幕間 第9話 塩
安藤一平の場合
僕と由希は美浦ができて直ぐぐらいから塩づくりに携わってきた。
週の頭にドラム缶一個分ぐらいの分量の海水を汲んできて水槽を満たす。それから水槽に簾のようなものを浸しては乾かしというのを繰り返していくと週の終わり頃には半分から三分の一ぐらいの分量まで水が蒸発している。それを塩釜で炊くと溶け切れなくなった塩の結晶ができる。これまでそうやって月に二十キログラムぐらい製塩していた。
製塩を任された当初は正直こんなに塩がいるのかと思った。
家庭科の宿題で母さんに聞いたときは確か五人家族の家だと三ヶ月で一キログラムを使うか使わないかぐらいだと言われたから五人で年間四キログラムぐらい。それなら二十数人なら年間二十キログラムもあれば十分で、一ヶ月で一年分できるんだから作り過ぎとさえ思った。
しかし家庭内で料理に使う塩の分量はそんな物でも、加工食品や外食で使われる塩とか、醤油や味噌の中に入っている塩とか、直接口には入らないが漬物の製造とかヌメリを取る用途などに使われる塩もあって、直接口に入るかどうかは別として食料品に関わる消費量は一人年間十キログラムぐらいになると聞いて吃驚すると同時にどこか納得もした。
一ヶ月二十キログラムで二人分、かけることの十二ヶ月で二十四人。結構ギリギリの量でしかなかった。いや冬場の減産を考えると足りなかったが正解か?
吃驚ポイントはもう一つあって、日本では塩の八割弱がソーダ工業っていう塩素とかナトリウムを使った工業製品の原料として使われ、食塩として市販されているのは全体の三パーセントぐらいしか無いって事。残り二割は味噌や醤油や加工食品などの食料品の製造をはじめとした産業用に使われているらしい。
初冬に流下式枝条架併用塩田という製塩施設ができて、一回目の製塩では半月かけて百キログラムぐらいの塩が採れた。半年分ぐらいの量が半月で……これまでの苦労はなんだったんだ。どういう事なのかと思わず東山さんに聞いてしまった。由希が言うには“アレは抗議だった”らしいけど。
「流下式枝条架併用塩田でしたっけ?どうして最初からそうしなかったんですか」
「海水ポンプが無かった」
「ポンプはありましたよね」
「ありゃ淡水用だ」
「そもそも何でポンプが要るんですか。手でやってもいいじゃないですか……簾たらしてたのが馬鹿らしいぐらいの生産量なんですよ。何であんな事させたんですか。方法は知ってましたよね」
「……将司か義教にでも聞け。俺に聞くな。めんどくせい」
塩田製作の指揮者なのにと思いつつも取り付く島もなかったので芹沢さんに聞きに行ったのだが東雲さんに聞くようにとたらい回し……なんか東雲さんにばっかり聞いている気がする。
「うーん……何から話せばいいか……えと、十倍の生産量って事は十倍の海水を汲まなきゃいけないってのは良いよね?」
「ええ、そりゃそうです」
「一ヶ月に二回操業するとして、一回の操業に必要な海水が四キロリットル……ガソリンスタンドとかの灯油配達しているタンクローリー二台分の分量だ。桶で一回に汲む量が二十リットルとして二百回汲んでくる計算になる。今までは週頭に十回だったよね?」
「うっ……でも規模を小さくすれば」
「流下式ってことは流れ落ちた鹹水をまた汲み上げないといけないんだよ。汲んできた海水が半分になるまで流下盤に流すけど、何回も回すから毎日汲み上げないといけない。というか一日中汲み続けるって事になる」
「……」
「流下盤はまだ一メートルぐらいの高さだからいいけど、枝条架だと……」
「それって目の前が真っ暗になるんですが」
「でしょう?つまり海水ポンプがないと」
「死んでしまいます……でもポンプが無かった頃はどうやってたんですか」
「流下式枝条架併用塩田っていつ頃から使われ出したか知ってる?」
「知りませんけど……江戸時代とかですか?」
「戦後だよ」
「……」
「意外と新しいだろ?海水ポンプがないとできないっていう実はかなり高度な手法なんだよ。もっともあれだって本物に比べたら鼻で笑われるぐらいの生産能力しかないんだけどね」
「じゃぁそれまでっていうか戦時中も塩田に海水を撒くってやり方で塩作ってたんですか」
「それって揚浜式塩田って言うんだけど、もう一つ入浜式塩田っていって満潮の時に塩田に海水が入るようにして、人力で海水を撒かない方式もあるんだ。こっちの方が労力が掛からないから干満差が大きいところは入浜式じゃないかな?赤穂浪士の赤穂藩は入浜式塩田の先駆けみたいな感じだったし、干満差が大きい瀬戸内海沿岸には入浜式塩田が多かったらしいよ」
人口潮溜まりの高さに塩田を造ってって感じかな?確かに汲んできて撒かなくてもいいならその分は楽なのかな?
