異世界の街② 「何か思ってたよりも・・・」
バナバの街の様子は、俺が思っていたものとは少々様子が違っていた。
女神さんに聞いていた『文明レベルは中世ヨーロッパ程度』って言う前情報から、結構衛生的な面なんかで酷い事になってるのを予想してたんけど、そこら辺は良い意味で裏切られた感じ。
映画なんかじゃ綺麗に描かれてるけど、実際の中世のヨーロッパじゃ街中でも道には投棄された排泄物か転がってるってのが当たり前だったなんて時代もある。
まぁ、トイレ事情の未発達と衛生管理への意識なんかが余りなかったってのが理由だけど、文献なんかで調べた限りじゃ部屋の中にある木桶に用を足した後、窓から『捨てるぞ』と三回声かけを行って外に投棄って感じだったらしい。
今でこそ女の子達がファッションにしてるハイヒールなんかは、外を歩く際に出来るだけ設置面を減らす為に――つまりは道端の糞尿をなるべく踏まない様にと考えだされたもんな訳で。
他にも絵画に描かれてる様な腰元から裾にかけて大きく広がったドレスってのは、着付けに時間の掛かる女性が何処でも用を足せる用にっての理由なんだと。
で、そんな情報を仕入れていた俺としては、このセイリームもそうなんじゃないかと戦々恐々としてたって経緯が、ね・・・。
上下水道がキッチリと整理された現代日本から来た身としては、そんな不衛生極る街とか、どうしたって嫌悪感が酷い。
だから、そう言った意味では予想を覆す綺麗な街並みに、驚き半分感心半分って所。
って、亜空間車庫のトイレを利用したクーリアが、その性能――水洗式・便座ヒーター、ウォシュレット完備――や汚れを拭くのが布や木の葉じゃなくて専用の紙で、一度使ったら流してしまうってのには驚いていたけど、トイレ自体の存在には驚いてなかったんだし、そこまで驚く様な事じゃなかったのかも知れないけどさ。
後になって知った事だけど、この世界のトイレには『分解』の術式が付与された魔石が使われているんだそうな。
トイレの形式としては、地球で言う所の和式が普通で掘り下げてある汲みとり槽に『分解』付与の魔石を置く事で処理ってのが一般的らしい。
その処理の為に必要な魔石も純度、大きさともに比較的簡単に手に入るレベルの物で大丈夫って事もあって、魔石処理されていないトイレの方が珍しいんだそうだ。
と、まぁこれは宿に着いてから知った事なんだけどね。
門を抜けた事で『まずは真っ直ぐ役所へ!』と意気込む俺をクーリアが説き伏せ、まずは宿を取る事を優先させる事に。
「ここはそこまで大きい街ではありませんから、宿の数だって限られています。最上の・・・とは言わないまでも、そこそこに質が良い宿をお求めなら、まずは宿を抑えておかないと部屋が埋まってしまうんだそうです」
流石にそう言われてしまっては仕方がない。
毎度役立つクーリアのご両親の冒険者情報に従い、まずは宿を探す事に。
まぁ、そうは言っても俺もクーリアもこの街は初めてなんで、何処が良いとかは解らないから、看板と建物の大きさ、外観なんかで判断するしかないんだけどね。
そうして門を叩いたのが、『火鼠の衣亭』。
何だか名前だけ見てると日本御伽噺にでも出てきそうな名前だけど、中の作り自体は西洋風の木造宿だ。
ドアを潜って真正面にカウンターを兼ねた記帳台があり、年の頃40半ば位だろう恰幅の良い女将さんが座っている。
見渡してみればどうやら一階は食堂を兼ねているらしく、幾つかのテーブルにそれぞれ四脚ずつの椅子が設置されていた。
まぁ、まだ時間が時間だからか、食事を取ってる客はいないみたいだけど。
「いらっしゃい。今日は泊まりかい? 食事だけならまだ早いからやってないよ」
そんな風にどこか人好きのする笑顔で言ってくる女将さんに、部屋を取りたいと言うと二階の奥が一部屋開いているとの事。
