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風鈴が鳴るとき
作者:貞次シュウ
夏ホラー2007への参加作品です。他の作家さまの作品も是非ご覧下さいませ。
「ありがとうございました」

ネットカフェのカウンター内。チェックアウトした客を送り出した女の店員は、さっそく空いた席の清掃をしようと狭い通路に足を向けた。

一見して静かだが、小さく区切られた空間には押し込められるように多くの客が入っている。今日も盛況であるのは間違いない。

目指す席を目前にしたそのときだ。店員はその音を聞いた。


ちりん……

(風鈴?)

このような場所にはおよそ似つかわしくない澄んだ音色。鳴った方向を確かめようと耳を澄ませたが、音の余韻は男の悲鳴にかき消された。

「うわあっ!」

(え?)

声の方向はトイレのほうからだ。低い壁越しにその方向を見てみると、トイレのドアに首を挟んだ男が、胴体を揺らしてもがいていた。

(なにしてんのよ)

店員は悪ふざけでもしているのかと思っただけだ。注意しようとそばへ行くと、しかしその状況は想像を超えたものだった。

「お客様? ちょっと──」

首へ食い込むドアの圧力が尋常ではない。少し太った体がすでに痙攣を起こしている。

「誰か居るんですか! ちょっとやめてください」

中からドアを無理やり閉めようとしている人間に対して怒声をあげ、押し戻そうと力を込める。しかし、まるで鉄の壁を押しているかのように微動だにしない、どころかその圧力はますます強くなってきた。

「お願い! やめて」

その叫びと同時だった──

ドスンという激しい音とともにドアは閉ざされ、店員の視界が真っ赤に染まる。大量の血を噴き出しながら、男の体が足元に崩れ落ちた。そこには当然、ついているはずの首は無かった。

「ぎ……ひ……」

あまりの光景に声も出せない店員は、そのまま血の海のなかに腰を落とし、そして意識を失った。

様子を伺おうと顔を覗かせた別の客の悲鳴が連鎖し、店内は騒然となった。別の店員も怯えて役に立たない。救急車と警察を呼んでいるのは客の一人のようだ。


やがて騒ぎが収まろうとするころ、誰かがぽつりと漏らした。


「呪いの……動画──」



ちりん……

窓の外に吊るした風鈴が夜風に揺れて透明な音を響かせた。その澄んだ音色とは対照的に、6畳1間の狭い室内では一組の男女がにらみ合っている。

正志は顎に伸びた無精ひげを引っ張りながら、正座をして自分を睨み据えた美咲を睨み返すと一閃、右手を相手の頬に飛ばした。


軽い破裂音が風鈴の音を掻き消し、さらに男の罵倒が散らかった部屋に響く。

「男が出来たんだろ。ああ? そうなんだろ!」

さらにもう一度激しい音が薄い壁を震わせると、横に崩れた美咲の鼻から一筋の赤い糸が畳にしたたった。

「もう……いや……」

その静かな声を聞いた正志は我に返ったように表情を凍りつかせ、慌てて女の肩を抱いた。

「ごめん美咲。だって……別れるなんて馬鹿なこと言うからつい……」

「いつだってそうじゃない! ちょっと嫌なことがあったらすぐ暴力」

正志の手を振りほどき、鼻血を拭いながらそれでも厳しい目を向ける。それは美咲の決意のほどを伝えていた。その視線にうがたれた正志は耐えることが出来ないのだろう。それを振りほどくように再び暴力に訴えた。

