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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
戦雲篇
17/65

第一五話「スキラ会議」



 竜也がアミール・ダールの末娘・ミカを連れてスキラに戻ってきたのはアルカサムの月(第八月)の下旬である。


「本当にこんなところに住んでいるのですね、あなたは」


 竜也一党の拠点「マラルの珈琲店」に案内され、ミカは呆れたような目を竜也へと向けた。


「いや、ここで特に問題はないし」


「大ありです。警備はどうするのですか? わたしはこれでもエジオン=ゲベルの王女ですよ。末席ですが王位継承権だって持っているのですよ」


 カフラがミカに同調する。


「確かにそうです。ミカさんだけでなくタツヤさんの警備上の問題もあります。不特定多数が自由に出入りをする飲食店をいつまでも使い続けるのは」


 ふむ、と竜也はしばし考え込んだ。


「護衛を増やすとしても、今のままじゃマラルさんの迷惑になるだけか……」


 竜也は「よし」と決断。「珈琲店」の店内へと入っていき、


「マラルさん、いくらならこの店を譲ってくれますか?」


 竜也の後に続いたカフラとミカは崩れ落ちそうになっていた。

 こうして「マラルの珈琲店」は閉店し、名実共に竜也一党の拠点として機能することとなる。だがマラルの生活に大きな変化はない。これまで不特定の客に珈琲や軽食を出していたのを、出す相手が竜也達や竜也の客、牙犬族の護衛に限定されただけである。


「ところでわたしはどこに住めば? ここの屋根裏部屋ですか?」


「君が望むのならそれで……」


 竜也の言葉は途中で途切れてしまった。ミカは笑みを浮かべているが、目は笑っていない。ミカは笑顔のまま竜也を威圧した。


「カフラ、頼む」


「判りました、こちらで手配します」


 ミカの住む場所について竜也はカフラに丸投げし、


「サフィール、牙犬族の女剣士を何人か揃えてくれないか? 彼女の護衛をお願いしたいんだ」


 さらには護衛も手配する。自分の護衛に女性を手配する竜也の配慮にミカは一応の満足を見せた。ミカが席を外した機会を狙い、竜也はカフラ達に確認する。


「あの子、王女様なんだろう? どういう態度で接したらいいんだ?」


「わたしやサフィールさんに対するのと同じで構わないんじゃないですか?」


 カフラの答えを聞いても竜也の困惑は解消されず、より深まるかのようだった。


「構わないのか? それで」


「エジオン=ゲベルならともかく、ここはネゲヴです。故国では王女だろうと、ここでは傭兵指揮官の使者でしかありません」


「タツヤさんは最低でも将軍アミール・ダールとは対等です。ミカさんはアミール・ダールの部下という立場なんですから、タツヤさんより格下なのは間違いないんです」


 ベラ=ラフマとカフラは竜也のことを過大評価する傾向がある(と竜也は思っている)ので、竜也は二人の説明を額面通りには受け入れられなかった。が、二人の言葉を否定する材料も持っておらず、結局は二人の助言そのままに振る舞うこととなる。

 ミカを受け入れた竜也は陣容を整え、ギーラに対抗するための行動を開始した。


「なるべく西の方の町、その周辺の出身者、地理に詳しい者、その辺りで戦った経験のある傭兵。そんな人達を集めてくれ。どこで戦ったらいいか聞き取りをしてまずいくつか候補を出して、実地で調査をする」


 カフラ達が人を集め、マグド達が聞き取り調査をし、ミカ達が調査結果をまとめる。全員が精力的に働いたのだが、充分な成果は出せなかった。


「……なかなかいい場所は見つからないか」


「ええ。ソウラ川、サイダ川、イコシウム、北の谷……ナハル川に負けないくらいの難所はいくつもあります。ですが、敵がそれを避けて通ることも簡単な場所ばかりです。ナハル川ほど都合のいい場所は……」


