村の顛末と運転練習② 「頑張って覚えないと!」
再びのクーリア視点です。
~~クーリア~~
えっと・・・これがハンドルで、左足のがクラッチ、右足のがアクセルで、真ん中がブレーキ・・・・。
運転席のドアを開いて乗り込まないままに、指を指して説明してくれるイツキ様の言葉を聞きながら、頂いたメモ帳に内容を書き込んでいく。
オルガ村から帰って来て今日で三日目。
ボアランさんの暴走でイツキ様が大変な目にあってしまって、もの凄く心配したけれど
『まぁ、アレ以外は上手く行ったし、良いって事にしとこうか』
と言って、イツキ様は苦笑一つで済ませてしまった。
流石に何も悪くないにも関わらず、勘違いであれ程――それこそ、死にそうになる程木槌に打ちのめされて苦笑で済ましてしまうのは、少し甘過ぎる気もするけど、まぁ、だからこそイツキ様はイツキ様なんだって思ってしまっている私もいて、少し複雑だ。
ちなみにあの日から私は、ボガディさんの事を『ボアランさん』としか呼んでいない。
この『ボアラン』って言うのはあの人の産まれた集落の名前で、行ってしまえばドワーフにとっての名字に当たるんだそうだ。
ただ、鍛冶とお酒以外の事では細かい事を気にしないのがドワーフなので、集落の分け方もかなり大雑把。
例えば二つの集落があって、私がイツキ様に助けられた場所からこのバナバの街以上の距離があったとしても、その二つの集落を纏めて『ボアラン』って呼んでる位には大雑把だって言うのは、奥さんのミギー小母さんに聞いた話。
私が『ボアランさん』って呼びだした事と、その大雑把な分け方を知ったイツキ様は、少し頬を引きつらせて
『それ、ある意味関東出身の人を『関東さん』って呼んでるのと同じなんじゃ・・』
と良く解らない事を仰っていた。
えっと、関東って言うのはイツキ様が居たって言う、地球の地名か何かなのだろうか?
知りたいけど、イツキ様だしいつか教えてくれるんだろうと思う。
だから素直にその日を待つ事にする事にした。
そう言えば、私が『ボアランさん』ってしか呼ばなくなって、ボアランさんは酷く落ち込んでいると聞く。
まぁ、だからって呼び方を直す気もないのだけれど。
だって、結局ボアランさんはイツキ様に謝ってすらいないのだし。
幾ら勘違い――それも私の為を思っての事だとしても、イツキ様を殺そうとしたのはちょっと許せないし、誤解だって解ったなら素直に謝ってくれさえすれば、私だってここまで怒りはしなかったと思う。
ボアランさんにとっては、単に『親友達の娘を奴隷にした男』でしかないのかもしれないけど、私にとってのイツキ様は初めて出会った――出会った瞬間に運命を感じた男性なのだ。
それを勘違いで殺しかけるとか、本当に止めて欲しい。
と、いけない。
何だか考えが、違う方向に行ってしまっている。
うん、今はボアランさんの事なんかよりも、イツキ様の説明を確りと聞かないと。
今回、私に運転を教えるに当たって、イツキ様は今までとは違う神代機器を亜空間車庫から取り出している。
何でも『軽トラ』って名前で、マローダーに比べて小さい分、運転が遥かに簡単なんだとか。
「コイツは小さい分小回りも利くし、トラックだけあってトルクも結構あるからね。まぁ、練習には最適だと思うんだ」
イツキ様はそう言って笑っていらしたけど・・・。
聞いている限り、簡単だとは思えないかな?
