異世界の街③ 「漸く街を歩けるな・・・」
「おや、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
朝になり、一階の食堂兼記帳場に下りて来た俺達に女将さんが相変わらずの笑みで声を掛けてくる。
「えぇ、御蔭さまで。腹も膨れて気持ち良く寝させて頂きました」
うん、嘘は言ってない。
部屋に運んでくれた食事は量も然る事ながら、味も確かで値段も手ごろ。
実に良い仕事を見せてくれましたよ。
当然、俺もクーリアも美味しい食事に舌づつみを打ちながら、時折他愛のない話をしたりして楽しい食事を満喫させて貰った。
ただ、実の所、寝たのは宿のベッドではなくマローダー内部のベッドだったりする。
いや、部屋はキチンと掃除されてたし、ベッドも悪くはなかったよ?
・・・この世界基準でって事だけどね。
地球産のスプリングが確り聞いたベッドに慣れちゃって俺にはちょっと違和感があったけど、まぁ、そこは割り切って寝ようと思ったんだ、最初は。
けど、ここで一つ問題が。
この世界じゃ防音ってのがそれ程気にされてないのか、それとも単にそいつ等が配慮に欠けてるのかは知らないが、隣の部屋から明らかに情事と解る嬌声と荒い息遣い、ベッドが軋む音が響いて来たんだよ。
しかもそれに触発されたのか、向かいの部屋からも同じ様な音と声が聞こえ出す始末。
マジで勘弁してくれよってのが、その時の俺達の心境である。
ダブルとは言え一つのベッドで寝てる以上、顔を横に向ければすぐそこにクーリアの可愛い顔があって、しかもクーリアはマローダー内のベッドの大きさに慣れてしまったのか、俺と殆ど密着した状態だよ?
そんな中でそんな声なんか聞いて様ものなら、理性はガリガリと削られて行くし、何とか無視しようにもどうにも居心地が悪い。
その内終わると我慢しようにも、余程絶倫なのか、それとも単に盛りの付いた獣状態なのか、一回戦が終わればすぐさま二回戦、三回戦と続いて行き――
隣と向かいの獣共が三回戦に突入する頃に、俺達はこの部屋で寝る事を諦めた。
長袖のジャケットで隠していた腕時計で確認すれば、その時の時刻は夜中の12時。
このままじゃ寝不足のまま一夜を明かしそうなんで、部屋の鍵を確り確認して亜空間車庫の扉を開いて非難した訳だ。
その際も、三回戦に突入したらしき二組の獣さん達は元気に盛ってましたよ、えぇ。
なんで、亜空間車庫に避難した俺達はどちらからともなく大きな溜息を吐き、気分を変えようと交代で手早く風呂を浴びて、マローダーの居住区に転がり込んだのだ。
まぁ、マローダーは冷暖房完備、まだまだ冷え込むこの時期には暖房の暖かさが嬉しいって事もあったんで、グッスリと寝る事は出来たから良いんだけどね。
ただまぁ、昨日の連中みたいに性的にオープン過ぎる連中ばっかりなんだとすると、これから先も部屋だけ取って、寝る時は亜空間車庫のマローダーって方が気楽なんじゃないかって気もしてちと憂鬱だ。
俺としてはベッドの質の違いだとか、冷暖房のない木造りの室内みたいなものまで含めて、こっちの世界を楽しみたい所なんだけどなぁ・・・。
次からツインにするにしても、またあんな声聞かされてたんじゃ、居心地の悪さが半端じゃないし。
ホント、どうするかね・・・。
考えこむ俺に女将さんは、笑顔をちょっと意地悪気なものに変えて続ける。
「そうかい? あたしゃテッキリ、周りが盛ってるから寝不足気味かと思ったよ。理由はどうあれね」
そう言ってニシシと笑って見せる女将さんに、俺はちょっと呆れる。
理由はどうあれって事は、周りに影響されて俺達も盛ってたか、もしくは単に気まずさで中々眠れないかのどっちかにしても、俺達の寝不足は確実だろうって思ってたって訳で。
