18.チサの冒険
澄香はカフェ・Sを出た後、早めにチサに会うことになった。
チサも澄香に負けないくらいひどい二日酔いで、ついさっきまで寝ていたと言う。
三宮で落ち合った二人は、ハンバーガーショップでお代わり自由のコーヒーを飲みながら昨夜のことを話していた。
澄香が軽いノリで親睦旅行の宴会係を引き受けたことに始まり、仁太に送ってもらうまでの失態をこと細かにチサに教えてもらい、自分自身にかなりあきれてしまったのは言うまでもないが、そうなった理由までも見事に言い当てられて、澄香は再び落ち込む。
「彼女か……。でもさあ、メールできないってはっきり言われたわけじゃないんでしょ? なら全然大丈夫じゃん。今朝の呼び出しだって、別のことかもよ。実は澄香と付き合いたいとか……さ」
チサはテーブルの上に両肘をついて手のひらに顔を載せながら、とんでもないことを平気で言う。
「へ? ないない。それは絶対ない。 だって、みんなの前で交際宣言したところなんだよ。カノジョがいるんだよ。なのにもうあたしと付き合いたいだなんて、そんなことあるわけないよ!」
「だからさ、彼女ってのが澄香なのよ」
「却下」
いくらなんでもそんな都合の良すぎる話はそうそうあるわけがない、とまあ澄香もその辺のところはやけに常識的だったりするのだが。
「なら、この考え方はどう?」
「何? 他にあるの?」
「うん。これならありえるって!」
自信満々に語り出すチサに、澄香は思わず身を乗り出す。
「口から出任せで彼女がいるって公言した手前、収拾が着かなくなって、手短な澄香に白羽の矢が……」
「矢が立って、彼女になれと? ……あのねえ、チサ。そりゃあ、ありえなくはないけど、彼はそれほど女性に困ってないって。それにさ、もしそうだとしたら間に合わせの彼女だなんて、虚しくない?」
「そっか。それもそーだね。じゃ、何だったんだろ?」
「ずばり、もう今までのようにメール出来ないってことだよ。六年間ありがとう……なんて言われちゃったりするんだ……きっと」
澄香はできるだけ明るく、そしてさりげなくこの話題を切り上げる。
これ以上チサに心配をかけたくなかったのだ。
夕べ澄香にかかりっきりになった仁太の姿をどんな気持ちでチサが見ていたのかと思うと、その方が澄香にとってずっと心苦しいことだったから。
そろそろ買い物に行こうかと、ハンバーガーショップの座席から立ち上がりかけたとき、澄香の携帯が震えメールの着信を知らせる。
チサが黙って澄香を見つめると、またその場に座り直した。
「ヒデヒコ君じゃないの?」
澄香はそっと携帯を開き、チサの勘が当たっていることを確認する。そして文字を追い声に出して読んでみた。
「『さっき電話くれたみたいだね。今東京駅。寝てたら悪いからメールにするよ。まだ具合が悪いのか? それとも怒ってる? どうして返信してくれない? 今朝もぎりぎりまで待った。来てくれると思ってた。俺が夕べあんなこと言ったから? やっぱり怒ってるんだ。ああ、感情的になってしまった。ごめん。もし身体の調子が悪いのならそれだけでも知らせてくれ。とにかく返事待ってるよ。』……」
「ねえ澄香。やっぱり彼には澄香以外の女性の影は見えないんだけど……。ともあれ早く返事しなきゃ。それできちんと待ち合わせした理由を聞くこと。いいわね!」
澄香はいつになく素直にこくりと頷くと、いっきにメールを打ち返信した。
『ごめんね。携帯の電源切ったままだったの。身体はもう大丈夫。カフェ・Sにも行けなくてごめん。何か用だった?』
──彼女がいるってほんと? どうしてあたしを待ってたの? ……なんてことはあまりにもストレートすぎてさすがに澄香もそこまでは聞けなかった。嫉妬してるみたいに思われるのも恥ずかしいから……。
それに夕べ、あの後飲みに行って二日酔いで朝起きれなかったなんてことも、とてもじゃないけど言えない。
ただ、体調がすぐれないのは嘘ではなかった。
澄香は身体のだるさと寒気を昨日から少し感じていたのだ。
テーブルに置かれた澄香の携帯に二人の視線が注がれる。
五分くらい経っただろうか。着信音が鳴ったと同時に携帯を掴む。それはまるで百人一首の競技大会のように素早い行動だった。
澄香は秀彦にしては長めのメールをじっくり読んだ後、内容が気になって仕方ないというように落ち着きのないチサに画面を見せる。
