イツキのいないバナバにて・話し合い
~~イリア~~
普段は明るい笑顔が満ちている、ヤムラ邸のリビング。
しかし今日のリビングからは、まるでそんな雰囲気が感じ取れない程に静まり返っている。
「・・・だからイツキさんの価値観は、どこか壊れている、と。そう言う事ですか・・」
普段の明るさ、その欠片も見えない様な重苦しい声で言うネリン様に、クーリア様が頷かれた。
恐らく、その言葉に心当たりがあるのだろう。
付き合いの浅い私のみならず、ルリィも考えこむような表情を浮かべている。
そう、考えて見れば幾らでも気付けるだけの切っ掛けはあった様に思える。
今回の切っ掛けになった、オルガ村のボガディ氏の一件もそうだが、良く良く考えればルリィ達を受け入れた事や、キリグ村からの報酬として譲渡された私を売り払う事無く、こうしてヤムラ家に迎え入れたのもその一つと言えるだろう。
ボガディ氏との一件に関して言えば、私の知っている事は少なく、また、それについて知った時期もつい最近――和解がなる数日前の事でしかないが、それでもイツキ様の対応はハッキリ言って異常だと言える。
名付き――それも『寵愛』の加護を持つ人物への対応としてもそうだが、誤解とは言え一人の人間を殺し掛け、治療を妨害した人物への対応として、あまりにも甘過ぎるのだ。
百歩譲って一度なら、一度ならばまだ解るとしよう。
話を聞いた限り、襲撃を受けたイツキ様はすぐに意識を失っており、自身の状況――死にかける程の怪我を負わされたと言う実感が薄かった様でもあるし、大事なのだと言う認識がなかったのだろうと思われる。
加えて、襲撃者はクーリア様の亡くなられたご両親の古い御友人であり、クーリア様ご自身にとっても小父と慕った人物だと言う事もあって、今回は穏便にと思われたとしても不思議には思わない。
・・・個人的には、それでも甘過ぎると思わなくはないが。
だが、それも二度、三度と繰り返された上、幾度を重ねてもボガディ氏に反省の色がないとすれば、話は別だ。
穏便に済ませると言う前提を置くにしろ、何らかの措置は講じて然るべきだろう。
如何に『クーリア様の身を案じた』結果の暴走であるとしても、行い自体は完全な『傷害』であり、『殺人未遂』なのだ。
衛兵に突き出して罪科を問うのが当然の対応であり、また、それをしないにしてもせめて村内での行動制限等のペナルティは負わせる必要がある。
そうしなければ、村長としての立場からすると村の民への示しが付かないのだから、ある意味それは当然の措置。
今回オルガ村でそれらの措置が行われていなかったのは、あくまでも被害者である『寵愛』保持者がそれを望んでいなかったが為の特例だ。
しかし、村長としての立場から考えるなら、それでもボガディ氏を村から追放すると言う方向には進んでいた筈。
すぐにそれがなされなかったのは、ひとえにボガディ氏の代わりになり得る人物がいないから、だろう。
私が育ったキリグ村も、奥様のミルギニーナ技師との繋がりもあって、ボガディ氏とも面識はあるし、時によっては様々な面で力を借りる事も多い。
ドワーフ故・・・と言うと少々語弊もあるが、武具を作る、直すと言う技能に関しては非常に高いものを持ち、それらを応用した農具の開発も積極的に行ってくれていたのだから、農業を村の生業としていたキリグ村にとっては、有難い人物でもあった。
加えて、既に引退されたものの、かつては細君のミルギニーナ技師と共に冒険者として鳴らした実力は本物だ。
キリグ同様の小さな村であり、木工を生業とするオルガ村にとっては、外貨を得る為も斧やノミと言った、木材加工に必要な器具を整備、開発してくれる技師であり、心強い戦力でもあったと言える。
そこに細君のミルギニーナ技師の彫金、建築を始めとした各種技能と、魔法適性を活かした後衛職としての戦力も加わるのだから、村としては有難い存在だったのだ。
これだけの価値があるとなると、問題を起こしたからと言ってすぐに放逐と言う訳にはいかない。
街と違い、村には魔獣や盗賊の類への備えが余りにも薄い――規模の関係上常駐する衛兵が居らず、街程の城壁も持たない村にとって、高い戦闘技能を持つ者は得難い人材であり、その人物を放逐するのであれば、今後の村の安全を考えても誰かしら代わりになれる人材を誘致してからでなければ、村の安全を確保出来ない。
