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第五十七話:罹患
「はぁっ……はぁっ……。ぐ、軍医殿、な、『南部熱』とは、い、い、……一体……?」
 
 そうベッドの上で問うだけでも、リュートの気管は焼けそうに痛い。咽頭痛も酷く、咳も止まらぬ状態だ。それだけではない。体中の関節という関節が、バラバラになりそうなほどに、軋んでいる。熱も、酷く高いようだ。とてもではないが、起きあがれない。
 そんなようやく意識だけは取り戻した状態のリュートの枕元で、軍医が神妙な面持ちで、問いに答える。
「南部熱とは、この南部の春から夏にかけて、時折流行する伝染病です。症状は、今、貴方の身に起きているとおり、高い熱と、それから咽頭痛を伴った、気管支の炎症。酷いと、肺炎になります。私が貴方に言われて、さっき診た少女は、もうすでに肺炎を引き起こしておりました。正直、あの少女達は衰弱も激しく、もって数日かと……」
「……そ、そんな……。で、では、どうしたら治るんだ……?」
「正直、これと言った治療法は今のところありません。患者の体力と、あとは運次第、としか……。南部熱の恐ろしいところは、この高熱が少なくとも一週間は続く所です。患う者は、もっと長く患います。完治まで、一月以上かかる者もおりますが、そんな長く患いますと、命の方も危うくなってしまいます」
 
 告げられた事実に、さらにリュートの心は打ちのめされる。
 ……まさか、あの少女が、そんな患者だとは知らなかったのだ。てっきり、黴で肺をやられたとばかり……。
 そう、少女の容態を思い起こすリュートに、ふと、一つ疑問が浮かぶ。
 
「軍医殿……、け、ケホッ……。な、南部熱に罹らない者もいるのか……? あ、あの少女といても、……れ、レオンという少年は、……な、何ともないようだったが……」
 咳き込みつつ、そう問うリュートに、軍医はさらに、南部熱について、説明を加える。
「はい。南部熱は、幼い時に一度罹ると、その後は余程の事がない限り、罹りません。私も、そうです。幼い時分に罹りますと、わりと治りも早いようですが、大人になってから罹ると、この熱はかなり辛いとか」
 
 ……そうか。だから、レオンや、『南部の風』の連中は無事だったのだ。しかし、万一を考えて、あんな牢に病人を隔離しておいたに違いない。それを、あの少年、レオンは、黴のせいだ、と嘘を付いて……。
 
 そう、ぎりっ、と歯噛みするリュートに、軍医はさらなる事実を告げる。
「これは、感染力が高く、患者の近くに居たり、患者の咳やくしゃみに触ると伝染(うつ)る、と言われています。ですから、リュート殿。その……言いにくい事ですが、患者は、貴方だけでは済まないでしょう」
 その言葉に、リュートは一つの事実を思い出す。
 ……そう言えば、確か、自分は今朝、兵士達と食事を……。それも、自分が率先してスープを配っていたのだ。……くしゃみを、しながら。
 
 ぞくり、とリュートの全身に寒気が走った。と、同時に、その辛い体を何とか起こして、軍医に詰め寄る。
「軍医殿! そ、それじゃあ、今頃、兵士達も……!!」
「はい。先ほど確認しましたら、かなりの数、罹患しておるようです。この軍は、主に、中央出身者や、西部者でございましょう? 子供の頃に、罹ったことがない者ばかりです。このままだと、軍全体に疫病が蔓延してしまいます! お早い御決断を!!」
 
 ――軍が……、ぜ、全滅?
 