それだったら宿としては対応して欲しかった所である。
「そう言うなら対応して下さいよ。ここって連れ込み宿って訳じゃないんでしょ? なのに周りが盛って眠れない客を放置とか、噂が広がったら客足が遠のきますよ?」
そう言ってやると、女将さんは少し顔を顰めた。
まぁ、そりゃ言外に『商業ギルドにでも苦情を出すぞ』って言ってる訳だし、多少は考えて貰わにゃ困る。
実際、俺達が眠れたのは空間的に切り離された亜空間車庫と、居住区付きの改造マローダーの御蔭な訳で、お金を払ってまで借り受けた一夜の宿は、それに見合った役目を果たしてくれてないんだ。
これが日本の旅館とかホテルなら、賠償問題に発展しかねない所である。
女将さんとしてもここで揉めたくはなかったのか、少し考えては居たもののやがて溜息を吐いて頭を下げて来た。
「悪かったね。確かに、昨日はウチの対応が悪かった。それは認めるよ」
そう言い置いた上で、こうも言ってきたが。
「ただ、言い訳させて貰うなら、あんた達の隣に入った客には前もって迷惑料貰っててね。こっちとしてもそう強くは言えなかったんだよ」
何でも、あの盛ってた部屋の借主は冒険者らしく、それなりに大きいヤマを終えた事と、そのヤマで戦闘を繰り返して血を見て来た事で高ぶりが抑えられなかったんだそうな。
なのに娼館ではなく宿を取ったのは、念願かなって漸く奴隷を手に入れたから、と言ういうのが理由だそうだが・・・。
そんなの知るか、だったらその手の宿に行けよと言いたい所だ。
あぁ、ちなみに。
通常奴隷に手を出しても罪に問われないのは、奴隷契約時に『性的な行為も受け入れる』ってのを入れてる場合に限られる。
その分値段は割高になるし、余りに変態的な行為を要求された場合は奴隷の側から契約を打ち切る事も出来るらしい。
性奴隷って区分が出来たのは、最初っから『あらゆる性的行為を合法的に行え、尚且つ、それを理由に契約を打ち切られない奴隷』が欲しいと言う要求に答えたからだ、と言うのが検索エンジン異世界版に載っていた情報である。
つまり性奴隷を欲しがる奴ってのは、何かしらの異常性癖を持ってる事を公言してるに等しい訳で、それがもっぱら性奴隷が闇ルートで売り買いされる理由の一つにもなっている。
いや、まぁ、それ以前に単なる身売りは兎も角として、性奴隷として自分を売り込む人は殆ど居ないってのも大きいんだけどさ。
だって、金銭的に困った結果の身売りだとしても、『通常の性行為を受け入れる』って条件付きで通常奴隷になれば、それなりに纏まった金額は手に入るんだし、それに加えて『性的にあらゆる行為を』なんて追加条件呑んでまで売値を釣り上げる事はしないだろ。
上がるって言っても、手数料だとかで結構引かれて、家族なりに渡される金額としては金貨換算で10枚行かない程度らしい。
オークションだとかで高値が付いても、それは飽くまで奴隷商が買い取った後――奴隷商の管轄って扱いなんだそうだ。
それに余り購入金額を釣り上げ過ぎると、今度は身売りした奴隷が自分を買い戻せなくなるって事もある。
奴隷として一生を終えよう、なんて超が付く程の物好きでもなければ、自分を買い戻すチャンスは残したいだろうし、売り出す側の家族としても一時の辛苦は兎も角、一生を完全に潰させる真似はしたくないだろうしね。
と、まぁ、そんな理由もあるんで通常奴隷であっても、買い取った奴隷に手を出すってのは別に違法じゃない訳だ。
ただ、だからって他の客に迷惑かける程盛るなよって話だけどさ。
まぁ、宿の側からしても今夜も同じ様な事が続く様なら、迷惑料に関係なく追い出そうってなってはいたらしい。