 そうか、と竜也はため息をつく。


「ギーラという男、決して馬鹿じゃないんだな」


「ええ」


 とミカも同意しつつため息をついた。

 一方竜也達がそうやって動くに伴い、ギーラの防衛構想がスキラや近隣の町で広く知られるようになる。当然ながらオエアに対する反発と反感が広がった。


「あいつら、俺達を犠牲にして自分達だけ助かろうっていうのか」


「冗談じゃないぞ。あんな連中の言いなりになんかなれるか」


 オエアに対する敵意がスキラへの期待を高めていく。ギーラに対する反発が竜也の声望を高めていく。今やオエアとスキラがネゲヴを二分し、ギーラと竜也が両都市を代表する人間として目されるようになっていた。

 月は変わってキスリムの月(第九月)の初旬。スキラで「聖槌軍対策会議」が開催されたのはそんな状況下である。一方オエアでもほぼ同時期にオエア主催で「聖槌軍対策会議」が開催されている。この後、スキラでの会議は「スキラ会議」、オエアでの会議は「オエア会議」の通称で呼ばれるようになる。

 会場はスキラ中心市街、商会連盟の別館。その館の通称をソロモン館と言う。元はソロモン商会という大豪商の邸宅であり、かつてのゲラ同盟が事務局を置いたこともある。四〇〇年以上の歴史と伝統を誇り、城と言ってもいいくらいの規模と豪奢さを持つ建物だ。館周辺や前庭には恩寵の部族や傭兵の護衛等がたむろしている。


「おい、見ろよ」


「へえ、あれが……」


 竜也は彼等の視線を受けながら館の中へと、その奥へと進んでいく。館の最奥、バレーボールのコートくらいの面積がある一際豪奢な部屋が会議の会場だった。会場にはすでに大勢の参加者が集まっている。

 ナーフィア商会当主ミルヤム・ナーフィア、ジャリール商会当主、ワーリス商会当主等、各地の有力なバール人商会。

 牙犬族族長アラッド・ジューベイ、金獅子族族長インフィガル・アリー、赤虎族族長セアラー・ナメル等、恩寵の部族の族長達。

 スキラを始めとして、カルト=ハダシュト、ハドゥルメトゥム、スファチェ、レプティス=マグナ等の近隣自治都市の長老会議代表。

 他にはガイル=ラベクを筆頭とする著名な傭兵団首領、それにマグドが加わっている。

 このそうそうたる参加者の中で、竜也の席は会議室の中心、議長のすぐ隣に用意されていた。竜也は内心の気後れを押し殺しながらその席に座る。議長を務めるのはラティーフという老人で、スキラ長老会議の一員だ。


「温厚で人当たりが良く人望もあり、調整型の政治家としては非常に優れた方です」


 とはカフラの評価である。


「……我々ネゲヴの民は聖槌軍という恐るべき敵に脅かされています……」


 会議はラティーフの挨拶から始まった。その挨拶は割合手短に終わり、


「それではまず彼からエレブの最新情勢について説明してもらいましょう」


 議長の紹介を受け、竜也が立ち上がる。「クロイ・タツヤです」と簡単に挨拶をし、速やかに報告へと入った。原稿はベラ=ラフマがまとめてくれたものである。


「……フランクが二五万、ディウティスクが二五万、イベルスが二五万、レモリアが一五万、ブリトンが一〇万、総勢百万。それが教皇が各国に割り当てた兵数です。全軍の集結地点はイベルスのマラカ、集結日はアダルの月の一日。集結日まではあと三ヶ月、ディウティスク等の遠方では移動が開始されている頃です」


 報告を聞いた参加者がざわめく。そのうちの一人が竜也に問うた。


「いくら何でも百万はあり得ないだろう」


「確かに考え難いことです。ですが、エレブ人は十万やそこらでは収まらないだけの準備を進めている。例え百万の三分の一でも三〇万を越える大軍勢です。我々にどれだけの兵が用意できますか?」