その為、イツキ様の意を汲む――その裏では放逐出来る為の人材を探し、確保に向けて動いていたのは間違いないだろう。
少なくとも私ならそうしただろうし、余程愚鈍な人物が村長でもない限りは、村を預かる身としては当然の行動だ。
今回、ボガディ氏とイツキ様との間で和解がなった事で、その動き自体は一時的に収まるかもしれないが、ボガディ氏の信用は地の底まで落ちているのは間違いなく、底から先、再び信頼を勝ち取れるかどうかはボガディ氏の動向次第だろうが・・・。
・・・いけない、思考がそれている。
今問題なのは、イツキ様の事。
考えるべきはそちらに関してだ。
兎に角、村としてもそこまでの動きを見せなけらばならない程に、ボガディ氏のイツキ様への対応には問題がある。
それを笑って済ませてしまうと言うのは、余りにもおかしいと言わざるを得ない。
イツキ様がお優しいのは、私自身も良く知っている積りだが、そこまでいくと完全に異常だ。
そして、次に問題になるのはルリィの件。
ルリィもまたイツキ様の優しさに救われた身ではあるが・・・考えて見ればおかしいと思える部分は多々あるのだ。
ルリィ達が加わったのは、キリグ村への最初の配送が行われた日の事。
つまり、あの時点ではイツキ様には確たる収入が得られていない。
今、こうしてバナバの街で有名になった『運び屋ヤムラ』だが、その切っ掛けはキリグ村での功績があったから。
それがなければ、暫くは無名のままに小さな仕事以外はまわって来ない筈なので、あの時点でルリィとコニィを引き受けるのは、自らの首を絞める事になる。
幾らギルドからのお詫びとして、ルリィの購入額と今年分の人頭税が免除されているとは言え、人はそれだけで生きられる訳ではない。
衣食住を保証しなければならない主としては、当然ルリィが住む部屋を用意しなければならず、衣服、食事も最低限であろうと用意しなければならない。
そして如何に最低限度と言っても、それだけの事をするなら相応に額はかかるのだ。
その点から見れば、ルリィの件に関しては『お詫び』と言うには少々問題があるし、ルリィを迎え入れるメリットが余りに薄い。
イツキ様がルリィの体を目的にして居られたのであれば、また話は変わってくるが、イツキ様はただルリィとコニィを迎え入れ、世話をしているだけで体を求めた訳ではないと言うのだから、余計に。
それでは、ただ単に二人分の生活費が嵩んだだけでしかない。
『まぁ、今の所洗濯とかして貰えるだけでも助かるしね』
イツキ様はそう仰っていたが、あの亜空間車庫にある洗濯機を使えば洗濯等それこそ簡単に済んでしまうし、食事の用意などもこの世界での常識から考えれば余りにも簡単であり、手間と言うには少々楽過ぎる位なのだ。
例えルリィが居らずとも、それこそクーリア様ならば喜んでその位はしていただろうと思われる上、奴隷ではない、一同居人である筈のネリン様も一緒にしてる事を考えれば、態々人手を増やす意味がない。
そしてそれは、私自身に関しても同じ事が言える。
キリグ村へのお力添えの報酬として譲渡された私は、本来であればあのままバナバに戻ってすぐに売り払われていて当然の身。
そうしなければ金銭が手に入らないのだから、それは当たり前の事。
イツキ様がお気づきになられていたかは解らないが、姉があそこまで『お金をかけない』事に必死になっていたのは、実はこれが原因でもある。
今のキリグには殆ど金銭が残っておらず、資材を買い込んだお金だけで底をついたと言って良いのが現状だった。
そこに加えての資材運搬、建築指導などを考えれば、どうしたって身売りの必要が出てくるし、その費用を考えればその対象が私になるのはごく当然の事。
純血の妖精族と言う希少価値、交渉事を行える学力、それだけでもかなりの額になるだろうと予想できるのだから、態々私以外の娘を選び、二人、三人と数を増やさなければならない道理はない。
だからこそ、最初から報酬が私――より正確に言えば、私を売ったお金で支払われる事は決まっていたのだ。
そして、それに最後まで反対していたのが、姉のイルワ。
素朴で優しい人々が多いキリグ村から出る事無く育った為か、姉は『人の性根は善なのだ』と信じて疑っていない所がある。
それが今回の暴走に繋がったのだ。
『今、私達の村は困っているのだから、きっと助けてくれる。いや、助けてくれないのはおかしい』
助け合いの精神と言う意味では間違いないのかも知れないが、だからと言って『無償で働く』事が同義である訳ではない。