部屋の掃除から何から色々大変な事になってて、少し迷惑料を盛られた位じゃ割に合わないんだそうだ。
俺達に対して茶化して見せたのは、そこまで大げさに取らないでくれって配慮だったと言うが・・・ダメだろ、それ。
まずは一言謝るべき所で、茶化して良いのはこっちがそれを受けた後だろうに。
取りあえず、何時までも引き摺ってても仕方ないんで、謝罪を受け入れる事にして朝食を貰う。
お詫びだと言ってデザートの果実をオマケしてくれた女将さんに礼を言い、さっさと食べる。
朝食のメニューは小さめのパンが二つに野菜のスープ、それにサラダの簡単なもの。
欲を言えば目玉焼きなんかが欲しいトコだけど、痛みやすい卵は流通が難しく、それなりの値段を取れる料理なら兎も角として、宿の朝食とかではまず出てこない。
これもクーリアが両親から聞いた話だそうで、村では新鮮な卵が食べられるとご両親は喜んでいたんだそうな。
まぁ、俺としては朝から重くない食事ってのが一番有難い。
暫し黙々と食事を平らげると、今夜も泊まる事を言付けて街に繰り出した。
目的は昨日見れなかった街を見て回る事と、クーリアの服なんかの生活必需品を揃える事である。
あぁ、後は一応武器なんかも欲しいかな?
基本、マローダーで移動するって言ったって、検問だとか街中だとかでの自衛手段は持っておきたい。
運動不足解消って面もあるし、少し剣とかを練習するのも良いかも知れないね。
後は神殿にも行かないとなぁ。
クーリアが女神さんに貰った加護も技能覚醒しなけりゃ使えないし、それさえ終わればクーリアも精霊魔法が使える様になるから、自衛もしやすくなるだろうし。
「まぁ、まずは服と靴だな・・」
何はさておき、それが最初だろう。
結局昨日は商業ギルドでの区分変更手続きに時間が掛かった御蔭で、買い物だとかしてる暇なかったし。
大体、対応したあの職員がおかしいんだよなぁ・・・。
何回クーリアの奴隷区分を通常奴隷に変えてくれって言っても、『そのままの方が値段が上がります』だの、『それでしたら、私の方で他の通常奴隷と交換させて頂きましょう。その子はハーフエルフで希少価値も高いですから、そうですね・・・。上玉の通常奴隷三人と交換でどうでしょう』とか言いだして、中々変更手続きを進めようとしやがらないもんで、最終的に俺がブチギレ。
まだ大勢客が居るギルド内で
「ここは区分変更で来た客にイチャモン付けて奴隷を奪い取る為の施設か! ふざけた事抜かしてないで、さっさと手続き進めろよ!」
って怒鳴りつけて漸くだ。
それも、騒ぎを聞きつけてやって来た他の職員に対応が変わった事で、って言うおまけ付きとくれば、もはや怒りを通り越して呆れが来たね。
まぁ、その職員さんもクーリア・・・希少なハーフエルフの性奴隷を通常奴隷に戻す、なんて区分変更には驚いてたけど、それは奴隷商としては当たり前の反応なんだそうだ。
『まぁ、言い方は悪いですが、私どもにとって奴隷は商品。高く売れる方を押すのが当たり前ですからな。態々金額を落す様な区分変更を申し出るお客様は少ない事もあって、驚くなと言うのが無理な話な訳です、はい』
だからと言って、強引に売り買いの話に持ち込むのは論外ですがなと笑ったその職員は、言うだけあってキチンと手続きを進めてくれたので助かった。
ったく、あのバカ職員に当たらなきゃ、さっさと手続きが終わって服位は買えてたぞ。
商業ギルドに入ったのが昼過ぎで、順番待ちの時間で大体一時間。
なのに手続きが終わってギルドを出たら、外はもう夕方になってるとかあり得ないだろ普通。