 導き出されたその嫌な答えに、リュートはその動かぬ身を押して、何とか立ち上がる。そして、未だ症状が出ていないアーリに、即座に命じた。
 
「罹患している者、そして、罹患している者と関わった者、今日、僕と大広間で食事した者、全てこの北居館に隔離しろ!! それから、南居館にいるニルフに連絡を!! 絶対に、南居館と周辺の城に配備した兵達には、罹患させるな、と!! ニルフには、即刻、このルークリヴィル城から、無事な兵を連れて、他城へと移動しろと言え!!」
 
「りゅ、リュート様、そ、それは……」
「構わん!! 病気にかかった者は、全てこのルークリヴィル城北居館に見捨てて行って構わん!! 軍の全滅だけは、何としてでも阻止しろ!! 良いな!!」
 
 辛い喉を押して、それだけ言うと、リュートはぐったり、と床に倒れ伏した。そして、また薄れ行く意識の中で、一つ呟く。
 
 ――どうして……。どうして、こんな事に……。
 
「どうしてだ……。レオン……」
 
 
 
 
 
「ひゃーはははっは!! ざまあみろ、国王軍の奴等め!! いい気味だ!!」
 
 両手に抱えた金貨の袋から漏れる、じゃらじゃらとした音と共に、そんな叫びが南部の森の上空に木霊する。
 ルークリヴィル城から、しばらく南に下った森。あの『南部の風』のアジトがある採掘抗跡地の近くに、レオンは盗んだ金貨と共に、歓喜の飛行を楽しんでいた。今まで、エルダーで平民として暮らし、そして、侵攻後には、あの穴蔵で暮らしてきた彼にとって、こんな大量の金貨なんて、当然見たことすらもなかったのだ。それが、今、この腕にあるなんて、到底、信じられるものではない。
「ああ〜。こんだけあれば、みんな、腹一杯食えるだろうな〜。盗んだ武器は、隠してあるから、また兄ちゃんと取りに行けばいいし。ほんっと、あの綺麗な兄ちゃんが馬鹿正直にメリア達を引き受けてくれたおかげだぜぇ!!」
 そう一つ山肌に叫ぶと、レオンは山を越えた採掘抗跡にあるアジトの方向に目をこらす。
「よーし、チビ共。待ってろよ! レオン兄ちゃんが、たらふくうまいもん食わせてやるからなぁ!!」
 そう言って、レオンがその背の羽を、ばさり、と羽ばたかせた時だった。
 
「待ちなよ」
 
 後ろから、キーの高い少年の声が投げかけられた。
 それと同時に、レオンはその首の後ろに、冷たい切っ先が突きつけられた感覚を覚える。
 
 恐る恐る見遣ると、そこには、かつて自分が牢にぶち込んだ少年二人。黒の羽のクルシェと、水色の羽のトーヤの姿があった。その二人の手には、鋭い剣。勿論、ぴたりとレオンの首に突きつけられている。
 
「やっぱり、レオン。君が……」
「最初っからお前、怪しいと思ってたんだよね〜。付けてきてよかったよ」
 
 そう言う少年二人の目は、いつもの様に笑ってはいない。今にも、怒りで彼に斬りかからんぐらいの猛々しい目を、していた。
 そんな視線を受けて、レオンは尚も不敵に唾を飛ばす。
「何だよ、おめーら。まだ、おめーらは罹ってないんだ。あ、そっか、おめーら、あのメリア達とは接触する前に、兵士呼びに帰っちまったんだっけか? さっさと仲良く寝込めば良いのに。南部熱は辛いぜぇ」
「ふざけるな!! お前一体何のつもりで……!!」
 そう掴みかからんとするトーヤの手を、金貨を抱えたままのレオンの手が遮る。
「何のつもりだと? そっちこそ、何のつもりだよ。ああ? あんな綺麗なお人形さん、頭に据えて、戦争ごっこでもしに来たってか? そっちこそ、ふざけんな、だよ。この南部の痛み、少しでも味わえばいいんだ!!」
「い、痛みだって?」
「ああ。そうさ。お前らに南部の何が分かる!! 侵略と殺戮!! 蹂躙と拉致!! それから逃げても待っているのは、飢えと疾病、劣悪な環境だ!! その一欠片すら味わったことがないお前らに、南部なんか救えるものか!! あの綺麗な兄ちゃんだって、どうせ、前の奴等と同じさ!! 結局やりたいのは兵隊さんごっこだろ? 南部の救済じゃねえ! そんなヤツに、南部の人間は絶対に従わねえからな!! 金も武器も、あんな兄ちゃんにはもったいねえよ! 俺らが全部使ってやるから、死んじまえばいいんだ、あんなヤツ!!」
 
 ――バシッッ!!
 
