第3話 井戸掘り
塩田の目途は立ったのでそっちは匠達に任せて政信さん奈菜さん文昭の穴掘り三人衆を招集して井戸の試掘に取り掛かる。
「水が出る可能性が一番あるのはココです。杭を立てていますのですぐ分かると思います」
地形図上で奈緒美が指定した永原の一点を指して三人に説明する。
草刈りも無分別にしていた訳ではなく水が出る可能性のある場所に向かって刈っていたのだ。奈緒美に直感で決めろと言ったが流石は強運の女だ。彼女が指した地点は地形的にも植生的にも地下水面が地表に近い可能性がある場所だったので三人に掘ってもらおうと思っている。
「とりあえず、出なくても五メートルぐらいまでお願いできますか?予想では三~六メートルぐらいで出るとは思うのですが」
「穴の径は?」
「お任せします。汲み上げは手押しポンプを考えていますので大き過ぎるのは困りますが、作業の安全の方が優先ですので必要な大きさを取って事故の無いよう注意してください。何なら後で埋めてもいいのですから。あと必要と思われる機材は用意していますが足りなければ随時言ってください」
「それなら打抜井戸の方が良いかなぁ?」
奈菜さん鋭い。
井戸は大きくは掘井戸と打抜井戸に分ける事ができる。
時代劇などで出てくる釣瓶などで水を汲み上げる井戸を掘井戸といい、文字通り帯水層まで穴の底に入って掘って作る。竪に掘ったりすり鉢状に掘ったり斜面などを横に掘ったりとバリエーションはあるが、世界各地に古くからある井戸でもある。
よく掘抜井戸と混同されがちだが、掘抜井戸は難透水層を掘り抜いてその下にある被圧地下水から水を得る井戸(俗称で深井戸)を指す。掘井戸は基本的には難透水層の上のにある自由地下水(不圧地下水)を取水している俗称浅井戸が大部分なので掘井戸と掘抜井戸はイコールではない。
対して打抜井戸はボーリングして井戸管(井戸ケーシング)を入れてそこから取水する井戸を指す。ケースバイケースで難透水層を掘り抜く事もあれば抜かない事もある。ちなみに房総半島にある上総掘りの井戸は打抜井戸かつ掘抜井戸かつ自噴井。
穿孔してから井戸菅を入れる方法といきなり井戸菅を打ち込む方法があって後者を打込井戸とも呼ぶが、井戸の構造から考えると工法の違いでしかないと思った方が良いと俺は思っている。打込井戸は他と比べて工数が掛からないしあまり土壌を選ばないなどの利点もあるが、打ち込みに耐える強度があるのが一般には鉄管や鋼管になるので錆や打込み時の疵などで井戸管が壊れやすく寿命が短いという欠点もある。酒造用の水に鉄分は禁忌なので今回は打込井戸の出番はない。
井戸の直径が太い方が多く取水できるので掘井戸の方が水量は多いが、掘井戸は掘削作業も残土処理量も維持作業も大変で衛生面では格段に劣る。ボーリング技術が普及して打抜井戸が簡単に掘れるようになるに伴い掘井戸が激減したのは仕方ない面もある。
「掘井戸でもいいかなとも思ってますが、やり易い方でお願いできますか」
「じゃぁ打抜の方はやった事あるからそっちの方が良いんじゃないかと……どう?」
「だな。自分もそっちの方が馴染みがあるからその方が良い」
難易度というとあれだけど打抜井戸の方が高等テクニックなので勝手に掘井戸と思っていたけど、何か打抜井戸を掘った経験が複数お有りのご様子……
「分かりました。井戸管は真竹で作る予定なので径は十センチメートルちょい要ります。道具はオリジナル・セブンを使ってください」
オリジナル・セブンというのは最初に私掠船免状を受けた七隻の海賊船でもなければ最初の宇宙飛行士である七人でもない。語源は後者なんだろうけど……
元々は地質調査用といいつつ実質は杭の穴あけ用としてモグちゃん号に積みっぱなしになっていたハンドオーガーがあって、そいつを誰だったか――たぶん宇宙好きの将司――がオリジナル・セブンと呼んでそれが定着してしまった。
杭をたくさん打つので穿孔器具もそれなりの数が必要になったのでハンドオーガーのレプリカというか劣化コピーを幾つか作ったのだが、コピー元つまりオリジナルという事と、土壌によって替える掘削部が七種類あるいは継柄が七本ある事からオリジナル・セブンらしい。