「ここは干満差があるんですから入浜式でしたっけ?それにしなかったのは」
「干拓地に造らないと大変なんよ。だから諦めた。海水ポンプが駄目だったら取り掛かるって案もあったよ」
「揚浜式でしたっけ?そっちは」
「やりたかった?でもどこでも造れる物じゃ無いんだわ。三和土とかまだ作れなかったから撒いた海水が地面に浸透して労力の割りに生産量が乏しい結果になったと思う」
いつも僕らの疑問に面倒がらずに答えてくれる。答えてくれた事は言われてみればもっともな事ばかりなんだけど、それは僕が碌に考えて無いって事なんだろうな。
とりあえず、限られた選択肢の中でアレが一番マシな方法だったって事か。海水ポンプができて流下式枝条架併用塩田が稼動して塩不足の懸念が払拭されたのはありがたい。
「分かってもらえた?それでね、将司から頼まれたんだけど、製塩作業は白石さん達に引継ぎして欲しいんだ。引継ぎが終わったら漁の方に専念して貰えるとありがたいって事なんだけど、どうかな?」
「えっと……由希は?」
「二人で手が足りないなら何か手を考えるけど」
「やってみて厳しいようだと相談します」
「よろしく」
製塩を続けたいのかと聞かれたらそんな事も無いんだけど何か複雑な気分だ。
■■■
黒岩直樹の場合
「クラッチ繋ぎますよ」
「応!やってくれ」
エアロバイクのような物を漕いで弾み車をまわしている。
弾み車の回転が安定したところで本田くんがクラッチを繋ぐと多少負荷が増えた感はあるが大したことは無い。弾み車の回転を上げるまでは若干の負荷はあるが、一度回してしまえば後はジムのエアロバイクより楽な負荷しかかかっていない。もっとも一時間漕ぐと思えばその程度の負荷じゃないとやってられないが。
クラッチを繋ないだので、連動しているポンプが駆動し鹹水漕から吸い上げた鹹水が幅十メートル、長さ二十メートルの流下盤に流れていく。
ポンプから毎分四リットル――普通に蛇口を開けたぐらいの流量――ぐらいを続けて欲しいとの事。そうは言っても吐水流量を測れるわけでもないので、実際には弾み車の回転計(笑)の表示をできるだけ一定に保つって事になる。
弾み車の回転軸に取り付けられたヤジロベエのような器具が遠心力で開く角度でおおよその回転数を推測するのだそうだ。遠心ガバナーの一部とか言っていたが遠心ガバナーが分からない。動力化する時の布石とかなんとか。まぁ回転が速くなれば広がり遅くなると閉じるというのは直感的に分かるからそれでいいや。
◇
「黒岩さーん、そろそろ交代の時間でーす」
「分かりました」
白石チーフの声に応えてエアロバイク擬きから降りて一休みする。
幾ら低負荷とはいえ一時間も漕ぐと汗の一つもかくが、一、二時間程度だったら別に問題ない。一日中やれって言われたら思うところはあるが……
次に漕ぐのは三時間後だからこれで午前中の仕事はお仕舞いで次までの空き時間は自由にして良い事になっている。
ただ、この自由時間は罠だと思う。
ノルマを果たしていれば残り時間を自堕落に過ごしても別に文句は言われない。しかし、そうしていると存在価値も認めてもらえない。
最低限の仕事もしないようなら放逐されるんじゃないかな?
余裕がある訳でもないのだから居るだけでマイナスの存在である正真正銘の穀潰しを飼っておく理由なんて何処にもない。
だが最低限の仕事さえしていれば良いというものでもない。最低限の仕事など積極的に排斥されない最低条件でしかなく、収支がプラマイゼロの居ても居なくても如何でもいい人でしかない。というかノルマ自体は真面目にやれば二時間とかからずに終わるものが大半というあたりからすると最低限の仕事だけならマイナスじゃないかな?
