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文明の濫觴  作者: 烏木
第2章 幕間
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幕間 第3話 夏のある日の大林早苗

大林早苗の朝は夜明け前に始まる。夏真っ盛りの夜明け前だから四時とかに起きる。十七歳にしてはかなり早起きの部類だと思う。

薄暗い室内で「うぅーん」と一伸びして起き上がり、寝間着から作業着に着替え、部屋を出て足早に広間を抜けて雪隠に急ぐ。昼間ならばらけるのだが朝は集中するのでこればかりは早い者勝ち。今日はまだ空きがあった。よかったぁ。

スッキリしたら手と顔を洗って髪を梳かす。

「男はすぐ済むし良いわよねぇ」

女の子は色々大変なの。見るのが家族同然の人たちだけだとしてもみっともない恰好は嫌。幾ら日焼けしたスッピン顔でも捨てられない矜持があるの。


今日は当番の日。同じ当番の由希は起しても起きてこない。ブックリーダーは明かりが無くても読めるからってまた夜遅くまで本を読んでたのね。

このままだと間に合わなくなるので身支度を整えたら朝食の準備に取り掛かる。

メニューは、ボタン汁、肉野草炒め、鹿ヒレ肉のステーキ。

……肉ばっかり。すっかり「朝から肉」にも慣れてしまった。

初夏までは食べられる野草の種類も結構あったのだけど、盛夏になるとめっきり減ってしまい、あまり変わり映えのしないメニューになってしまう。


竃の灰をかき集めて灰入れに片付けて竃に薪を組んでいく。以前は薪の量の加減が分からず調理中に慌てて薪を足したり、終わってもまだまだ薪が残っていて無駄にしてしまったりしていたけど、近頃はだいたい良い塩梅に加減できるようになった。やればできる子なのよ。

火箸で囲炉裏の中にある火種を探し、干し草を縄状に編んだ焚き付けに火を付ける。火種が消えていたりしたら火起しからスタートになっちゃて大変。ガスコンロってすごく便利な道具だったのね。


先ずはボタン汁の野菜。ダイコンとニンジンの皮をむいたらイチョウ切りにして鍋にいれ竃にかける。

次に肉野草炒めに取り掛かる。野菜じゃなくて野草。野菜より野草の方が多いの。

調理台に奈緒美姉さんが摘果してきたと思わしきヤングコーンが「使っていい」の符丁と共にあったのでありがたく使わせてもらう。

美野里姉さんや奈緒美姉さんはいつも夜明け前に水遣りや草刈や選別や間引きをしている。「朝飯前の仕事を文字通り朝飯の前にしてる」って笑いながら淡々とこなしている。意味が分からなくて聞いたら朝ごはんの前に飼葉用の草を刈って馬に食べさせていたのが朝飯前の謂れだから朝食の前の草刈は正に謂れ通りの事らしい。


スベリヒユの根っこを取って水洗いした物、灰汁抜きしていたカタバミを洗った物、それとヤングコーンを笊に入れて軽く下茹でしておく。

茄子を細切りにして脂を多めに入れた中華鍋に投入!

じゅわわわっと良い音をたてる茄子に塩を振りいれて炒めていく。少しくたってきたら猪のバラ肉の薄切りを加えてさらに炒め、下茹でしていたスベリヒユとカタバミとヤングコーンで増量する。

水溶き片栗粉でとろみを付けて一品できあがり……とはならず、鍋を洗って四回繰り返す。給食鍋とかじゃないから一回で二十人前以上の料理は中々できないよぉ。煮物ならともかく炒め物はね。


そうこうしている内にボタン汁のニンジンに火が通ってきたので薄めの乱切りにした猪のモモ肉と出汁を兼ねて砂抜きしたアサリを加え灰汁を取る。

本当はお味噌を使いたい所だけどハレの日でも無いと使えない。

「料理のさしすせそ」の砂糖はメープルシロップならぬカエデシロップで代用。塩はある。酢、醤油、味噌は来年までは普段使いするのは無理なんだろうなぁ。お酒や味醂もね。真っ当な基礎調味料はお塩しかないの。だから塩味ばっかりでも私の料理の腕が悪いわけじゃないの。


「ごめん。寝坊したぁ」

由希がようやくお目覚めって寝間着じゃない。年頃の娘が寝間着で出歩かない!

だいたい手が要る工程はもう終わっちゃったよ。

「分かったからさっさと着替えて顔洗ってらっしゃい」

「はーい。お母さん」

誰がお母さんだ誰が!


