幕間 クーリアの一日
~~クーリア~~
『夢に見るままに~♪ 思い描いた視線の先を~手に掴む為に~♪』
薄らと覚めつつある私の意識に、聞きなれた歌が響いて来る。
それが解った瞬間、パチリと目が開いた。
うん、朝だ。
直ぐ隣を見ると、イツキ様も体を起こして先程まで歌を流していた『スマートフォン』って言う神代機器を操作されていた。
「おっ、目が覚めたみたいだね。おはよう、クー」
私と違って朝に強いのか、既に意識が確りとしているらしいイツキ様は、そう言って私に笑顔を向けてくれる。
「んぅ・・イツキ様、おはよ~です・・」
一方、私が返せたのはそんなどこか寝惚けた様な返事だけ。
こればっかりは体質とは言え、朝に弱い自分の体が恨めしく思えてくるけれど、イツキ様は気にした様子もなく、笑って頭を撫でてくれる。
うん、本格的に目が覚めて来た。
こうしてイツキ様に触れて頂くと、それだけで嬉しくて心が高揚してしまうから、眠気なんて何処かに行ってしまう。
それが何だか嬉しくて、私は今日も満面の笑顔で一日を始められるのだ。
イツキ様が開いた亜空間車庫の扉を潜り、顔を洗って意識をしゃっきりとさせると、まず最初にするのは朝ごはんの用意。
お米を量って人数分のお米をといで、炊飯器をスタート。
これから私の一日が始まる。
次にするのは、朝食の用意だ。
「そうだな・・・今朝の味噌汁は豚汁にでもしてみるか・・・。んじゃ、まずは・・」
こうして家を借りてから始まった、毎日のイツキ様のお料理教室。
覚える事は一杯あるけど、やっていて楽しいし何よりイツキ様と一緒に居られる。
それが、何よりも一番嬉しい。
イツキ様の教えて下さる通りに食材を切り、煮込んでお味噌を溶かし――
「あの、これ位で良いでしょうか?」
小皿に盛りつけた、お味噌汁をお渡しして味見をお願いする。
イツキ様の唇が小皿に近づいてきて、この瞬間が一番緊張する。
イツキ様は美味しいって言って下さるだろうか?
もしかしたら、薄過ぎたかな?
それとも、濃過ぎただろうか?
ちゃんと自分でも味見をしているのに、どうしたってそんな不安が消えてくれない。
もし失敗してしまったとしても、イツキ様なら小さく苦笑しながら『あの時こうすれば良かったね』って言って下さるのは知っているのに・・・。
「うん、丁度良いね。ちゃんと出汁の味も聞いてるし、素材の味も活きてる。美味しいよ、クー」
そう言って笑うイツキ様の言葉に、胸の中が温かい物で満たされる。
・・・嬉しい。
ごく自然にそう思えるこの瞬間が、どれだけ緊張してもやっぱり自分は好きなんだなと再確認。
うん、これからも頑張ろう。
そうやって、辺り前の様に思える今の自分が、楽しくて仕方がない。
そんな風にお料理を教わりながら作っていると、キッチンの扉が開いてルリィが顔を見せてくる。
「お早うございます、ご主人様、クー様」
そう言ってくるルリィの顔もやっぱり笑顔で、そんな表情を自然に――当たり前の様に引き出すイツキ様が、誇らしくて、嬉しくて仕方がない。
「おう、おはようルリィ。まずは顔、洗って来な」
極自然に答えるイツキ様の言葉に、ルリィの笑みが深まるのを感じながら、
「おはようございます、ルリィ。ご飯はもうちょっと待って下さいね」
と私も挨拶。
嬉しそうに亜空間車庫への扉を抜けて、顔を洗いに行くルリィを見ながら、私は今日も絶対に良い一日になる――そう確信していた。
「それじゃぁ、今日も元気に働きましょうっ!」
私の渾身の作と言って良い朝ごはんは好評の内に終わりを迎え、今日も元気なネリンさんが楽しそうにそう言って、右腕を突き上げる。
相も変わらず元気一杯、毎日が楽しそうなネリンさんとは対照的に、イツキ様は
「・・・それ、開店休業中の俺らへの嫌味かな?」
と小さくぼやいて居られた。
まぁ、それも仕方のない事だとは思う。
仕事でミスをした訳でもない。
それどころか、誰にでも――それこそ一国の王であっても出来ないだろう程の事をやってのけたのに、その業績が大き過ぎて下手にお仕事が請け負えないんだから、イツキ様にしたら溜息の一つも吐きたくなるだろう。
特に常々、私を始めとする所有奴隷が不自由なく暮らす事に心を砕いてくれるイツキ様だ。
仕事がない事を『楽で良い』なんて思う事無く、『私達を養う糧が減ってしまう』事を気にされているのは、私にも良く解るのだ。