一応は簡易地質調査用なので地面に突き立てて回転圧入して土壌を切削し、サンプルの採取を行う事を目的としている道具で、オリジナル・セブンは一メートルの継柄が七本あるので最大八メートル前後まで掘れる。八メートルも掘るのは凄く大変だけど……
サンプル取り用の二十センチメートルほどを掘削したら孔から取り出してサンプルを排出して孔に突っ込みなおしてまた掘削するというのを繰り返す事で穿孔する。ロータリー式なので手で回転させるためのハンドルというか横棒があり、こいつと掘削部は分離して掘削部の種類を替えたり間に柄を継ぎ足して深く掘れる様にする事ができる。
理屈の上では継ぎ足す継柄の総延長もしくは持ち上げられる限度まで掘る事ができるが、実際のところは掘る土壌にも因るが五メートルぐらいまでが実用範囲でそれ以上になると別の手段を取る事が多い。
レプリカには継柄は無いので実質的には杭用の孔あけにしか使えない。コンパクトで強度のある継口を作るのに難航してね……
何れ継柄か何かで伸長しようという話もあるが、それならロータリー式(回転して削り取って掘る方式)ではなくパーカッション式(叩きつけて掘る形式)の方が良いとは思う。
人力での話だがパーカッション式なら鉄棒式で四十メートル、樫棒式で百メートル、上総掘りで五百メートル近くまで掘れる。もっともやろうとするとハンドオーガーの比じゃ無い準備が必要になるけど。
ハンドオーガーは精々十数キログラムの道具を持って行けば掘れるので、お手軽にちょいと掘削するには打って付けの道具。
「了解。障害がなければ奈菜と二人で十分だと思うが」
「うん。地質次第だけど大丈夫じゃないかな?」
三人でスコップで掘ってもらう積もりだったんで十日ぐらいかかると試算してたんだけど打抜き経験者ならいけるかな?しかしそうすると文昭が浮いたなぁ……よし。留山の麓の方にも手を付けよう。掘る場所を決めて地均ししておいて永原が掘り終わったら留山に移ろう。
「それじゃぁ永原の方はお二人にお任せします。何かあったら連携してください。文昭は留山の方を手伝ってくれ」
「二つも要るのか」
「奈緒美のご指定なんだけどなぁ……そう言っとこうか?」
フッフッフ……逆らえまい。
■■■
「ここらで良いだろう。お疲れさん」
水源調査のため、斥候三人衆で留山の麓に来ている。アタリを付けた近辺の斜面に到達したので先頭で藪払いをしてくれていた文昭に声を掛ける。
人工林は自然状態だとあり得ないぐらい密に植林するので基本的に自然林(原生林)の立木密度は人工林に比べるとかなり低い。そのため、普通に歩き回るぐらいなら特に苦労するような事は少ないのだが、一部には林床に藪が茂っている事も無くはない。そういう所は迂回したり刈り払ったりしながら進んできた。
「おぉ屋敷の屋根が見える」
「こっちの方が標高が高いから木立が無ければ丸っと見えるぞ。そんでもって左手の方に降りていけばすぐに元取水口の筈だ。奈緒美、どこ掘るか決めてくれ」
背負っていたダッフルバッグを降ろしてレプリカのハンドオーガー弐号とエンピを取り出しながら聞く。
「いきなりぃ?……どこでも良い?」
「どこでも良いぞ。どんだけ考えても結果に大差はないから気軽に行け」
実際のところ、とある井戸の十メートル横を掘ったけど水が出なかったり岩盤にあたって掘れなかったという事もあるのでどこでも一緒という訳では無いが、それは掘ってみないと分からない話で運任せの部分が多分にある。こういう運否天賦な事は運が良い奴にやらせるに限る。山師は験を担ぐもんなんだ。
「……じゃぁココにしよう」
ぐるっと周りを見渡し少し山側に登った斜面を指差した。
まずは作業の安全の為に半径一メートルぐらいの水平な場所を作る。
奈緒美に周辺警戒をしてもらいつつ文昭が上側を俺が下側を掘って残土は脇に積み上げる。表層は腐植土や真砂土で特にどうこういうような事はない。
指定の場所を少し掘り下げてハンドオーガー弐号を当てて……
「違う違う!そっちじゃない」
「はぁ?」
「横よ横!竪じゃなくて横!」
文昭が掘った壁面を指差してやがる。
何言ってんだ?……あっ横井戸を掘れってか?
