第7話 梅雨が明けて
特別手当の希望内容は伊達くんは手拭二十本、黒岩さんが雌鶏六羽、本田さんが弓などの猟具となった。女性陣は封書なので知らない。
リクリエーションになればと思ったんだが、こちらの意図とは異なる結果になってしまった。悪い訳じゃないけど息抜きも大事だよ。そういう事を言ったら黒岩さんに“そう思うならあんたが先ず息抜きしろ”と言われてしまった。別に俺は根詰めてやってる訳でもないし、かなり好き勝手してると思ってるんだけどなぁ……
取りあえず、希望内容を送るのに合わせて相談の手紙を書こう。
◇
書き物をしていると、邪魔……ではないが、よくやってくるのが居る。
ソピアがじゃれついてきて“遊べ”と要求する。美結さんも俺が書いている内容が気になるのか何してるかとよく聞いてくる。そして極めつけが子供たち。さすがに夜には来ないが昼に書き物をしていると高確率でやってくる。
「これは“サツマイモ”って書いてあるんだよ」
「さつまいも?」
「そう。これから植えるお芋だよ。他の人にも見せてごらん」
「あい」
このままだといつの間にか寺子屋になっている可能性がある。こういう子供の好奇心は大事にしたいし、文字を覚えたら彼らの人生の助けになりこそすれ邪魔にはならないとは思う。ただ、やるならやるで読み書き算盤がちゃんとできるまでしてやりたいものだ。しかし、学校は美浦に用意する予定なのだがどうしよう。
……いかんいかん。計算の途中だった。ええっと、確か収穫量と消費量の見込みから保管量を……
「サツマイモ言った」
「そうだろ」
「これ」
「三百キログラムって書いてあるんだよ」
「さんびゃくきろぐらむ?」
「そうだよ。うーんとね……」
ぐぉ!どこまでやってたかまた分からなくなった。続きは夜にしよう夜に。
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梅雨が明けたのか中休みかは分からないが、土も乾いてきたので憂鬱な憂鬱なジャガイモ掘りの時間がやってきた。美浦では今年は梅雨前に収穫できているだろうが、オリノコは去年の美浦と同じく作付けが遅かったので梅雨前に収穫はできなかった。
現代でも梅雨入りや梅雨明けは結果論であって、シーズン中の気象庁の発表は速報値でしかない。だから「梅雨入り(明け)したとみられる」という曖昧な表現になっている。昔は「梅雨入り(明け)宣言」ってやっていたらしいのだが、相手が自然であり影響を与える要素が多い事から予報が難しく、梅雨入り宣言があっても雨が降らなかったり梅雨明け宣言があったのに雨が降り続く例が多く、予報の的中率は高くなかった。
予報が外れた事へのクレームが多かったので気象庁は発表を取り止めたのだが、そうすると今度は取り止めた事へのクレームが殺到したそうで、曖昧な表現で速報値を発表するという玉虫色の対応をしている。
ちなみに確定値は九月に発表されるが、気にする人はほとんど居ないだろう。年によっては梅雨入りが無かったり梅雨明けがなかったりという事もある。梅雨入りが無いというのは奇異な気もするが、太平洋高気圧が梅雨前線を一気に押し上げた場合、梅雨入りする間も無く夏空になる事がある。西日本では数年に一度ぐらいの頻度でおこり、それほど珍しい現象ではないそうだ。梅雨明けが無いのは東北地方で偶に起きる現象で梅雨がそのまま秋雨に変わることがある。
梅雨明けがないというのは冷夏に直結しやすいので大変に困る。俺が生まれる前の話だが、平成五年は沖縄以外の地域で梅雨明けがなく冷夏による米の記録的な不作にみまわれ大騒動だったらしい。大正時代の米騒動になぞらえて『平成の米騒動』とも呼ばれている。
◇
梅雨に託けて現実逃避していてもジャガイモ掘りはやって来る。
「最初にこのように横から鋤を入れます」
「次に反対側からも鋤を入れます。一人でやると行ったり来たりで面倒なんで二人でやると良いですよ」
「両側から起こしたら茎を持って引っこ抜きます」
「食べるのはこの部分ね。この芋の部分と他の部分は分けておくように。他の部分には毒があるから食べないように」
何で俺が説明してんだろという疑問はさておき、見本を見せながら説明する。
してみせて
言って聞かせて
させてみる
上杉鷹山公の言とも伝わっている含蓄深い良い言葉だ。
鷹山公は他にも「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり」という名言も残している。
こちらは中国の古典の書経にある「弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん)」や武田信玄の「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなき」に源流を求める事ができると思う。
