第13話 海へ
夏の海でする事は数あれど、期待を裏切ってすまぬ。船の話だ。
大きさは昔の渡し舟とか水郷めぐりの観光船あたりの物を造った。
幾つ目のジョブになるか分からないが船大工の匠と相談したんだがいきなり外洋にでる船は怖すぎるので近海というか沿岸用の物を作っている。
理屈というか歴史を見れば丸木舟で黒潮に乗ってというのも不可能ではないのだろうが、あくまで「成功例と思われる痕跡がある」であって、成功例があったとしてもその陰にどれだけの失敗例があったか分かったものじゃない。
しかしながら例え沿岸限定だとしても船が使えるメリットは大きい。
海産資源の取得が捗るし、荷物の行き来がし易くなる。現代でも大量輸送には船が使われる事が多い。日本国内に限っても始点と終点は車でも中間はフェリーやRORO船やタンカーなどの船舶が使われている例は枚挙にいとまがない。
ガソリンはもう枯渇といってよく軽油もカツカツなので現実的に自動車と自動車に名を借りた重機は封印状態なので、留山の向こうの良質粘土を持って来るのが難しくなっている。船で御八津岬を回って千丈河原にいけるなら荷車で山越えするより断然楽なのだ。粘土は水田の鋤床層作りと陶磁器などの焼物に欠かせない。
焼物は色々と必要があるのよ。現状では強酸や強アルカリなどの劇薬を安全に使用しようとするとセラミックスが頼りなのだ。
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ブックリーダーに入れていた船舶関係の本(図とか写真を見るには画面が小さくて見づらい)を参考に船の設計をした。現代の小型船はFRP製が多くて木造船となると詳細が無かったりで発掘に苦労したが、船大工の技術を残そうと造船工程を写真入りで記載されたドキュメンタリー本が凄く参考になった。
全長七メートル全幅二メートルぐらいで、一.五トン程度の荷物を運べる船を設計したつもり。
ざっと計算したら全体の浮力は五トン程度はありそうなので、重心などに留意すれば、もしかしたら三トンぐらいは載せられるかも知れない。ただ、浮力は持っても復元力や物理的に載るのかは別の話だし、動かしたり舵を効かせたりできるかも別の話なので、それなら二隻にした方が良いだろう。
動力はみんなで知恵を絞った。
一番手っ取り早いのは手漕ぎ。艪や櫂を使って推進や転回などを行う。
艪(木偏と舟偏はどちらでも良いっぽい)というのは、船尾で一本の棒(?)をこねくり回して進んでいく方法のこねくり回されている棒(?)の事で、櫂というのはオールとかパドルの事。合わせて艪櫂と言ったりする。時代劇などで「艪櫂の及ぶ限り草の根を分けてでも」とか言うときの艪櫂である。合わせて称されるが艪と櫂では推進機構は異なるし、艪は東洋のみにあったため、英語で該当する語がなかったりする。
次に考えられるのが風力。帆を掛けて進む。
現状では繊維は帆よりも衣類を優先しないといけないし、水関係でも網の方がプライオリティが高いから今回は見送り。将来的には帆走可能にしたいものだ。
他に出た案としてはスワンボートとかに使われている足漕ぎ式やエンジンや電気モーターを使うと言うのがあった。
自転車はあるので一応足漕ぎ式は不可能ではない。言った当人は捨て案や冗談といった感じだったが匠と文昭が真面目に検討しだして周りが慌てた。
エンジンは正直なところ「何を馬鹿な」と思った。
燃料があるなら自動車を使えば良いじゃないかと。
文昭からでたエンジン案は二種類で、焼玉エンジンとスターリングエンジン。
焼玉エンジンはいわゆるポンポン船(焼玉船)で使われていた発動機なので実績はある。トラクターなどにも使われていたし、少数ではあるが鉄道の機関車での使用例もある。理屈の上ではガソリン、アルコール、軽油、灯油、重油など幅広い燃料が使え、ディーゼルエンジンやガソリンエンジンほど複雑で精密な部品が要らない。
ただ、始動や運転にコツが必要だったり圧縮比を高くできないため低出力という欠点があり、主に安価になったディーゼルエンジンに駆逐されてしまった。