「で、どうするね? ダブルだからベッドは一つっきゃないが、その分食事を取る位の広さは十分だし、もしそうするなら食事は運んだげるよ?」
その言葉に、クーリアに確認の視線を送る。
それで良いと言う様に頷いて来たので、そこに決める事にした。
「えぇ。でしたら、それで。それで夕方位に来るので・・・予約って形に出来ますか? ちょっと用があるので。それと役所の場所と、貴金属を扱っている店があれば教えて頂きたいんですが」
「あぁ、予約だね。良いよ。それじゃぁ、ここに名前書いて・・・一応、確認するからカードも見しとくれ」
言われるがまま、差し出された帳面にイツキ・ヤムラと記帳、カードを提示して本人確認。
って、このカードなんだけど、実は知らない間に出来る様になってた。
ここまでの道中、マローダーの燃料と貯水タンクの補充の為に使った『リロード』と同じで、まるで長年扱ってきた様にごく自然に発動出来るから驚いたけど、このセイリームって世界ではカードの魔術はそれこそ子供でも自然に出来る様になるものらしく、俺の体をこの世界用に作りなおした時に女神さんが調整でもしてくれたんだろうと予測。
まぁ、ここで辺にカードの発動にもたつきでもしたら、要らない不信感とか持たれそうだし、女神さんからしても必要不可欠な調整だったんだろうと思う。
下手にそれが原因で異世界人とかばれて騒がれるとかは、女神さんも望んでないってのはあの衝撃のチャットの時にも良く分かったしね。
逆に、俺が自分から異世界人だと名乗るのは良いんだそうだ。
ただしその場合は、女神さんの名前を背負い、自分の責任の下に全ての騒動を鎮めなければいけないそうだけどさ。
うん、今思い出しても結構な無茶ぶりだと思うよ。
そんな事を思い出してる間にカードの確認は終わった様で、女将さんは一つ頷いた。
「よし、良いよ。貴金属って言うと宝石関係かい? それなら、目の前の通りを右に少し行けば『水仔山羊』って店があるからそこに行きな。で、役所の方は何の用だい? 見たトコ、あんまり街慣れしてないみたいだけど、要件によっては役所じゃなくてギルドって場合もあるからね」
あぁ、成程。
その辺りはネット小説的な状態な訳かと納得しつつ、クーリアの奴隷契約を変更したい旨を伝える。
すると女将さんは何か納得した様に頷いて
「あぁ・・って事はその子は取得奴隷って事かね。それなら役所じゃなくて商業ギルドの方さね。さっき言った水仔山羊の真向かいだから、場所は解り易いだろうと思うよ。まぁ、契約と区分変更には銀貨数枚は掛かるって話だから、お金が足りない様なら先に水仔山羊から寄るんだね」
と教えてくれた。
それに感謝しつつも、事情を詳しく話していないにも関わらずクーリアを取得奴隷だと判断した事に驚く俺に、女将さんはカカカっと豪快に笑いながら訳を教えてくれる。
何でも、街道沿いで冒険者や行商なんか相手の宿をやってるだけあって、時々同じ様な人達が来るんだそうだ。
俺達みたいに奴隷商が襲われて生き残った商品奴隷だったり、または冒険者が所有していた戦闘奴隷だったりと様々だけど、そう言った事はそれほど珍しい事ではないらしい。
「それにイツキさんだったかい? アンタ、街もそうだけど奴隷の方にも慣れてないだろ? 余所余所しいって訳じゃないけど、何だかその奴隷の子に酷く気づかってるみたいに見えるからね。そんな偶然に取得奴隷を手に入れちまったって言う、駆け出し冒険者みたいな反応してれば解るってもんさね」
つまりは長年の経験則って訳だ。
まぁ、言われた内容もそこまで間違ってないし、そうかって事で納得しとく事にして、女将さんに礼を言って宿を出る。