 乾いた南部の空に、これまた乾いた音が響き渡った。
 
 レオンは、突然自分の頬を襲った痛みに、一瞬、何が起こったか分からず、思わず、空中から墜落しそうになる。
 その身を押しとどめて、前を見遣ると、そこには、さっきレオンの頬を撲ったと思われる手を握りしめて、怒りに燃え立つ、黒羽の少年の姿。とても、いつものおどおどとした彼の様子とは思えない。父譲りの、その黒曜石にも似た黒い瞳が、今にも燃え立たんばかりに、めらめらと怒りを宿していた。
 
「く、クルシェちゃん……」
 
 呆気にとられるトーヤを尻目に、クルシェは怯むことなくレオンに掴みかかる。
「ふざけるな!! 何が、南部の痛みだ!! そんな下らないことの為に、あの方の命を奪おうって言うのか!! お前、あの人のことなんか、何にも知らない癖に! あの人が、どんな思いでここに来たか、知りもしないくせに……!!」
 そう言ってレオンに殴りかかるクルシェは、とてもあの王都でもじもじと怯えていた彼とは思えないほど、激高していた。そして、とても、育ちのいい、大公家の次男坊とは思えぬような言葉まで口にする。
「いいか! もしあの人が死ぬような事があったら、僕はお前を許さない!! この手で、お前を殺してやる!!」
 
「く、クルシェちゃん。き、君……」
 クルシェのあまりの変貌ぶりに、トーヤはその怒りすらそぎ落とされてしまったように、彼の名を呟く事しか出来ない。そんな彼を後ろに、尚もクルシェはレオンの首元をきつく締め付けて言う。
 
「あの人は絶対に殺させない!! 僕を……、自分を否定していたばかりだった僕を、初めて認めてくれたあの人だけは、絶対に、殺させない!! 僕のこの手で、絶対にあの人は守りきって見せる!!」
 
 この、弱々しい少年の何処にそんな力があるのか、一向にレオンの首は解放されることがない。尚も本気で殺さんばかりに、掴みかかるクルシェを見かねて、トーヤが思わず間に入っていた。
「く、クルシェちゃん!! 今は、こいつ、殺すときじゃないよ!! ね? 落ち着いて!! 今は、こいつ城に連れ帰って、聞くコト聞かなきゃ!! こいつなら、あの熱に効く特効薬、とかそんなの知ってるかもしれないし! ね? ボクと一緒に、拷問したらいいよ! ボク、いっぱい拷問方法知ってるから、教えてあげる!!」
 間に入ったとはいえ、どちらかと言うと、トーヤの方がずっと恐ろしい台詞を吐いている。その事に、嫌な予感を覚えるレオンを前に、クルシェが、一段とその黒曜石の目を光らせた。そして、トーヤに向けて、ぼそり、と一言言う。
 
「一番、きつい拷問、教えてよ。トーヤ君」
 
 ……ああ、クルシェちゃんってば、……もうすっかり汚染されてるね……。
 
 クルシェの華麗なまでの変貌ぶりに、トーヤはある種の感慨を覚えながら、そう呟くと、ふと、その目を南へと動かした。何か、きな臭いような臭いが、その方向から漂っていたからだ。
「何だ、この臭い……?」
 
 勿論、この嫌な臭いをかぎ取ったのは、トーヤだけではない。クルシェ、そしてレオンも同様に、その目を南の方角へと向けている。
 
 と、春の乾いた空に映える、一筋の煙が彼らの目に飛び込んできた。
 それと同時に、山向こうから微かに響く、嫌な動物の鳴き声と、太鼓の音。それが意味するものは何なのか。少年とはいえ、一人前のゲリラ戦士として戦ってきたレオンは、その意味を過たずに理解していた。
 
