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17.卒業の日 その3
クラス40名中35人もの高出席率で始まった卒業パーティーは、簡単なオードブルとソフトドリンクの乾杯で幕が開けた。

なんと座席中央には、あの鬼教師、黒川の姿まであった。

「おまえたち、頼むからアルコールは飲まんでくれよ。俺の首がとぶからな!」

いつもの迫力はどこへやら。鬼クロはめいっぱい額に皺を寄せて苦悩の表情を浮かべている。

高校を卒業したとはいえ、未成年の集まりだ。飲酒問題はいつの時代も教師を悩ませるのだろう。

「はあ……。こんなところまで来るつもりはなかったんだが。まさかこの俺をこんな華々しい席に誘ってくれるとはな。ほんとに俺なんかがここにいてもいいのか?」

鬼クロは困ったような、それでいて嬉しそうな顔をして、そんなことを言う。

「センセーのおかげっすよ、俺が卒業できるのも。なので、センセーはここにいてオッケーってことで。サンキューっす!」

クラス内でも一番担任を手こずらせたワルの一人が突然立ち上がり、改まってぴょこんと頭を下げたりするものだから、鬼クロの目から予想外の大粒の涙が零れ落ちる。

まさしく鬼の目にも涙だ。

マイクを離さない者、鬼クロの泣きのツボを押さえて、ますます調子に乗って泣かせる者、自分たちのおしゃべりに夢中な女子のグループに、カラオケの大音量が苦手なのか耳を塞いで顔をしかめている者もいる。

どの顔も澄香にとってはかけがえのない大切なクラスメイトだ。

卒業式の間中泣いていたにもかかわらず、再び熱いものがこみ上げてきて鼻の奥がツンとする。

いったい澄香の身体の中のどこに、そんなに大量の涙を製造できるマシンがあるのかと首をひねりたくなるくらい留まるところを知らない。

明日からはもうこのメンバーと会えないのだ。考えれば考えるほど寂しくて、胸が痛む。

すると、澄香と同じようにクラスメイトとの別れを名残惜しむ声があちこちであがる。

「なあなあ、これからも定期的にみんなで会おうぜ。そや! クラス同窓会の幹事を決めたらええんちゃうか?」

「ええやん! それ、賛成! 男は……かがちゃん?」

「んじゃあ、女子はマキやな!」

「それいい! かがちゃんとマキで決まりぃー!」

前々から団結力のあるクラスだとは思っていたが、まさかここまでとは。

誰にも文句を言わせないほどのベストセレクションで、あっという間に幹事が決まってしまった。

もちろん選ばれた二人にするしないの選択権など一切無く、鼻をすすり続ける鬼クロのおまえたち頼んだぞの一言で、議題は即可決されるのだ。

その直後から、お互いに連絡を取り合うためのアドレス交換がやんややんやの騒ぎで佳境を迎える。

マキが幹事であれば、今更アドレスの交換という間柄でもない。

澄香は遠巻きにみんなの騒ぎを眺めることに専念することにして、目の前のオードブルに添えられているプチトマトに手を伸ばした。

その時、すっとテーブルの上の澄香の携帯に誰かの手が伸びた。

「俺のアドレス登録しとくから……。何かあったら連絡してきて」

瞬く間にアドレスを入力した秀彦が、携帯を澄香の手に載せると再び騒ぎの輪の中に消えていく。

澄香は何度も目をこすった。今見たのは幻? それとも夢?

携帯を確認すると、そこには初めて見る澄香が一番欲しかったものが、英数字となって表示されていた。

聞きたくても聞けなかった秀彦のメールアドレス。ヨークシャーという地名と数字が組み合わされたそのアドレスは、無駄がなくシンプルで、それでいてひねりが効いているおしゃれな文字列だった。