 参加者が再びざわめく。恩寵の部族が義勇軍の結成について宣言し、各町の代表が徴兵の準備について報告する。その他軍費負担、戦場の選定、防衛線の選定等、議題は多岐にわたり活発な議論が展開された。だが、


「つ、疲れた……」


 会議は夜更けになってようやく終了し、竜也は「マラルの珈琲店」に戻ってきたところである。竜也は身を投げ出すように椅子に座った。


「何にも決まらなかった……」


 意見の隔たり、立場の違いがあまりに大きく、散々議論をして結局何一つ決定されなかったのだ。


「まだ初日です。やむを得ないことかと」


 と慰めるように言うのはベラ=ラフマだ。「それはそうだけど」と竜也は顔を上げた。


「――ところで、オエアでも『聖槌軍対策会議』が開かれているんですよね」


「ええ。スキラに対抗してのことでしょう。さすがに海洋交易・軍事同盟の復活を掲げはしていませんが、『聖槌軍対策』の裏側で実質的な復活を目指して活動するものと見られます」


 ベラ=ラフマは「オエア会議の参加者一覧です」と書面を差し出す。竜也は受け取って目を通した。


「……かなり重複してる?」


「はい。スキラ会議の参加者の多くが名代をオエアにも送っています。それはオエア会議の参加者にしても同じです。今日の会議、東ネゲヴの各町からも名代だけは来ていたかと思いますが」


「保険てことか。用心深いことだな」


 竜也は天井を仰ぎ、次いで視線をベラ=ラフマへと向ける。


「向こうでいろんなことが先に決まって先手を打たれるようなことは……」


 竜也の懸念に対しベラ=ラフマは「それはないでしょう」と首を振った。


「意見の隔たり、立場の違いが大きいのは向こうも同じこと。ギーラの立場の強さや声の大きさにしても、他者を圧倒するほどではありません」


 それならいいけど、と竜也は呟いた。

 そして翌日も会議は開かれ、さらにその翌日も続いた。二日目の会議は深夜まで続き、三日目の会議は夕方で議論が打ち切られる。竜也は疲れ切った身体を引きずるようにして「マラルの珈琲店」に戻ってきたところである。


「何にも決まらなかった……」


 竜也は五体投地をするかのごとくに椅子と机に身を投げ出した。


「三日間あれだけ話し合ったのに、本当に、何一つ決まらなかった……」


 その徒労感は尋常ではなかった。竜也は個室の机に同化する勢いで突っ伏している。


「たかだか三日で全てが決められると思う方がおかしいでしょう」


 と辛辣に言うのはミカである。


「会議というのは得てしてそんなものです。焦っちゃ駄目ですよ」


 と慰めるのはカフラである。竜也はわずかに気力を取り戻して身を起こす。


「確かにそうかもしれないけど、もう三日も使ってるんだぞ。なのに……この有様じゃ敵がヘラクレス地峡を突破してもまだ何も決められないぞ」


 竜也は本気でそれを心配していた。


「意志決定のあり方自体を何とかする必要があるんじゃないかな」


「どういう意味ですか?」


 竜也は会議の間中ずっと考えていた案を披露する。


「俺の元いた場所には――俺の国じゃないし相当昔の話だけど――独裁官って役職があったんだ。一国の非常事態には元老院が独裁官を選出して半年か一年の一定期間、政治・軍事の指揮の全てをその人に委ねる。意見や助言はもちろん構わないけど、その独裁官が最善だと判断して決断したことには全員が無条件で従うんだ」


 ああ、とカフラとミカは理解を示した。


「バール人の時代にありましたね、そういう制度が。町同士が戦争をするときはそれぞれの町でよく選出されていました。でも同盟全体を指導するような独裁官を選出することも、そんな制度もありませんでしたが」