だってハンドルって所を左右に回すと、回した方向に車が向くって言うのは兎も角、両足で操作するペダルって言うのが三つもあるし、速度によってシフトレバーって言うのを動かして、ギアとか言うのを切り替えなきゃいけないって言うし。
今はイツキ様が『色々役立つから好きに使って』と言って下さった、メモ帳とシャープペンと言う筆・・・なのかな? ともかく、それを使って説明を書きとめている所だ。
何気なくポンと下さったけど、このメモ帳とシャープペンもとんでもない代物だと言うのは、私にだって解る。
凄い上質な紙が沢山――それも大きさは小さいとは言え、本の形に纏められているし、文字が書きやすい様に一定の間隔で真っ直ぐな線が引かれているメモ帳と、インクを付ける必要もなく、お尻の部分を押すと先っぽから細くて黒い芯って言う書く部分が出てきて、更には消しゴムって言う柔らかい白い塊を使って擦れば消せるシャープペン。
消しゴムもそうだけど、この三つを売り出したりしたら、かなりの額になるだろうって言うのは、あまり商売に詳しくない私にでも、簡単に予想が付いた。
だから、そんな品物を気軽にくれてしまうイツキ様には、本当に驚かされる。
イツキ様にとって、本当に大したものではないのかも知れないけど、このセイリームでは王様や貴族ですら持っていないもの。
これも一つの神代機器って言って良いかも知れないと、私は思う。
まぁ、イツキ様はこれで商売をするつもりはない様だし、飽くまで自分が使うだろうから持って来ただけだと言うから、売り出そうとは言わなかったけど。
『それなりに数は持って来たけど、売ろうと思っても多分こっちじゃ作れないだろうしなぁ。紙の方は作り方データ化してきたけど、シャープペンは元々考えてなかったし』
なんて言ってた位だから、本当に考えていなかったんだろうと思う。
だって、私が最近履いているホットパンツとニーソックスみたいに、売り出すかもって判断したものは細かく情報をお持ちの様だから、売り出す気がなかったか、そもそもこっちの技術力じゃ無理だって考えていたのだろう。
確かに、こんなに細い筒から出てくる、この芯とか言うのは多分作れないだろう。
明らかに細すぎるし、材料が解っても多分加工出来ない筈だ。
そんな、一介の奴隷には過ぎた筆記用具を使いながら、イツキ様の説明を聞き、メモに纏める。
そんな事を暫く続けた後、
「じゃ、クー乗ってみて? 俺は助手席でアドバイスするから」
と、やはり簡単に言ってのけるイツキ様に、もはや驚くやら呆れるやら。
以前イツキ様にも言ったのだけど、三級の神代機器の所有権や使用権でさえ、家族内で揉める事も多いのだ。
両親が冒険者時代に目にした中には、ある商売人一家の父親がなくなり、その父親が所持していた『収納のネックレス』の所有権を巡って商人を継いだ長男と、家を出て軍に入った次男が決闘寸前の騒ぎにまでなった事もあると言う。
商人を継いだ長男に取ってみれば、そのネックレスがあればそれだけ多くの荷物が運べるし、軍に入った次男に取ってみれば、その分だけ多くの装備と薬が運べ、何よりも両手を開けて行動出来る。
どちらにとっても、そのネックレスの価値は大きいと言う訳だ。
その二人は結局領主の下に連行されて裁判に従う事になったらしく、両親もその後については知らないそうだけれど、そんな風に家族内ですら奪い合う事があるのが神代機器なのだと聞いていた私からすると、『家族だし』と気軽に――それも神級指定は確実だろう代物を扱わせようとするイツキ様は本当に特異な部類なのだ。
まぁ、イツキ様本人にとっては、神代機器って言う認識がないのだろうし、出会ってからそう日も経たない私をそこまで信頼して下さっているのも解るので、その嬉しさもあって面と向かって指摘は出来ていないけれど。
それに、イツキ様の話を聞く限りでは私も運転出来る様になった方が、色々と役立てると言うのも良く解る。
幾らイツキ様でも、二つの神代機器を同時に操る事は無理だと言う事なので、私が運転出来る様になれば、これから先の仕事もやり易くなるのは確かだと思うし、長時間移動し続ける時だって、二人なら交代で休む事だって出来る様になる。
それは解っているのだ。
ただ、それでも『神級指定の神代機器』に触るとなると、やっぱり緊張してしまうのだけれど。
「まぁ、さっきまで理屈を言って来たけど、結局運転なんて慣れてナンボのもんだしね。最初は戸惑うかもだけど、やってりゃその内慣れちゃうもんだよ」
恐る恐る軽トラの運転席に座った私に、イツキ様はそう言って笑う。
イツキ様が言うならそんなものなのだと思いたいけど、やっぱりちょっと怖い。
緊張でガチガチになった手をシフトレバーの上に置いた私に、イツキ様は少し苦笑した後、シフトレバーを持つ私の手に柔らかく手を重ねてくれた。
「リラックス、リラックス。緊張なんてする事ないよ。クーなら出来る。だからリラックスして、ゆっくりで良いからやってみよう」
そう言って笑うイツキ様の笑顔を見ていると、私の体からゆっくりと緊張が抜けて行くのが解った。
リラックス・・・イツキ様の世界の言葉で、落ち着くとか安らぐ、とかって言う意味だったかな?
