第2話 水田作り
水路の次は水田作り。
もちろん水路と同時平行で作業は進められてはいたけど、腐葉土の確保などの用土準備が終えた辺りで水路はできたので今度は水田作りに回る。
それと奈緒美は育苗に取り掛かっている。田んぼができても植える苗が無いと話にならないので当り前だけど。
水田に水が湛えられるのは、基本的には田んぼの土の中に鋤床層という比較的硬くて水を通し難い部分があるからなのだ。また、鋤床層が支えになるので田植機とか耕耘機が田んぼに入っても足場になって作業ができる。もし鋤床層が無かったら沼に入るのと変わらないのでズブズブ沈んでいったりして大変だ。
田んぼを耕すのは基本的には鋤床層の上にある作土の部分で、その名の通り鋤を入れる時に支えとなる部分でもある。
ただ、日常的に鋤床層を作るというのはあまり聞かない。これは、長年水田を使っていると自然に形成される面もあるからで、水を入れては抜いてを何度も何度もそれこそ何万回と繰り返され土粒の粒度が揃って緊密になっていく。
水抜けが悪くなったら穴を開けたり暗渠を埋めたりといった事はするが、田んぼ全体の鋤床層を一から作るというのは新田開拓でもしない限りあまり経験する事ではない。
ちなみに長年使われた田んぼの鋤床層の土は陶磁器を作るのに大変良い素材で、誰かが暗渠を掘ると聞いたら鋤床層の土を譲ってもらいに飛んで行くと陶芸家が言っていた。
俺らSCCのメンバーは、このレア作業の経験が一度ある。
教育実習で行った付属小学校で、理科の実習の為に校庭の片隅に水田を作ったというか作らされた事があるのだ。
この時はランマーという深部まで転圧できる転圧機を借りてきて、土を締め固めて鋤床層を作った。作土は奈緒美植物園から持っていったってのもあるが、中々の水田ができて、実習田として残すと指導教諭に言われた。
長年の蓄積で形成される面が大きい鋤床層も転圧して締め固める事で作る事はできる。恐らく一番最初はそうやって作られ、長い年月をかけて良い塩梅に育ったのだろう。遠いご先祖様の苦労があったからこそ美味しいご飯が食べられる。
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先ずはある程度地面を掘ってほぼ水平にしてからつき固めていく。基本的には水が漏らないようにしないといけないのだが、全く漏らないのもそれはそれで問題になるので匙加減が面倒くさい。それと鋤床層を水平にしてしまうと水の抜けが悪くなるので排水口に向かって僅かだが水勾配をつけてある。
この鋤床層作りのつき固める作業というのが大変な重労働。
前のようにランマーがあったら話は違うんだろうけど、今の俺らが持ってる転圧機は表層を転圧するブレードコンパクターしかない。道路の修復などの小規模な舗装などで使われる奴ね。水路の方では使ったけどこちらでは効果が薄いのでガソリンが勿体無いってのもあり使わない。そこで「タコ」と呼んでる丸太に棒を取り付けたものを持ち上げて叩きつけるという手作業で頑張る。
こんな事をやらなくても、粘土を客土して導水し、泥捏ねというか代掻きというかをして水が抜けるのをまってまた粘土を客土してってのを何度か繰り返せば鋤床層ができるらしいのだが、如何せん時間がかかる。とても田植までには出来上がらないので、一期工事では採用できない工法なのだ。
二期工事ではこの方法を使う。そうじゃないと身体が持たない。
奈緒美が指定した大小マチマチ場所バラバラの20箇所の田んぼの鋤床層を作り、取排水枡を取り付けたら作土作りに取り掛かる。
伐採地から採ってきた腐葉土は、二つに分けられている。
腐葉土はC/N比が比較的高いので下手すると窒素飢餓を招く事がある。特に表層に近い部分は発酵が足りていないのでこれが顕著だ。よく発酵させた堆肥を使えというのはそういう事だそうだ。
なので、深部にあった熟成が進んだ部分を作土作りに使用し、それ以外の部分は追熟させてから二期工事の時に使用する。
完熟腐葉土と掘り返した時に出てきた土とを一緒に篩にかけて鋤床層の上に敷いて転圧と耕耘を繰り返し、肥料が馴染む時間をおいてから代掻きして十五センチメートルぐらいの稲が根を張る部分の土を作る。
もう何トンの土を篩に掛けたか覚えていない。
篩に掛けずにそのまま撒いたら駄目なのかと縋るような目で奈緒美を見たが反応がなかった。掘るのはバックホーがあるから良いんだけど、戻すときはほぼ手作業ってのがね。
それと耕耘するって事は空気が入る訳だから全部を戻しても掘り出した土が大量に余る。その上、腐葉土を客土しているから残土が山程でてくる。
この残土は水田予定地と里川の間に列を作って積み上げているが、崩れたら危ないので、子供達には近付かないように言い聞かせている。