でも浮かれるのもここまで。あくまでも秀彦はクラス同窓会の幹事なのだ。

今ここにいるほぼ全員が彼のアドレスを登録したはず。澄香だけが特別知ったわけではない。

そう思ったとたん、彼女の身体から熱いものが急激になりを潜め、多分これから先、送信されることなどないであろう新しいこのアドレスに、虚しさすら覚える。

予約していた二時間が目前に迫り、カラオケルームの店員が時間切れを告げに来たのは、それから間もなくしてからだった。

二次会に行く人! と高らかに声が上がるが、国公立の二次試験や後期試験を控えている人も多く、それどころではないのか、半分にも満たない人数の手しか上がらない。

これから先、またどこかにみんなで繰り出していくのだろうか。マキにしっかり腕をとられた澄香は、もちろん帰宅組。

「あたしの言うとおりにすればいいからね」

マキは明らかに何かを企んでいる目をしながら、澄香の耳元でささやいた。

そうなのだ。さっきマキに背中を押されたあのこと。告白タイムが迫っているのだ。

本当に言えるのだろうか……。澄香の胸は不安でいっぱいになる。告白するぞと決心したさっきの勢いは、もうすでに姿も形もない。

マキに引き摺られるようにして駅に向う澄香の顔色は、きっとありえないくらいに青ざめているのだろう。

事情を知らないクラスメイトが、大丈夫? と親切に、俯き加減の澄香を覗き込む。

すると、前方の男子グループの方から携帯の着信音が鳴り響いた。

「もしもし……。ああ。う、うん。今終わった。あと五分ほどで、三宮駅。わかった、言っとくよ……」

立ち止まり携帯を耳に当てているのは秀彦だった。そして澄香と目が合う。

「池坂。ちょっといい?」

澄香は何だろうと首を傾げるが、咄嗟にマキは彼女の腕を離すと、秀彦にこの子差し上げますと言わんばかりに押しやる。

「手間が省けてよかった。かがちゃん、この子、煮るなり焼くなりよろしく! ってことで、じゃあね!」

そう言って、何やらヒューヒュー言ってる他のクラスメイトを引き連れて、二人を残したままマキは足早にその場から消え去ってしまったのだ。

澄香は状況が呑み込めず、その場に立ちすくむことしか出来ない。

「あっ、ごめん……池坂。その……。ちょっとついてきて」

少し歩幅を狭めてゆっくり歩き出す秀彦の後ろを澄香がとぼとぼとついて行く。

駅の前まで来たところで立ち止まり、振り向いた秀彦の顔がさっきとはうって変わって、暗く沈みこんでいるように見えた。

澄香の脳裏に不安がよぎる。しばらく目を合わせた後、秀彦がゆっくりと口を開いた。

「もうすぐここに木戸が来る……。あいつ、おまえに会って、話がしたいって」

──き、木戸君? なんで木戸君がここに? 

澄香は秀彦の言ってることの意味がさっぱりわからなかった。

泣きそうな顔になりながら、理不尽な思いを彼にぶつける。

「そ、そんな。加賀屋君も知ってるでしょ? あたし、木戸君とはその……」

「別れたって? そうみたいだな。でもケンカしたわけじゃないんだろ? 顔も見たくないほど嫌いになったってわけでも……。あいつ、九州の大学に行くから、最後におまえに会いたいんじゃないのか? 会ってやれよ。……嫌?」

とても秀彦が本心で言っているとは思えなかった。いや思いたくなかった。

別れた? 別れるも何も、そもそも澄香は木戸と付き合っていたとは思っていない。

木戸は二人の関係をそんな風に秀彦に言っていたのだろうか。澄香の心は大きく乱れ始める。

「ねえ、加賀屋君。何か誤解してるよ。あたしたち……。あたしと木戸君は……」

澄香が震える声で、やっとの思いで秀彦にそう言いかけた時、黒のダウンジャケットを着た木戸が、笑顔を浮かべながら走って秀彦に近付いてきた。

「待たせたか? ごめん。会計でもたついて……」

「いや、俺たちも今着いたところさ。……じゃあ、俺、もう行くわ。あ……」

秀彦が一瞬何か言いたげに澄香を見たが、すぐに踵を返して一人で改札を通り抜けようとする。

「ま、待って! 加賀屋君!」

すがるような澄香の声に秀彦が即座に振り返る。

「何? どうした?」

「い、いや……別に。何も。引き止めてごめんなさい。あ、あの……」

澄香のただならぬ様子に秀彦は苦笑いを浮かべながらまた二人の方に戻って来る。

「あの……。この後、あたしどうすれば……」

困ったような顔をする木戸をよそに、澄香は秀彦にすがるような視線を送る。

「あははは。そうだよな。俺に呼び止められて、おまけに木戸と二人きりにされて……。おい、木戸。おまえちゃんと責任取れよ。池坂は俺の大事な幼馴染だからな。泣かしたりしたら承知しないぞ」

そう言って、澄香の頭をぐしゃっとかき回し、いたずらっぽく笑う。

澄香は突然の秀彦の行動にまたもや目を丸くする。学校ではふいに肩を抱かれ、今また頭をかき混ぜられ……。

手も繋いだことのない相手なのに、秀彦のぬくもりを知ってしまった澄香は、全身がとろけるようなあまやかな感覚に包まれる。

「池坂、何かあったらすぐに連絡しろよな。……木戸はおまえが思ってるより、ずっといい奴だから。そんじゃあ」

それだけ言うと、今度は振り返ることなく改札をくぐり抜けて行く。

澄香は秀彦の後姿が見えなくなるまで、じっと目で追い続けていた。



 
   (HPです。)


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