異世界での日常③ 「平和だ・・・」
午後になり、豪雨は未だ止まないものの、俺の心を翻弄してくれた嵐は一先ず去ってくれた。
うん、正直アレは凄かった。
別に女神さんが嫌いって訳じゃないんだけどさ、流石に暫くは勘弁願いたい所。
毎日あんなんじゃ、俺の心が疲弊してしまいますよ。
主に驚愕で。
そんな状況なもんで、もはやステータスを確認しようとかって気力も湧かない。
ホントは早めに確認しないといけないのは解ってるんだけど、どうにも、ね・・・。
うん、明日で良いや。
女神さん曰く、この雨の中を動く様な魔獣種はここらにはいないって言うし。
まずは心の休養も兼ねて、ノンビリしよう。
そう決めた俺は、IHヒーターにヤカンをかけてお湯を沸かしてお茶を煎れる事にした。
シンク近くの棚から取り出した茶葉を急須に投入。
後はお湯が沸いたら急須に注いで暫し待つ。
本来日本茶ってのは沸騰したお湯じゃマズイって話だけど、どうせ家じゃぁ98度保温の電気ポットから注いでお茶煎れてた訳だし、俺はそこまで味に煩い茶道楽って訳でもない。
ぶっちゃけ、注いだ湯のみが少し熱い位の方が、慣れてる分美味しく感じる位には舌が貧しい身の上だ。
まぁ、特に興味があるでもなく、ただ何となく飲んでいるだけの人なんて大体こんなもんだと思うし、どうせ落ち着く為に飲もうってだけなんだから、そこまで気にする程の事でも無し。
って事で、収納から取り出した二つの湯呑を箱から出してシンクで軽く水洗い。
箱に入ってたのは新品だからって理由。
いやぁ、こっちに来るに当たって、飲み慣れた湯呑は持って来ようかとも思ったんだけど、それはちょっとと思い留まった。
何て言うかなぁ・・・。
そう、思い出が多過ぎるんだ。
それでお茶飲む度に、『そう言えば、これって織絵が修学旅行の土産って買って来たんだよなぁ』とか、『縁側で時々一緒にお茶飲んだりしたよなぁ』なんて思い出してたら、何時まで経ってもアッチの世界を吹っ切れない。
思い出は思い出として心の中に残すにしても、完全に心を残したままってのはちょっと不健全が過ぎるだろ。
それじゃ、何時まで経っても本当の意味で前向いて異世界を生きるなんて出来る筈がない。
なので、近所の瀬戸物やで出向いた際に幾つか新品で購入してきた訳だ。
幾つかってのは当然、こっちでの資金獲得の為に売り物にならないかって計算が入ってる。
チート能力使って『俺TUEEEE! で俺無双!』とかやる気はないし、そもそも俺の貰った能力はそんなタイプでもないんで、まず異世界で資金を得ようと思ったら売れそうなものを持ってって売るってのが一番手軽な方法だろう。
その先、商売一筋でやっていくか、もしくは鉄板の冒険者なんてやって見るかは兎も角として、一先ずの宿だとか、装備だとかにどうしたって金は要る。
ネット小説みたいに、転生直後にモンスターとエンカウント、チート能力で軽く捻ったら実は高ランクの魔物でお金ガッポリ・・・なんて現実的じゃないし、流石にそれを頼りに準備を怠るとか、考えなしが過ぎるってもんだ。
まぁ、昨日を振り返ると多分に『お約束』要素が存在してた訳だけど。
と、それは兎も角。
取り出した湯呑は淡い青が主体の物と、黒みがかった緑色の物が一つずつ。
その内の黒みがかった緑の方を自分が使う事にして、淡い青の湯呑をクーリア用にする事にした。
「はい、お茶。それで、今からその湯呑はクーのだから。次からお茶とか飲みたかったら自由に使って良いからね」
俺がそう言うと、クーリアは少し驚いた様な表情を浮かべる。
「あ、あの・・・、お気持ちは嬉しいのですが、私は奴隷ですので自分の財産を持つ訳には・・・」
あぁ、成程。
奴隷自身が主の『財産』としてカテゴリーされる以上、個人所有の財産を持つ事は――この場合、湯呑一つとは言え――出来ないと。
でもなぁ・・。
それがこの世界での普通とは言え、地球で生きていた俺にはちょっと馴染めないって言うか・・・。
そもそもが俺のクーリアへの考え方って、『所有物で財産』じゃなくて『旅のパートナーで家族』って感じなんだが。
う~ん・・・。
と、そこで閃いた。
うん、この考え方なら行けそうだ。
「クー、奴隷は主人の財産って考えは解るけどさ。俺にとって一番大切な『財産』って、『家族』だと思ってるんだ。で、クーの事を『財産』として扱えって言うなら、俺は『家族と言う財産』として扱おうって思ってる。だからさ、別にクーリアが個人で何か持ってても気にしないよ? 結局、そう言うのって主人次第なんだろ? なら、俺達はそんな感じでやっていこう」
そんな俺の言葉を聞いてクーリアは涙目になってるけど・・・、俺、そこまで良い事言ってるかね?
