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かくれんぼ
作:大平麻由理



17.待ち合わせ


 澄香は二日酔いでクラクラする頭を抱えながらもなんとか昼過ぎには起き出し、たった今シャワーをあびたばかりだった。
 三重にいる単身赴任の父のところにでも行ったのだろうか。母親の姿はどこにも見当たらない。もちろん置手紙などあるはずもなく。

 夕べのことを尚もまたくどくどと説教されるだろうと覚悟していただけに、澄香は少し肩透かしを食らったような気分になっていた。
 結露のひどいリビング北側の窓を開けると、相変わらず冷えた空気が容赦なく室内に押し寄せてくる。
 濡れたままの髪に冷たい風が当たり、ぶるっと身震いをする。澄香はあわてて窓を閉めなおし、時計を見た。PM一時。

 ──えっと、今日の予定は……。と、時折ガンガンするどうしようもない脳内をゆっくり始動させようとしたその時だった。
 思い出したのだ。携帯の電源を切ったままだったことを。
 夕べ仁太が迎えに来た後、神戸駅から新長田駅に向う電車の中で、電源を切ってそのままなのを今思い出したのだ。
 今日はチサと週末の親睦旅行に着て行く服とビンゴ景品を買いに行く約束をしている。
 待ち合わせは夕方だから大丈夫だとしても、会社の同僚をはじめ、同窓会で突然姿を消した澄香になんらかのリアクションが誰かから取られていないとも言い切れない。
 そこにはきっとマキの怒りのメールがどっさりと……。
 澄香はさっき窓を開けたときの外の寒さだけでなく、親友の激怒した顔を思い浮かべるたび、背中の辺りがゾクッと振るえるのをはっきりと感じ取っていた。

 ソファの下に投げ出されたままの、母親のお下がりのモノグラム柄のバッグから携帯を取り出し、電源を入れる。
 華々しいオープニングのテーマ曲が鳴り、画面にメールの着信を知らせる表示が次々と。
 その数なんと三十二件。
 そして一番トップは今から三十分前のメール。

 秀彦だ。

 三十二件中、なんと二十五件が秀彦からだった。
 澄香は一体何が起こったのだろうと、目を皿のようにして優先的に秀彦のメールを時間を遡って開いていった。

 まず、一番新しい物。『とにかく、連絡待ってる』
 そしてその次。『連絡待ってる』
 その次は……。『時間がない。もう行く』
 それはちょうど澄香が起き出した頃の着信だ。

 時間がない? もう行くって……。

 その次もその次も、『連絡待ってる』と同じ文面が続く。そして昨夜、ちょうど澄香が居酒屋で同期と合流して飲んでいた頃だろうか。
 いまだかつてありえないことが秀彦からのメールの文面に浮かび上がる。
『明日昼過ぎの新幹線でまた東京に行く。その後二週間くらい札幌に出張予定。なので、明日十時に新神戸で会いたい。ちょっと話したいことがある。場所は新神戸駅ホテル1階カフェ・Sで』
 澄香はもう一度時計を見た。PM一時十分。
 まだ間に合う?
 澄香はたった今、六年近くも頑なに守ってきた暗黙の了解を破ろうとしていた。秀彦の携帯番号を表示させると、通話ボタンを押す。澄香は祈るような気持ちで呼び出し音を聞いていた……のだが。
『……電波が届かないか、電源が切られている可能性があります……』
 と、いつもの女性のアナウンスが無情にも流れてくるのみ。もう新幹線の中なのだろうか。だから電源を切っている?
 澄香はあれこれ考えるより先に、いつものローライズのデニムとセーターに着替え、ドライヤーで髪を乾かし始めていた。
 それすらももどかしく、あらかた乾いた髪をゴムでひとつに束ねると、バッグから財布を抜きジャケットのポケットに入れ、手には携帯だけを持って家を出た。
 途中、新神戸駅付近を通るバスに乗り換え、秀彦が指定したカフェに向う。
 今更カフェに行ったところでどうなるわけでもないのに、澄香はそこに行かずにはいられなかったのだ。

 カフェ・S……。

 飾り文字でそう書かれたホーローのプレートが掛けられた白い木枠の扉を澄香はそっと開けて、店の中に入った。

「いらっしゃいませ」
 店員の声に促されるように、奥の席に座る。もちろん周りを見渡しながら……。
 そんなに広い店ではない。もういないとわかっているのに、さがしてしまう。
 もちろんそこに秀彦の姿があるはずもなく、店員の持ってきたランチメニューをただ呆然と眺めることしかできない。
「お客様……あの、お決まりでしょうか?」
 いつまでそうしていたのだろうか? 澄香は店員の声にハッと我に返り、メニューの中のBセットを指差し、あわてて注文する。
 そして次の瞬間、その場から去ろうとする店員を呼び止め、尋ねるのだった。
「すみません。十時ごろ、ここに二十代の男性が来ませんでしたか?」
 一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、あまりにも必死な様子で尋ねる澄香が気の毒になったのだろうか。優しく微笑んだ店員が、腰をかがめて周りの客に迷惑にならない程度の声で「十時頃でございますか?」 と改めて聞く。
「そうです。あの、背の高さは百七十八くらいで、あと、メガネはかけていなくて、髪は短めで……」
「お客様、申し訳ありません。そのような男性は何人かお見えになりましたが……。もう少し詳しく特徴とかをおっしゃって下されば」
 澄香は自分の取った態度が急に恥ずかしくなり、こんなことに巻き込んでしまった店員に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「すみません。こんなこと聞いて。待ち合わせをしてたんです。けど、間に合わなくて……」
「そういえば、十時前にお見えになって、お昼過ぎまでコーヒーをお召し上がりになったお客様がいらっしゃいましたが……。どなたかをお待ちになっていらっしゃったようですね」
 澄香は携帯を取り出し、とっておきのあの一枚を画面に表示させる。そして店員に見せた。
「こ、この人でしょうか?」
 画面を覗き込んだ店員が口元をほころばせ頷く。
「はい。この方です。……大切なお方なのですね。しきりに時計を気にしてらしたので、多分ここを出た後、新幹線に乗られたのではと思いますが。ここで乗車までの時間をつぶされる方も多いですので」
 澄香は店員に礼を言って、グラスの水を一口飲んだ。
 秀彦がここでついさっきまで澄香を待っていたのは本当だったのだ。
 それで、彼が澄香に言いたかったことは何なのか。考えたくないが、思い浮かぶのはただひとつ。
 彼女のことだろう。

 ──今まで黙っていてごめん。これからは、今までのようにメールは出来ない……。
 そんな風に秀彦の口から最後の審判が下される予定だったのだろうか。
 いずれ突きつけられる審判ならば、今日会っておくべきだったのかもしれない。
 けれど、どこかほっとする自分がいるのも本当だった。秀彦に会いたかった。でも、会えば……辛くなる。
 今日はこれでよかったのだと、澄香は何度も何度も自分自身にそう言い聞かせるのだった。





 

 

 











   





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