言われた通りに道を右の方に少し進むと、額に大きな宝石を付けた水色の子ヤギの絵と、その下に水仔山羊の字が書かれた看板が掲げられた店を発見。
「水仔山羊は水の精霊の御使いで、心の清い者に財産を運ぶと伝えられています。遥か昔には実際に目にした方もいるらしいのですが・・・今は殆ど伝説ですね」
と言うのはクーリアの言葉だったが、それにあやかって宝石や貴金属を扱う店なんかでは水仔山羊の絵が看板に使われるってのは少なくないんだと。
いや、だからってそのままストレートに水仔山羊って店名は少ないらしいけどさ。
そんな会話を交わしながら店の中に入れば、流石に貴金属を扱う店だけあって綺麗なアクセサリーやら何かの置物らしき飾りものが飾られていて、ドアの脇には恐らく護衛兼警備役だろう剣を手にした男が2人、店内に視線を配っていた。
あぁ、成程。
だから店内にあるショーケース・・・と言うか、商品棚が全部俺達の腰より少し高い位の高さなんだな。
入り口に居る警備の視線を遮らないから店全体が見渡せるし、もし目を盗んで懐や腰元に入れようにも、懐だったら隠すものがなくて丸見え、腰元なら棚がじゃまで素早く隠すには向かないしで、防犯設備の発達してない時代ならではの自衛策って訳だ。
警備の男達は一瞬俺達に視線を向けたものの、そのまま何事もなかったかの様に店内に視線を移す。
うん、確り警備してるじゃないか。
ドアを潜った際に視線を向けるのは不審者かどうかの確認だろうし、その後視線を外すのは売り買いの邪魔をしない為の配慮って所かな?
まぁ、店内全体を見渡している分、必ず視界のどこかには客が入ってるんだろうけど、じっと凝視されたまんまじゃ売り買いしずらいからね。
現代日本と違って監視カメラだとない訳だし、それ位は客としても我慢のしどころって事だ。
そんな店内を真っ直ぐに進み、カウンターに座る年嵩の男性店主に声を掛けて手持ちの宝石を買い取って欲しいと伝える。
今回売るのは、転生準備で買い込んだアクセサリーの内の幾つかだ。
女性ものの下着や湯呑みたいな瀬戸物なんかも売り物候補として考えてはいたけど、寄り確実に売れる物と言ったら宝石や貴金属なんかが出てくるのは自然な事で、三億と言う予算を頼りにそれなりに買い込んできた。
いや、まぁ一つ数千万だの一億だのみたいに馬鹿高いのはないけどね。
大体安くて数万から高くて百万前後って所を中心に、ある程度の数は揃えてある。
ただ残念なのは、この宝石とか貴金属の類はリロードでは増やせないって事かな?
ま、それまで増やせたらセイリームの世界で貴金属を中心に価格暴落とか起きかねない訳だから、それは女神さんとしても当然考慮するだろう。
そして今回俺が売ろうとしてるのは、持って来た宝石の中でも高いものを一つと、数万クラスのアクセサリが五つ。
取りあえず、ドワーフ何かが居る世界でどこまでの値が付くかは解らないけど、現代の加工技術を凝らした逸品だ。
それなりに値が付いてくれると信じたい所である。
そして、結果を言うと――
「こちらの大きな金剛石の付けられたネックレスが白金貨一枚、こちらの指輪やイヤリング等はそれぞれ銀貨6枚ずつと言う事で宜しいでしょうか?」
と、まぁ、こうなった訳だ。
セイリームの貨幣価値的には銅貨一枚が1リームとして、銅貨・銀貨・金貨・白金貨・緑金貨と上がっていき、それぞれが100枚で上の貨幣一枚に換算される。
そして今回の売り上げは合計で白金貨一枚と銀貨三十枚の合計100万と3000リーム。
平均的な庶民が金貨1枚で2カ月暮らせるそうだから、これは結構な収入だ。
いや、その割には驚きが薄いって言われるとそうだけど、この辺りはまだこっちの貨幣価値に慣れてないって言うのと、元々、あのアクセサリーは地球の貨幣価値で合計110万位は掛かってるから、それを思うとってのが正直な所かな?
