第5話 暇つぶし
何か土掘りしたり木を切ったり石や土を運んだりと土木作業ばかりしていた半年だった気がする今日この頃。暦も十一月に入り初霜も降りたし木枯らしも吹いた。軒先には渋柿や大根が干されて風に揺れている。もう冬の足音が行進のように聞こえてきている。
最近ソピアが冷たい。俺の左肩と頭の上は私の指定席よとばかりに内でも外でも鎮座していたのに、この頃は玄関に行ったらそそくさと降りてしまうし、帰ってきてもしばらくは「お前冷たいんだよ」とばかりに近寄ってこない。風呂上りなら寄ってくるけど……
田んぼを耕起して大麦小麦が播種され、タマネギの幼苗の選別と植え付けも終わった。収穫はもう少し先になるが白菜、ネギ、夏蒔きのニンジンもぼちぼち育っている。鍋物だね。うんうん。
田畑も専属で取り掛かるような事もなくなり、種苗が充実する来年以降は知らないけど今は農閑期と言ってもいいかも知れない。
できる土木作業もほとんど無くなったので余りする事がない。半年以上忙しなくしていたのだからちょっとぐらい息抜きしたい。
横井戸?あぁあれね。絶賛放置中だよ。建材が全部酒蔵に取られてんだから無理。それと湿度の下がる冬場は剛史さんの手が空かないからレンガの生産が停滞して進めることができない。
本職?の陶芸家の血が騒ぐらしく「我侭なのは十分承知しているが、焼きたい物がある。冬場は焼かせてくれ」と頼み込まれたらしょうがない。
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すっかり日が暮れるのも早くなったので、暇つぶしがてら現在地の絞り込み談義に花を咲かせている。
「姶良Tn火山灰層の厚さから東海から近畿、中四国から九州北部あたりが有力候補だな。あくまで俺らの知ってる地球と同じならって前提だが」
匠が土壌サンプルを指しながら推論を述べる。
姶良Tn火山灰(略称AT)というのは、現代を起点にして二万九千年から二万六千年ぐらい前に姶良カルデラ――鹿児島湾の北側部分で桜島は南側の外輪山――の大噴火があってこの時に日本列島に降り注いだ火山砕屑物の事を言う。
Tnと言うのは丹沢のことで、元々関東の丹沢山地で発見されて丹沢軽石といわれていたが、これが全国に分布しており発生源が姶良カルデラということで姶良丹沢火山灰と呼ばれるようになった。
列島各地に堆積しているのでATがあればその地層は二万九千年から二万六千年前という事が分かるので地質学では重要な鍵層の一つになっている。考古学上も重要な地層の一つなので匠が見間違える可能性は低いし将司と俺も含めて三人が三人とも見間違うとは考え難い。
「干満差から考えると日本海側ってのは考えにくい」
これは将司の推論。
地形や海流なども影響するので場所によって干満差は変わるが、日本海側は干満差が小さい傾向があり、舟屋で有名な宮津湾の伊根浦は大潮でも五十センチメートル程度しか干満差が無い。
「基本的に穏やかなんで内海なんじゃないかって思いますけど」
これは安藤くん情報。
「そうなると有力候補は瀬戸内海……大きな湾だと三河湾、伊勢湾、大阪湾……土佐湾は外洋だし玄界灘は北だから違うか……あっ有明海と河内湾もあったか」
「河内湾?聞いた事無いですけどどこにあるんですか?」
「大阪平野だよ。現在のって言うとアレだけど、大阪平野は縄文海進の頃は海の底だったんだ。掘ると海底だった証拠がゴロゴロでてくるよ。それと大阪城あたりを北限にした南北に細長い上町台地が大阪湾と区切っていたので、東側は河内湾とか河内湖って呼ばれる事もあるんだ」
「関東平野も群馬や栃木あたりまでの低地は海の底で考古学とかだと奥東京湾とか古東京湾、鬼怒湾、香取海なんて言われてるよ」
「あっ聞いた事あります。縄文時代の貝塚がずっと内陸にあるとか」
「そうそうそゆこと。伊勢湾だって大垣あたりまであって濃尾平野も海の底……っていうか日本の平野の多くは縄文海進の頃は海の底で土砂が堆積したり海退などで陸になった沖積平野だよ」
「日本列島は海洋プレートに押されて隆起しているから貝塚がある標高近辺まで一律に海だったというような単純な物じゃないけどね。それとどれ位海面上昇があったかも諸説あるし世界的に見れば地域差も凄いしね」
「縄文後期から小海退して弥生時代には沖積平野ができて農耕が本格化したという説もあるし……あれっていつ頃だっけ」
「四千年ぐらい前……紀元前二千年あたりから海退が始まったと考えられている。アレの情報が正しいと仮定すると後三千年ぐらいは海水準は高いままかな?」
このあたりは匠と将司の独壇場だね。まぁこの程度なら俺も付いていけるが。
「何年前とかってどうやって分かるんですか」
「地層に含まれる植物片とかの有機物を放射性炭素年代測定すればその地層はそれより後にできた地層だって分かるだろ……それから広域に渡り同時期にできたと考えられる地層……大噴火の火山灰といった広域テフラの地層が多いけど……これらを鍵層と言うんだけど、これより前にできたか後にできたかといった事を調べていけば大凡の推測が付くんだ」
「鍵層の年代はどうやって分かるんですか」
「鍵層より前に作られた地層の最も新しい年代と後に作られた地層の最も古い年代の間にできたってのが基本で、古い物が後から堆積する事もあるから安定した地層とか多数の試料の統計とかで絞っていく……であってたっけ?」
「そうだな……あと世界的な分布とか南極やグリーンランドの氷床コアのデータとかも参照しながらって感じだな」
さすがに高校ではここまで習わんか……いやいや専門でもなければ普通は習わんな。
知ってても不思議じゃないけど知らなくても全く恥にならない類の知識だね。
「うーん……なるほどわからん」
奈菜さん。それ言いたいだけちゃいますの?
