海が呼んでいるPDFで表示縦書き表示RDF


夏ホラー2007参加作品です。
こちらの作品は「おとなの夏ホラー」にもエントリーしています。
恐怖の夜をお楽しみ下さい。
海が呼んでいる
作:きよこ


 ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。
 ただ……彼女と出会ったのは、そういう運命だったのだと思うんです。



「今から話すことを信じてくれる? 私の話を信じてくれる?」

 彼に話したあの出来事。私が体験したことをお話したいと思います。
 




 彼と別れたのは、夏が始まってすぐのことでした。五年付き合い、その内ニ年は同棲をしていました。最近、彼の帰りが遅いのと、休みの日に一人で出かけてしまうことが多かったから、怪しいとは思っていたんです。

 彼は浮気をしていました。いえ、浮気ではありません。本気になってしまったのですから。

 彼と出会ったのは二十歳の時。色んな女と遊ぶ時期に、私ただ一人と向き合ってきた彼が、忘れかけていた刺激やときめきにあっという間にのめり込んでいってしまったのは、今思うと仕方ないことなのかなと思うのです。
 だって五年も付き合っていたんです。刺激やときめきなんてほとんど皆無だったので、ただ惰性で付き合っていたのかもしれません。現に彼に対して「ほんとに彼のこと好きなのかなあ?」って思ったりすることがあったのですから。
 私がそうだったのだから、彼も同じだったのだと思います。

 彼に「他に好きな人が出来た。別れよう」と言われた時、私は彼を失いたくないと思いました。私は、ずっと変わらず彼が好きだったんです。大切だったのだと気付くのは失った瞬間だという言葉をよく聞きますが、それは本当でした。
 私は彼が本当に心から好きだったのだと、この時やっと気付いたのです。

 私は彼を失いたくなかった。彼が好きだった。

 けれど、彼は違いました。「お前に対して確かに情はある、でも恋愛の感情はもう無い」そう言ったのです。

 ショックでした。


 五年もそばにいた人がいなくなる、空虚感。
 どうすれば彼は私の元へ帰ってくるの? どうして私を裏切ったの? 私はこんなに好きなのに。彼と離れたくない。彼がいないと生きていけない。あなたがいないなら死んでしまいたい。私はそんな風に思いつめていったのです。

 何も手につかず、食事も喉を通らない日が続きました。仕事だって上の空でやっていたのですから、お盆休みがすぐだったのはある意味良かったのかもしれません。
 私の状態を心配した友人が、海に旅行に行こうと誘ってくれたのです。
 こんなつらい状況の時、心配してくれる友人ほど、頼りがいがあるものはありません。
 ですが、これが私の恐怖の始まりになってしまったのです。


 車で二時間ほどにある海水場。そこのすぐそばにある旅館に、私と友人合わせて三人で泊まりました。
 初日は近くにある水族館を訪れ、夜には浜辺で花火をして遊びました。
 彼のことが脳裏にちらつくことがあったけれど、久しぶりに彼とのことを忘れることが出来ました。

 夜の浜辺は真っ暗で、重油を流したような黒い海が白く泡立ちながら波打っていました。
 私は花火を片手に持ち、波打ち際に近付いたんです。
 花火の光が足元に押し寄せる波に映り、とても綺麗でした。
 つい見とれていた時です。足をぬるりと、何かが触っていったんです。それは黒くて長い……そう、まるで人の髪のような。
 それが見えた瞬間、ふっと花火は消えてしまいました。
 悪寒がしました。その髪のような物体の合間に、花火を映す何かが二つ――目のようなもの――見えた気がしたから。

 思えば、私と彼女が出会ったのはその時だったのだと思います。


 その日、私は金縛りにあいました。どんなに体を動かそうとしても全く動かず、汗だけが流れていました。
 隣に眠る友人たちはすやすやと寝入っていて、私が金縛りにあっていることに気付く様子はありませんでした。
 私は目をつぶり、そこにいる何かを見ないように必死になっていました。感じていたんです。ずぶぬれになった髪の長い女がそこにいることを。
 私の顔にぴちゃりぴちゃりと垂れる水。青白い肌には生気なんてものはまるで無く。青いワンピースは濡れていて。長い髪は顔に覆いかぶさり、そのせいで表情を見ることは出来ませんでした。かすかに見えた唇は真っ青で、ところどころに血の塊のようなものがついていました。
 彼女が私を覗き込むような体勢を取っていたから、彼女の長い髪から水が滴り落ち、私の顔に落ちてきていたのです。
 目をつぶっていたのに、私にはそんなことまでわかりました。
 叫びたいのに声は出ず、指一本動かすことも出来ませんでした。
 海の香りが、あたりに漂っていました。
 真っ黒な海。息が出来ない苦しみ。きらきらと水面に映る月光。他の女に彼を取られた悲痛な叫び。彼への恨み。思慕。それは私の苦しみのようでいて、私のものではありませんでした。
 きっと私と同じような体験をした女の霊――この海で自殺した女の霊なのではないかと思います。
 どうしてなのかわからないけれど、そう思ったんです。
 彼女は唇をわずかに動かし、私に訴えかけてきました。

