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第一話:夜盗
 夕暮れに赤く染まる小さな港町に、美しい笛の音が響き渡った。
町の南に立つ風見の塔から流れるこの笛の音は、いつも穏やかに、この町に夕暮れを知らせてくれている。
 
 ここ、クレスタは、有翼の民の国、ミラ・クラース王国の南東に位置する小さな港町である。
 
 街の南西に位置する堅牢なアイ山脈に守られるように、戦火から逃れた平和なこの町にも、イヴァリー半島解放の一報が早々と届けられ、その朗報に、町は一気に沸き立っていた。
 それは、静かに笛の音が流れる風見の塔も、例外ではない。
 
「リュート! リュート、居るか!」
 塔の最上階に、勢いよく一人の少年が飛び込んできた。その背に、空にも似た薄青の翼を持った、身なりの良い少年である。
 
「おお、坊っちゃま。このような所へ一体なんのご用で」
 最上階の部屋の隅で、帳面に何やら書き込んでいた老人が、少年の突然の来訪に、驚いたように顔を上げる。
「ロム爺、リュートは?」
「ああ、リュートなら笛を……、おおい、リュートや、レミル坊っちゃまだ!」
 老人が、窓から屋根の上にその名を呼び掛けると、響き渡っていた笛の音が、ぴたりと止んだ。
 
「レミル? どうしたの?」

 その声とともに、一人の少年が、屋根からくるりと回転して、窓に降りてきた。夕陽を背に、キラキラと輝く金髪が揺れている。歳の頃は十前後だろうか。白い肌に、エメラルド色の瞳。そして何よりも印象的なのが、この有翼の国の中でも稀な色である、純白の翼だった。

 その白羽の少年が、窓から部屋へ入るや否や、青羽の少年が、勢いよく、彼に抱きついてきた。そして、何よりも嬉しそうに、顔に満面の笑みを浮かべて、喜ばしい情報を彼に告げる。
 
「やったぜ、リュート! 大勝利だ! 終戦だ!」
 
 その言葉に、リュートと呼ばれた少年の目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。信じられない、だが、嬉しくて溜まらないといった表情で、その目を、本当のエメラルドの様に輝かせている。

「ほ、本当に? レミル、本当に戦争が終わったの?」
「ああ! さっき父さんから知らせが来た! 俺たちの勝利だ! やったな、リュート!」
「じゃあ、父様達、帰ってくるんだね? いつ? いつ帰ってくるの? ああ、レミル、僕待ちきれないよ」
 
「おい、リュー坊。領主様の坊っちゃまになんて口の利き方だ。いつもいつも注意してるのにまだわからねぇか」
 興奮治まらぬ、といった調子で浮かれていた金髪の頭に、ごつん、と鈍い音を響かせて、老人の皺だらけの拳が、叩き落とされた。その鉄拳に、いったぁ、と呟きながら、涙目になる幼なじみを前に、空色の羽の少年が、慌てて老人に向けて、取り繕う。
「いいんだ、ロム爺。俺たちは一緒に育った兄弟みたいなものだし」
「いけませんや。いくらこいつのうちが奥方様に目をかけられてるからって、領主様は領主様。風見の平民とは身分が違いまさぁ。それにね……」
 
「本当にいいのよ、ロム。あんまりリュートを殴らないでやってちょうだい」
 老人の言葉を遮るように、突然、背後から、品の良い女の声が響いていた。
 
「お、奥方様!」

 そこには、このクレスタと周辺の村を治める領主夫人の姿があった。肩でカールさせた黒髪を揺らし、夫人はにっこりと上品に老人に微笑んで見せる。
「風に変わりはないかしら? 明日は南に商隊を出すから、心配でね」
「も、もちろんです。風はいい調子ですよ」
 緊張して答える老人を差し置いて、割って入った白羽の少年、リュートが、老人のお株を奪うかのように、その先を続けて言う。
「今日の夜は雲と風が出るけど、明日は午前中はいい追い風になるよ。でも、午後は少し向かい風も混じるから、朝早めにでたほうがいい」
「こら、お、お前、奥様に生意気な口きくんじゃねえ」
 老人はまたその拳を振り上げるが、その拳は今度は空を切ってしまう。素早くよけたリュートは老人に向かって、ぺろりと舌を出してみせた。
「だって本当のことだもん。爺が大事なこと言わないから僕が言っただけじゃないか」
「お前、面は、別嬪の母ちゃん似で、可愛いくせに、性格は可愛くなくていけねえや」
 その二人のじゃれあうような様子に、夫人は思わず、クスクスと小さく笑いを漏らした。
「ロム、リュートが言うのは本当なの?」
「へ、へぇ、本当で。こいつはこいつの親父に似て、まあ、風を読むのがうめぇのなんの。おまけに翔ぶのもはええのなんのって。あっちの岬にだって、すぐに行って風を見てきてくれるんで大助かりです。親父より役に立ってるんじゃねぇかってくらい」
「まあ、それじゃ戦争から帰ってきたらヴァレルは失業してしまうかもね」