「脱線したけど、東海、近畿、瀬戸内、有明海あたりが候補になるか……有明海だったら吉野ヶ里遺跡とかのあたりになるのか?」
「そうなるね。俺ら邪馬台国?」
「九州説ならね。近畿説もそれなりに有力だけど」
「個人的には卑弥呼の時代は九州で、それ以降に近畿に移ってそれが東征ってのも捨て難いが」
「また脱線してる。そういうのは後で二人でやんなさい。他が置いてけ堀よ」
「「すまん」」
雪月花に睨まれて止まるあたりは変わらんな。
「暇つぶしだからアレだけど、現在地を特定するのって意味あるのかなぁ」
「全く無い訳じゃないでしょ。ここがどこか分かったら良い事もあるかも知れないでしょ」
「近くに温泉があるとか?」
「良いねぇ温泉」
学術的な話は導入部で終わって後はグダグダの雑談が続くがそれも目的の一つだから問題なし。現在地の割り出しはちょっと人を選ぶ話題だったかもな。反省反省。
当然ながら特定には至らないが、俺個人としては東海だったら良いなって思ってる。僅差の次点が近畿。
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農閑期もどきと言えどやる事が全く無い訳ではない。
ただ、日の出前から日の入り後までといったものは無く、日の高いうちは色々と仕事はしているぐらい。それで近頃やっているのは薪割りと麻糸作り。
夏に収穫して乾燥後に保管していた大麻から繊維を取り出す作業を暇つぶしがてら行っている。それなりの量はあってもしゃかりきにやると直ぐ終わってしまう程度の量でしかないので少しずつ丁寧に作っていく。
麻糸の作り方は地域によってまた生産者によって色々と流儀があるようで標準的な作り方ってのが全く見えてこないが、美浦でも匠がフィールドワークで学んだ製法――便宜上、東山流――と奈緒美が種をお強請りした時に学んだ製法――便宜上、早乙女流――の二つの製法がある。どちらも俺の知ってる製法とは違うけど……
実験考古学が「なぜ麻を」と思うかも知れないが、縄文時代と呼ばれる由縁の縄文土器は文字通り縄で文様が付けられたと考えられており当然ながら縄が存在していて麻縄が出土している遺跡もある。
つまり縄文時代に麻を縄にする技術があったという事なのだがどうやって作っていたかは定かではない。製法が分からないなら調べて考えてやってみれば良いじゃないって側面が学問にはある。
今回というか今冬採用する製法は早乙女流。
先ずは保管していた大麻の茎を麻煮といって麻釜で煮る。ただ切り揃えたとはいっても二メートルの茎を入れるので麻釜は特殊な形に成らざるを得ない。ええ。舟のような感じの細長い釜ですわ。
ここに灰を混ぜた水を張って一時間ぐらい煮る。
煮あげた麻は除熱と灰汁抜きを兼ねて水槽に浸しておく。
次の工程は麻剥といって皮を剥ぐのだが、麻は靭皮繊維といって強靭な皮の部分を使うので使うのは剥いだ皮の方。
数本纏めて持ったら端っこの方を手で折って皮を分離させてそこから剥ぎ取る。ぱっと見たところは簡単そうだが慣れるまでには少々時間がかかるしある程度力も必要で、奈緒美が教わった所だとこの工程は男の仕事とされていた。
皮を剥がれた中空で木質の中身の方は麻幹といってお盆の迎え火や送り火を炊くアレ。
こっちも色々と使い道があって、脱臭能力が高いのでチップにして壁に塗り込んだり畜舎の床に敷いたりとか、火付きが良いので焚き付けにつかったり麻炭にして燃料にしたりとか。麻炭は花火の助燃剤として重要なのだそうだ。
剥ぎ取った皮は陰干ししてから麻掻といって余分な表皮部分を掻ぎ取る工程を経て精麻――精練した麻――にする。
この後は麻績といって縒り合わせて長くする工程を経て、糸車などで撚る麻撚をすれば麻糸ができあがる。
工程の前後の在庫量とかを見ながら今日は何をするかを気紛れで決めて雑談しながら坦々と麻糸を拵えている初冬の昼下がり。
できあがった麻糸は網を作ったり、織機で織って麻布にしたり、撚り合わせて縄を作ったりして消費されていく。麻糸の在庫が全然増えない。毛皮を縫う分は残しておいてよ。