「ですが、確かによい考えかと。未曾有の事態なのですからそれくらいやらなければきっと後手に回ってしまうでしょう」


 二人の賛同に竜也は意を強くする。


「よし! 今度の会議でそれを提案するとして、そのために根回しをするとして、問題は誰を独裁官として選ぶかだな」


 竜也は意見を求めようとカフラとミカの方を向き、


「……どうかしたか?」


 何故か白けたような顔をしている二人の様子に首を傾げた。


「……この人のこれは演技ですか?」


「いえ、タツヤさんは素でこういう人なんです」


 二人の会話は竜也にとっては意味不明で、竜也は首を傾げるしかなかった。

 ……三日間空転するばかりの会議には参加者全員が疲れ切っており、数日の休会期間を設けることに誰も異議を唱えなかった。竜也はこの休会期間を根回しに利用しようとする。竜也は顔見知りの会議の参加者に会って回り、独裁官設置に賛意を求めた。


「ああ、確かにあの会議にはうんざりだ。俺は大賛成だぞ。それで、お前さんがその独裁官をやるんだな?」


 と言うのはマグドである。


「お前には色々借りがあるからな。独裁官選出のときはお前に一票入れてやるよ」


 とガイル=ラベク。


「おお、牙犬族の同胞が独裁官となるのか! これはめでたい!」


 と笑うのはアラッド・ジューベイだ。


「……まあ、他に適当な奴もおるまい。お前が独裁官になるのに賛成してやってもいいぞ」


 と金獅子族族長インフィガル・アリー。


「お前がなるんだろう? 他に誰がいる?」


 と当たり前のように言うのは赤虎族族長セアラー・ナメルである。


「当然賛成しますし、あなたに一票投じますよ」


 とミルヤム・ナーフィア。


「ひょひょひょ、お前さんを支持するに決まっとるじゃろ。今度は何をやってくれるのかの?」


 と楽しげに笑ったのはワーリスだ。

 一通り根回しを終え、「マラルの珈琲店」に戻ってきた竜也は、


「……どうしてこんなことに」


 と頭を抱えていた。そんな竜也をカフラとミカが半目で見下ろしている。


「どうしてもこうしてもないでしょうに。皆があなたを支持しているのに何の不満があるのですか」


「いやでも、どうして俺なんだよ。他にもっと適当な人が」


 その竜也の問いに、


「聖槌軍の侵略を最初にネゲヴ中に広く訴えたのは誰ですか? 『ネゲヴの夜明け』を刊行して聖槌軍の脅威に備えるよう唱え続けたのは誰ですか?」


「ガフサ鉱山の暴動を鎮圧したのは誰ですか? 数千の奴隷軍団を配下に収めているのは誰ですか?」


「ナハル川南岸を始めとしてネゲヴ中に数百万人分の食糧を確保しているのは誰ですか?」


「スキラ会議の呼びかけ人となったのは誰ですか?」


 カフラとミカの連撃に、竜也は鯉のように口をぱくぱくとさせた。「いや……でも」とようやく精神的に体勢を立て直す。


「俺、まだ二十歳にもなってないんだぞ? それにマゴルでこっちにはつながりも後ろ盾も、何もないし」


「確かにまだまだ若造ですね」


 と偉そうに言うのは竜也よりも年下のミカである。


「ですが、それはそれほど大きな問題にはならないでしょう。問題はあなたがこの一年間何を成してきたかです」


「それに、マゴルっていう身の上は決して欠点だけじゃありませんよ。『つながりや後ろ盾がない』ことはむしろ利点です」


 カフラの言葉に竜也が「どういうことだ?」と首をひねる。回答を呈示したのはミカである。


「例えばあなたがバール人であったならこれほど支持は広がらなかったでしょう。あなたがアシュー人であっても同じです。ネゲヴがアシュー人に支配・統治されることにわだかまりを抱く人は決して少なくありません。恩寵の部族であっても同じです。同族には支持されてもそうでない人達の支持を受けるのは困難です」


「それに対してマゴルというのは一種のおとぎ話の住人のような、現実離れした存在。どの勢力の色も付いていない、無色透明の存在です。マゴルというだけで支持する理由にはなりませんが、拒否する理由にもなりません。そしてタツヤさんは後者の利点だけを享受できるんです」