手続きに掛かったのは大体20分かそこらだったから、実質、三時間近くはあのバカ職員とやり合ってた事になる。
去り際に
「あんな職員置いといたんじゃ、このギルドも先がないんじゃないか」
って言ってやったら、手続きしてくれた職員さんは苦笑いしながら、今回の騒ぎで信用を失ったから、その内勝手に淘汰されるだろって言ってたけど、さてどうなるものやら。
ま、良いや。
どうせ今後関わる事もないだろう。
って事で、早速服屋に向かう事にする。
この世界では、平民に服屋と言うとまず連想するのが古着屋らしい。
ミシン何かの縫製用機械が出来てなくて、一品一品が職人の手作りって事を考えると、新品の衣服ってのは結構な値になってしまうからね。
農作業だとかの毎日服を汚す様な仕事をしてたりって事を考えると、収入の問題もあって新品には手が出なくなるんだろう。
古着って言ったって確り店で仕立て直し、キチンとした状態で売りに出されてる訳だから、自身を着飾る事で一種の見栄を張らなきゃならない貴族とかと違って、ちゃんと着られてみすぼらしく見えなければそれで良いって平民には、手ごろで丁度いいんだろう。
流行に合わせて服を毎年買い替える貴族なんかが、型遅れになった服を卸してたりもするから、結構バラエティに富んだ内容が揃ってるって事もあるし。
だけど今回俺達が向かうのは、新品の服を扱っている方の服屋だ。
昨日アクセサリーを売り払った金がまだまだ残ってるってのもあるけど、俺の場合は旅を続けるにしてもそこまでお金が必要ないってのが一番大きい。
マローダー内には食料品が常備されていて、それも少なくなってきたら『リロード』で補填可能な訳だから、一々旅支度に金を掛ける必要がない。
宿に関しても、最悪、個室でさえあれば最低辺の安宿でも、戸締りさえ確りすれば昨日みたいに亜空間車庫に避難できるし、この世界の食事は度の過ぎた贅沢を考えなければ結構安く済む。
だったらその分、服や装備なんかの身の回りのものにお金を掛けるべきだと思うんだよ。
それにクーリアだって年頃の女の子なんだから、気にいった服を選んでちょっとしたアクセサリーを着けてって言うお洒落もしたいだろうし、俺としてもそれ位は別に構わないと思ってる。
女の子なら、そう思うのが普通だからね。
その事もあってか、隣を歩くクーリアの足取りは軽く、表情もまた楽しそうなものだ。
そんなクーリアを見てると、微笑ましくてこっちまで楽しく思えて気分が良い。
「クー、女将さんはなんてお店だって言ってたっけ?」
「えぇっと、確か『森の衣』だったと思います。新品を扱っているのは、この街ではそこだけだ、と」
まぁ、これは仕方ない。
余程規模が大きくて貴族や豪商が居るか、そう言った人達が頻繁に出入りする様な街でもない限り、新品を扱っている店は少ないのが当たり前。
なんせ、店を建てたって売れなきゃ商売にならないし。
そう考えると、新品を扱う店があった事自体、有難いと思うべきだね。
とは言え、地球では義妹、恋人の両関係を通して織絵の買い物に付き合った身としては、色んな店を巡って値段と品ぞろえを比べながら選ぶって事が楽しいらしいってのは、散々思い知らされた事なんで、それがさせて上げられないってのはちと残念だと思うべきか、連れ回されずに済んだと喜ぶべきか、少々迷う所である。
とは言え、それは飽くまで現代日本を知っている俺の意見。
元々古着屋で済ませるものだと思っていたらしいクーリアは、思いもかけず新品の服を買って貰えるとあって喜んでくれてた。
うん、表面上は物静かな雰囲気のまんまだったけど、耳がピクピクピクピクと忙しなく動いてたし。
そして訪れた森の衣の前で、再びクーリアの耳のピクピクが再発した。