「――竜騎士だ!! 竜騎士が南の山まで来ている!!」
 
「りゅ、竜騎士だって?!」
 トーヤ、クルシェにとっては、勿論初めて聞く音である。とてもではないが、その小さな音だけで、判断が付かない。
「ま、間違いない! この微かに聞こえてくる鳴き声は、間違いなく飛竜のものだ! しかも、一体や、二体じゃねえ! か、かなりの大群だ!!」
「た、大群? そ、それがこの森にまで来るっていうワケ? ま、まさか、ルークリヴィル城を狙って……」
「いや、違う。竜騎士の羽音は近づいてきてねえ! 何か……空中で旋回でもしているのか……。ずっと一カ所に居るような感じだ……」
 耳を一層そばだてて、竜騎士達の動向を、音だけで判断するレオンに、クルシェ達は舌を巻く。とても、自分たちにこんな芸当は出来ないからだ。流石は、常に帝国に脅かされてきた南部の戦士というだけのことはある。
 そんなクルシェ達の感嘆の目線を受けて、レオンはその鳴き声から、竜騎士達の居場所を探ろうと、目を伏せて、より精神を集中させる。
 
 ……この鳴き声の感じからして、程なく近い。距離からすると、丁度山を越えたあたりか……。そう、山を越えた、森林地帯……。
 
 そこまで考えて、レオンはその身をぞくり、と戦慄させた。
 
「ま、まさか……! あ、あ、アジトを……!!」
 
 そう呟くなり、レオンはその羽を一気に羽ばたかせて、一目散に南の森へと翔だして行った。クルシェ達の制止の声が、後ろに響く。
「レオン! ま、待って!!」
 
 
 
 
 森は、既に、一筋の煙が立っているどころではなかった。
 おそらく油を撒いたのであろう。特に、採掘抗の周辺は、地獄の業火を思わせる火炎が一面に立ちこめていた。そして、一面の火にぎゃあぎゃあと喚き立つ飛竜の鳴き声。
 
 そんな眼下に燃える火が、空で騎竜したままの鉄人の顔を赤々と照らし出した。その横顔は、いつものものに増して鋭く、そして、固い。そんな彼の耳に、残酷な報告が届く。
「全坑道の出入り口と思われる穴、封鎖完了致しました。これより、坑道内、全てに火を放ちます!! これで、奴等、『南部の風』は逃げ場もなく、一網打尽です!!」
 それに対して、将軍の隣に居た腹心の騎士が、満足げに答える。
「……そうか。ご苦労だった。閣下。坑道内への着火準備も万端です! どうぞ、着火のご指示を!! 今こそ、……我ら騎士を、闇討ちし続けてきたゲリラ共に、神の鉄槌を!!」
 
 ちゃらり、と将軍の首に、銀細工が揺れた。
 あの、唯一神を現す、円に十字の印である。それに、手を当て、将軍は目を伏せたままに、しばし、沈黙する。
「閣下! どうされました?! あんな異民族の異端者共、容赦はいりませぬ! どうせ、元はエルダーの『選定』をすり抜けた者達です! 高く売れる希少種もおりません! 遠慮など、いらないではありませんか!」
 さらに言いつのる腹心の言葉を受けて、ようやく鉄人の鉛色の瞳が見開かれた。そして、死して、罪人が焼かれると言われる地獄の業火に似た、眼下の火を眺めながら、静かに呟く。
 
「神よ。貴方は、偉大である……」
 
 そう言って、将軍は、眼下の炎から目を逸らし、またしばらく無言で天を仰いだ。そして、その厳格さ漂う口元を、さらにきつく引き締めると、その双眸に憐憫の色を深く滲ませ、一言吐き捨てる。

「だが、とても、残酷だ」
 
 その言葉を振り払うかのように、すら、と将軍の腰のサーベルが抜かれた。そして、赤く染まる森に響く、鉄人の声。
 
「坑道内、着火許可!! ゲリラ共を炙り出せ!!」
 
 
 
 
 
