第1話 二度目の田植
春蒔きの粟、稗、ジャガイモの種蒔き、植え付けが一段落したので、美結さんと俺は美浦に向かっている。美浦の田植が待っているのだ。
現代日本ではゴールデンウイークに田植をする事が多いのだが、これは兼業農家がまとまった休みを取れるのが大型連休というのが大きな要因としてあるのであって、田植の適期は地域によって異なるが、五月中旬から六月頃らしい。
そして今年の美浦は田んぼの四分の一にあたる三町歩に麦を植えている。しかもできるだけ交雑を防ぐ為にバラバラの場所に植えているので麦を刈り取って土が落ち着くまで田植えができない。
麦の刈取りはだいたい麦秋の頃つまり初夏で、グレゴリオ暦で五月下旬から六月上旬ぐらい。美浦暦だと六月上旬から下旬ぐらい。つまり六月中旬から下旬に田植が可能になる。秋川家にその積りで育苗してもらっているとの事。
麦の刈取りが終わると施肥と耕耘をして土を馴染ませる期間をおいてから、水入れ、代掻き、畔塗までやって初めて田植ができる。ここらは真剣に時間との闘いになる。水入れまでは何とかなっても代掻き、畔塗、田植の労働力が足りない。奈緒美と文昭はキャンプ場に出張しているのも痛い。
そして何より昨年の二十四倍の面積に田植する事になっている。
そこでオリノコ派遣班から戦力になりそうな者を召還する事になり、美結さんと俺が助っ人(?)として美浦に向かう。本当は伊達くんと大林さんもと思ったのだが、オリノコを放ったらかしにできないので断念した。この人選については美浦というか将司の示唆があった。美結さんの里帰りというと語弊があるがご家族に会わさないとっていう側面もある。
そういう訳で美結さんと美浦に向っている。
五月末となると草も相当生えてくるので月に二、三往復程度の通行量だと道擬きなのか草原なのかの判別が付きにくくなっている。
対策としてしこたま目印を付けているので迷いはしないが、なるだけ草刈りしながら進んでいる。一時間毎に小休止を入れつつ――草刈りしながらなんだからそうじゃないと死んじゃいます――昼前に岩崎を越えた。ここからは大川沿いに進むだけなので文字通り一山越えた。良い頃合いなので昼食がてら雑談タイム。
「気になってたんですが……いつも持ってますけど、それ何なんですか」
昼食を食べ終わった後におずおずという感じで銃袋を指さしながら聞いてきた。。
「へ?ライフルだけど」
「ライフル!?」
何驚いてんの?飛び道具なしで野生の王国を進む気はないし、オリノコには伊達くんにエアライフルを託してある。
「どこからそんなものを」
「元々あるんだけど」
「……何であるんですか!」
「俺らが猟友会の会員で鳥獣被害対策実施隊員だったから持ってる」
「……みんな知ってるんですか?」
「宣伝はしてないけど知ってるんじゃない?俺らか楠本夫婦がパトロールのときは持ってたじゃん」
「……知らない」
「もうちょっと周りを見ようね」
「むぅ……それ本物ですか?触らせてもらっても良いですか?」
「それは駄目、銃の取り扱いを修めた者以外はお触り禁止です」
「えぇーけちぃ」
「事故防止の為です。ご理解ください」
「じゃぁ銃の使い方、教えて」
「私の一存では決められません」
「うぁ、お役人みたい」
「だって俺にそんな権限無いもん」
「でも楠本さんには教えたって事でしょ?」
「あんねぇ……楠本夫婦は本職。俺らがアマチュアで二人はプロ」
「へ?」
「二人とも自衛官だよ。政信さんは防大出身で精鋭部隊に配属されるエリート、奈菜さんは退職してるけど元看護陸曹で、政信さんが言うには射撃については政信さんより上手いらしい。つまり俺らより高度な教育訓練を受けていて俺らより上手な人達なの」
「…………」
「軽くでいいから各自のバックボーンとか信条とか特技とかを抑えておかないと地雷踏むかもよ」
「……何か他人の事情に嘴を突っ込むのって好きじゃないんです」
「頭の片隅に置いておくのと、嘴を突っ込むのは違うよ。事情を知ったら解決しなきゃって思っちゃいけないって。知ってるけど当人がしないと意味が無いから放置してる事とか一杯あるし……見て聞いて考えれば案外分かるしトラブルの予防にもなるよ」
「……じゃぁ色々教えてください」
「そろそろ出ようよ。話は歩きながらにしないか?」
構成員の諸々を話して聞かせた。内容は当の本人が公言している事など差し支えの無い範囲での事実の伝達にとどめたが想像よりもしつこかった。歩きながらにして良かった。休憩のままだったら日が暮れていた。
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旭広場に一番近い田んぼの半分ぐらいを占めている育苗箱たち。
確か二千枚近くあった筈。オリノコ発見前に準備を進めていた苗たちは順調に育って青々とした葉が四、五枚でていて成苗と言われる段階に達している。後は田植を待つばかりの状態。
“苗半作”という言葉があって、苗の良し悪しでその年の作柄の半分は決まると言われるぐらい育苗は重要な工程なので、きっちり仕上げるあたり秋川家の熟練の技を見せ付けられた気分だ。
田植する苗は、主にマット苗とポット苗という種類というか育苗法がある。
マット苗は育苗箱に種籾を密に蒔いて苗の絨毯のように育ててこれをちぎりながら田植えする。対してポット苗は直径一六ミリメートル、深さ二五ミリメートルぐらいの穴に一~四粒ぐらいの種籾を育てる方法で、ポットから引き抜いて田植えする。
ポット苗の利点は成苗まで育ててから田植えするのと根を千切らないので硬化苗で田植するマット苗より活着がよく生長も良好になりやすい事。
しかし、日本の田植機はマット苗から発展したのでマット苗に対応した田植機の方が一般的で、ポット苗用の田植機に更新しないといけないなどの要因もあって主流はマット苗のままとなっている。もちろんポット苗に対応した田植機も存在するが、ポット苗が主流な北海道を除けばあまり普及はしていないらしい。
だが、美浦ではポット苗。
五百個ほど開けたポットの中に二粒前後ずつ種籾を入れる地味で辛気臭い作業をした覚えがある。数が数なので手空きの者を総動員して一週間ぐらいかかったかな?