そうそう玩具のポンポン船は外燃機関で焼玉船は内燃機関なので原理は全く異なる。動作音がポンポンというのは共通だけど。
もう一つのスターリングエンジンは温度差を出力として取り出す装置で、発明自体は十九世紀初頭と古いのだが、効率自体は良好で廃熱を利用して出力を得る事もできる。高出力化、大型化が難しい事や出力調整運転が苦手といった難問が普及の妨げになり中々日の目を見ることがなかったエンジンだが、二十一世紀に色々と実用化されている。多くは工場などの廃熱で発電するといった物だが最新鋭の潜水艦の非大気依存推進(酸素を消費せずに動力を得る)に採用されていたりする。
温度差があれば動くので熱源はそれこそ何でも良い。
それと、温度差を出力で取り出すというのは逆に言えば入力すれば温度差が生じるという事なのでスターリング冷凍機という物も存在する。
現代では効率を上げる為にヘリウムを使っていたりするので、ここでは現代ほどの効率の物は無理だが、出力を得る事自体は可能と思われる。
ただねぇ……出力調整に難があるので単独で使うのには向かない。
別のエンジンがあって補助的に使うとか、発電機として使って動力は電気モーターを使うという方法が無難な線かな?
今回は現物が無いので見送りとなったが、今後を見据えると両方とも試作はした方が良いだろうという事になった。特にスターリングエンジンはエンジンよりもヒートポンプとしての用途の方が需要が高そうだ。
流石に蒸気機関というのは出なかった。重すぎるから大型船以降だね。そもそも蒸気機関自体がまだ作れないから。
知恵を出し合ったが、結論としては「艪櫂」となった。
念の為「帆柱やエンジンを設置する事も視野に入れた設計を」が落とし所。
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実際に造っていくと設計図通りには造れない。
これは俺らの腕が悪いという話ではなく、また船に限った話でもない。
だいたい建物だって設計図通りに出来上がる事は皆無といって良いぐらいだ。
設計図を部品単位などに細分化して部材や型番の指定などをして実際に造っていく為の図面である施工図を作り、施工図を基に工程に落とし込んでいくのだが、実際に造っていくと設計図や施工図と同じには造れないのはその方面の方なら分かってもらえると思う。
自動車ぐらいまでならともかく、建物や大型船舶のクラスになると例え部品の精度が九九.九九九九%という極めて精巧な物であっても百メートルにしたら〇.二ミリメートルの公差が生じる。(自動車部品の公差は〇.〇〇一ミリメートル以下が基準になっている物とかが普通にある)
実際問題としてシックスナインなんて精度の物を作るのは経済的に割に合わないし、熱膨張など変化要因は幾らでもあるので、造っている最中に図面通りには作れない部分の歪みを逃がす処置を行う。これができる場所を「逃げ」とか「遊び」などと言ったりするのだが、優秀な施工図はこの遊びの部分が適切にある。これがギチギチで遊びの無い施工図だと造るに造れないし工期も増えるし強引に施工図通りに造ると歪みで強度が落ちてしまう。こういう施工図の現場にあたった現場監督は本当に不幸だ。職人からは「造れる訳がないだろう」と言われ、上からは「工期が遅れている」と責められて板挟みになるし、予定性能通りに造る事もできない。そしてそういう施工図を描く奴は現場監督や職人の話を聴くこともなく、施工図通りに造れない方が悪いと思っている事がままある。それで精神を病んでしまった現場監督も……
今回は木造船なので材料は当然ながら天然物の木材。つまり設計通りになる事の方が珍しい。
火で炙ったり熱湯をかけたりして木を曲げるのだってそうそう思い通りには曲がってくれない。強引に曲げようとすると裂けたり折れたりしてしまう。
部品は少し大きめに作って、現場で現物に合わせて調整して組み立てていく。出来上がってから実測したら十センチメートルぐらい大きかった。誤差一.五%ぐらいか。この誤差が大きいのか小さいのかはよく分からない。