「兄ちゃん! みんな!!」
 
 眼下に燃え立つ森に、なす術なく、レオンの声が空に木霊する。
 翔け付けてきた森は、すでに手遅れで、何処に坑道の入り口があるのかすら分からぬ程に、燃え立っていた。その上空には空を覆い尽くさんばかりの竜騎士団。とてもではないが、この中に飛び込んで無事で帰ってこれるはずがない。
 そんな森の惨状を、少し離れた山肌で呆然と眺めながらも、尚、その地獄に飛び立たんとするレオンに、クルシェが後ろから即座に翔けつけてきた。
「待って! レオン! 行っちゃダメだ! 君まで殺される!!」
「離せよ! あの中には兄ちゃんが! それから、『南部の風』のみんなも! それから、まだ小せえおチビ共だって!! 家族なんだよ!! みんな、俺の家族なんだよ!!」
 レオンの脳裏に、おそらくこの坑道にいるであろう、仲間達の顔が思い起こされる。

 ……兄、戦士達、おばさん達、そして、弟か、妹のような小さな子供達……。
 それが、この眼下の坑道の中で、火に巻かれているのだ。熱い炎に、焼けた空気に、逃げ場なく、蒸し焼きにされているのだ!

「お、落ち着いて! レオン!!」
「離せ! これが落ち着いて居られるか! 家族が殺されてんだぞ! 今、目の前で家族が焼き殺されてんだぞ! それが、それが、落ち着いていられるかよ!! 兄ちゃん! 兄ちゃん!!」
 兄を呼ぶ悲痛な弟の叫びが、クルシェの心に突き刺さる。それでも、クルシェは彼の手を離すわけにはいかなかった。ここで、彼まで、殺させるわけにはいかないからだ。
「レオン! レオン!! 他に、脱出口はないの!? 竜騎士達が知らないような、秘密の通路とか、そんなのはないの?!」
 彼をなんとか思いとどまらせようと、必死に紡いだクルシェの言葉に、はた、とレオンの体が止まる。そして、何か思い出したかのように、その体を、山向こうへと翻した。
「そうだ! メテオラの鉱山街の廃墟の地下室に、確か……!!」
 そう言うと、レオンは、眼前に燃え立つ森を横目に、一目散に、山向こうの廃墟へ向けて、飛び立っていった。
 
「め、メテオラ廃墟……」
 
 そう呟いて、飛び去っていったレオンを追わんとしていたクルシェの前に、トーヤがようやく追いついてきた。
「く、クルシェちゃん。飛ぶの、速いよ……って! な、何だよ! こ、これ……!! これが、りゅ、竜騎士……!!」
 今、居る山肌から、眼下に広がる地獄絵図に、そう絶句するトーヤに、クルシェは即座に命令する。
「トーヤ君! 君、この事、城に知らせに行って!! 僕はレオンを追って、メテオラ廃墟に向かう!!」
 そう言うと、クルシェは、何処にそんな行動力があったのだろうと思わせるような勢いで、素早く、山向こうへとその羽を羽ばたかせて行った。
 
 
 
 
 メテオラ廃墟は、その名の通り、朽ちた廃墟の街だった。丁度、焼かれている坑道がある場所から、小さな山一つ越えた場所に位置している。
 どうやら、ここまでは竜騎士の手は伸びていないらしく、廃墟の街は、山向こうの喧噪とは裏腹に、しん、と静まりかえっていた。
 
 その中で、しばらく辺りを探した後、唯一動く影、レオンの翼を見つけて、クルシェは、ある廃墟前へと着陸する。
 そこは、おそらく、かつての坑夫達が集っていたのであろう、かなり大きな酒場の跡地だった。もう、随分手入れがされていないらしく、まるで少し力を入れただけでも崩れてしまいそうなほど、朽ちていた。その中に、坊主頭の少年、レオンは躊躇わずに飛び込む。
 それを追って、クルシェが飛び込むと、入るなり、つん、と嫌な臭いが鼻についた。きな臭いような、それでいて、生々しいような……。まるで、肉を焼いた時のような臭いだ。
 そんな臭いを追って、レオンとクルシェは地下にある酒の貯蔵庫だった場所へと足を踏み入れる。もう、一瓶の酒すら置かれていない、その酒蔵には、さらに立ちこめる嫌な臭い。その根元は、どうやら酒蔵の床の隅に置かれた大きな樽の下かららしい。それに気づいたレオンとクルシェが、二人がかりで、その大きな樽を退かす。
 
