猫の就活
ビュービュー音を立てて吹いていた強い風も鳴りを潜め、暖かくなり日も長くなってきた。
街ではリクルートスーツを着た若者が手帳片手に忙しなく歩き回っている。就活だ。
しかし就活に勤しんでいるのはなにも人間だけではない。
俺はスッと立ち上がり、ニャーと一声鳴いて気合を入れる。
目指すは大豪邸で三食昼寝付き!
輝かしい未来に向けて足を一歩踏み出した。
俺がまず向かったのは高級住宅街。
様々な趣向の豪邸が並び、品の良さそうなマダムが闊歩している。俺はある大きなお屋敷から出てきた着物の中年女性に目を付けた。
『お忙しいとこ失礼いたします! わたくし、猫でございます。名前はまだありませんが、貴女にならなんと呼ばれても構いません!』
「まぁ、ニャーニャー鳴いて可愛い子猫ちゃんね」
女性はしゃがみこみ、俺の頭を柔らかい手で撫でた。これは好感触だ。
『ありがとうございます! 特技はネズミ捕り、趣味は昼寝です。御宅で飼って頂けたらどんなに面倒臭くても飼い主の方の遊びに付き合い、愛玩動物としての責務を果たさせて頂きます!』
「うふふ、本当に人懐っこい猫ね。でもゴメンね、うちフェレットを飼ってるから」
『えっ、あ、御宅ではネズミ捕りしませんから!』
「じゃあまたね子猫ちゃん」
『待って! ティッシュでイタズラもしないし電気コードも噛まないから!』
「あなたが良い飼い主さんに巡り会えるよう祈ってるわよ」
俺の必死の声も届かず、女性はどこかへ歩いていってしまった。
なかなかの好感触だっただけにショックは大きい。しかしずっとへこたれている訳にはいかない。まだ一軒目、就活は始まったばかりだ。
「あー! 猫ちゃんだ!」
背後からトコトコと足音が聞こえて振り返ると、制服を着た小さな男の子がこちらに走り寄ってくるところだった。
俺はビクリと震え、思わず後退りする。子供は力の加減を知らないし無茶をやるから嫌いだ。
すぐに逃げよう、そう思ったが子供の後ろにいる母親を見て俺は足を止めた。
入学式にでも行ってきたのだろうか。白い高級そうなスーツをパリッと着こなし、大粒の真珠ネックレスを付けている。よく見れば子供も有名大学付属小学校の制服を着ているではないか。
子供は好きじゃないが、子供に「猫飼いたい」と言わせることができれば内定を貰えるかも。
『ど、どうもお坊っちゃん。初めまして』
「ママー見て、可愛いよ!」
そう言いながら子供は俺にその小さな手を伸ばす。しかし後ろからピシャリと声が飛んでその手を慌てて引っ込めた。
「こら、見るだけにして! 汚いでしょう」
『にゃっ……き、汚いとはなんだ! 毎日毛づくろいしてんだぞ!』
「う、うん。でもママ、お風呂入ったら綺麗になるでしょ? 飼っちゃダメ?」
子供がそう母親に言うと、母親は俺をチラリと見て言った。
「飼うにしてもこんな血統書もないような猫はダメよ。どうせならペルシャ猫やスコティッシュフォールドが良いわ」
『おい! 猫種差別するのか! なにが血統書だクソ喰らえ!』
「とにかく今日は入学祝いにレストランへ行く予定でしょ、急がないと。さぁ行くわよ、帰りにペットショップ寄ってあげるから」
母親はそう言いながら名残惜しそうにこちらを見る子供の手を引いていってしまった。
またもや失敗だ。そう簡単に飼ってもらえるとは思ってなかったが、やはり何回も断られるというのは気分が悪い。
しかしボーッとしてる時間はない。また歩き回ろうかと立ち上がったその時、ちょうど豪邸の玄関から出て来ようとする女性と目があった。
「あっ、猫!」
女性は短く叫び、顔を家の中に引っ込めた。
家の中からバタバタという足音が聞こえる。
『おっ、エサでもくれんのかな』
期待しながら待っているとすぐに女性が玄関から勢い良く出てきた。手にはバケツを持ってる。女性はバケツを俺に向かってひっくり返した。
バケツの中身はエサなんかじゃなかった。冷たい水だ。
「シッシッ! どっか行け! 保健所呼ぶわよ」
自慢の毛から水を滴らせながら、鬼のような顔の女性の前から一目散に走り去った。
『うーっ、寒い』
体にかかった冷水は容赦なく体温を奪っていく。ずぶ濡れでは人からのウケも悪い。
こんなんじゃ就活もままならない。俺は馴染みの公園へと行き、日の当たるベンチで休憩がてら毛を乾かすことにした。
ベンチに横たわり、うとうとしていたが何だか視線を感じる。
顔を上げてあたりを見回すと、数メートル先からゆっくりとこちらに近づく若い女性を見つけた。
休憩を邪魔されたくはなかったが、女性が着ているのはリクルートスーツ。同じ就活生のよしみだと逃げないでいると、女性は嬉しそうに俺の隣に座って頭を撫で始めた。まだ生乾きだがそんな事は気にならないらしい。
「あー、可愛いなぁ猫ちゃん……」
女性は大きくため息を付き、猫である俺に話しかけてきた。
「私就活生なんだけどね、まだ中小企業の内定一つしか取れてなくてね」
『俺は一つもとれてない』
「人気なところから埋まっていくし、早く内定取らなきゃって焦るんだけどなかなかね」
『猫だって子猫の時が一番の可愛い盛りだ。年を取れば取るほど貰い手は少なくなる』
「あーあ、猫は良いなぁ就活しなくていいんだから」
『何言ってんだ、猫だって大変なんだぞ』
「なんかにゃーにゃー言ってる。会話してるみたいね」
女性はそう言ってうふふと笑う。
そして急に真剣な顔になり、俺をそっと抱きかかえて立ち上がった。
「うちのアパートペット大丈夫だったし……良いよね」
『えっ!?』
こうして俺は思いがけず就職先を見つけた。
『あーあ、思い通りとはいかなかったか』
女性の部屋は今まで見てきた大豪邸に比べると非常に貧相だ。エサも一日二回だし、安いカリカリだし。
「あーあ、思い通りとはいかないなぁ」
女性はどうやら内定の出ていた中小企業に就職を決めたらしい。本人はもっと大きな企業を希望していたようで、さっきからグチグチと文句を言っている。
「大都会のでーっかいオフィスで働いてみたかったのになぁ」
俺は彼女の座るソファへ飛び乗る。
「あ、慰めてくれるの? ありが……痛ッ!?」
俺は猫パンチを彼女の足に食らわせながら言った。
『予定外の就職も案外悪くないモンだぜ』
「か……喝を入れてくれたのかな? 分かった分かった、ちゃんとあなたを養えるよう頑張って働くから」
『おう、早くモンプチ買えるくらい偉くなってくれや』
そう言って俺は飼い主様の膝で丸くなった。