No.06 恋の空模様
雨は、好き。
濡れるし、髪まとまらないし、おきに入りの服も靴も汚れるし、だからキライってトモダチ多いけど。
でもあたしは、雨が好き。
テレビが梅雨入りがどうこう言い出した、そのころだった。
その日も雨で。
いつもの制服に、いつものカバンに、いつもの靴。その日違ったのはたぶん、「雨が降ってた」ってことだけ。
「志乃、おまえドジだから、すっ転ぶなよ!」
「こんなとこで、大きな声で言わないでよ。恥ずかしいから」
電車に乗って通ってる幼なじみが、みんなが振り返るくらいの声で、挨拶代わりの言葉を投げる。
小中学校がいっしょで、高校になってやっと離れた。やれやれって感じ。
あたしは行き先が違って、ここからバス。駅までは近いから、ここまで歩いてきて、その先だけ乗って通ってる。
バスが来て、降りる人がどっと出てきた。それを避けながら、前の人に続いて、乗り口の階段に足をかけて。
「きゃっ……!」
そそっかしいあたし、ホントに滑って踏み外しかけた。倒れる、どうしよう。
けど幸い、何か柔らかいものにぶつかって、痛い思いしなくて済む。
「痛たたた……」
言ったのは、あたしじゃない。
慌てて立って振り向いて、どこかの知らない男子高生にぶつかってたの、初めて気づいた。よろけた拍子に、足も踏んじゃったみたい。
「ごめんなさいっ!」
恥ずかしくて顔から火が出そう。急いでバスに乗って、いちばんうしろのほうへ行く。
その人は、前に行ったみたいだった。
――よかった。
これでそばに来られたら、あたしもう、バス降りちゃうと思う。
でも、どこの人だろう?
いまどき珍しい、うちの学校とよく似た、詰襟の制服だった。
この路線を使う高校って、たしか幾つかあったと思う。けど詰襟なのは、うちの他はどこだったろう?
気になって、バスに揺られながら考える。
詰襟で、この路線でって言ったら――。
「一高?」
思わずつぶやいちゃって、周りの人が変なふうに思ったんじゃないかって、また顔が赤くなっちゃったり。
けど、きっとそう。このバスに乗るのはほかにないって、りえが言ってたから。
頭いいんだな、って思った。この辺でいちばんの高校だから。
あたしの高校なんて、ほんとに並もいいとこで、誰でも行けちゃう普通のとこなのに。
そんな人の足踏んじゃったんだって思ったら、よけい鬱になっちゃって、どんよりした空を見るのも嫌な気分だった。
翌日もまた、朝から雨。今年はわりと、雨が多いと思う。
「うっとおしいなぁ」
思わずそんな言葉が、口をついて出てみたり。
雨の日のバスは、車内でも濡れるからイヤ。自分の傘だったり、ほかの人のだったり。
靴下の替えとタオルは持ってきたけど、制服の替えなんてないし。
それにしても昨日みたいなこと、しないようにしなくちゃ。
そんなこと考えて、ちょっと力入っちゃったり。
「オッス、志乃! 長靴はかねーのか?」
「履くわけないでしょ。早く行きなよ、また乗り遅れちゃうよ?」
「うぉ、ヤベぇ、じゃぁな!」
幼なじみったら、濡れててすべる駅の階段、二段抜かしで駆け上がってった。
運動神経いいヤツだから転びそうになくて、それはちょっと羨ましいなって思う。
それから、バスの列に並んで。
「あの……」
声かけられて振り向いて、心臓が止まりそうになった。
――あの人だ。
顔なんてよく覚えてなかったのに、そんな直感。
「あのとき、その、大丈夫?」
「あ、はい、だいじょうぶです、っていうか、その、こっちこそすみません!」
なんかもう、自分でもなに言ってるんだかよく分かんなくて、すっごく自己嫌悪。
きっとあたしいま、顔なんて真っ赤。
だって一高の人の足踏んじゃって、そのままロクに謝りもしないで、しかも向こうからまた声かけられてとか、恥ずかしすぎ。
「えっと、あの、あたし中央校で、だからいつもこのバスで」
あぁもうサイアク。あたしってば、なんで自己紹介とかしちゃってるの?