 すると、そこには、人一人が通れるような小さな穴が空いていた。
 
 そして、その穴からは、酷く薄汚れているが、紛うことなき人の手が覗いている。おそらく、山向こうの坑道から繋がっている、この秘密の抜け道まで逃げてきたゲリラの誰かの手なのだろう。レオンが、それを急いで引っ張り上げる。
 
 その穴から現れたのは、首に黒いスカーフを巻いた男。
 
 それは、紛う事なき、『南部の風』のリーダーにして、レオンの兄の姿だった。その腕には、小さな子供が二人、しっかりと抱えられている。
「に、兄ちゃん!! そ、それにチビ達まで!! し、しっかりしろ!!」
 おそらく火にまかれたのであろう、リーダーも、子供達も全身が真っ黒に煤けていた。そして、所々には火傷と思われる跡。今さっきまで、地獄を這ってきた事が、嫌でも窺える、痛々しい有り様だった。
 そんな体を押して、ようやく、引き上げられたリーダーが、目を開いた。
「れ、れ、……レオンか……。お、お前、……ぶ、無事か。よ、……よ、良かった……」
 火にまかれた時に、喉をやられた兄の口から紡ぎ出される声は、以前のそれとは思えぬほどに嗄れていた。呼吸も、ひどく困難なのであろう。ひゅーひゅーとした息漏れが酷く痛々しい。そんな辛い呼吸を押して、リーダーは腕に抱えた子供を、レオンに託す。二人とも気を失っているが、口に巻かれた濡れた布のおかげで、大事には至っていないようだ。クルシェは即座に、その子供達を受け取って、この冬、近衛隊と共に学んだ応急処置を施し始めた。
 
「に、兄ちゃん!! ほ、他のチビ達は? そ、それに、他の仲間達はどうなった?!」
 そう問うレオンに、リーダーはその口から声を何とか振り絞って答える。
「お、俺が……た、助け……ら、れ、たのは……、このふ、二人だけだ……。あ、あとは、皆、……火、火に、ま、まかれ……」
 リーダーの息が、さらに苦しさを増す。もう口を動かすのも辛い、といった程だ。そんな状態にもかかわらず、リーダーは最後の力を振り絞って、その手を自分の懐へと伸ばす。
「こ、これは、……え、エルダーとこの南部の……、地形や、天候……。お、俺が、げ、ゲリラ活動をする上で……、培ってきた、す、す、全てのち、知識が、し、記してあ、ある……。こ、これを、お、お前に……」
「兄ちゃん! 兄ちゃん!! しっかりしてくれよ! 俺、そんなのいらねえからさ!! なあ、兄ちゃん! 返事してくれよ!!」
 
 張り裂けんばかりのその弟の慟哭に、兄は答えることが出来ない。ただ、うっすらとその口元を歪めて、微笑んでやるだけだ。
 
「に、兄ちゃん! 兄ちゃん! 頼む、返事してくれ! 兄ちゃん!!」
 
 もう、その懇願も兄には届かない。弟の腕の中で、見開かれた目から、ふうっ、と光が消えた。そこにあるのは、何も映さない、瞳孔が開いた球体のみ……。
 
 
「――に、兄ちゃんっっっ!! 兄ちゃんっっ!!」
 
 子供達を抱きしめるクルシェの耳に、悲痛な弟の声が、突き刺さる。
 
 
 
「お、お、お、俺の、俺の、せいだ……」
 
 ぴくりとも動かぬ、まだ暖かい兄の亡骸に縋り付きながら、レオンが、そう漏らす。
「お、俺が、俺が、あの時、反対しなければ……。お、俺があの時、国王軍に協力することに賛成していれば、こんな……こんな事には……!」
 そう悔しげに呟くレオンの体は、自分の意志とは関係ないようにがくがくと震えているようだった。その様子に、クルシェは掛ける言葉もなく、ただ、助かった子供達を抱きしめることしかできない。
「俺が、俺が……あんな事をしなければ……、こ、国王軍だって、た、助けてくれたかもしれねえのに……。お、俺が、俺が……」
 
 ……俺が、みんなを、殺したんだ!!
 