しかし、放っておけば遊び場にするのは時間の問題だろう。
資材置き場なんて格好の遊び場だからなぁ……親父が小さい頃は空き地とかに色んな資材が野積みされていてよく遊んでいたって聞いた。ドラえもんとかで空き地に土管(たぶんコンクリート製のヒューム管)が置いてあってそこで遊んでいるシーンがよくあるが、高度経済成長の頃の日常的な風景だったそうだ。当然ながら事故も多かったらしい。
なので、他にやる事を作ってそっちに目を向けさせようと大人達で相談して剛史さんに日乾煉瓦作りに移ってもらって、それを子供達に手伝ってもらう事にした。泥遊びに近いので洗濯物が増えるが勘弁してもらおう。
田んぼの方だが、作土層ができたら畦から水が漏らないように畦塗りを行う。これは、泥を畦に押し付けてコーティングする作業。畦から水が漏れないようにするのが目的なので現代日本だと畦板という波板で仕切りをしているところもある。
畦板なんか無いから昔ながらの泥を塗りたくって止水する方法しかないのだが、畦塗り機が普及している事で分かると思うけど、これが結構な重労働。機械がないから手作業で畦を塗っていくしか無いので仕方がないんだけどね。
畦塗りの作業量は畦の総延長に比例するのは分かると思う。
それでね。冷静に考えて欲しい。
百メートル×五十メートルの一枚だったら畦の総延長は三百メートルしかない。
二十メートル×五十メートル×五枚なら七百メートルに増える。
合計の面積が同じでも細分化すれば畦の総延長は増える。
一区画が大きすぎるのは問題が多いので一反程度に分割するのは分かるが、今回は五反を二十枚に細分化しているのだ。
畦の総延長は千三百メートル……倍近い長さ。
酷い目その二でした。
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一応は水田ができたので、奈緒美に最終検査をしてもらう。
水入れや排水の具合、鋤床層や作土の具合などを慎重に確かめている。
「枡は左右兼用で引排水統合型にしたんだ」
「数が数だから。分けたら倍作る羽目になるだろ」
少しぐらい愚痴を言っても許されるよね。
「流石はタクさんとノリさんだね。使い易いよ。ありがと」
……きっ効いてないだと。
「二期工事に五十個ぐらい要るから同じ物をお願いね」
そうだったね。最終的に作る数は変わらないから後から作る数が減ったと思おう。急いで作らないといけない分の数が多いのは不具合があった時に困るから嫌だったんだけど、田植は迎えられるかな?
本当はある程度耐久試験的に使ってから量産したかったけどなぁ。
「ちょっと作土層が薄い気がするけど……まぁ大丈夫でしょう」
「そこらはチットばかし相談があるんだわ。ボトルネックは土篩いなんだけど、篩っても石はほとんど無かったんだよ。それでさぁ二期工事は土篩いは無しにして欲しいんだけど」
「そうだねぇ……うん。いいよ。但し目検はちゃんとして、鋤で確認はしてね」
助かったぁ……これでかなり早く済む。
一枚一枚丁寧に診ていった奈緒美が皆を見て言った。
「オールオッケー!田植の時期はまた知らせるからよろしくね!」
皆で健闘を讃え合った。
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奈緒美が育ってきている育苗箱を満足げに眺めている。
「苗の塩梅はどんな感じだ?」
「塩水選ができなかったから心配したけどそこそこ育ってる」
「そりゃよかった……ん?何かえらく多くないか?」
確か奈緒美のやり方は一反に十五箱を使うから五反だと七十五箱ぐらいの筈だけどそれよりも多く見える。それに箱の一部にしか苗が生えてない箱がやけに多い。
あっ……思い出した。
「こいつらは種子更新の奴か?」
一部にしか苗が生えてない育苗箱を指差しながら聞く。
種は長持ちするとはいっても経年劣化はするので、新米の種籾の方が古米の種籾より育ちも収穫量も良い。だから、純粋に種取の為だけに植える事もある。
ちなみに自分の田畑で育てた作物から採った種で翌年育てる自家採種に対して種取専用に管理して育てられた種を購入して播種する事も種子更新という。
「そう。覚えてたんだ」
「あれだろ。市松模様みたいに離して植えるんだっけ」
奈緒美植物園ではよくそんな感じで植えていた。
「うん。交雑すると面倒だからね」
ひのふのみの……三分の一ぐらいが種子更新用か……
分かった。分かってしまった。
そういう特殊な植え方を初めて田植をする人にさせられる訳が無い。
つまりは奈緒美と文昭と俺の三人が担当だな。
SCCのメンバーでも奈緒美の田植の手伝いってあんまりしなかったんだよ。
「そうそう。六日後ぐらいには田植できると思うからそろそろ水張りするね」