「そう思ってた。その制服、珍しいから」
「あ……」
たしかにそうかも。
うちの高校って、女子はセーラー服。だから有名デザイナーが作った制服なんかと比べるとイマイチ。
それなりに人気はあるらしいけど、デザインとか色とか古いし。
「この制服、でも、やっぱりイケてないから」
「そうかなぁ?」
びっくりして顔を上げる。
「そう、ですか?」
「うん、いいと思う」
自分のこと褒められたとかじゃないのに、なんか顔がほころぶ。
それから、気づいた。
「やだ、バス……」
「あ、行っちゃったね」
二人で思わず笑っちゃったり。
「俺、ふだんはチャリでさ。雨んときだけ、バスなんだ」
そうなんだ、と思った。
そして雨も悪くないな、とも思った。
その日からあたし、バカみたいだと思ったけど、てるてる坊主逆さに吊るしたりして。
一高のあの人は言ってたとおり、雨の日だけバス。
会えるのは、雨の日の朝だけ。だから雨が待ち遠しい。それが一ヶ月くらい続いてる。
幸い今年は雨が多くて、あたしにとっては嬉しかった。何回会えたかな? 毎日じゃないから、ぜんぶあわせても十回ちょっとかも。
「志乃あなた、このごろどうしたの? まぁちゃんと早く家を出られるなら、それに越したことないけど」
お母さんとか、そんなこと言う。
「だって、もう高校だし」
テキトーなこと返しとく。ほんとのこととか、知られたくないし。
ともかくいつものバスに遅れないように、早めに家を出て、ちょっとうきうきしながら傘さして歩いて。
あの人は今日も、同じ時間に来てた。
「おはよう、ございます」
まだいまでも挨拶するとき、すっごくどきどきする。
一高なだけあって、話してても頭がすごくいいの分かるし、いろんなこともちゃんとしてるし。
やっぱり違う世界なんだなぁ……って思ったり。
そうやってるうちに、なにがどうなったのか、誕生日の話になった。
「あたし、十二月二十四日で」
「クリスマスイブ? 覚えやすいね」
いままで何回言われたかわかんないことを、また言われちゃう。
「けど、そのせいでプレゼントとかケーキとか、一回にされちゃって」
「あー、そうなっちゃうんだ。俺はふつうの日だから、それはなかったな。こんどの十二日だし」
「あ、じゃぁもうすぐ?」
「うん。
――あ、降りないと」
ちょっと会釈して、彼がバスを降りる。それを見送りながらあたし、ほんのりハッピー気分。
とっても、いいこと聞いた。
何か贈ろうかな……。
次の日曜日、あたしは隣駅の街に買い物に出た。
昨日も今日も珍しく、いいお天気。だから一気に夏模様。
ホントは仲よしの子といっしょの予定だったんだけど、急に都合悪くなっちゃって、でもあたしは買わなきゃいけなくて。だから、ひとり。
いっしょにお茶したり、したかったんだけどな。
ひとりで歩いてるのって寂しいから、どうしても必要なものだけ買って、さっさと帰ろうとして。
そうだ、って急に思いだした。
もうすぐ七夕。それが過ぎたら、あの人の誕生日。
もうちょっとで梅雨明けしそうだし、そのあとは夏休みだし。そうしたらもう、会えないだろうし。
だから、何かプレゼントしようかな、なんて。
でも、何を贈ろう?
おかしなもの贈ってハズシたら、すごい嫌われそうだし……。
ハンカチとかつまんないし、ノートとかペン類じゃ小学生みたいだし。女子ならカワイイ系で大丈夫だけど、男子ってなにがいいんだろう?
って、その前にいきなり贈ったりして、ヘンな人と思われたらどうしよう。
なんか頭の中がグルグルしてきちゃって。
それできっと、ぼーっとしながら歩いてたんだと思う。前から来た人に気づかなくて、ぶつかりそうになった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭をさげる。
ほんとにあたしってば、そそっかしい。
「だいじょうぶ?
――あれ?」
声を聞いて、驚いて顔を上げて。
「朝の……」
いつもバスで会う、あの人だった。
そして隣に、手を繋いでる可愛い女子。
「カズくん、知り合い?」
「あ、うん、知ってる子」
頭よさそうな、あたしと同じくらいの年の女の子だった。
「ごめんね、大丈夫だった? カズくん、いつもボーっとしてるから。
ほら、ちゃんと謝りなよ」
「あ、その、ごめん。大丈夫?」
促されて、彼が謝る。
――カノジョだ。
そう直感した。
「ホントにごめんね、この人いつもこうなの。クラスでもボーっとしてて、先生の話聞いてないし。
なのになんで、成績だけはいいかなぁ?」
同じ高校で、同じクラスで、彼と手を繋いで歩ける子。
「ユミ、ふつう赤の他人にそこまで言うか?」
「だって事実でしょ。
怪我とかしてない? 服、だいじょうぶ? あ、そうだ、よかったらお茶しない? お詫びにおごるから」
明るくて、誰とでも仲よく出来て、よく気がついて、頭もよくて。
こんな人と比べたら、あたしって……。
「あの、ホントに大丈夫です。ごめんなさい、失礼します!」
逃げるみたいにして、そこから離れた。
なんだか涙が出てくる。
――あたりまえ、だよね。
よく考えてみれば、頭がよくて優しいあの人に、カノジョがいないわけない。
なのにあたし、ちょっと喋ったくらいで舞い上がっちゃって。
ばっかみたい……。
自己嫌悪満載で、駅前でため息。
「なんだ志乃、おまえこんなとこで、何してんだよ!」
いきなり大きな声で呼ばれて、そっちを見る。
幼なじみの隼人だった。
「なにって、買い物。もう済んだから、帰ろうかなって。てかあんたこそ、こんなとこで何してんの?」
部活か試合の帰りなのは、格好見れば分かるんだけど。でもわざわざこの駅で、電車降りた意味がわかんない。
「何って、腹減っちゃってさ。家のほうまで行くと、ロクな店ねーじゃん」
「なにその理由」
なんかもうコイツったら、いつもこんな。
「てかさー、おまえも食わね? いつも行く店のオバチャン、たまには誰か連れて来いってウルセーんだよ」
「ふつうさ、そういう理由で女の子誘うかな。誰でもいいみたいじゃん」
ほんとデリカシーないって言うか、呆れちゃう。
「ともかく行こうぜ。腹減って死ぬ」
「もう……」
仕方ないから、ついてくことにする。
でもおかげで、ちょっとだけ気が晴れた。
ふと見ると、通りに設置されてる大型スクリーンが、天気予報映してた。梅雨明け宣言だ、って言ってる。
雨は好き。でも嫌い。
そしてもう、青空の夏。