 ミカとカフラの説明が脳に浸透する。竜也は顔を青ざめさせた。


「……え、ちょっと待て。アミール・ダールやマグドさんや船長、バール人商人の誰か、どこかの町の長老会議の誰か、恩寵の部族の誰か。誰も独裁官になれないのか……?」


 ミカとカフラは竜也の様子を怪訝に思いながらも、


「立候補する身の程知らずはいくらでも出てくることでしょう。ですが、クロイ・タツヤ、あなたほど支持は集められない」


「いいじゃないですか、タツヤさんがなっちゃえば。そしてガフサ鉱山のときのようにインチキみたいなやり方でネゲヴも救っちゃってください」


 カフラは殊更に明るく軽い口調で竜也をけしかける。だが竜也は顔色を悪くするだけだ。吐き気を堪えるかのように手で口を覆っている。


「……どうやってだよ」


 竜也は絞り出すように問う。カフラとミカは顔を見合わせた。


「百万の敵を相手に、その何分の一かの寄せ集めの烏合の衆を率いて、どうやって勝てって……」


 カフラとミカは気まずそうに顔を伏せる。二人は竜也の問いに答えられなかった。








 ……竜也は漆黒の甲冑を身にまとい、戦場に立っていた。竜也の背後では竜を描いた巨大な軍旗が翻っている。砂塵の荒野の彼方には百万の聖槌軍が雲霞のように蠢いていた。味方にはマグド率いる元戦争奴隷の軍団、牙犬族を始めとする恩寵の部族の戦士達、傭兵の一団が勢揃いだ。

 竜也が剣を鞘から抜いた。黄金に輝く刀身を振り上げ、振り下ろす。それを合図としてネゲヴの軍勢が敵軍へと一斉に突撃。対する聖槌軍は横に大きく広がり、ネゲヴ軍を包囲しようとしていた。

 百万の敵軍に対し、自軍はせいぜいその五分の一……いや、四分の一。普通に戦っては勝ち目はない。竜也は傍らに控えるガリーブへと視線を送る。ガリーブは頼もしげに頷いた。


「な、何だあれは」


 聖槌軍の兵士が動揺を示す。彼等の頭上には鯨のように巨大な何かが風に乗り、ゆっくりと空を泳いでいたのだ。その飛行船は聖槌軍の中心へと爆弾を――


「あーっ! 駄目だ!」


 竜也は髪の毛を掻きむしり、大の字になって屋根に寝転ぶ。その夜、竜也は久々に屋根の上に登っていた。竜也の頭上では満天の銀河が幾億の宝石のように輝いている。


「今から準備して作ったところで、どの程度のものがいくつ作れる? ツェッペリンくらいの飛行船を十隻も用意できるならともかく、モンゴルフィエくらいの気球がいくつかあったって、それが何になるっていうんだ」


 役に立たないことはないだろう。だが百万の敵と戦う決戦兵器になり得るとは到底考えられなかった。


(俺の中に眠る「黒き竜の血」が目覚めさえすれば……独裁官としてネゲヴの全軍を率いて、聖槌軍との決戦を)


 竜也はそんな妄想を弄ぼうとする。だが以前のようにはその妄想に耽溺できなくなっている自分に気が付いていた。カフラやベラ=ラフマからの信頼、マグドの忠誠、ミルヤムやワーリスとのつながり、それらは全て竜也自身の知恵と努力により勝ち取ってきたものなのだ。それに比べれば生まれたときに与えられた(という設定の)「黒き竜の血」になど魅力を感じなくなってむしろ当然。精神的な成長を示すこととして、むしろ健全というものである。