だって、今ここに至るまでのイツキ様との生活で、イツキ様が本当に嬉しそうな笑顔を浮かべたのは、ご自分が評価される事ではなく、どこまでも私達奴隷が嬉しそうに、楽しそうに笑顔を浮かべた時なのだと知っている。
誰憚る事もなく、私達の事を『家族』と言ってくれるイツキ様にとって、私達が幸せそうに笑って居られる瞬間こそが、喜びなのだともはや気付いていた。
まぁ、そんなイツキ様だからこそ、こうしてノンビリと過ごされている様子を見て、私達も心底幸せを感じて居られるんだけれど。
仲良くなってから知った事だけど、ネリンさんのお店に居る店員さんは、店長のネリンさん以外は全員が奴隷なのだとか。
その中でも、一番の古株――それでも年齢はイツキ様達と同い年だけれど――の方は、幼い頃から両親が居らず、幼い弟を養う為に僅か十歳で娼館に入り、自らの春を売りながら日々を細々と暮らしていたと言う経歴を持っている。
その過程で、支払われるべき対価を暴力でうやむやにされてしまったり、本来の取り分以上を娼館に持って行かれたりと色々辛酸を舐めてきたそうで、奴隷に身を窶したのも孤児の身でありながら娼館で売れ始めた彼女をやっかんだ高級奴隷に嵌められたから、と言う理由らしい。
そんな彼女をして、今の主人であるネリンさんや、私の主人であるイツキ様は本当に希少な部類らしく、
『まさか娼館出の奴隷・・・それも十歳そこらで春を散らして散々に犯されてきた私に、当たり前の様に普通の女性として接してくれる方が居られるとは思いませんでした』
と言って、本当に嬉しそうに笑っていたのが印象に残っている。
思えば、イツキ様は初めて出会った時からそうだった。
両親を、村の人々を殺されて、女性としての最低限の尊厳され踏みにじられていた私の境遇に、怒りを見せる事はあっても腫れものに扱う様な態度はついぞ見せられなかった。
ただ当たり前に優しく、自然に接してきてくれただけ。
まぁ、その当たり前と自然さが、私の知る当たり前とは懸け離れてはいたけれど・・・極々自然に私を笑顔にしてくれていたのは間違いない。
だって、イツキ様以外に出来ると言うのだろう。
ハーフエルフと言う私の出自を知り、そんなハーフエルフの性奴隷の希少性と高額に過ぎる売値を聞いて、それでも『そんな事はどうでも良い。さっさと区分を通常奴隷に戻せ』と、一介の奴隷商ではなく、街の商業を司るギルドの職員相手に吠える事が。
たかが奴隷に過ぎない私を『家族』と呼んで、所有する神代機器の使用を許す様な真似が、他の誰に出来ると言うのか。
確かにその信頼が重いと思う時もあるけれど、それ以上にその期待に応えたいと思うのも確かなのだ。
そんなイツキ様だからだろう。
私と出会ってから二カ月も経たないと言うのに、既にルリィ、イリアと言う二人の奴隷が増えて行ったのは。
そこに私は不満なんて感じてはいない。
ある意味で当たり前だと思っている。
イツキ様ご自身でも覚えがないと言う『リネーシャ様の寵愛』『世界樹の祝福』と言う二つの加護。
所有する桁外れな神代機器の数々。
そんな、目に見えるものを捨て置いても、イツキ・ヤムラと言う男性は凄いのだと心底知っているから。
だから、そんなイツキ様の下に彼に惹かれた女性が集まってくるのは、ある意味で自然な事だと知っている。
まぁ、だからと言ってイツキ様の一番を譲りたくはないけれど。
今は、その場所に『オリエ』と言う方が居られるのは知っている。
けれど、だからと言って諦めたくはないのだ。
イツキ様に愛され、私も迷うことなく愛をお返し出来る可能性を、諦める事等出来はしない。
それは日々楽しそうにお店に向かう、もはや親友と言って良いだろうネリンさん、今日も嬉しそうにお仕事をしているルリィ、積極的にバナバの商業状態について調べているイリアの誰であっても、譲りたくないと心底願う『夢』なのだ。
私はただ、運良くイツキ様と真っ先に出会えたと言うだけに過ぎない。
そうして真っ先に出会えたからこそ、イツキ様の信頼を受ける事が出来、イツキ様の秘密を知る事が出来、『車』と言う神代機器の扱いを許されただけ。
例えイツキ様が『それは違う。クーだからだ』と言ってくれると知っていても、その想いは消えない。
だから、私は努力しよう。
イツキ様が教えてくれた通りに、日々を目一杯に楽しんで、精一杯頑張って、一日の終わりに『あぁ、今日も良い一日だったな』って、そう思える様な毎日を送るんだ。