「お前が悪いんだ! 俺のせいじゃない。お前が俺に暴力を振るわせるんじゃないか!」

「何言ってんのよ! 誰がアンタを養ってると思ってるの? 仕事もせずにパソコンばっかりいじって……」

今度は骨のぶつかるような衝撃音だった。正志の握り締めた拳が美咲の顔面に力任せに振り下ろされたのだ。

痛みに顔を押さえてうずくまる美咲を見下ろす男の表情は蒼白だった。

「俺をバカにするなよ。俺を誰だと思ってる」

美咲は答えない。代わりにわずかに頭を左右に振った。

「お前みたいな高卒のバカ女に俺を見下す資格なんかないんだよ。くだらない人間の経営する会社で雇われるなんてバカのすることだろうが!」

インターネットで知り合った頃、正志の語る夢のような話を信じた美咲は、しかし付き合いだしてすぐに正体を掴んでいた。

だが、自分の淫らな姿を隠し撮りされていたことを知り、別れればそれをネットに流されるであろう事態を恐れ、今日に至ってしまったのだ。


しかし先日、正志が実家に金を無心に行った隙をついて、ついにそのデータや焼かれたDVDを押さえることが出来た。別れるというよりは逃げるといったほうが正解だ。

もう暴力だけでは縛り付けられないことが美咲を強気にさせていた。


「IT企業を立ち上げるですって? 一日ネットに逃げてるだけでそれが出来るとでも思ってるの?」

美咲は立ち上がり、血塗られた顔を歪めて笑った。

「バカじゃないの? アンタ」

この瞬間、正志の理性は再びスイッチを切り替えた。両手を細い首にかけ、躊躇無く力を込めた。

「もう一度言ってみろよ、このクソ女!」

思いがけない圧迫感に死の恐怖を見た美咲は、必死の抵抗を見せる。一方、目前に眼球が飛び出さんばかりにもがき苦しむ女の顔を眺めた男は、白い歯を見せて笑った。

正志の下半身に熱いものが流れ込む。かつて感じたことのない快感に、その股間にあるモノは痛いくらいに膨張した。

その快い痛みがやがて軽い扇動を誘い、それは手に力を込めるとさらに胸を熱くさせた。もはやその快楽に抗うすべはない。

やがて手の中の女が力を無くして崩れ落ちると、正志はそれを恍惚の表情で眺めながら自身の欲望をブリーフの中に吐き出した。


ちりん──

荒い息を吐く正志の耳に、透明な鈴の音が聞こえてくる。

窓の外を見やると、そこには美咲が買ってきた青い風鈴がゆるゆると揺れていた。最初に彼女に貰ったプレゼントだ。

「こんなもの……」

正志は無造作にそれをむしりとると、二階の窓から外に投げ捨てた。暗い夜道に鋭い音が響き、そしてすぐに静寂が戻った。


部屋に目を戻すと、つい先ほどまで生きていた美咲が横たわっている。それを眺めて正志の胸に湧き上がる感情は悲しみではない、哀れみでもない、抑えきれないまでの興奮でしかなかった。

顔を紅潮させ、下半身に粘つく欲望の果てすらむしろ快感に思えてしまう。その欲望の元は萎えることなく、再び力を漲らせていた。

苦悶の表情を張り付かせて息絶えた女に覆いかぶさると、薄ら笑いを浮かべたままブラウスの胸元に手を掛け、その衣服を脱がせにかかる。しかし、その手はすぐに動きを止めた。

少し考えるような素振りを見せると、押入れから一台のビデオカメラを取り出す。口端をゆがめ、興奮で震えが止まらない指で電源ボタンを押すと、こらえ切れなくなったのかその笑いが鼻孔から抜けた。



やがて録画ボタンが押されると、ファインダーの画面には動かない美咲が映りこむ。それを覗きながら、正志は宣言するようにコメントを入れた。

「メス豚に審判を下す!」

言うなり衣服を片手に持ったハサミで切り裂き、再び射精しそうになる己を律しながらカメラを操作する。そして死体を陵辱し、もてあそび、二度三度と射精をした。その様子は余す事無くDVDに焼き付けられていた。男を駆り立てるものは性的欲望だけではなかったのだ。


場面が変わったファインダーは、今度は歪んだ形でバスタブに押し込められた美咲を映していた。一糸まとわぬ姿にされた体は卑猥な落書きと精液で汚されている。

「イマイチ締まりが悪いのは男と遊んでたからだと判明した。よって斬首の刑に処す」

正志の身勝手な声明は狭いユニットバスの壁に反響して、一種人間とは思えない声色を見せた。

先ほど購入してきた出刃包丁を見せ付けるように映すと、その刃先を死体の首にひたと押し付ける。

「さあ、刑の執行だ!」

恍惚とした表情を浮かべた正志はいったん包丁を振り上げると、その首めがけて切っ先を突き刺した。

その瞬間カメラが真紅に染まる。いや、正志の視界も真っ赤に塗りつぶされた。

「わあ!」

思わず顔を手で遮ると、カメラの画像がぶれた。すでに息絶えて二時間は経つ死体がおびただしい血液を噴き出し、人もバスルームの壁も天井さえも血に染めた──


その夜、動画投稿サイトに一本の動画がアップロードされた。



(うっわー……こりゃエグわ)

深夜、新着コンテンツからその動画を拾った男は目を輝かせた。ショッキングな映像ばかり追っているとたまにこんなモノが拾えてしまう。インターネットは刺激を求める男にとっては楽園だった。

CGだろうとは思っているが、そのリアリティはまさに本物と区別がつかないほどだ。興奮したようにパソコンのディスプレイに身を乗り出し凝視した。

死体の陵辱の果て、クライマックスは斬首の動画だ。なかなか切れない女の首がようやく切断されると、撮影者がその首を持ち上げて宣言するようなコメントをしている。それは凄惨を極めた映像だった。

『処刑終了! 社会のゴミがひとつ処分できました』

(おおー、すごいわコイツ)

胴体のないむごたらしい女の顔がアップになると、そこで動画は終了した。その最後の画面をしばらく眺めて頬を紅潮させていたが、しかし──終わったはずの動画が再び動きだすと、男はもう一度身を乗り出した。

(あれ?)