『健康』だとか『家族』だとか、それ自体が何物にも代え難い財産ってのは、別に可笑しい考えても無い筈だ。
特に俺みたいな施設出の人間にとっては、心許せる家族ってのはどれだけ金を出しても手に入れる事の出来ない、かけがえのない財産だってのは実体験として痛感してる訳で。
そんな俺的には、クーリアは『商品』だとか『労働力』なんて意味での『財産』ってよりは、『これから絆を深めていく家族』って意味の『財産』って方がしっくり来る。
で、家族だってんなら、個々で自分が使う湯呑や食器、服とか趣味の小物とかって自分の物を持ってるのが普通で、態々『主からの支給品』だとか『主からの借り物』なんて認識を持たれるよりは、『家族からのプレゼント』程度に考えてくれた方がよっぽど気楽だって訳で。
「ま、そんな訳なんで。面倒くさい主に当たったとでも思って諦めてくれ。模範通りの主として奴隷を扱うとか、俺にゃぁ出来んわ」
なんて、ちょっと茶化す様に言って、椅子代わりのベッドに腰掛けて茶を啜る。
うん、飲み慣れた茶葉だけあって、飲み慣れた味だ。
そんな風にくつろぐ俺の隣で、クーリアは少しの間俯いて肩を震わせていたみたいだけど、やがて顔を上げて笑顔を見せてくれた。
「はい、それならそうさせて貰います。樹様、このユノミ・・ですか? ありがとうございますっ」
熱いお茶の注がれた湯呑を大切そうに両手で持って、満面の笑みでそう言ってくるクーリアに、俺はちょっとだけ苦笑。
何と言うか、ちょっとばかり大げさな気もするけど、まぁ、良いか。
その内慣れてくれるだろう。
そうやって納得する事にして、最初の問題に考えを移した。
こうやってお茶を飲んでノンビリってのも悪くはないけど、だからってそれで一日過ごすのはちょっと退屈だよなぁ。
かと言って、あれだけ午前中に驚かされたりしたもんだから、正直ノンビリゆったりってスタンスは崩したくない。
なら、と考えて丁度良いものがあるのを思い出した。
そうだよ。
俺、色々と音楽SDに落してたんじゃないか。
そうと決まればやる事は早い。
テーブル下の収納からSDを仕舞ったケースを引っ張り出し、ルビを頼りに目的のSDを探す。
一年がかりで落しに落したから大量のSDが仕舞ってあるけど、一応大枠での分別はされてるし、そこまで探すの難しくない。
『音楽』関係を修めた箱の中から、更に『インストゥルメンタル』の小箱を取り出す。
その中のSDカード群をゴソゴソと漁り、『リラクゼーション』とルビの振られたケースを選び出した。
この中にはケースに書かれたルビの通り、インストゥルメンタルの中でも特にリラックス出来る曲を選別して入れてあるんだ。
織絵と二人して曲を聞きまくりながら選んだ選りすぐり。
ノンビリゆったりと時を過ごしたいなら、これ以上は無い選曲が収められた一枚である。
見つけたSDメモリーをケースから取り出し、テーブル下の筐体に増設したSDカードリーダーに投入。
読み込まれたデータを開いて再生を選択すると、何処か木々のせせらぎにも似た楽器の旋律が聞こえてきた。
「あの、樹様? これは一体・・」
突然流れ出した音楽に、クーリアがキョトンとした表情で尋ねてくる。
ま、当り前か。
クーリアに取って見れば、音楽ってのは生で演奏されているものを聞くってのが普通で、何かに録音されているものを流すってのは初めての経験なんだろう。
こっちの魔法機器で録再機能が発明されているかどうかは別として、クーリアが暮らしていた村みたいな所までは、恐らく行き渡っていなかっただろうし。
実際、今でこそ録再機能付きのコンポだの何だのっては有り触れたものだけど、一昔前まではそれこそ限られた金持ちだけが買える代物だった訳だしね。
それを考えると、あったとしても王都なり何なりの規模の大きな街、それも富裕層の一部にしか普及してないって所だと見ていいと思う。