・・・と言っても、イツキ様と居るとそれが余りにも簡単に出来てしまうから、困ってしまうのだけれど。
両親に習っていた頃は、余り好きではなかった筈の武術――短杖術の練習も、『この杖でイツキ様をお守り出来るかも知れない』と思えば、それこそ何時間振り続けても苦痛になんて思わない。
イツキ様が教えてくれる『車の運転』だって、楽しくて楽しくて仕方がない。
お料理も、お勉強も、イツキ様に与えて貰うその全てが、楽しくて、幸せで溜まらない。
多分今、目の前に殺された両親が居たのなら、それこそ両親が辟易として呆れはてるまで、イツキ様と過ごす日々がどれだけ幸せなのかを知らせようと、躍起になっていただろう。
それ程までに、楽しくて、幸せで・・・。
そんな毎日が送れるなんて、両親が目の前で殺されたあの時から、信じてなんていなかったから。
恐らく、あの時の自分が今の自分を見たら、余りの変わり方に卒倒するんじゃないだろうか。
うん、多分そうだろう。
そして、泣きわめくかつての自分に、今の自分はこう諭すのだ。
『もうすぐ、あと少しで私の事を本当に思ってくれる人に出会えるよ。だから、頑張って』
と。
そんな事を考えていると、唐突に聞こえてきたルリィの声が私の思考を遮った。
「あの、すいませんクー様。ご主人様は・・・」
その言葉に、あぁ、もうそんな時間かと思い直す。
『昔話』と言うイツキ様の故郷――地球と言う異世界の日本と言う国の物語を、文字の練習に使っているのは知っている。
丁度この前印刷した分が読み終わったと聞いていたので、恐らくイツキ様はマローダーの『パソコン』で新しい物語を出している頃だろう。
そう思った私は、知らない内に笑顔を浮かべていた。
「イツキ様なら、今はマローダーに居る筈だよ? もう少ししたら戻ってくるから、待ってたら良いと思うな」
奴隷どうしと言う事で、私本来の言葉遣いに切り替えてそう言った瞬間――
「お~、悪い。今日の分はこれな、ルリィ。・・・ってか、クーも普段からそっちの言葉遣いのが良いんじゃねぇの?」
と、何時もの笑顔を浮かべたイツキ様がそこに立っていた。
・・・うん、解ってる。
奴隷どうしだからって私が気を抜いた瞬間に、印刷を終えたイツキ様が戻ってきたって事位は。
だけど、少し位慌てるのは許して欲しい。
だって私は、イツキ様の前では常に礼儀正しくて、言葉づかいも丁寧な・・・そんな女性で居たかったのだ。
それなのに・・同じ奴隷仲間とは言え、ルリィにこんな口調でしゃべってたとか、知られたくなかったのに。
そう思う私とは正反対に、イツキ様は酷く嬉しそうだ。
「ま、俺相手に出来ないってのは今後に期待するとして、ルリィ相手でも気楽に話す事が出来る様になって良かったよ。その辺り、俺は強制出来ないからね」
と仰って笑っていた。
だからこそ、気付いてしまった。
イツキ様は、どこまでも私達が笑顔で居られる事を喜んでいたんだって、本気で解ってしまった。
だって、そうでもなければ、どうして奴隷が雑な言葉遣いをした事に喜べるのだ。
あの人は・・・イツキ様は、どこまでも私達を大切にしてくれている。
それに、気付いた。
そうしたら、もう駄目だった。
『部屋でノンビリしてるよ』
そう言ってイツキ様が居なくなった瞬間、私とルリィは揃って泣き笑いの様な表情を浮かべていたから。
お互いの目に映るのは、『私はもっと頑張る』の一言だけ。
だから、精一杯頑張ろう。
頑張って、頑張って・・・それだって、楽しい一日に変わりはない。
あの人に並び付ける為の努力なら、それこそ苦痛である筈がない。
だから――
「んじゃ、まずはの前回の復習な? この計算の場合・・」
夜の算術訓練に参加した私は、イツキ様の言葉を聞き逃すまいと耳を澄ませながら、カリカリとメモ帳に書き込んでいく。
うん、これだって当然楽しい一日の一幕だ。
その一日は、お風呂に入って一日の汚れを落とし、イツキ様と同じベッドに身を横たえる事で終わる。
「それじゃ、クー。今日もお疲れ様。お休み」
そう言って目を閉じるイツキ様を眺めてから、私もゆっくりと目を閉じる。
肌に感じるのは、暖かなイツキ様の体温と鍛えられた体の固さ。
そんな、今の私にとっては何よりもリラックス出来るものを感じながら、私はゆっくりと夢の中に沈んで行った。