確か、そうだったと思う。
イツキ様の笑顔は、私にとって一番リラックス出来るものなんだな、と改めて自覚。
うん、落ち着いた。
そうだ、最初っから緊張していても仕方がない。
落ち着いて、ゆっくりと。
それで良いんだって思い直した。
それに本音を言えば、私だってこれを走らせてみたいって言う気持ちもある。
あの日――助け出されたあの日以来、何度も載せて頂いたあのマローダー。
ちょっと生意気かもしれないけど、もはや私にとっても家の様な感じに思えてきたあのマローダーを、自在に操るイツキ様の様に。
私も自由に、この車って言う神代機器を走らせてみたい。
もしかしたら、助手席にただ座っている時とは、見えるものも違うんだろうか?
あんなに早く走る車を自在に操るのは、どんな気分なんだろうか?
楽しいのかな?
うん、きっと楽しいんだろう。
マローダーを運転しているイツキ様を見ていると、そう思う。
流れる音楽を聞きながら、咥え煙草でハンドルを操るイツキ様は見ているこっちがつい笑顔になってしまう程、楽しそうにされていた。
楽しそうに前を見ながら、私と何気ない会話を交わして、移り変わる風景の中をマローダーを走らせていた。
そんなイツキ様を見ていて、私もそんな気分を味わってみたいなって言う思いは確かにあったんだ。
そしてその機会がこうして与えられているのだから、緊張して終わってしまうだけなんて勿体無い。
イツキ様の言う通り、リラックスして・・・やってみよう。
そうすれば、多分この子は私に答えてくれるって思うから。
先程の説明を思い出しながら左足でクラッチ、右足でブレーキを踏んで、鍵を捻る。
途端に少し小さな音が響いて、続いてブルゥンと言う少し大きな音。
それと同時に、乗り込んでいる軽トラが小さく震え始めたのを感じて、私は小さく笑みを漏らした。
イツキ様曰く、『エンジンが掛かっただけ』なのだけれど、何となく私には今乗り込んでいるこの子が喜んでいる様な感じがしたのだ。
そんな事を考えているのは解らないだろうけど、笑みを漏らした私を見てイツキ様も再び笑う。
「そうそう、難しく考えてたって楽しくないだろ? 楽しめるもんは何だって楽しまなきゃな」
確かに。
これだって、イツキ様と一緒に過ごす楽しい日々の一幕なんだ。
精一杯楽しんで、だけど一生懸命頑張って、そうやって過ごせば良いんだって気付かされた。
楽しもう。
素直にそう思えたから、私は――
シフトレバーを一速と言う所に動かして、クラッチを緩め、アクセルを踏み込んだ。
結局、この日はクラッチとブレーキの使い方を間違えてエンジンが止まってしまったり、急ブレーキや急発進と言う状態になって凄く体を揺すぶられてしまったりして、頭の中で思い描いていたマローダーを自在に操るイツキ様の様には行かなかったけど・・・。
それでも最後には、何とかまともに走らせる事が出来る様になったみたいで、イツキ様も「後は慣れだけって事だね。暫く合間を見て練習すれば、直に思い通りに運転出来るようになるよ」と仰ってくれた。
うん、色々と覚える事が多くて大変だったけど・・・。
今日も一日、楽しい一日だったと素直に思えた。
「あ、そうだ。クーが運転慣れて来て、運転が上手くなったらさ、この車、クーにあげようか?」
え?
あのイツキ様、流石にそれは・・・・。