取りあえず、驚いているクーリアにPCを使って音楽を再生した事――例によって詳しい説明を除いて、そう言う事も出来るんだってだけだけど――を説明すると、
「そのぱそこん、でしたっけ? こんな事まで出来るんですね・・」
と驚きと感心が半々って表情で頷いた。
本当の意味で納得って言うには遠いかもしれないけど、今の所はこの程度の理解でいいと思うんだ。
俺自身に詳しく教えられるだけの知識がないってのも確かにあるけど、それを除いても時期尚早ってのが俺の意見。
もうちょっと今の生活に慣れてきて、俺がこっちに持ち込んだ現代機器に慣れて来たら、少しずつ使える様に教えてあげるのも良いと思うけど、まずは穏やかな日常って奴を送る事で、これまでの生活で溜まっているだろう心身の疲れを取る事から、だと俺は思う。
それに俺の方だって、まずはこのセイリームって異世界とクーリアとの日常ってのに慣れないといけないし、地球とセイリームの常識の祖語だとかも少しずつ埋めていく努力も必要。
さし当たっては、掛けっ放しのエンジン音に負けず、さりとて大き過ぎもしない程度の音量で流したインストゥルメンタルをBGMに、クーリアとノンビリお話でもしようかなってのが、当面の方針な訳だ。
家族としてやっていくって決めたは良いけど、俺ってクーリアの事殆ど知らない訳だし、時間が解決してくれるにしたって、歩み寄るって事を忘れたらその時点で家族失格な気がするからね。
織絵とだって、最初っから仲が良かったかって言われれば決してそんな事はなく、互いに遊んだり、話したり、一緒にご飯を食べたりって時間を過ごしたから仲良く過ごせた訳で、それはやっぱりクーリアとの関係にだって当て嵌る。
そう考えれば、この雨だって決して悪いもんじゃない。
順調に街に移動して見知らぬ街を見回って。
そんな異世界転生物のテンプレートも悪くないけど、こうして街に着くまでに一幕置いて、互いを知る時間が取れたってのは、それはそれで良いもんだと思うんだよ。
好きな食べ物だなんかの他愛のない話をするのも良いし、ちょっと気の重い話になるけど、クーリアに嵌められた首輪とか奴隷の立ち位置なんかも詳しく話し合って、改善できる所はしておきたい。
その為には、どうしたって手続きなんかも必要になるだろう。
奴隷の区分――今現在は恐らく『性奴隷』として登録されているだろうクーリアを、もしかしたら通常の身売り奴隷みたいな立場にする事だって出来るかも知れないし、それが可能ならクーリアの身を護るって意味も含めて、さっさと書き換えてしまうべきだ。
そしてその為にお金が必要なら、俺が持ち込んだものの中に何か売れる物があるのか、ってのも確認したいしね。
どうやったって、街なんかで生活しようと思うならお金が掛かる。
そりゃぁ、どっかの僻地に引っ込んでマローダーと亜空間車庫だけで完結する様な、引きこもり生活を送る事だって出来るよ?
そうすれば、クーリアの奴隷区分だとかも関係ないし、そうやって三年間我慢すればクーリアの安全に首輪も取れるってのも解る。
ただ、それってどうにも不健康な気がするじゃないか、やっぱり。
衣食住ってだけなら、マローダーと亜空間車庫があればこっちの文化レベル的に考えて、下手な街に住むより快適に暮らせると思う。
上下水道も発達していない、一部の上流階級を除けば風呂に入る事もままならない、なんて生活よりは、衛生面なんかでも余程良いんじゃないかとも思うけど・・・。
やっぱり、人は誰かと接して、色々な経験をするからこそ人なんだとも思うからね。
配慮すべきもの、警戒すべき事はしっかりと警戒して、その上でしっかりと対策を練るってのは必要でも、やっぱり人との関わりは断ち切るものじゃない。
ま、その為にもまずは、このセイリームで一番身近な存在になるだろうクーリアとのコミュニケーションを取る事から始めよう。
そう決めた俺は、お茶の注がれた湯呑片手に、クーリアとのコミュニケーションを図るべく口を開くのだった。