えは出てこない。
 そのまま言葉通りに受け取れば、ここにいろ、即ちケーキショップから出るなという意味になる。
 でもなぜ? 秀彦は札幌にいるのだ。なのに神戸にいる澄香にそんな指示をだす彼の意図が全くわからない。
 とにかく、秀彦に言われたとおりに店の中に留まり、またサンドイッチをつまむ。
 ハムサンドもトマトサンドもみんな同じ味だ。味の違いなんて、今の澄香にはどうでもよかった。

 そして十分くらい経った頃だろうか。黒っぽいダウンジャケットを着た大荷物を持った男性が、どかどかと店に入ってきたのは。
 そして澄香と目が合うと、「おまえなあ……。頼むから俺の寿命、これ以上縮めてくれるなよな」などと憎まれ口をたたく。
 そしてその人物は、澄香の前の椅子にドサッと腰を下ろしたのだ。外の冷気をまとったまま。
「か、加賀屋君……。な、なんで?」
 澄香は両手で口元を覆い、あまりの驚きで、見開いた目から理由もなく涙を溢れさせる。
「ご覧の通り。千歳十四時二十五分発に飛び乗って神戸に帰ってきたんだよ。雪のせいで向こうの離陸が遅れて、今になった」
「で、でも、週末に帰るって……」
 泣いているのか笑っているのかわからないようなぐしゃぐしゃの顔で、尚も澄香は秀彦に必死に食い下がる。
「そうさ。その予定だったよ。でも昨日はおまえから何の連絡もないし、一昨日もなんか変だったし……。で、おまけに今朝、木戸から電話もらったんだ。あいつの彼女がおまえに殴りこみに行ったって言うじゃないか!」
「殴りこみ? そ、それは違うけど……。いや、同じようなものなのかな?」
「ほんとにあいつ何やってるんだか。自分の彼女くらいちゃんと見てろっつーの。年末に教え子と結婚するかもしれないって木戸から聞いていたんだけど、なんかあいつ煮え切らなくて。澄香にまだ未練があるのかって聞いても、もうそれはないと言うし。で、俺。その時あいつに言ってやったんだよ」
「な、なんて?」
「ああ。澄香は……俺がもらうってな」
 もらう? 澄香はもう一度目の前の秀彦の顔をまじまじと見てみる。
「もらうって……」
「澄香、出るぞ」
 秀彦はテーブルの上の伝票を取ると、素早く支払いを済ませ外に出た。
 澄香は秀彦に遅れないようについて行くのがやっと。すると両手に持っていた荷物を片手に寄せて持ち替えた秀彦が、すっと澄香の前に手を差し伸べてくる。
 澄香は一瞬とまどったが、恐々(こわごわ)手を伸ばし、秀彦の手にすべりこませた。

 あれほど待ち焦がれていた秀彦が、今、澄香の隣にいるのだ。
 澄香の手が初めて繋いだ彼の手のぬくもりを捉え、彼女の身体の隅々にまで行き渡る。
 時折盗み見る彼の横顔は、少し緊張しているようでもあり、口元は堅く結ばれたままだ。
 ビルの間をぬって市役所から大通りを東に渡ったところで小さな公園に行き着いた。

 夏場は若者がたむろしているその公園も、今夜は誰もいない。時折吹く北風に身をすくめながら、ベンチの前に立ち止まる。
 秀彦はそこに荷物を降ろし、立ったまま澄香と向かい合う形になった。
 そして突然身体をかがめて澄香の顔の前に口元を寄せて、こう言ったのだ。
「俺、澄香のこと好きだから。俺の彼女はおまえしかいないって思っている……。澄香は? 俺じゃダメ?」
 澄香は自分の耳を疑った。今秀彦が言ったことは本当なのかと。
 ──信じられない、これはきっと空耳なんだ。目の前にいるのは夢の中の加賀屋君。北風のイタズラに違いない……。
 でも、目の前の秀彦はじっと澄香を見つめて返事を待っていた。
 これは夢でもなんでもないのだ。繋いだままの手から秀彦の強い意志が澄香の中におしげもなく次々と注ぎ込まれてくる。
「加賀屋君……。あたし……あたしもずっと加賀屋君のことが、好き……だった。今も好き。これから先もずっと好……」
 澄香は、長年胸の奥に仕舞いこんできたこの思いを、ゆっくりとかみ締めながら秀彦に伝える。がしかし、最後まで言い終わらないうちに秀彦の腕が澄香の背中に回り、彼の胸に引き寄せられるようにして抱き締められたのだ。
「か、加賀屋君……」
「俺、高校の卒業式の夜、見たんだ。澄香が木戸と一緒に帰るところを。おまえはきっと一人でここに戻って来ると信じて駅で待ってた。そして偶然駅で会ったことにして、俺の気持ちを伝えようって決めてたのによ……。おまえ、木戸と手えなんか繋いでるんだよな。二人してとっとと行っちまうし。俺あの晩、本気で失恋したと思って泣いたよ。なんであの時、三宮でおまえと木戸の二人きりにしちまったんだろうって」
「加賀屋君……。あの日はね、木戸君の最後の望みだっていうから……家まで送ってもらっただけ。ほんとうにそれだけなの」
 ますます秀彦の腕が澄香を強く抱きしめる。彼の胸に顔を埋めながら澄香は身体じゅうでその頼もしい重みを受け止めていた。
「うん、そうだってな。それも去年の年末初めて木戸から聞いたんだ。大学の頃あいつ、おまえとより戻したみたいなこと言っててさ。遠距離だからメールやってるとか、いろいろ言ってたな」
「そ、そんなあ。それは違うよ。本当に木戸君とは付き合ってなんかいなかったんだから」
 秀彦の胸に顔が押さえつけられるようになって、声がくぐもってしまう。