 だが、知恵と努力で勝ち取ってきたその実績と信頼が、今竜也を苛んでいる。カフラやマグド達の期待と信望が竜也にとってはあまりに重苦しい。


「くそっ、俺にどうしろって言うんだ。俺はただの高校生だったんぞ」


 それでも竜也は懸命に脳内を検索し、役立ちそうな知識を総ざらえする。


「毒ガス……? 海水を電気分解すれば塩素を取り出せる。水素は飛行船に使って……」


 第一次世界大戦つながりで思いついたその案を竜也はしばし検討し、結局廃案とした。


「でもガスはともかく毒って考えは悪くないかも。水や食糧に仕込んで、食糧を聖槌軍に売るとかして――」


 竜也はいきなり身を起こした。竜也の脳がフル回転する。


(――百万の大軍勢なんだぞ? 連中、食糧はどうやって補給するつもりなんだ?)


(――そんなの決まってる。現地調達をやるしかない)


(――じゃあ調達できなかったらどうなる? 調達させなければどうなる?)


 心臓が早鐘を打ち、冷や汗が流れる。顔からは血の気が引く一方だ。

 竜也は彫像のように身じろぎ一つせず、その作戦を検討し続ける。竜也はその夜、そのまま屋根の上で夜を明かした。








 翌日、スキラ会議が再開。これまでの議題に「独裁官職の設置」が追加され、さらに活発な議論が展開された。が、やはり何も決まらない状態であることには変わりない。寝不足の竜也は居眠りをして口を開かず、多くの参加者がうんざりしているようだった。

 会議は夕方には打ち切られ、また数日の休会期間が設けられることとなった。ソロモン館を出た竜也に「クロイ殿」と一人の男が駆け寄ってくる。ミカの護衛の一人である。


「ミカが?」


「はい、姫様がお呼びになっています。港に来ていただけませんでしょうか」


 竜也は「判った」と頷き、その護衛と一緒に港へと向かった。

 そしてスキラ港、竜也はそこでミカと合流する。


「何があったんだ?」


「いえ、その……ともかくこちらへ」


 竜也はミカの案内で停泊しているとある船の前へと行く。そこでは一人の男が十数人もの兵士に取り囲まれていた。

 男は上半身裸で船の積み荷に腰掛けている。手にしているのは柄まで鋼鉄製の槍である。男の年齢は二〇代半ば、身長は一九〇センチメートルを越えているだろう。プロレスラーのように発達した筋肉を誇示しており、その身体にはいくつもの傷跡があった。


「おうミカ! 元気なようだな!」


 男が朗らかにそう声をかける。


「ノガ兄さんも相変わらずのようで……」


 ミカは頭痛を堪えるかのように指で眉間を押さえた。


「兄さん?」


「はい、三番目の兄です。父上と一緒にギーラの元で籠の鳥になっていたはずなのですが」


 竜也の疑問にミカがそう答え、その兄――ノガが、


「ああ、護衛と称する連中があまりに煩わしかったからな。ぶっ飛ばして逃げてきた」


 と明るく笑って説明した。


「それは、問題にならないのですか?」


「さあ? ともかく、傭兵が二、三人死んだみたいでオエアの兵士に追われてな。この船に飛び乗ったんだが船賃もなかったんで乗っ取った。で、妹を頼ってここまで来たわけだ」


 ミカの頭痛がさらに深まり、竜也もミカと同じような表情になった。


「ノガ兄さんは一番血の気が多いから遠からずこんなことになるだろうとは思っていましたけど」


「……まあ、ギーラの勢力を削いだと考えることにしようか。この船への補償はやっておく」


 竜也の言葉にミカは、


「すみません、助かります」


 と恐縮し、ノガは、


「おう、世話になるぞ!」


 大威張りで胸を張る。ミカの飛び蹴りがノガの顔面に突き刺さった。

 さらにはその数日後。


「すみません、タツヤ。一緒に来てもらえませんか」


 ミカの要請を受け、竜也は「マラルの珈琲店」を出た。ミカには護衛やノガも同行している。渡し船を使ってナハル川を渡り、南岸へ。そして倉庫街の外れへとやってくる竜也達。そこには数騎の騎兵の姿があった。