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一応できあがったので浮かべてみる。
「水漏れとかしてないか?」
「今のところ、大丈夫」
「じゃぁ復元力のテストな」
少し沖合いに押し出して舷側から乗ってみるなど浮かぶ事について試験を繰り返す。
「それじゃぁ艪を取り付けるぞ」
波が穏やかな星降湾で一通り試験航海をした。
資料をあさったら艪は何種類かの類型があったので3種類作ってどれが良いかを試している。一人の感想だとあれなので替わりばんこで漕いでいるが、オールと違って漕ぎ方を知らなければ進まない。櫂は上手い下手はあっても全く進まないという事は先ず無い。
櫂は水を後ろに動かすときの反作用で進むのに対して艪は横方向に動かすときに生じる揚力を推進力にしているので艪の仰角を適切に制御する必要がある。逆に言えば漕ぎ方を知っていれば案外進むものだし方向転換もできる。
船の大きさや形状にも因るが櫂よりも艪の方が一般的には効率が良い。艪は基本的には一人で漕ぐから絶対的なスピードを求めたら多人数で櫂で漕ぐ方が早いことは早い。
漕ぎ手ごとに色々な意見は承ったが、星降湾の結果だけで決める積りは初めから無い。他にも波がある所や流れがある所での結果も踏まえて最終的にどれにするのかを決める。
試験航海が終わった一番艇は陸に上げて水洗いをして乾かす。
まだ完成じゃないんだ。
船体の全面に柿渋を塗りこんで防水、防腐処置を施す。柿渋はまだ一ヶ月ぐらいしか発酵させてないからアレだけど、やらないよりやった方がマシという事で……
係留は、弓浜の中ではリム高の低い場所に雁木(階段状の船着場)を造って留めてある。(命名「奥浜港」)
干満差が2m近くあったので埠頭や桟橋は棚上げにせざるをえなかった。
摺り込みかも知れないけど係留は左舷を陸側につけている。
船尾に座ったときに右手で操作できるよう右舷に舵が取り付けられていたので荷物の積み下ろしは舵が無い左舷を港に着けていた。そこで左舷をポートサイド(港側)というらしい。飛行機の乗り降りが左からするのが圧倒的に多いのも船のポートサイドに由来する。
右舷は舵取り板(スティアボードもしくはステアリングボード)がある側が由来でスティア(もしくはステアリング)が訛ってスターとなり、スターボードサイドになったというのが定説だそうだ。
ここで一つ問題?が生じた。
艪は船尾の左舷側に付けるのが普通なので当然左舷側に付けている。つまりポートサイド側に構造物があるのよ。……正直に言うと少し邪魔。
西洋には艪が無かったし、技術レベルが上がって舵が中央に付くようになったし、推進もスクリューになったから……歴史上の船舶で左舷に構造物があるのって東洋の艪式の手漕ぎ船だけなのかも。あっアングルドデッキは左舷が出っ張ってる。そんな少数例は関係ないけど。
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留山の向こうの千尋浜の東端の入り江(命名「西潟」)に船着場(西潟港)を設けて輸送を開始した。
手漕ぎ船の速度は歩く速度あたりが精一杯といった感じでとても遅い。
正確に測った訳ではないが、奥浜と西潟の航路長は凡そ五海里なので片道約三時間といった所。積み込みや積み下ろしの時間を考えると一日一往復するのは少々無理がある。焼玉船なら五ノットぐらいは出るそうなので、一時間ちょいで着けるから一日一往復も無理ではないが、これはエンジンができないと話しにならない。
粘土を採掘して西潟港に保管しておき、ある程度溜まったら船で取りに行くという流れが無理が無い範囲。すごく非効率な気もするが荷車や背負って山越えするよりは何倍もマシだ。
一号艇は「雪風」と名付けた。俺の意見じゃない事は明言しておく。
輸送していない時の雪風は安藤くんが沖釣りに使っている。使ってナンボだ。