「アイツノセイデ……」





 目が覚めると朝でした。昨夜の出来事は夢だったのだと信じ、私は友人たちと海に赴きました。
 けれど、海に入る気にはなりませんでした。
 だって、見えてしまったんです。波間波間に漂う、ぬらりとした黒い髪を。
 明るい太陽の下で、そんなものが見えるわけがないと否定したのですが、さすがに怖くて、海に入れませんでした。




 家に帰っても、胸の中に巣食う恐怖感は消えませんでした。
 彼と暮らしたこのアパートに、もう彼はいません。
 たったひとりの部屋にいることが、いわゆる霊体験をしたあとですから、怖くて仕方なかったんです。
 テレビは常につけたまま電気もつけたままにして、私は恐怖に耐えることにしました。
 あれは死者の多い海に行ったからこそ見たもの。家でまでそんな体験をするなんて思っていませんでした。

 お風呂に入っていた時です。
 シャワーを浴び、さあ湯船に浸かろうと風呂桶に目線を移した時でした。
 風呂桶一杯に広がる髪が、ゆらゆらと揺れていたのです。その合間から、血走った目がこちらを睨んでいました。
 声にならない声をあげ、私は体も拭かずに風呂から飛び出ました。心臓はうるさいほどバクバクと音を立てていました。

 テレビがついた部屋に逃げ込んだ私の耳に届く、かすかな音。ヒタヒタと素足で歩く音。ピチャリピチャリと水が垂れる音。それはゆっくりとこちらに近付いてきていました。
 突如テレビと明かりが消え、静寂と暗闇が襲ってきました。風呂場の方からこちらに音は近付いてきます。ヒタヒタと。ピチャリピチャリと。
 ドア越しにあの髪が見えました。
 私はあまりの恐怖に震え上がりながら、その辺に転がっていたワンピースを急いで着ると、窓から外に出たのです。
 住んでいたのが一階だったのが幸いでした。


 私はそのまま近くのコンビニに逃げ込みました。煌々とついた光が私を現実に戻してくれたような気がしました。
 濡れた髪と裸足の私は、コンビニの店員から見たら、相当怪しかったと思います。
 コンビニのガラスに映る私を見て、私は危うく悲鳴をあげてしまうところでした。濡れた髪。青いワンピース。そして素足。あの幽霊と全く同じ姿をしていたのです。




 家に戻ることも出来ない私はどうすればいいのかわからず、彼に助けを求めることにしました。こんな時に来てくれるのは、彼だけだったから。携帯電話で彼を呼び出したのです。




 彼は私の尋常ならざる状態に驚いて、駆けつけてくれました。
 コンビニまで迎えに来てくれた彼の車の中で、私はこの恐怖体験を話しました。
 彼に私は懇願しました。
 海に行こうと。

 前にテレビで見たのです。霊にとり憑かれたら、その霊がいた場所に赴いて、霊をその場所に帰した方がいいと。
 私はとり憑かれてしまったのだと思います。だから、あの海に行かなければ。私は彼にそう説明しました。

 彼は迷った様子でしたが、私の必死の懇願を受け入れてくれました。
 時刻はすっかり深夜で、道路は私たちの車以外ほとんど走っていません。

 彼は道中、私にしきりに謝ってきました。
 ごめんな、と。お前が好きだったと。でももう戻れないと。


 心に闇が広がっていくようでした。
 こんな目にあった私を、彼はやはり捨てるのです。許せないと、そう思いました。私には彼が必要なのです。彼がいなければ生きていけないのです。彼が他の女のところへ行くなんて許せない。
 よみがえってくる、あの日の苦しみ。彼女の苦しみ。私の苦しみ。それはシンクロし、何倍にも膨れ上がっていきました。

 ごめんなさい。本当は私、嘘をついているんです。
 こんな話をすれば、優しい彼はあの海に連れて行ってくれると思ったから、つい嘘をついてしまいました。
 本当は、こんな体験していないんです。いえ、すべてが嘘ではありません。海で彼女と会ったのは事実ですから。
 あの海で会った彼女の嘆き、苦しみ。それを見ていたら、こうするのが一番のような気がしてしまったんです。

 だって、私は彼と離れたくないんです。

 あなたを失いたくない。ずっと一緒にいたい。他の女のところになんか行かせない。彼女のように自殺して一人で苦しむくらいなら、彼との永遠を選びたい。

 ごめんなさい。そんなつもりなかったんです。
 もしかしたら、私は彼女にやっぱりとり憑かれてしまったのかもしれせん。だから、こんな考えに至ってしまったのかもしれません。
 でも、こうなることを選んだのは私自身です。悔いはありません。



 もうすぐ。もうすぐです。彼女が死んだ海が、私と彼を呼んでいます。
 この車ごと、海に飛び込むんです。私たちの永遠の愛のために。




 ああ、海です。私には見えます。あの海の向こうに、彼と私の天国が待っているのが。
 ほら、黒くたゆむ海の、白い波間に私たちを誘う白い手が見えるじゃないですか。



 え? どこまでが本当で、どこまでが嘘だったのって?
 それは、秘密です。勝手に判断してください。
 どちらにしろ、私はもうこの世にいないのですから。


読んでいただき、ありがとうございました。

この作品は、友人が浮気しかけた彼氏に言ったという一言で思いつきました。
「女は浮気されると、人だって殺しかねないんだからね」
女は怖いというお話でした(笑)

他の方の作品もぜひ読んでみてください。
熱帯夜が少しでも涼しくなることを願っています。







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