「何だ、兄貴も逃げてきたのか」


「当然だろう」


 そう答えるのは騎兵の中心にいる二〇代半ばの青年だ。身長は竜也より少し高いくらいでノガと比較すれば普通の体格である。鋭い目つきとやや暗い表情が特徴の、精悍そうな青年だった。

 二回目なので竜也もすぐに事情を察し、


「ミカの兄弟なら歓迎しますよ。ようこそスキラへ」


「アミール・ダールの第二子・シャブタイだ。世話になる」


 シャブタイは馬を引いて歩き出した。その馬が鞍から紐を垂らして何かを地面に引きずっている。ミカがそれを手にとってよく見、


「ひっ」


 悲鳴を上げて投げ捨てながら竜也に抱きついた。あまりにボロボロだったのですぐには判らなかったが、馬が引きずっていたのは人間の足首だったのだ。


「どうしたんだ? その足」


 お気楽に問うノガと、


「ああ、オエアを出たときには全身があったんだがな」


 当たり前に答えるシャブタイ。竜也とミカは顔を見合わせた。


「……ミカの兄弟って全員こんなのか?」


「……いえ、その、姉上はともかく兄上達はそんなことは……多分」


 ミカは気まずそうに目を逸らす。


「アミール・ダールが兄の国王から危険視されたのって、この兄弟が原因だったんじゃ……?」


 竜也はそんな疑問を抱かずにはいられなかった。








 キスリムの月も下旬に入る頃。スキラでは会議がくり返されているが相変わらず何一つ決まらない状態が続いている。見切りを付けた欠席者の席も目立つようになっていた。


「せっかく人を集めたのにこの有様じゃ……」


 会議を終え、「マラルの珈琲店」に戻ってきた竜也は一人懊悩していた。そこにベラ=ラフマが姿を現す。


「これを見てください」


 とベラ=ラフマが報告書を差し出した。何気なく受け取った竜也はそれに目を通し、


「――オエア会議が解消を議決?」


「はい。オエアでの聖槌軍対策会議で、この会議を解散してスキラ会議に合流することが提案され、それが可決されたとのことです」


 竜也は思わずベラ=ラフマの顔を凝視する。


「どういうことです?」


「ギーラの影響力が弱まっています。アミール・ダールの子息に逃げられたことが堪えているようです」


 竜也は首をひねった。


「息子があんな無茶をやったんじゃ、アミール・ダールの立場の方が弱くなるんじゃ?」


「そうとは限りません。アミール・ダールが本気になればギーラには制御不能――二人の子息の逃亡はその示威行動になったのではないでしょうか」


 ふむ、と竜也は考える。


「ギーラは猫に首輪を付けて飼い慣らしているつもりだったけど、その実猫じゃなく獅子だった、ってところか。で、ギーラじゃ獅子を飼い慣らせないことが知られて、獅子を怖がっていた人達がギーラから離れている、と」


 竜也のまとめにベラ=ラフマが「その通りです」と頷いた。

 数日後、オエア会議からの使者がスキラに到着し、スキラ会議に参加。オエア会議の解消が報告され、スキラ会議への合流が要請される。スキラ会議は満場一致で要請承諾を可決した。スキラ会議で意味のあることが決定されたのはこれが初めてである。

 そしてキスリムの月の下旬。オエア会議が合流して開催される最初のスキラ会議である。オエアからの来訪者が続々とソロモン館に入場する。竜也はソロモン館入口近くに陣取り、参加者の面々を確認していた。手の平サイズの望遠鏡を持ったミカが隣にいて、参加者の解説をする。


「あ、あれが父上です。父上!」


 とミカが一人の男を呼ぶ。竜也もまたその男へと向けて歩を進めた。竜也とその男が数メートルの距離を置いて向かい合う。

 年齢は、見た目は四〇代半ばくらい。息子達がかなりの年齢なので実際にはもう少し上だろう。背は高く、均整の取れた身体付き。アラビア風の略式軍装に、頭部にはフードを被りターバンを巻いている。口髭を生やした伊達男だが、その目は鷹のように鋭かった。