「由希ぃ……ボタン汁よそっておいて」

できあがったボタン汁と肉野草炒めの配膳を由希に任せて最後の一品、鹿ヒレステーキに取り掛かる。

筋に対して直角に切り分けていき、それを長方体に切って隠し包丁をいれてフライパンに投入。「どこがステーキだ」と言われるかも知れないけど「レアとかは絶対駄目だからね。必ず芯まで火を通す事」と厳命されているし、人数分のナイフとフォークも無いので、火が通りやすくお箸で食べやすい形状に落ち着いたの。

まぁモミジはそこまで神経質にならなくてもいいとの事だけど……


当番が朝食の準備をしている間に、旭広場で朝の体操が始まる。

当初はエコノミークラス症候群の予防も兼ねて毎朝ラジオ体操とストレッチ体操をしていたのが定番になったのたけど、何時の間にか参加は任意だけど上級編(自衛隊体操とか言っていた)が加わるようになった。素弘は嬉々として参加しているけど、アクロバチックな動きもあって私には難しい。


朝食の後片付けと平行して湯冷まし塩水を竹筒で作った水筒に詰めていく。

ここまでが当番の役目。


■■■

「いってらっしゃい」

桶を積んだ台車を曳いて塩小屋に向かう一平と由希にお弁当を持たせて送り出したら今日のお仕事のお時間です。


害虫の防除に雑草の除草、無駄に伸びた枝葉の剪定や花や実の摘果とやる事は目白押し。奈緒美姉さん主任教員、東雲さん補助教員で野菜類の世話を習ったけど家でやってた家庭菜園はお遊戯みたいな水準だったのがよく分かった。そしてこれだけやっても収穫量はそう多くはない。肥料を頂戴!農薬を頂戴!


大自然に囲まれた心豊かなスローライフって絶対嘘だよ。

人工物の支えがないと大自然に囲まれながら()()()()()()()な生活なんて無理だってば。

大自然に抗うのに精一杯で……豊かな心?何それ美味しいの?

大自然を守る?おこがましいにも程があるわよ。あんなもん敵よ敵!……はちょっと言いすぎか。

環境問題とか地産地消とか勉強してきたつもりだったけど、ここまで人工物を排除されると苦労が多すぎて困ってしまう。何事も一辺倒は駄目ね。過ぎたるは何とやらではないけど程々が良いわ。


「さなちゃん。さなちゃん。そろそろ休憩入んなよ」

「分かりましたぁ……この(うね)が終わったら休みます」

奈緒美姉さんは「メリハリを付けなきゃ効率が悪い」と言ってキッチリ休憩を取るし、周りも休憩させる。


タープの日陰で塩水を飲みながら駄弁るのがこの頃の定番。

話題はその時々で変わるけど、姉さん達が顕在化していない私達の不満や要望を吸い上げて秘かに解消に動いているのを私は知っている。

大抵は解決策の考案と作成を東山さんと東雲さんに丸投げなのも……偶に佐智恵姉さんも巻き込まれているか。


物作りができる人は尊敬するけど、ここでは扱き使われていてモヤモヤする。

「物作りは厭きない。農作業免除なんだから文句言ったら罰が当たる」

「やれる事を好きにやってるだけ」

「難題を吹っ掛けるのは信頼の証しだからね。そのうち大林さんにもお鉢が回るよ。覚悟しといた方が良い」

モヤモヤを吐いた私に三者三様の言い方が返ってきたのを思い出す。


まがりなりにも暮らせているのはSCCのお兄さんお姉さんのお陰だけど「私達は寄生しているだけでは?」という疑問が付いて回る。

色々と率先垂範で教えてくれて何とか形には成ってきたけど、もっと上達して戦力になりたい。今日の作業も私が二列こなす時間で東雲さんは三列半、奈緒美姉さんはなんと五列も終えている。半人前もいいところ……奈緒美姉さんまでは無理としても東雲さんクラスは狙いたい。


「さなちゃんどうしたのぉ?」

自分と何が違うのだろうと作業している東雲さんをじっと見ていたら奈緒美姉さんにツンツンされてしまった。

「もっくんが泣くよぉ」

「そんなんじゃ無いです。何が自分と違うのかなって……」

「分かってるって……ノリさん!ちょっと来てぇ」

「おう。どうした」

「迷える子羊のさなちゃんにステップアップの福音を」

「俺は神父でも牧師でもないぞ……で、何か気になる事でもあった?」

「えっと……私は東雲さんの半分位しかこなせないから……どこが違うのかって」

「慣れと諦め……っていうのは冗談だけど、初心者と熟練者の最大の違いは判断力なんだよ。『認知』『判断』『行動』って聞いた事ある?行動は『操作』って言う場合もあるけど」