「それじゃぁ、やってみてください」
してみせたし言って聞かせたので、次はさせてみる。
最初はたどたどしかったのだが数をやればちったぁ様になってくる。ある程度様になったら交代させて全員に経験させる。
「それじゃぁ最後は土に残ってる芋を掘り出します」
これやっとかないと後々面倒な事になる。
◇
収穫したら食してみるのは当然の事。
ただ、ここでは他の材料や調味料などの関係から作れる料理があんまりない。出せるのは蒸し芋と出汁煮ぐらい。フライドポテトやポテトチップスといった揚げ物は油がなくてね。
好評だったのは幸いだが、ジャガイモは注意しないと食中毒を起こすからそこらの周知をしておかないと危ない。
芽が出てたら取り除く事や光に当たって緑になっている物は食べない辺りはもちろんの事、小さい物や皮も食べないように言っておく。
ジャガイモには毒性のあるソラニンやチャコニンというアルカロイドが含まれていて、葉や茎や実(生る事もある)は食べられない。芽の部分や緑になった部分にも高濃度にあるので注意しないといけない辺りはよく聞く話だと思う。
しかし、実は皮や皮に近い部分にも低濃度ではあるが毒素が含まれている。
食べられないように毒をもっているので外側に毒を配分しているのはある意味分かり易い。
皮は大人が付け合せ等で食べる程度の量ならどうこうなる摂取量にはならないのだが、子供だと中毒を起こす可能性がある。
また、小さいジャガイモだと、重量あたりの表面積(皮の量)が大きくなる。つまり小さいジャガイモは普通の大きさのジャガイモに比べて毒素の濃度が高くなってしまう。
それと葉や茎が黄色く変色する前の未熟なジャガイモも比較的濃度が高い傾向がある。市販されているジャガイモにはそんな未熟な物は含まれていないが、家庭菜園や学校の授業で栽培した物には未熟な状態のジャガイモを収穫してしまう事がある。
小学校の授業で作ったジャガイモで集団食中毒事件がそれなりに起こるのは、未熟で小さいジャガイモやジャガイモの皮の危険性が周知されていないのと子供は大人に比べて毒への対処能力が非常に低い事への啓蒙がない事が一因だと思う。
他の食中毒源でもそうだが、大人だと“ちょっと腹が緩いかな?”程度で済む物でも子供や年寄りだと命に関わる重篤な状態になる事がある。東雲家では母親の方針で小学生以下は刺身や握り寿司を食べてはいけないとなっていたのはそれを知っていたからだと思う。決して吝嗇な訳でも、おかんが生ものが気持ち悪くて食べられないからでもない……と信じたい。
神経質かもしれないが、安全側に振っておきたい。
ソラニンは水溶性なので水に晒すのは毒抜きの手段にはなるが過信は禁物。
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美浦から塩壷と塩が届いた。
配達人は剛史さんと匠の二人。
何となくだが、オリノコに無いであろう形状や焼成方法の塩壷にどんな反応を示すのかを見てみたいってのが二人にはあるんじゃないかと思ってる。
塩壷にはご丁寧に『食塩』と絵付けされている。どこかで見た気がしたと思ったらその通りで、出端屋敷で使っている塩壷の中から選んで持ってきたそうだ。
梅雨時季に焼成はできないとは言わないがやり難いんで、塩壷量産は天候次第って言われた。出端屋敷の代替処置は源次郎さんが木地(漆器作りにおいて漆を塗る前の物を素地といい、素地が木工品の場合は木地とも書く。木地を作る職人を木地師ともいう)で何とかするんだとか。
そうそう、先日栗原さんの赤ちゃんが産まれたとの事。女の子で名前は有栖ちゃん。ただ、産後の肥立ちは芳しくないそうで、今のところ有栖ちゃん共々お母さん大連合のサポートで凌いでいるそうなのだが心配だ。
◇
贈答品が届いたし、梅雨も明けた可能性があるので「遣ホムハル使」を立てよう。
ハツ村長の推薦はラのやのラクさんカケさん夫婦。
カケさんはホムハル出身で子供もほぼ成人しており留守にしても手が掛からないなどが理由であり、こちらとしても特にどうこういう必要を感じない。
ラクさん夫婦の上の息子二人は例の火事で火傷を負っていて特に兄のラトくんは危なかったのだが、現在は二人とも回復している。この点でも悪い様にはならないだろう。
「これ なに」
「これ 食べる これ 塩 食べる塩 食塩 いう」
大人ともピジン言語的ではあるがバーバル・コミュニケーションができるようになってきた。
この塩と塩壷を贈答品にしてお二方にホムハルに向ってもらう。ハツ村長からジャガイモも持っていったらという提案があったけど、取り扱いを誤れば毒になるから却下した。