そう考えると、自由時間は好き勝手遊んでいい時間じゃなく、その時間を使ってどれだけ貢献できるかという事を問われているのだと思う。怠けようと思えばどこまでも怠けられるだけに自主性や自律性をはじめ、人間性が問われると思った方が良いか。こういうのを何処かで聞いた事があるような気がしたが、どっかの企業が勤務時間内に業績に直結しない自由研究の時間を設けて云々って奴を思い出した。ある意味ではもの凄く厳しい制度だと思う。
芹沢さん達は、俺のような凡人と違って何も言われなくても当たり前の様に努力してそれを努力とも何とも思わない人種なのだろうな。学年に一人二人ぐらいそういう奴がいたっけ。親に“勉強しなさい”なんて言われる事もなさそうだな。親が言う前に勉強しているんだから言われる事もないって奴。もっとも、そういう人材だから開拓村建設なんて事ができたんだろうな。俺には無理だ。
現状で俺ができる事って何だろうな。
川漁とかどうだろうか。実家の漁師を継ぐ気は無かったけど、手伝いはしてたから多少はやれると思う。いや、どんな川か見てからだな。そんでもってちょろっとやってみよう。
「里川だっけ?あれあっちだったよな」
先ずは一歩。一歩歩いたら自然と二歩目も歩めるものだ。
穀潰しや空気は御免こうむる。凡人の俺にもプライドはある。
■■■
五十嵐玲菜の場合
私は塩が好きだ。
岩塩が好きだ、海塩が好きだ、藻塩が好きだ、焼塩が好きだ、シーズニングソルトが好きだ。死海の塩など絶対一度は賞味したいと誰もが思う筈だ。
塩梅という言葉のとおり食材を生かすも殺すも塩次第であり、徳川家康の側室のお梶の方も“一番美味しくて一番不味い物”として塩を挙げて家康や重臣を感心させている。また塩は人間に欠かせない物として古今東西塩にまつわる逸話は数限りない。
私は子供の頃からおやつ代わりに塩を舐め舐めしてきた。別に貧乏だからではなくそれなりに裕福な家だったけど私が塩を舐めるのが好きだという事。お小遣いを握り締めて色々な塩を買っては舐めていた。塩分の取り過ぎガーとかいう人もいるけど取りあえず今の所は健康体。
私がキャンプ場を離れたのは、誘われたのもあるけど決定的に塩が足りてないのも要因の一つ。薄味でもそれはそれでいいし美味しく頂くんだけど、塩が舐めれないのは凄いストレスだった。
美浦の製塩設備が私達が遭難した台風で大破したと知った時は凄くがっかりしたのだけど、流下式枝条架併用塩田を造ると聞いて狂喜した。
専売制度で潰されるまで上質の塩を作っていた方法で、塩の自由化の後に幾つか復活している所もあり、見学に行った工場でも再現した物があったりした。
あのお塩が舐めれるなら私は戦える。
◇
枝条架に鹹水が滴っている。鹹水漕の濃度を見るにこの作業も今日一杯で十分だろう。五日間繰り返し流下盤に流すことで塩分濃度を五~六度ぐらいまで濃縮すると、濃縮装置を流下盤から枝条架に変えてこちらも五日間ぐらいかかるが十一~十二度まで濃縮するのが流下式枝条架併用塩田のやり方。
飽和食塩水の質量濃度は摂氏二〇度で二六.四パーセント、一〇〇度で二八.二パーセント、沸点の二〇七度で二八.四パーセントぐらい。だから三~四度の海水を十倍近くまで濃縮しないと塩は析出しない。容積が十分の一ぐらいになって初めて塩が出だすって工場見学の時に聞いたことがあるから概ね合っていると思う。
濃度を上げるときにでてくるのがポテトのパラドックス。
含水率九九パーセントのポテト百キログラムを一ヶ月保管したら水分が抜けて含水率が九八パーセントになっていた。この時、ポテトの重量は何キログラム?って奴で、答えは五十キログラム。水分以外の濃度が一パーセントから二パーセントになるっていうのは濃度が二倍になったという事。そうすると総重量は逆数の二分の一になる。直感と事実が乖離している逆説の代表みたいなもの。
海水から塩分濃度を十倍にするという事は総重量を十分の一にしないといけないから比重変化とかもあるけど容積もだいたい十分の一になる。四キロリットルの海水を四百リットルまで濃縮しないと塩が出てこない。
直接海水を熱したら大量の燃料が要るというのは誰でも分かると思う。百キログラムの塩を得るのに直接煮詰める方法だと理想状態でも一トンぐらいの薪が要る計算になるらしく、実際には四トン以上いるんじゃないかって話。塩田で十数度まで濃度を上げたら二百キログラムぐらいの薪で済むそうなので森林資源と労力の節約にもなる。それでも薪を大量に使うのは確かで、製塩用の薪を採るための里山を塩木山などと言う事がある。
塩田での濃縮は、大雑把には流下盤で半分になるまで濃縮して倍の濃度にし、枝条架で更に半分になるまで濃縮すると元の四倍の濃度になる。四倍まで濃縮されて十数度の鹹水と言うと、そのまま塩漬けを作るソミュール液として使えるぐらい濃い物になる。
前のバッチでは百キログラムぐらいの塩を得るのに薪を三百キログラム近く使ったと言っていた。直接煮詰めるなら四トンぐらいの薪がいるとしたら、三.七トンの節約になる。立派な木一つを全部薪にしても乾かしたら百キログラムぐらいだった筈だから、塩田で濃度を上げる事は三十七本ぐらいの木を伐って薪にして乾燥させる労力との交換。十分割に合うと思う。
ただ、前任者のやり方は私が体験した方法とは異なっていた。
塩田から採った鹹水を煮詰め続けて塩を得ていたのだけど、私が体験学習でやったのは、最初に荒炊きといって濃度を二〇~二七度ぐらい、つまり飽和食塩水ぐらいまで煮詰め、それを一度寝かす工程が入っていた。そして寝かせた鹹水を濾過してから本炊きに入って塩を得る。
これは科学的に見ても理に適っていて、炭酸カルシウムや硫酸カルシウム(石膏)の方が塩化ナトリウムより先に析出するので荒炊きで炭酸カルシウムや硫酸カルシウムを結晶化して濾過で取り除くことができる。
それと苦汁成分の硫酸マグネシウムが析出しても加熱を続けてたようだけどそれも余計ね。
塩釜炊きは改善提案しましょう。
その方が美味しいお塩も得られるし薪も節約できるし良い事尽くめ。