白目を剥いた眼球がぐるりと回る。まるで男が観ているのを知っているかのように、女の首が画面の向こうから睨み据えた。

興奮が恐怖に塗り替えられてゆく。

背筋は凍りつき、身じろぎひとつ許さない。目を背けることも出来ないその男に向かって、女の口が開いた。その表情は余りにもおどろおどろしく、そしてドス黒い恨みに塗りつぶされていた──


『お前も呪ってやる……』


生首がそう吐き捨てると、血の飛沫が目の前のパソコンに叩きつけられた。

「うわあ!」

反射的に声を上げた男は、しかし次の瞬間には何事もなかったかのように整然としているパソコンデスクを眺めていた。

(なんや……今のは?)

呆然と椅子にもたれて画面を眺める男。しかしその画面はすでに光を失い、電源が落とされていることを示している。余りに奇妙すぎる現象に全身を総毛立たせていた。いや、本当に寒いのかも知れない。部屋の空気が変わったような気がしてならなかった。

(何か……おるんかいな?)

異様な気配が見張っているような気がする。縛り付けられたように体が思うように動かせない。

(そういや、今日はお盆やったな)

そんなことに気がついてしまった自分を恨めしいと思う。それでもいったん目を瞑り意を決すると、恐怖の糸を引きちぎるように振り返った。

そこはやはり、いつもの雑然とした部屋の風景でしかなかった。エアコンがかすかに音を立ててウィングの動きを止ようとしている。

(なんや、冷やしすぎかいな)

胸に飲み込んでいた息を吐き出すと、リモコンを手に取り何度か電子音を鳴らした。ついでに気分を変えようと思ったのだろう。財布を手に取ると、近くのコンビニへ行こうと部屋を出た。


歩いて2、3分の距離だ。ほどなく夜中でも煌々と明かりを灯すコンビニが見えてきた。こんな時間帯にわざわざ信号を守ることもないのだが、渡ろうとした交差点は左折をしてきた一台のトラックに遮られた。

足を止めた男。その耳にトラックの騒音を縫うようにして静かな音が割って入る。



ちりん……


(風鈴?)

信号が変わろうとしていたせいか、スピードがやや速い。平積みのボディに建築廃材を大量に積んだトラックは曲がる際に大きく車体を傾けた。

音に気をとられていた男が注意を取り戻すと、目の前には廃材を撒き散らしながら横転するトラックの姿があった。スローモーションのように鮮明に映るのは、バラバラになってゆく雑然とした積載物。

その中から不自然なほど大きなガラス板が飛び出すのを、男は見た。

「事故か?」
「なになに?」

静かな街に響く激しい音に、店内の人間が外を注視する。

横転したトラックのタイヤが微かに回り、コロコロと静かに低い音を立てていた。


店内から飛び出してきた店員や客は最初そのトラックに目を向けたが、やがて廃材のそばの人物を見て悲鳴を上げた。腰を抜かしてへたり込む者、思わず嘔吐するもの、蒼白なまま立ち尽くす者。


歩道の脇で座り込んでいる男がひとり。その首の上には、乗っているはずの頭は無かった──



『呪いの動画って知ってる?』
『なにそれ?』
『観たら首切って死ぬってやつ』
『面白い、URL貼れ』
『知らないけど、どっかの動画サイトにあるらしい』

早くもネット上ではこのような噂が広がり始めている。しかしそれを見たという人間の記事を見たものは誰一人として出てこない。それがむしろ信憑性を高め、ネットユーザーはこぞって動画サイトに殺到した──



その頃、こんな新聞記事が話題となった。

25日、○○市のアパートで腐臭がすると住人から通報があり警官が立ち入ったところ、首を切られた男女2人の死体が発見された。女性はバスタブの中で発見されたが、男性はパソコンに向かった状態で首を何者かによって切られていた模様。女性を殺害した凶器は室内にあった包丁と断定されたが、男性の首は強い力でねじ切られたような状態で凶器は不明。警察は殺人事件と断定し、犯人と凶器の行方を追っている。
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