第4話 準備がいるから
留山の水源開発の方針について皆に諮った。
横穴を掘って浸透してくる水を溜める横井戸は、山中や山裾などでは垂直方向に掘る竪井戸より理に適っているで長らく使われていきた。中には灌漑や醸造に使われるぐらいの水量を誇った横井戸も存在したのは事実である。
もっとも、ちょっと目を離すと蝙蝠やら何やらの棲家になってしまうし、崩落の危険も結構あるし、小規模な物だと日照りで水が枯れる事も珍しくは無かったそうで、ポンプや水道が普及するとあっと言う間に過去の遺物となってしまった。
逆に言えばポンプや水道が普及するまで、太古から近代まで現役で使い続けられたシステムでもある。
だからといって横井戸掘りは簡単ではない。
トンネルや坑道を掘るのと何ら変わらないのだから難易度や労力は推して知るべしだ。機材も部材も安全衛生対策も竪井戸とは全然異なってくる。
竪穴と違って体重で食い込ませたり高所から叩きつけたりといった重力を利用した掘削ができないので掘削作業自体が重労働で面倒なのに加えて、中で作業するスペースなども要るので掘る量も桁違いに多い。当然工期も段違いに必要で、総力を挙げて運良くいって一ヶ月以上かかると見積もっている。多分無理だけど。
しかし、湧水の如く無動力で取水できる可能性がある事や、逆に水がでなかったら保管庫として使用できるし、採掘のテストケースとしても持ってこいだという意見に反論する者はいなかった。……だから誰が掘るんだよ。どうやって掘るんだよ。どうやって維持すんだよ。
幸か不幸か永原の井戸水が酒造に使えそうなのと、自噴井の湧出量が十分にありそうな事から、当面の用はこちらで足りる見通しとなった。
湧出量は現状で地上一五〇センチメートルの切り口から毎分五リットル――水道の蛇口を少し捻った程度の水量――ぐらい出ている。
基本的には使い出すと暫くは湧出量は増加傾向をしめして安定するので、吐水口の高さを調整すれば最終的には蛇口全開の毎分二十リットルぐらいで安定しそうな感じ。
なので留山の方は腰を据えて取り掛かればよかろうという雰囲気が漂っている。横井戸の中止ではなく慎重を期してという事は、結局は横井戸を掘るという事に他ならない。
これは非常に拙い。仮にトンネルを掘るとなると俺は逃げられん。
何の因果かこの手の事案で誰かが酷い目に遭う場合、俺はだいたいにおいて酷い目に遭う人の中に入っている気がする。負担は自分達からの原則と、実施できた時のメリットが分かるだけに拒否もできないでいるんだけど……
思えば剛史さんと匠も似たような立ち位置にいる気がする。
あんなのが欲しいこんなのが欲しいという無茶振りな要望に現状の限られたリソースから知恵を絞って応えてくれている。
オレモ イロイロ タノンダコトガ アル
ショウジキ スマンカッタ
デモ コレカラモ ヨロシクネ
いやいやそうじゃない。
ちゃんと困難さを主張してみんなの腹に落としておかないといけない。実施するとなると総力戦になる筈なんだから。
「工程の順で言えば支保工が無いと掘削作業自体ができない」
トンネルを掘っている最中に天井や壁面が崩落しないように支える仮設構造物を支保工という。
現代だとH鋼などの鋼鉄製の支保工を設置してそのまま支保工ごとコンクリートで埋めてしまい仮設ではなくなっている工法もなくはないが、掘削してから本施工するまでの間を支えるという機能は同じ。
軟弱土壌などの掘削に不向きな土壌や大深度や山岳や海底などの圧力が物凄く掛かっている場所でなければ滅多な事では崩れはしないが、岩盤や相当堅固な土壌などでなければ崩落するのは時間の問題でもある。
同条件に揃えるのが困難なのでアレだが支保工なしで掘って崩落する確率は一日あたり約〇.〇三%――万に三程度――の確率と聞いた事がある。滅多に無い事ではあるが、当りを引いたら命が危ないのだ。
当選確率約〇.〇三%の籤を毎日一回引いて一年間ハズレを引き続ける確率は約九〇%――当選確率は九~一〇%ぐらい――なので交通事故に遭う確率の年間約〇.八%と比べてると桁違いに高い数値になる。
第二次大戦中の日本で数多作られた防空壕の多くは掘りっ放しで精々杭や板で土留めした程度の物であるが、その多くは何年か程度は機能を維持していた。しかしその後はガス充満や落盤などの事故が相次ぎ埋戻しされたり封鎖された物も多い。保管庫などに使われ定期的に補修などがされていて残っている物も無い訳ではないが、そういう物は堅固な地盤にあったりコンクリートなどで補強されていたりする。
俺は自分の命は惜しいしみんなの命も惜しいので支保工なしでの工事はしない。これは譲れない。絶対に絶対だ。
「支保工無しでできる部分はあるか」
「露天部分の整備までなら……あと譲れて一メートル程度。人命が関わっているからそれ以上は絶対に譲れないぞ」
「そうは言ってもさすがにH鋼なんて無理だぞ」
「それは分かっている。木製で十分だ」