「横井戸か?よく知ってたな」
「何それ?……よく分かんないけど、斜面に沿って流れてるなら横に掘ったら汲み上げなくて済むと思ったんだけど」
「まぁな……だけど竪に掘るより横に掘る方が大変なんだぞ……それに水が出なかったらどうすんだ?」
「そんときゃ貯蔵庫にでもすればいいじゃん。文昭くんはそれで良い?」
「おう。分かったよ」
くそう……奈緒美を連れてきたのは失敗だったか?
文昭は奈緒美には絶対に逆らわないからこの場では二対一で分が悪い。
「竪掘りだと思ってたから横掘りの用意はしてねぇ。地盤調査や必要な部材も検討しないと危険だから今日は足場作りと通路作りな。それで良いか」
全員で考えれば良い案もでるだろうし、諌めてくれるかも知れない。
奇襲を受けたら即時撤退して体制を立て直さないといいようにやられる。
■■■
永原の試掘は三日目で一定の成果が出た。
「朝方に五メートルいったけど今日掘れる所まで掘ろうと掘っていたら水脈にあたった」
「三~六メートルででる可能性がって言ってたし、途中から何かテンション上がっちゃってさぁ」
初日は四メートル前後掘れたのだが、翌日は岩盤かと思うような硬い粘土層に出くわして二日目は六十センチメートルが限度だったらしい。ただ、二日目の終わり頃に抜けた感触があったので三日目は順調に掘れて、六メートルぐらいで帯水層の感触があったからそこから五十センチメートルほど掘り進んだとの事。とりあえず五メートルって言った覚えがあるんだけど六メートル半ぐらい掘ったのか……
翌朝、先端に取水の為の溝を幾つも開けた竹管を現場に持って行き、オーガーを入れて井戸孔の状態を確認してから井戸管挿入する。
今回は大丈夫だったが、孔は土壌の圧力で徐々に収縮していくのだがこの速度は径が小さいと作業に支障をきたすぐらい速いので、井戸管の挿入は掘って直ぐに行う方が良い事は良い。後は井戸管と孔の隙間を粘土で塞いで井戸管の中に水を注ぎ込んで本日の作業は終了。
楠本夫婦は律儀にも土壌サンプルと圧入回転数を記録していてくれたのでサンプルを持ち帰る。
これはAT層だな。撹乱があるから正確ではないが三十センチメートル前後ありそうだから東海・近畿・中国・四国・九州北部あたりのどこかの可能性が非常に高い。
だがアレが無い……後で匠にも見てもらおう。
◇
翌日から井戸管の底に溜まる砂や泥をスイコで浚渫しているが何かおかしい。浚渫すると水も排出されるので継ぎ足してやらないといけないのだが継ぎ足す水の量が異様に少ない。政信さんが不安げに言ってきたが俺もよく分からなかった。
分からなかったのだが、翌日になって謎は解けた。
自噴してやがる。
別に噴水のように吹き上がっている訳じゃなくて井戸管の水面が地面より高い所まで上がっている。
今の水面の場所に口をあけたら水が出続ける筈。
地下四メートルにある六十センチメートルの粘土層が難透水層で期せずして打抜井戸になっていたようだ。それでもって粘土層は北の平山から恵森にかけての斜面にまで繋がっていて加圧層の役割も果たして自噴に至った。そう考えるのが蓋然性が高い仮説だろう。
こんな浅さで自噴井なんてまずあり得ないと思うのだが、現実を優先させよう。
無動力で滾々と水が湧き出るのだから水質がよければ利用のし甲斐がある。