「――――――っっっ!!!」
 
 一つ、レオンの口から、狂人じみた奇声が発せられた。
 そして、今目の前で起こった惨劇を、まるで頭から消し去りたい、とばかりに、がしがしと、その坊主頭を掻きむしる。
「ああーーーーっ!! お、俺が! 俺が! 俺が!! みんなを! 兄ちゃんを! チビ達を! 許せない! 許せない、許せない、許せない!!!」
 
 もう、狂乱と言っていいレオンを、何とか制さんと、クルシェが、彼の前に立ちはだかる。だが、もうその目の焦点すら合っていないレオンを、留めることなど、クルシェには不可能だった。
 
「れ、レオン!! ま、待って!! ま、まさか、君、竜騎士の所へ……!!」
 
 クルシェの体を張った、制止も、ぶつぶつと何やら訳の分からぬ事を呟くレオンには、敵わない。
「許せない、許せない、許せない……。みんなを殺した、竜騎士共、絶対に許せない……」
 
「レオン!! 行っちゃダメだ!! レオン!!!」
 悲痛なクルシェの叫びすら、彼には届いていないようだ。追いすがるクルシェに一瞥すらも与えず、レオンは、酒蔵を後にせんとして、剣を手に、そのドアに手をかけた。
 
 ――レオンまで……! レオンまで、死んでしまう!!

 例え、軍に災厄をもたらした男と言えど、もとは自分とそう歳の変わらぬ少年である。クルシェには、どうしたって、そんな少年の、死地に赴くような行動が受け入れられるものではない。何としても、自分が止めなければ……。

 だが、悲しいことに、クルシェには、これ以上、レオンを止める術がない。ただ、その内心で、ひたすらに叫ぶ。

 ……助けて!! 誰か、助けて!! レオンを、助けて!!


 
「――待て、レオン」
 
 
 
 レオンが開け放ったドアの向こうから、凛とした声が発せられた。
 
 幾分か掠れてはいるが、そのよく磨かれた剣の様な独特の鋭さは、失われてはいない。
 
 その声の持ち主を、ドアの向こうに認めるや否や、レオン、そしてクルシェの目が見開かれる。それは、とても、この場に居るとは思えぬような……。そう、確か、高熱で伏せっているはずの……。
 
「――りゅ、リュート様!!!」
 
 思わず、クルシェが涙混じりの声で、その名を呼んでいた。
 
 そこには、肩で息をしながら、お付きの兵士に抱えられて、ようやく立っている、といった様子の、金髪の男の姿。その痛々しいが、それでも何処が凛々しさを備えた男の姿を認めるなり、クルシェが叫ぶ。
「リュート様!! ど、どうして、貴方がここに!?」
「く、クルシェ。け、煙の異変に気づいて、この森に来る途中で、トーヤに会って、この場所を……。ぼ、僕に近寄るな……。う、伝染(うつ)るぞ……。こ、この兵士達は、な、南部出身で、南部熱を経験済みだから、いいが……、お、お前は、だ、駄目だろう。は、早く、トーヤと一緒にニルフのいる城に、避難していろ……」
 ぜいぜい、と喘鳴混じりの悲痛な声で、リュートはそう命ずる。
 そのいつもとは違う様相から、かなり体が辛いのであろうに、この男は異変に、その体を押してすぐに駆けつけてきたのだ。そんな彼の行動を思い馳せるだに、クルシェの目に、さらに涙がじわり、と滲む。
 そんな彼を後ろに、リュートは、自らの前で、剣を手にしたまま立ちつくすレオンに、その碧の目を向けた。
 
「レオン……」
 
 そう名を呼んで、近づいた金髪の男の存在に、レオンは、さっきまでの狂気をどこかに置き忘れて、ただただ、驚きのあまり、その目を見開く。
「ど、どうして、あ、あんた……。ね、熱があるっていうのに……。どうして、こんなとこにまで……」
 
 ……ま、まさか、俺を殺しに来た? 
 