「俺がスキラのクロイ・タツヤです。ミカにはいつも世話になっています」


 アミール・ダールが刃のように鋭い視線を竜也に突き刺す。竜也は一歩後退りそうになったが何とか堪えた。


「……我が兄エジオン=ゲベル王ムンタキムの命により、ネゲヴの助太刀に参上した。非才非力の身ながら微力を尽くすことを約束しよう」


 一呼吸置いてアミール・ダールがそう述べ、竜也が「助かります」と答える。アミール・ダールは軽く一礼し、ソロモン館の中へと入っていく。その後ろ姿を見送った竜也は大きなため息をついた。


「……何か凄い顔で睨まれたけど、嫌われているのかな? 俺」


「そんなことはないはずですが。ギーラよりはタツヤの方をよほど評価しているでしょうし」


 とミカは首をひねっていた。

 それからも何人かミカの解説を聞いていた竜也だが、一人の男が自分を見ていることに気が付いた。


「ミカ、あれが誰か知っているか?」


「ああ、あれがギーラです」


 年齢は二〇代の後半で、体格は竜也と同じくらい。髪や肌の色は典型的なバール人のそれ。そこそこに整った容貌をしているが、どことなく軽薄そうな印象がある。水商売でもやっていそうな、繁華街ならどこにでもいそうな男である。だがその目つき、その眼光だけは常人とは違っていた。身体の中に余計な精力が満ち溢れていて、それが目の光になって現れているかのようだった。

 ギーラが竜也に目を留め、敵意に満ちた眼差しを向けてくる。竜也は対抗するように目に意志と力を込めてギーラを見つめた。しばしの間両者は視線で対峙する。先に引いたのはギーラである。ギーラは嗤いを見せつけ、館の中へと入っていく。竜也はその背中を見つめた。


「……何だ? あの嗤いは」


 余裕と優越感に満ちた、勝者の嗤い。ギーラは確かにそれを浮かべていた。

 ……時刻は会議が始まる定刻、場所はソロモン館内の大広間。参加者は倍近くに増え、議場は人に充ち満ちていた。


「それでは――」


「議長!」


 議長のラティーフが開会の挨拶をしようとしたところにギーラが発言をかぶせてくる。ギーラはそのまま発言を続けた。


「まずはスキラの諸君に、我々オエアに集まっていた者を受け入れてくれたことを感謝したい! そして諸君に是非お目にかけたい方がいる!」


 ギーラが入口へと向かって手を伸ばし、全員がその方向へと注視。一同の視線を集める中、扉が開いて議場に何者かが入ってくる。入ってきたのは杖をついた、かなり高齢の、仙人みたいな老人だった。ギーラは身を翻し、颯爽とその老人の隣に並んだ。


「紹介しよう! この方こそケムト王国宰相プタハヘテプ様より特使に任じられた、ホルエムヘブ様だ!」


「――!」


 やられた、と竜也は唇を噛み締める。竜也はギーラの嗤いの理由を完全に理解した。


「あーまー、宰相閣下はエレブ人とも平和に仲良くやれんかと考えておってのー。儂はそのため聖槌軍……じゃったか? その連中と話し合うよう言われておるんじゃ」


 ホルエムヘブは食後の牛みたいな、おそろしくのんびりした口調で重要なことを一同へと告げる。


「自治都市の者達が自分で身を守ろうとするのは感心なことじゃて、副特使としてこのギーラを派遣するから万事よく話し合って決めるように、とのことじゃった」


「そういうことだ、諸君!」


 ギーラは全員の視線を一身に集めながら議場の中央へと進む――舞台俳優のような歩き方で。


「さあ、ネゲヴを誰がどうやって守るのか、それを決めようじゃないか!」


 まるで歴史という物語の主役のように、ギーラは高らかにそう宣言した。





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