聞いた事があるようなないような……

「『情報』『判断』『行動』だったらゾ○人だね」

「奈菜さん混ぜっ返さないでください。言い方の違いだけですし、第一▽ル人って親父世代より更に上の頃の話ですよ。年齢詐称ですか?」

「確かに大元はそうだけど、二十一世紀に海外で新作がでてるからセーフ」

「大元を知ってるってだけでアウトです」

「今日のお前が言うなスレはここでつか?ブーメラン乙」

「ぐぬぬ……じじいの英才教育が祟ったか」

……置いてけぼりにされた。


「あぁゴメンゴメン。運転免許なんかで良く言われるのよ『認知』『判断』『操作』ってね。周りの状況を認知して、安全になる方法を判断して、その為の運転操作をするっていう感じ」

「何となく分かります」

「『認知』と『判断』の間に『予測』を入れる事もあるけど、まぁ基本的には『認知』『判断』『行動』ってのが運転に限らずたいていの事に当てはまるのね。ここまでは良い?」

「ええ」

「で、最後の『行動』ってのは実は余り差が出ないんだ。鋏が倍の速度で動かせる訳じゃないからね。動いても意味ないし。極論すれば『切るべきかどうか』とか『どれを残す』とかって考えてる時間の差がスピードの差に直結してるんだ」

そうなんだ……

「大林さんは自信が持てなくて迷っているみたいだけど十分及第点に達している判断をしているから後は如何に自分の判断を信じるかっていうのが課題かな?」

「でも間違って駄目にしてしまう事を考えたら……」

「気持ちは分かるよ。でも自然相手なんだから完全な正解なんて元から無いんだからさ。大林さんは『結果論で言えば正解だった』が七割超えてるんだからもう直感に従ってやっちゃえば良いレベルに達してるよ。なぁ奈緒美」

「うん。もう悩む時間の方が勿体無いって段階だね」

「それにね、一つ二つ駄目になっても良いように何種類もの手を打ってあるんだから別に失敗してもいいのさ。命まで取られる訳じゃない。何が駄目だったのかが分かるってのも立派な成果だからね」


■■■

今晩のメインディッシュはキス()とベラの一種のキュウセン。

キュウセンなんて見た事も聞いた事もなかったけど、西日本だと高級魚なんだそうだ。はじめは緑色の魚体にビビッていたけどモチモチした食感と淡白な味でとても美味しかった。気に入ったので偶に一平におねだりしている。


魚の捌き方も静江さんや美野里姉さんに教えてもらってできるようになった。知識としては知っていても中々捌く機会はなかったし……

キスとキュウセンを小出刃包丁でさくさく捌いていく。キャンピングカーにあったこの小出刃包丁は本当に良く切れて静江さんも感心していた。力を入れなくても切れるから身も痛めず思い通りに切れる。

何でも日本刀と同じ材料と製法で作られた一点物だそうで、怖いぐらいの切れ味も納得できる。キャンピングカーにあった包丁全てに「叡介」と銘が入っているのでそういうブランドか刀工さんの名前かと思って聞いたら「叡介」というのは佐智恵姉さんの号との事。全部玉鋼を鍛造して作ったって……

本当に何者なんでしょうね。まぁ助かってはいるんだけど……


小さめのキュウセンはヌメリを取ってからワタを抜いてダイコンと一緒に煮付ける。

大きめのキュウセンは刺身にして、ダイコンを桂むきにしてから刻んで作ったツマの上に盛り付ける。薬味はエゴマの葉、大葉(シソ)、ネギ、山椒など。ワサビとかショウガとかがあったら使いたいけど無い物は無い。


キスは塩焼きと素揚げにし、増量用にダイコンの葉とニンジンの葉(食べられるとは知らなかった)と摘果したヤングコーンの炒め物とトマトベーコン巻きを添えて今日の晩御飯ができあがった。

今晩はお米は炊かない。こんな食生活に慣れるまでの暫くは夕食にお米を出していたけど徐々に減らしていって今では週一回になっている。

多分来年にならないと駄目なんだろうなぁ……


「いただきます」


二十人超えの食卓もすっかり慣れた。

これまで食べた事はもちろん見た事も無かった食材もここではたくさん食べてきた。話に聞くだけだったイナゴとかカメノテやフジツボなんかはもうご馳走の部類になっている。ほんの数ヶ月でここまでとは思わなかったけど……


さて、食べ終わって後片付けがすんだら暗くなるまで干草を編んで焚き付けを作れるだけ作っておきましょう。暗くなったら寝る時間です。以前だったら絶対に起きているゴールデンタイムなのに眠気が襲ってくるの。慣れってやっぱり恐ろしい……

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