 レオンの脳裏に、嫌な予感が過ぎる。
 
 確かに、自分は殺されても仕方がないことをした。この男に嘘をついて、感染させ、そして、この男の配下の兵達も巻き添えにした。それだけでない。自分は、この男が協力を望んでいたゲリラ達も殺してしまったのだ。
 殺されても、文句は言えない。
 
 ……いや、むしろ……。
 殺されたい位だ。
 
 そう覚悟を決めて、目を伏すレオンに、すうっ、と、リュートの手が伸ばされる。
 
 ……ああ、このまま、斬り殺されるんだな。……それもいいか。兄ちゃんと、同じ場所で死ねるなら、それでいいや。
 
 そう、レオンが覚悟したその時。
 
「――辛かったな」
 
 突然、リュートの腕が、レオンの肩に回されていた。
 そして、その肩を、両の腕に、そっと抱き寄せる。
 
「辛かったな、レオン。……辛かっただろう?」
 
 それは、レオンがまったく予期しなかった、酷く優しい声音だった。
 そして、彼を抱くその腕は、熱のせいなのだろうか、酷く暖かい。
 
「あ、あんた……」
 戸惑うレオンに、尚も、耳元で、声は言う。
「すまない……。すまなかった……。ぼ、僕の……力が及ばなくて……。か、彼らを、……お、お前の家族を……、救ってやれなくて、すまなかった……」
 
 自分がしたことを一切責めもしない。ただ、悲壮なる憐憫に満ちあふれ、哀しみに寄り添うような、その声に、レオンの心が激しく震える。
 そして、あふれ出す、怒濤の様な、涙。
 
「う、う、う、うわぁぁああああああああああ!! う、うわぁぁああああああっっ!!!」
 
 レオンは、泣いた。
 自分が殺してやろうと思って、騙した男の腕の中で、ただただ、子供の様に、泣いた。
 
 それは、あのエルダーで、家族が惨殺された時に、とっくに枯れ果てたと思っていた、涙だった。
 
 
 その慟哭を、静かに、リュートの腕が受け止める。
 そして、尚も、辛いな、レオン、辛いな、と、ただ静かに、彼の心に寄り添ってやる。
 ……自分と同じ、兄を殺された少年の痛みに。そして、自分と同じ、家族を殺された少年の孤独に。
 
「うわぁああああん! うわぁあああん! 兄ちゃん! 兄ちゃん!! にいちゃーん!!」
 
 ただ、兄を呼ぶ、少年の姿が痛々しくて。
 リュートは、他に為す術もなく、ただ、少年の細い体を、抱きしめてやることしか出来なかった。
 そして、一人、内心で、呟く。
 
 ――兄さん……。レミル……。僕は……、僕は……もう、こんなの、沢山だ。
 
 
 そう、呟くと同時に、レオンを抱きしめていた腕に、一層の力がこもった。
 そして、その碧の瞳に、ぎらり、と光を宿す。
 
「……るさない……」
 
 痰混じりの、リュートの声が、酒蔵に木霊する。
「許さない……。許さない……。こ、これが、神の為だって? こ、これが、全知全能の神の思し召しだって? そ、そんなこと……僕は絶対に、許さない!!」
 言うと、リュートは、その心に、きつく決意をする。
 
 
 ――神だろうが、何だろうが、関係ない!! こんな悲劇が正しいことだと言う神ならば、他の誰でもない、……この、……この僕が、この命の全てをかけて、逆らってやる!!!
 
 
 それは、『獅子』と謳われる、誇り高き男の、魂の叫びだった。
 
 そして、その弱った体を、意志の力で引き起こすと、堂々と、部下達に振り返って言う。
 
「レオン! 南部兵!! 僕を城まで運べ!! そして、地下室まで連れて行け!!」
「ち、地下室ですか? そ、そんな、リュート様!! こ、ここまで来られたのだって、かなり無茶をされたのですから、城に帰ったら、一刻も早くお休みにならないと……!!」
 そう制する兵士の声も、この猛りたる若き獅子には届かない。ただ、全てを震え上がらせるような咆哮に、かき消されるのみである。
 
 
「いいから、黙って従え!! 神が、何だ! 信仰が、何だ!! そんなもの、――この僕が全部、ぶっ潰してやる!!」
 




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