まぁ、それでも結構な値段なのは間違いないから、文句はないけどさ。
「ありがとうございました。またどうぞ、当水仔山羊を御贔屓に」
ホクホク顔で声を掛けてくる店主の声に見送られて水仔山羊を後にすると、そのままの足で真正面にある商業ギルドへ。
見るからに大きな作りの建物なだけあって中も広いけど、区分けされた内部は結構解り易い。
何せ、それぞれの担当カウンターの上には、担当区分を示す表札が確りと付いてるし。
ただ、さぁ・・・。
このセイリームって世界じゃ識字率が低いのか、読み書きの出来ない人にも解りやすい様、表札が区分を連想させる絵になってるんだ。
そりゃぁ、剣と盾で武器防具関係、宝石の絵で貴金属とかは良いんだけど・・・首輪を付けられて鎖で引かれる裸の女の子のシルエットが奴隷商ってのはどうなんだろ?
確かに解り易いっちゃ解り易いけど、余りに直接的すぎてちょっと引くぞ、あれは。
いや、まぁ、首輪だけなら魔獣使いって職業もあるらしいから、それ関連と間違われかねないだろうし、シルエットが男だったりしてもそれはそれで問題はあるんだろうけど、何つーかこう・・・タダでさえ良い印象のない奴隷って身分に、更に加速度的に憐憫を誘ってくるような・・・ねぇ。
ぶっちゃけ、あのイラストみたいに、首輪に着いた鎖で引き回される裸の女の子とか見かけたら、それだけでブチ切れそうな気がするんだが・・・。
あぁ、いや、実際に正規奴隷をそんな扱いは出来ないってのはクーリアの話でも検索エンジンで調べた事にもあったけどね?
なんかこう、イメージ的に嫌と言うか。
まぁ、ここでモヤモヤしてたってしょうがないから行くけどさ。
取りあえず、覚悟を決めてカウンターへ。
そう大きな街じゃないって事もあってか、奴隷関係のカウンターはそこまで混雑はしていなかった。
とは言っても、全くいないって訳ではなく、4人程待たされたけどそれは仕方がない。
俺みたいな取得奴隷云々は少ないとしても、このバナバの街でも規模こそ小さいながらも奴隷商が店を構えてるんで、購入した奴隷の正規登録だとかでそれなりに人は来るんだそうだ。
うん、そう言われてみれば確かに、ここからもう少し言った辺りにだけど問題のイラスト看板が掲げられてった建物があったなと思い出す。
何て言うか、あの時はイラストとは言え嫌なものを見たって感じでさっさと視線を逸らしたから気にしてなかったけど、あれがバナバの奴隷商館って事なんだろう。
そんな事を考えながら、少しの間時間を潰す。
この世界の商業ギルドは、良くあるネット小説だとかライトノベルに在りがちな、雑多な喧騒に包まれた場所とは違って、日本で言う所の役所なんかに近いイメージがある。
つまり、要件がある人間が係員と静かに相談を交わし、それ以外の人は静かに待つってのがマナーな様で、俺の前に居る如何にも荒くれって感じのオッサンも騒ぎださず、静かに待ってる位。
騒ぎを起こせば放り出されるって規則でもあるのか、時折小声でのやり取りこそあるものの、大っぴらに話す人間が居ないんじゃ、俺もクーリアと話しでもして暇潰しって訳にもいかないしね。
一方のクーリアと言えば、覚悟は決まっているとは言え、これから登録を済ませ名実ともに奴隷の身分になるって事でやっぱり緊張してるみたいだ。
まぁ、こっちも仕方ないと思う。
あんな事件さえなければ平民として村で静かに暮らせていた筈が一転、自ら身売りした訳でもないのに奴隷として正規登録しなけりゃならないんだから、そりゃぁ思う所だってあるだろう。
そんな彼女に今何が出来るかと考えて――
俺は隣に立つクーリアの手を握った。
理由は兎も角、今の俺は彼女の主で、彼女の不安を取り除く義務がある。
それに人肌の温もりってのは、やっぱり不安や恐怖なんかを紛らわせてくれるものだ。
主と奴隷って関係ならずとも、彼女を家族だと言うならその位はしなければ立つ瀬がないって事で。
突然手を握って来た俺にクーリアは少し驚いたの様だったけど、やがて理解してくれたのか、俺に向けて柔らかな笑みを浮かべて繋いだ手を握り返してくる。
そのまま、俺とクーリアは順番が来るまでずっと手を繋いだままで居た。