それぞれの人にだって生活があり、それを支える為の商売なのだと言う点を見失ったそれは、交渉人としては間違いだ。
勿論、私達も父を始め、その点に関しては散々に言い聞かせ、姉も納得したと思ったからこそ、交渉役を任せたのだが・・・結果は、あの通り。
村の陣頭指揮を取らねばならない父、村唯一の医者である母は村から動けず、私は自身の種族もあって下手に村から出られない。
妖精族と言うのは、その希少性もあってハーフエルフ同様に違法奴隷商に目を付けられ易いからだ。
そして、他の村人達には交渉を行えるだけの学ない・・となれば、残るは姉しかおらず、それが先の暴走に繋がった訳である。
結果、イツキ様やミルギニーナ技師には多大なご迷惑をお掛けしたが、何とかキリグ村の再建にも目処が立って来た。
後はミルギニーナ技師の指導の下、家々を建てて行くだけである。
そこまでの功績を上げて下さったイツキ様への報酬は、全て纏めればかなりの額に上り、それこそ今の村の手持ちでは賄いきれないのだから、私を報酬に当てるのはある意味では当然の帰結だったと思う。
ただ、今になって思えば事前に私を売り払い、その金銭を支払うのではなく、私の所有権を譲渡すると言う形にしたのは、もしかしたら姉の精一杯のあがきだったのでは、と思う事もある。
現にイツキ様は、私を売り払う事無くここに置いて下さっているのだ。
あれで落ち着いていればそれなりに頭の回る姉の事だ。
ルリィ達への対応や、ミルギニーナ技師から聞いただろうボガディ氏への対応等から、私の身柄を押しつければ売れないだろう、程度は予想していたかもしれない。
それらの事がらと、先日の『まぁ、家族がらみなら皆バカになるもんだよ』と言う言葉でボガディ氏を許してしまった事、そして昨夜聞いたイツキ様の地球時代の生い立ちや生活環境を考えると、一つの結論が出てしまう。
「家族を持たない孤児であり、引き取られた家庭も特殊な環境だったイツキ様は、『家族』と言うものへの認識が私達とは違ってしまっている。生い立ちと環境ゆえに『家族』への憧れが人一倍強く、その結果、自身の命よりも『家族』と言う言葉が上に来てしまっている、と言う事ですか・・」
そう考えると、しっくりきてしまうのだ。
イツキ様が幼少のころを過ごされた『児童養護施設』と言う孤児院は、アルマナリス神の信者が開いている孤児院とは違い、国営とは言え、一種のビジネスとして運営されていたらしく、一人一人に親身になって教え育むと言うより、最低限の生活保障と言うのが正しい様に思える。
そしてのちに引き取られたヤムラと言うご家庭でも、イツキ様は義妹の織絵様を除けば、余り触れ合う事もなかった様に思う。
家族を知らなかった故に、その環境――両親は仕事に励んでお金を稼ぎ、年長のイツキ様が義妹様の世話をする――こそが普通なのだと思ってしまっているのだろう。
これは、家族に対する認識としては酷く歪だ。
そして、そんな中でも時折両親から与えれる温もりに幸福を覚え、自らを慕う織絵様の笑顔と成長に喜びを得たイツキ様の中では、『家族には尽して当たり前』と言う認識が生まれてしまったのだろう。
だからこそ、『自分の子供同然のクーリア様の為に』と暴走したボガディ氏を笑って許し、『身売りしたら妹の世話が出来ない』とネリン様相手に直接交渉した結果、ギルドのお詫びとして送りつけられたルリィを受け入れ、『キリグ村での仕事に対する報酬』として譲渡された私を、売り払う事無くここに置いているのだ。
もしかしたら、姉は『お前の所なら安心出来る。村が落ち着いたら顔を出すから』とでも言っているのかも知れない。
家族に対する認識が歪なイツキ様にとって、そう言われてしまえば私を売り払う事は出来ないだろう。
そう考えて、今更ながらに金銭の譲渡にしなかった事を悔やむ私の耳に、ネリン様の言葉が響く。
「しかし、そうなると厄介ですねぇ。理由はどうあれ、壊れた価値観を正すなんて、それこそ一日二日でどうなるもんじゃありませんし・・」
「えぇ・・・価値観はそれぞれにとって、自身の身の振りを決める為の大切な指針でもあります。一部とは言え、それが壊れているとなると、この先、大変な事になるのは目に見えていますし」
そう、大変な事になりかねない。
今までは私個人や、ルリィとその妹を引き取るだけで済んだ。
まぁ、これだけでも損失はかなり大きいのだから、『だけ』で済ますには少々問題もあるが・・・もし。