「ああ、それは俺だって気付いてたよ。俺は澄香のことならメールのやり取りで何でも知ってたからな。あいつの言うこととおまえが知らせてくれることが矛盾するんだ。あいつはおまえのこと、何も知らなかったよ。たまにしかメールしなかったんだろ?」
「うん。年に二、三度。それも返事は一回だけでおしまいなの」
「だろうな……。で去年の春くらいからあの教え子の話が出るようになって、木戸のやつ、やっと澄香のことが吹っ切れたのかなと思った」
 そういえばその頃から秀彦とのメールの頻度が高まって、休日に朝から晩までやり取りをしていることもあったなあ、などと思い出す。

「一難去ってまた一難。木戸が片付いたと思えば今度は会社の男だろ?」
「吉山君のこと?」
「そうだ。チサさんと匹敵するくらい、そいつの名前がおまえのメールに登場するもんだから、俺は見たこともない男相手に、はらわたが煮えくり返るほど嫉妬させてもらったから……」
「へっ? そうなんだ。ご、ごめんなさい……」
「いいよ、謝らなくても。今なら笑ってそう言える。澄香、そろそろ帰ろうか?」
 秀彦の胸のあたりに片耳を当てるような格好で抱き締められていたので、身体じゅうが秀彦の声に包まれているような、この上なく幸せな気分にどっぷりと()かっていたのだ。
 なのにもう帰ろうだなんて……。
「う、うん。でも、まだ帰りたくない」
 そう言って、秀彦の背中に手を回して今度は澄香が抱きつく形になる。
「また風邪ひくぞ?」
 腕の力を緩めた秀彦が、少し身体を引き離し、澄香の顔を覗きこむ。
 こんなに近くから見たことがないと言うくらい秀彦の顔が近付いて、彼の両手が澄香の頬を包み込んだ。
「俺あした、有休取ってるんだけど……。おまえは? 休めない?」
「ええ? そうなの? じゃあ、あたしも休む。風邪ひいた時も二日しか有休取ってないから大丈夫だと思う。来月は決算だから休めないけど」
「じゃあ、決まり。今夜は実家に泊まるから、明日の朝、十時ごろおまえんちに迎えに行くよ。どこかに出かけよう、二人で……」
 次の瞬間、目の前の視界が急に閉ざされて、何も見えなくなって。
 秀彦の唇が澄香のそれと重なり、優しくかすめるように合わさって……。

 澄香はそっと目を閉じた。



 公園のライトが二人のひとつになった影を静かに地面に映し出している。



 もういいかい? もういいよ。
 ようやく見つかったんだね。
 かくれんぼはもう終わりだよ。


 二人の心と心がお互いに呼び合って、求め合って、たった今、長かったゲームが幕を閉じる。
 南側の木の陰からこっそり二人を見ていたのは……。

 やっぱりオリオン座だったのかもしれない。






  



                            ≪了≫



最後まで読んでいただきありがとうございました。
ようやく最終回を迎えることが出来ました。

この話は2年前の2月にブログで発表したものです。
その時は全部で10話にも満たない内容だったのですが、今回こちらに投稿するにあたり大幅に設定も変えてタイトルまで新しくリニューアルいたしました。
ちなみに最初のタイトルは『10年目のバレンタイン』でした……(汗)。

で、神戸の街とバレンタインデーの繋がりなんですが、日本のバレンタインデーの発祥の地とも言われてるんですね。
神戸のとある洋菓子店が初めて国内でこのイベントを謳ったというものです。
そんなこともあって、この話では神戸を全面的に出してみました。

途中場面が過去に遡ったりしてわかりにくい所もあったのではないでしょうか。
あまりアクセスとか気にせずのんびり更新していくつもりだったのですが、ありがたいことに後半になって1日に2,000前後のpvアクセスを頂くようになり、驚いている次第です。
この23話の投稿翌日は『小説家になろう』内のアクセスランキング恋愛部門で4位にまでなり本気で腰を抜かしました。
応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。

評価・感想等、是非お聞かせ下さいね。お待ちしています。


2/21──番外編をこちらの続きで更新しました。よろしかったら続けてお読み下さい。






   





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