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29日目『ビーチパラソルの下で』
 天候は晴れ。カラッとした空気は日本の夏というよりむしろ、もっと地球の両極に近い地域の夏を彷彿させる。

 波打ち際には女子の嬌声が、後ろの鬱蒼と茂る林からは鳥のさえずりが、島全体を包む漣に運ばれてくる。

 宝くじにでも当たらないかぎり一生ご縁のないような贅沢極まりないバカンスを楽しんでいるのに、それにもかかわらず、俺の心はもやがかかったようにじめじめとしていた。

 ビーチパラソルの下で太陽がわずかに透けた部分を何とはなしに眺める。

 ぼやけた光が自分の心のようだと思った。

――なに悩んでんだろ。

 何が自分の心につっかえているかなんてわかってる。でも何でつっかえているのかわからなかった。

 自分でもよくわからないが、昨日のことが頭を離れない。

 昨日のことというのは瑞穂との事故のことだ。そう、事故。事故でたまたま唇が触れ合っただけなのに、妙に意識してしまう。

 当然といえば当然だが。

 自分がああいうことに不慣れなのは隠しようがない事実なのだから。

 結局あの後瑞穂は糸が切れたように動かなくなり、俺は動転した頭で、でも変に冷静になって瑞穂は起こさないようにすぐに部屋を出た。それこそ寝込みを襲った不届き者のように。

 ドアを閉めて本当の意味で我に返ったとき、自分の身体も息を吹き返したように心拍数が急に上がりだした。瑞穂の腕にからめとられた首の裏にはべっとりと汗をかいていた。その時の俺はドアにどのくらいの間もたれかかっていただろうか。

 それからは何もなかったように皆に事情を説明して、談笑して、家の中を見せてもらって、瑞穂が起きてきて飯を食って、普段通りに時間は過ぎていった。

 実際何もなかったのだ。

 そう思えばいい。瑞穂は何も知らない。俺が口を割らないかぎり、瑞穂とはいつもと変わらずに接することができる。

 あとは俺自身の問題なのだが、生憎とすぐに気持ちの整理がつけられるほど大人ではない。

 それでも昨夜は瑞穂と普通に違和感を与えることなく話すことができたと思う。事の直後に普段どおりに振舞えたのだからこれからも大丈夫だとは思うが、でも……。

 ぼやけた太陽を掴もうと手を伸ばす。

――秋人……。

 瑞穂は確かに俺の名前を呼んだ。彼女がどんな夢を見ていたのか、想像がつかないわけではない。

 しばらく空中を彷徨った手は掴むところがなくて、代わりに太陽の光を遮った。

 目を閉じた暗闇の中では望んでもいないのにあのシーンがスクリーンに映し出される。

 時々何かの曲が頭でリピート再生されて離れないように、あのシーンもぐるぐると頭によぎって止まなかった。

 しかたなく腕をどけ目を開ける。と、

「秋人、泳がないの?」

「うおっ!?」

 突然赤、黄色、青とパラソルの単調な色合いに割って入ってきた悩みの種に驚いて、身体をびくっと震わせてしまった。

「……なんだ瑞穂か」

「なんだとはなによ」

 海水で濡れた髪を片方の手で押さえ、もう片方の手を膝につきながら、瑞穂はむっとする。

「うるさい。前屈みになるな」

 フロントをリボン結びにして留めるタイプの白いビキニを着た彼女は、幼児体形とは程遠い体躯をしている。濡れた肢体が眩しすぎて、俺は視線を逸らしながら早口で言った。

「なんで?」

 なんでもくそもあるか!見えるっつーの。思うだけで口には出さないが。

「いや、いい。なんでもない」

 ややあってから諦めたように口にした。

 瑞穂は訝しげな表情をするが、機嫌がいいのかすぐに笑顔になる。

「ふーん……。それよりも皆待ってるよ」

「ああ、うん、行く」

 波打ち際に目をやると、ビーチボールが楽しげに上がったり下がったりを繰り返している。

 やっているほうは楽しいだろうが、ビーチボールからすれば毎度毎度叩かれては空中に舞って翻弄され続けるのだから迷惑な話だ。本当に。

 迷惑かもう一度頭の中で考えてから、確かめるように小さく頷いた。

 いきなり腕を抱えられる。

「ほーらっ、すたんだっぷ!」

 ぐん、と身体が上がる。

「いてっ!引っ張んなくても立つって」

 本当はそんなに痛くはなかったが、なんとなく八つ当たりの意味も込めて言った。

「うそつき。秋人一人じゃ立てないくせに」

 無理やり俺を立たせると、意地の悪い笑顔で気に触ることを言う。

 その言葉はまるで誰かがはっぱをかけないと何もできないと言っているようで、それが実際当たっているから悔しくて鼻を鳴らした。

「皆待ってるんだってば」

 なかなか動かない俺に焦れたのか、瑞穂は俺の背中をぐいぐい押して日陰から追い出した。

 日向に追いやられてわかった。アレほど弱々しかった太陽は、実はこんなにも煌々としていたのかと。

「あちいぃ……」

 日陰がどれほどに涼しいかを改めて実感する。

「親父くさっ」

「暑いものは暑いんです」

「はいはい」

 後ろ目で見やると、瑞穂は本当に機嫌がいいようで、天真爛漫な小学生みたいな満面の笑顔を湛えている。

「俺は今、知らぬが仏ってことわざの意味をしみじみと実感している」

「はあ?…うふっ、わけわかんないこと言ってないでさっさと走れ!」

「だから押すなって!」

 一人で悩んでいるのが馬鹿らしくなるほど瑞穂は楽しそうなのがむかつく。

 言いたくても言えないジレンマを抱えたまま俺は走り出した。

「みんなー!スイカ連れて来たからスイカ割りしよー!」

「は?おまっ、スイカって」

 本当に一人で悩んでるのが馬鹿らしくなった。
また一月おいての更新……。
今頃になって忙殺される日々を送っています。それが楽しいときたもんだからまったく手に負えないもので。
でも忙しいのはいいことですね(更新については……^^;)


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