マット苗なら手作業でもやってやれない事はないが、この数のポット苗をこの人数でやるのは骨が折れる。確か土入れて種籾入れて覆土するまでをやってくれる機械があった筈――手作業なら普及しなかっただろうぐらい手間暇がかかる――なんで作れないか検討だな。奈緒美と文昭が帰ってきたら進言するよう手配しよう。
ポット苗にした理由は幾つかあるが、田植器はポット苗の方が都合が良いというのは大きなアドバンテージ。田植器というのは、植える間隔に筒を並べて、その中に苗を落とせば苗が田んぼに突き刺さるという動力も駆動部分も何も無い装置で、去年の田植で実験稼働したが素人がぶっつけで二反の田植ができた実績がある。手植えの昨年実績は〇.二から〇.三反だったので植えるだけなら八倍ぐらいの能力を持っているので、今年植える十二町歩から考えると田植器が無いと無理がでる。
田植器にも改良が施されていて、苗箱を四箱携行できるよう棚がつけられている。株間三十六センチメートルで植えれば田んぼの長辺を二往復できるので弾の補充と弾替えが楽にできる。条間も三十六センチメートルなので長辺五十メートル、短辺二十メートルの田んぼ一枚を植えるには六~八往復ぐらいでできる。
「これから割り当てを再確認します。まず田植の方、東から一番は志賀さん、二番は……」
冬の間に作っていた田植器の数は十二基。
一基あたり一町歩だから一日に二反植えたら五日間で植え終わる計算になる。十二人が田植器で植えて、残りが苗箱運びという段取りで進める。
基本的には女衆が田植で男衆が苗運びという布陣で臨む。これは苗運びの方が力仕事だからこうなっている。苗箱って一つ七キログラムぐらいあって結構重いのよ。これを持って遠いところなら五百メートル以上の距離を運ぶ事になる。
一時間に四箱ぐらいのペースで植えられていくので一往復十五分というペースで供給しないといけない。片道五百メートル往復一キロメートルを十五分なので、やってやれない事はないが結構しんどい。やっぱ苗運搬車のようなのが欲しいな。
苗運びも大変だけどそれ以上に大変なのは苗出し。苗代から苗箱を取り出すペースは一分に一箱というハイペースがずっと続く。ここも何か器具を用意して流れ作業にして負荷軽減したい。
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「そったら、きわ植えっど。西は東雲くんと……美結、頼めっか?」
本日最後の苗箱運びが終わると悠輝さんから声が掛かる。
田んぼの両端は田植器を転回させるので植わっていないから手で補植する。別にきっちり全部植える必要はないので残った苗が足りなければ空いたままにしておくし苗が余ったばあいは持って帰る。余った苗を田んぼの端とかにおいておくと、いもち病などの発生源になる事もあるので回収する。回収した苗の数にもよるが、少数ならバケツ稲も悪くないとは思う。
「ちゃっちゃとやって日暮れまでに終わらせよう」
「ここはこっち側だけですみそうです」
全部の田んぼに同じ数の苗を出してはいるが、植える間隔の微妙な違いで余ったり不足したりという事態が生じる。最後の苗箱が三分の一ぐらい残るのが理想状態なので、足りなくなるのは密に植え過ぎだし大量に余るのは疎にし過ぎという事。残量は控えておいて明日以降の作業の参考にしてもらおう。
苗は通路側から補植して余れば水路側にも植える。田んぼ一枚あたり十五~二十分ぐらいかかるから、割り当てからすると二時間前後かかる見通し。
「間隔は条間・株間とも三十六センチなんでよろしく」
「凄く広いですよね。良いんですかね?」
「奈緒美がそう言ってるし親父殿も納得してるんでしょ」
「まぁそうなんですけどね」
多くの田植機の条間が苗箱の幅と同じ三十センチメートルで作られている事から苗の疎密は株間で調整するのが一般的で、条間三十センチメートル、株間十五~二十センチメートルぐらいに植える事が多い。
だから条間・株間とも三十六センチメートルというのはかなり広い間隔。疎植栽培と言われるものでも条間・株間は三十センチメートルぐらいだから、それの一.二倍の間隔があり一株あたりの面積だと一.四四倍になる超疎植栽培になっている。
同じ面積の田んぼに倍の数の苗を植えても大して収穫量は増えない。というか収穫量は落ちる方が多い。土の栄養素や日光を奪い合う事になるし、病気なども発生しやすくなってしまうのが原因と思われる。
逆に言えば疎にしても大して収穫量は落ちない事を示しているとも言え、奈緒美が言うには少なくとも三十センチメートルの疎植栽培では既存の間隔と同等の収穫量があるそうだ。疎植栽培だと苗はその分少なくて済み、場合によっては半分の数の苗で同等の収穫量が見込めたりする。土が育っていないから土の負担を少なくする超疎植栽培という事で話はついている。
二人とも喋りながらも手は動かしているので田植組の作業終了の一時間後には終わる見込み。田植組の風呂が終わったあたりで風呂に与れるだろうから頑張ろうか。