「『やっと返事がもらえたよ。今までこんなことなかったからほんとに心配した。帰り道倒れたんじゃないかとか、家で寝込んでるんじゃないかとか……。夕べ、なんとしても探し出すべきだったと後悔してる。おまえ逃げ足、速過ぎ。花倉と手分けして北野から三宮まで探したけど、追いつかなかった。それと待ち合わせの件だけど澄香に話しておきたいことがあってな。また改めて話すよ。いつものようにメール待ってるぞ』って、澄香! あんた夕べ追いかけられてるじゃん!」
チサはやってられないとでもいうように、ハァ〜とため息をつくと、携帯を澄香につき返す。
「そ、そうみたいだね……。あたし、とんでもなくみんなに迷惑かけてる。嫌な女だ……」
「でもメール待ってるって言ってくれてるよ」
「うん……。そうだね。でも、会って話したいことって一体なんだろう? やっぱ怖いよ」
「あ〜〜ん、じれったいったらありゃしない! ちょっと貸して!」
再び携帯を奪い返したチサが瞬く間に何か文を打つと、一瞬だけ澄香にそれを見せ即送信する。
「ち、チサ! 何を送ったの? ダメだよ。そんなことしたら」
「もうほんっと、イライラするんだから。『アンタの彼女にこのメール見られたらヤバイんじゃないの? その時はちゃんと責任とってよ』ってね。これくらい言ってやんないと男って鈍感だからさ。らちが明かないわよ!」
澄香は絶望的な気分になっていた。アンタとかヤバイとか責任とってとか……。秀彦に嫌われる、もうおしまいだとテーブルの上に突っ伏した。
その後秀彦からの返信は待てど暮らせど返ってこない。
あまりにも落胆してしまった澄香にチサも反省したのか、明日のランチおごるなどと言ってなだめているが、無駄だったようだ。
セーター一枚とビンゴゲームの景品をいくつか買って、言葉少なに澄香はチサと別れた。
チサを攻めるつもりはないが、いくらなんでもあのメールはないだろうと、澄香は足取りも重く家に向う。
着信メールの中にはちゃっかり母親からのも混ざっていて、澄香の単身赴任中の父親が風邪をひいたのでしばらく三重に行くという内容が告げられていた。
手にはコンビにで買った弁当をさげ、誰もいない家の玄関の鍵を開け中に入る。
部屋の中はすっかり冷えている。ファンヒーターをつけ、ポットの湯を急須に注ぎお茶の準備をする。
テーブルに鮭と春雨サラダの入った小さめの弁当を置き、まずはメールのチェック。
さっきバスの待ち時間に、怒りモード全開のマキに昨日の同窓会でのお詫びメールを入れた。マキはこれでなんとかなるだろう。
でもやはりまだ、秀彦からの返信はない。
澄香は二日酔いのせいなのか不安からなのかよくわからないが、少しムカムカする胸を押さえながら弁当を食べ始めた。
あまりおいしくない。半分ほど食べたところで箸をおき、ソファーに寝そべってテレビのリモコンの電源を押す。
画面にはお笑い大物スターが司会を務めるクイズ番組が映し出されていた。
いくらおもしろおかしく番組が進行していても、澄香は握り締めた携帯ばかりが気になる。
それにしても寒い。ファンヒーターの設定温度を上げようと身体を起こした時、突然携帯が馴染みのメロディーを奏で始めた。
それは澄香にだけわかる、秀彦専用の着信音だ。
『返事遅くなってごめん。夕方のメール、めっちゃおもしろい! あれ打ったの澄香じゃないよな? もしかしていつも言ってる会社のチサさん? で、質問の答えだけど、彼女に見られたらって? 大丈夫。ロックかけてるからな。もし見たとしても多分怒らない。これだけは自信ある。何かあったら責任取れって? あたりまえだろ。俺は責任感の塊だからな。ってことでチサさんによろしく』
──ばれてる。澄香はホッとすると同時に、秀彦の懐の深さにますます心を奪われていく。
でも一番気になるのは、秀彦の彼女がそれ以上に心が広い人であるということ。
こんなメールを見たとしても怒らないなんて、いったいどんな人だというのだ。
澄香が導き出した結論は、年上の女性。秀彦の身の回りに起きる全てのことを黙って包み込んでくれる大人の女性だ。
でも、もういい。
そんなこと考えても、もうどうしようもないのだ。
メールは続けると言っている秀彦を信じて、今までどおりやっていくしかない。
『チサのことごめんね。また明日メールする。仕事がんばってね』
それだけ返信すると、澄香はそのままソファーの上で眠ってしまったのだった。
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