年上上司のマッサージ
癒し系小説が書きたくて。本命のハンドマッサージが、ようやく書けました。
「これで最後っ、おわったー」
折り畳み式のパイプ椅子を並べ、今日の仕事は終わり。
気づけば、夜の10時もまわろうかという時間帯だった。
「精がでるな」
カフェの煙を燻らせながら、やって来たのは30代後半ほどの細身で眼鏡の男。
私は被っていたキャップを外し、姿勢を正して敬礼した。
「団長、おつかれさまです!」
かしこまった私に、彼はふふっ、と「そんな固くならくても」と笑った。
彼は私の所属する劇団の団長兼、オーナーである。そして、なかなかの男前だ。
手にはカップが二つ。その一つを私に差し出すと、団長は眼鏡の奥の目を細めて会場を見渡した。
「僕もちょうど上がろうかと思って、まさか君一人が準備してるなんて思わなかったんだ。手伝ってやればよかったな」
「いいえ、途中まではリーダーとやってましたから」
作業後半になってリーダーのお子さんが熱を出したらしく、先に帰らせたのだ。
そう説明すると、団長は納得したのか「ふむ」と言ってカップを口に運んだ。
音をたてて飲むような真似はしない。団長は上品な人だ。
「でも疲れたろう。このパイプ椅子、ほとんど君が並べたんだろう?」
「はい。まあ、それなりには…」
確かにつかれたが、力仕事はなれている。
私がこの劇団に入団してはや半年が経った。演劇が盛んなこの街で、そこそこ中堅だったこの劇団の団員は多く、私の仕事はまだ下働きが中心だ。
そんなこんなで、力仕事は進んでこなすのが常となっている。
「手、疲れてないか?」
団長が労りのこもった目で見てくるので少しこそばゆい。だが、労われるとやはり嬉しい。
「いやぁ、まぁ、でも、大丈夫ですよ」
今回の会場は廃校の体育館だったから、ざっと200は並べた。確かにかなり疲労が溜まっている。
団長は再び「ふむ」といって、カップをパイプ椅子に置くと、私の手をとった。
「ちょっと揉んでおくだけでも、明日かなり違うから」
そう言って、私の手のひらを両手で持つと、手の中心を親指でぐいーっ、指圧してきた。
びびび、と快感が頭まで駆け抜けた。
突然触られて私は固まったが、それ以上に団長の手が暖かく気持ちがいい。
何時のまにやら筋肉が固くなっていたのか、親指の付け根辺りがじんじんする。
「あ、ごめん」
ふと、団長が手を離して顔の横で万歳をした。
武器なんて持ってませんのポーズである。
「僕が触ったらセクハラになっちゃうな、忘れてた」
「えええ!」
そんな馬鹿な、がっかりだ!…感情が顔に出てたのだろう。
団長はポカンとしたあと、くすっ、と笑い、「こんなおじさんでよければ」とまた私の手をとった。
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「じゃ、楽にして」
パイプ椅子を一組向い合わせにして、団長のハンドマッサージが始まった。
できたらあった方がいい、とのことで、最近買ったばかりのハンドクリームを渡す。
「ありがとう、こっちもあった方が楽なんだ。摩擦が痛いからね」
持っててよかった。
団長はハンドクリームを私の右手に少しつけ、まずは念入りに刷り込みはじめた。
「痛かったら、直ぐ言ってくれよ」
手のひらを大きな両の親指でぐにぐにと押し、刷り込む。
ひっくり返して手の甲も。
「足や顔のように、手にも沢山のツボがあるんだ。こうしてほぐしてあげると、疲れがとれるしリラックスできる。僕もよく自分でやるんだ」
そう言って団長は、よくクリームを塗り込んだ私の手のひらを、横に伸ばすように両手で持った。
左手の人差し指と中指の間に私の親指を挟み、右手の人差し指と中指の間に私の小指を挟む。
そうすると、ちょうど団長の両の親指が、私の手のひらの中心に圧を加えるように収まった。
これだけでも気持ちがいい。手が左右に引っ張られて、普段伸びない筋肉が延びているのがわかる。
「親指の根元と、小指の根元から伸びてる筋肉って、結構大きいだろう?ここをほぐすと結構気持ちいいんだ」
手のひらを指先に向かってハの字を書くようになぞる。
じんじんとした気持ちよさが、腕をかけ上がって、頭がぽーっ、となってくる。
またしても表情に出てたのだろう。団長はクスクス笑いながら、「これ気持ちいいんだよなー」と優しくたっぷりとハの字をやってくれた。
ハンドクリームの甘い香りも手伝って、夢見心地といった感じだ。
「次は両サイドね」
手のひらのちょうど両脇を、団長の親指の腹と人差し指でぐりぐりと揉む。
「次は指」
水掻きを親指と人差し指でつまみ、優しく揉む。
指を一本一本丁寧に握り、少しだけ引っ張る。爪も優しく親指の腹で指圧する。
「爪はさ、末端だから神経が集中してるんだろうな。僕はここやられるの好きなんだ」
爪の根元を押しながら軽く擦り、指の両サイドも優しくつまむ。
至極ゆっくり、丁寧に丁寧にマッサージは進んで行く。
「ネイルリフレクソロジー流行らないかな、っていつも思ってるんだけど、僕だけなんだろうな」
なるほど団長のいう通り、爪を擦られるとゾクゾクするほどに気持ちがいい。
団長、その気持ちわかります。鳥肌がたっているのが証拠です。
「手のひらは終わり。つぎは手の甲」
手の甲も、先ほどの手のひらのように両手でもち、ハの字を書きながら押して行く。
手首の上まできたら、出っ張った骨の横を優しくなぞる。絶妙な力加減に、もう骨抜きにされてしまったよう。
「はい、おしまい。じゃあ左手に移ろうか」
これで終わりと思っていた私は、喜び勇んで左手を差し出した。
「じゃあ、またクリームを塗って、っと。君、生命線ながいなぁ」
団長が、珍しくビックリしたような声をあげた。
団長、お陰さまで、また寿命延びちゃったかもです。
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「いやぁ、ハンドクリームたくさん使ってしまって悪かったなぁ」
帰り道、団長と並びながらもう冷めてしまったカフェをすする。
「いいえ、むしろ至れり尽くせりってかんじでした」
私がそう言うと、団長は優しく「それはよかった」と微笑んだ。
「それはそうと、お腹すかないかい?」
団長から魅力的な提案。マッサージの後の美味しいご飯、こんなに贅沢していいのだろうか。
「団長、」
もちろん返事は決まってる。
「美味しいつけ麺屋さん、知ってますよ」
「いいね、僕もちょうど食べたいと思ってた」
夜はまだ長い。二人の距離がもう少し縮むのは、まだまだ先だ。