多くのトンネルは鉄筋コンクリートで保てているのだからそれより機械的強度がある木製で文句はない。
とあるコンクリート工学の准教授の持ちネタに以下のような物がある。
『実はコンクリートは案外脆弱。十センチメートル角のコンクリートのインゴットは乗ったり蹴ったりしただけで折れる』
『鉄筋を入れて初めてまともな機械的強度になるが、それでも木材に劣る強度でしかない』
『普及している建材で抜群の強度を誇るのが鋼鉄で、大差がついての次点が石と木。圧縮強度は石が優秀で木はやや劣り、引っ張り強度は木は鋼鉄には相当劣るが他の建材の中では圧倒的に優れる。レンガとコンクリートは同じ位の強度でだいたい石の半分位の強さしかない』
『ただこの強度は一体物の状態でなので、そうじゃないなら接合部の接着の強度になってしまう。だから素材の強度は同じでもレンガ造りは鉄筋コンクリート造りより格段に脆い。高さ百メートルのコンクリートは作れても高さ百メートルの一枚岩やレンガや木材なんて無理があるしね』
『コンクリートの強味は、一定の強度と耐久性がある建材の中では、ずば抜けた造形の自由度と施工のし易さと価格の安さなんだよ』
コンクリートは強いという先入観を打ち砕くため毎年初っ端にかますんだよなぁ……伯父さん。俺はガキの頃からミミタコで聞いてたからアレだけど。
木材は腐ったり食われたりがあるし木目の向きで強度に雲泥の差があるけど適切に組めば十分な働きをしてくれる。
「いやいや……そんなに木材の余裕無いって」
分かってる。建屋の建築に支障をきたしかねないのも分かる。
薪炭と違って支保工は端材じゃ作れないからちゃんとした木材が必要になる。
「だから少なくとももうちょい木材の余裕が出るまで棚上げせざるを得ないって。それに支保工はあくまで仮設なんだから本設をどうするってのも考えないといけないだろ。実はこっちの方がもっと大変なんだからな」
マジで頭が痛いのよこれ。
奥行一メートル分の底面・壁面・アーチ天井を仮にレンガで施工するとなると二千個近くのレンガを要しその重量は五トン前後になる。
十メートルで二万個、二十五メートルだと五万個も要る。
五万個のレンガだと百二十トンもの重さになるんだから、これだけのレンガをどう作ってどう運ぶかまで計画しておかないと取り掛かれないんだよ。
排出する土砂岩石だって二百トンは優に越えるんだから残土処理も計画しておかないといけない。
ここまで言ったらさすがに腰が引けたようだ。やっと分かったか。段取り八分なんだよ。考えなしに気軽にトンネル掘りなんてできるもんか。
「とりあえず露天のところは手を付けてもらえるか。後は……例えば一メートルずつ掘っていくとか手はあるだろう。できない理由を並べるんじゃなくてどうやればできるかも考えてくれ」
ぐう……これでは俺が抵抗勢力の役人みたいな立ち位置になってしまっているでは無いか。
「露天部分については手をつける。段取りについては……リソースとか色々検討相談したいし今日明日には無理だ。しばらく時間をくれ」
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今日も今日とて穴掘り三人衆+アルファで塹壕掘り。今の所塹壕にしか見えないんだもの……
それと掘り出した石や川原から持ってきた石を使って石垣を作って残土を捨てる場所も同時平行で作っている。こっちは段々畑の石垣と思ってくれればいい。
六メートルほど掘り進むと地面は三メートル半ほど上になる。
愚痴だが、この準備の中のいろはのいの段階で竪井戸の試掘以上の労力を費やしている。今後トンネル掘りではもっと労力が掛かると思うと頭が痛い。
掘っている最中も思ったが改めて切羽の地層で確認したが、八十センチメートル位残せば多分崩さずに掘れるだろう。
作業をしながらどういう方法があるかを考えているが、やっぱり建築資材と道具と労力を必要な時に必要な物を必要な場所に必要な量を供給するロジスティクスを構築しないと駄目だな。
ロジスティクスを物流(物的流通)に局限した概念の方が日本では主流ではあるが、本来的には生産から消費までカバーする戦略的な概念で、今俺が言っているのは後者の方。どこでどれだけ原材料を調達してどこで生産し、どこにどうやって運んだり保管するかの手立てを整え、需要に応じた発送を滞りなく行う。たいていの物は生産に月から年単位の時間を要するし、中には何十年という期間を要する物だって幾らでもある。これを将来の需要を見越して何年も何十年も前から粛々と整えて維持発展させていくのが戦略的なロジスティクスと言える。
口で言うのは簡単だけどこれを国家規模で実現できたのって米国ぐらいじゃないかと思う。できたからこそ週刊護衛空母や月刊正規空母が造れたんだと思う。
このトンネル掘りは現状の美浦の規模からすると国家プロジェクトと言っても過言で無い規模になるので長い目で見てもらおう。これにばっかり掛かりきりになる訳にもいかないし、細々と続けていくしかなかろう。