少しだけでいいの。
そう、ほんの少しだけで。
ただ、あなたのことが欲しいと思ってしまったの。
夕暮れの金色がアスファルトに反射して、苦々しそうに目を細めた、あなたの仕草が可愛くて、私の口許は緩んだ。
蜂蜜色に染まる空気がすき。
透き通った夕暮れの中、あなたと二人で何にもないのに哀しくなった。何にもないから、哀しくなった。
私は小さな頃から、春の夕映えに胸を焦がしていた。
泣きたくなるくらい美しい春の日を私は愛し、悲しんだ。
理由は未だに解らないのだけれど、あなたを思うと私の胸、ちょうど乳房の間を鋭利なナイフで切り裂かれた様な痛みが走る。まるで、陽射のように鋭利なナイフ。
傷口は、ぱっくりと開いて鼓動と共に疼き、呼吸さえままならない。
春の陽射は私の肉体を堕落させる。板張りの床の上にシーツだけ。
私はそれに横たわり、あなたが気ままに、
のんびりと動くのを目で追う。
なにか気の利いたことでも出来たらいいのに。
そんなことを思ってみても、心ばかり焦れて、身体は動かない。
黒目だけが忙しなくあなたの背中を追っている。
どうしたものかしら、と呟いてみたところで、溜息だけが押し出された。
たとえば、ここが海岸で、私の肌の下には砂粒がやけていて、目の前に広がるのが、光のベールではなく、永遠の様に続く波の営みならば、このまま身体が沈むのを待てばいい。
波が私の身体を撫でながら、そのうち飲み込んでいくのを待ち続ければいいことだ。
叶わないのならば、あの童話の様に――消える――という選択肢があれば、ずいぶん気楽なのに。
私の胸の奥に積もっていく思いは冬の名残の白。
春の陽射は届かない。
眼球の上、薄い膜を通過する金色の粒子さえ、また同じだ。
どうして、私の身体に海が出来るのだろう。
その海はいつも哀しみを源に、あまりに深く、あまりに小さくて、儚い。
零れ落ちる痛みは、床に染みをつけた。
さようなら。
心にはいつも、深い傷を残し、情熱は去る。
あなたは無頓着なままで、支度を済ませてしまう。 私は自身に与えた感傷と愛に苦笑し、白いシーツで涙を拭った。
愛とはなにか。
陳腐で使い古された問い掛けは、唇を汚す。
汚すのは嫌いだ。汚されても、私からそうするのは嫌だ。
私は唇を閉じたまま、黒目だけを頼りに問い掛けた。
何度も、窓の外に別れを告げ、何度も、愛を告白した。
春の夕暮れ、隣の主人はスミレの様に、可憐である。 |