もしかしてこの先――
「『自分の家族を助ける為に、何々と戦ってくれ!』なんて言われたら、断れますかね? あのイツキさんに」
そう言って額を抑えるネリン様だが、そう言った事もないとは言えない。
何しろ、目の前にクーリア様と言う違法奴隷が実際にいるのだ。
姉や妹――家族を無理やりに奴隷にされた誰かが、助ける為に協力してくれと言ってこないとは限らない。
そしてその場合――
「恐らく、断れないでしょうね・・。『家族の為ならどこまでもバカになる』のがイツキ様の家族観。そして、それに基づいて自らを殺しかけたボガディ氏を許し、私達を売る事なく迎え入れたイツキ様なら、悩むでしょうが、最終的には受けてしまうでしょう」
多分、そうなるだろう可能性が高い。
恐らく、そうなったとしても切り抜けられる可能性は高いだろうとは思う。
イツキ様ご自身が持つ二つの加護と、先にリネーシャ様により齎された『女神の呼び手』として、リネーシャ様をお招きする女神召喚があるのだ。
それこそ、リネーシャ様をお招きすれば国であろうと逆らえまい。
だが、そうなると・・・。
「そうなっちゃうと、国が放っておかない・・だよね? ううん、それどころか、私みたいに違法奴隷にされた人とか、そんな人達がイツキ様を旗代わりにして反乱を起こすかも知れない・・」
沈んだ表情で言うクーリア様だが、そうなる可能性は非常に高い。
イツキ様にはリネーシャ様――このセイリーム世界を支える主神がついて居られるのだ。
旗とするにはこれ以上のものはないし、クーリア様を救いだしたと言う経緯も『虐げられた人々を救う為』と言う大義名分にはもってこいと言えるだろう。
「私・・イツキ様に出会えて、本当に嬉しかったのに・・。お父さんとお母さん、村の人達を殺されて、凄い恥ずかしくて嫌な目にあって・・そこから助け出してくれた人がイツキ様で、本当に嬉しくて、幸せだったのに・・・それさえも、使われちゃうんだよね・・」
イツキ様が居られないからだろう、本来の言葉遣いでそう言うクーリア様は、酷く悲しそうだ。
生まれて初めて出会った、異性として惹かれる程に清い心を持った男性。
その人物の価値観が壊れていた、と言うのも残念ではあるが、出会ってから大切にしていたその出会いと、ここまでの日々の記憶も、下手をすれば大義名分の名の下に利用されかねないとなれば、やはり無理もない事だろうと思う。
そして、だからと言ってクーリア様がイツキ様を嫌えるかと言えば、恐らくはこれも――
「私はこれからもイツキ様を好きでいたいし、いずれは私を好きになって貰いたい。だから、これからはもっと確りしないと・・」
そう言うクーリア様の言葉は、やはり予想通りのもので、それは私だって同じ事。
嫌えるか? と問われれば、私だって否と答える。
私のそれは、まだ男女としての恋愛感情とは違うとは言え、イツキ・ヤムラと言う人物は好ましい人物であるのは確かだ。
「兎に角、そうなると今まで以上に私達が確りしないといけない訳です。仕事は別と踏み込まない様にしましけど・・今後はそうも言ってられませんねぇ、私も」
「ですね・・。キリグ村の仕事に関わる私が言えた事ではありませんが・・時にイツキ様のご意向を無視してでも、村の事情等よりも確かな収入を優先させる事。そしてそれは悪い事ではなく、当然の権利なのだと解って貰う必要がありますし、全てが全て『家族の為』では済まないのだと知って貰わねばなりません」
言うは易く、行うは難し・・でしたか。
イツキ様の故郷での言葉だそうですが、正にその通りです。
既に行動規範として根強く根付いた、『家族』に対するイツキ様の壊れた価値観を正さない事には、イツキ様ご自身が将来温かな家庭を築く事すら出来ませんし、私達との生活とて、いずれは破綻するでしょう。
そうならない為にも、それぞれの分野で今まで以上に力になるのは当然として、時に嫌われる覚悟での進言も必要になります。
これはもしかしたら、リネーシャ様にもお話すべきかも知れない。
そう思いながら、私達は今後、どうやってイツキ様を支えるか、価値観を正して行くべきかと議論を続けました。
沢山のご感想、ご指摘有難うございます。
お返事の方は送りきれない可能性もありますが、全て目を通させていただいておりますし、参考にさせて貰っています。
申し訳ありませんが、その点はご了承ください。