 そのヴァレル、という名を聞くなり、リュートが興奮した様子で、夫人に尋ねた。
「奥様、戦争が終わったってことは、父様が帰ってくるってことだよね?」
「ええ、もちろん。私の夫と一緒に帰ってくるでしょうね」

 その言葉に、老人もその皺だらけの頬を綻ばせる。
「おお、領主様も。奥方様は今までお一人で、よう治めてこられましたものなぁ。これで一安心ですわい」
「あら、ロム。みくびらないでちょうだい。もともとここは私が治めるべき領地ですもの。夫がいなくとも十分にやっていけますとも」
「これは、失礼を……」
 この夫人、リーシャは代々クレスタを治めてきたニーズレッチェ家の一人娘として生まれた。
 生来、聡明で快活な性格であった彼女は、女ながらにして次期領主として、幼い頃から父親より教育を施されていたが、現在はその父親が亡くなり、クレスタの領主権は、十年ほど前に彼女と結婚した、婿養子のロベルトに譲られている。もともと中央貴族と言われる高級官僚を多く輩出し、宮廷にも太いパイプを持つ家の五男だったロベルトは、領主として妻にも領民にも喜んで迎えられた。しかし、婿のロベルトは、度重なる戦争への収集のため不在がちなことが多く、結婚後も領内の政務は、実質リーシャがそのほとんどを担っているのが現状だった。
 

「母さん、もう日が暮れてしまう。ロム爺と無駄話するためにきたんじゃないだろ」
 一人息子であるレミルにそう指摘され、リーシャは思い出したように持っていた包みを、リュートへ差し出す。
「ああ、そうだ。今日はあなたに終戦の知らせと、これを持ってきたんだったわ」
 リュートが包みを開けると、そこにはおいしそうなパンと干し肉、果物に木の実。
「奥様、これ……」
「聞いたわ、またラセリアの具合がよくないんですって?」
 その言葉に、リュートの顔が、一瞬にして曇る。
「はい、また胸の発作が……。昨日先生に来てもらっておさまったんですけど……」
 リュートの母ラセリアは、彼を生んで以来、ずっと病がちになっており、夫が出征したここ数ヶ月は、とみにその病状がひどくなってきている。
 領主夫人であるリーシャは、ラセリアを昔から気づかい、リュートをよく城に預かり、息子のレミルとともに育ててきた。そして、リュートが成長して後も、今までずっとこの親子の後見を続けているのである。

「奥様、いつもすみません」
「何言ってるの、貴方は私の息子みたいなものなんだし、気にしないで」
「そうだよ、リュート。もうすぐ父さん達も帰ってくるさ。そしたら風見の仕事なんて任せて、また一緒に遊ぼうぜ!」
 リーシャとレミルの励ましに、リュートの顔に少しだけ笑顔が戻る。
「うん、そうだね。父様が帰ってきたらきっと母様もよくなる」
 うん、ともう一度大きく頷き、笛を懐にしまうと、リュートは勢いよく窓から空中へと飛び出した。茜色に染まる空に、白い翼が丸く円を描く。

「ありがとう! ロム爺もまた明日ね!」 


 リュートの家は、クレスタの町の南西の外れ、民家がまばらな、少しさみしい土地にある。
 ここでリュートの父ヴァレルは、小さな畑を耕しながら、町の風見の仕事を請け負い、妻と息子を養っていた。
 ところが数ヶ月前、このクレスタの町の領主ロベルトの所へ、主君より再び戦争への招集がかかった。その報を聞くや、父ヴァレルは自ら志願し、領主とともに出征し、あとには病弱な妻ラセリアと息子リュートが残された。
 母ラセリアは病弱な身であるが、それ以前に少し浮世離れした所があり、家事一切その他がまったく出来ない女性だった。
 挑戦してみようとはするものの、料理は焦げ、裁縫は指に針を刺す。畑仕事は、クワすらろくにもちあげられぬ、という有様で、家やその畑は今や荒れ放題になっている。
 
 リュートがその荒れた自宅の前にようやく着地すると、玄関の前に小さな二人の人影が座って、綾取りをして遊んでいるのが見て取れた。その影に、リュートが嬉しそうに声をかける。
「トゥナ! マリアン!」
「リュート、お帰り!」
 それは彼の幼なじみの姉妹だった。
 黒髪のストレートボブで薄紫の羽を持つのが姉のトゥナ、茶色の巻き毛で薄桃色の羽を持つのが妹のマリアンである。
「君たち、こんな時間にどうして?」
「父さんについてきたの。今、中で診察中よ」
 彼女らは、クレスタの町で唯一の医者、シン・カラーズの娘達であり、姉のトゥナは、女ながらにして父の跡を継いで医者になると、公言して憚らず、いつも往診に行く父の後ろにくっついてきている。そして、その姉を妹マリアンは崇拝し、いつも慕ってやまないように、姉の後ろを追っかけてきているのである。

「また母様発作でも?」
「いいえ、昨日の発作から良くなってるか、様子を見に来ただけよ」
 リュートはその言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。それと同時に、家の中から眼鏡の医者が顔を出した。 
「トゥナ、マリアン。もういいよ。おや、リュートも帰ってきてたのかい。診察は終わったよ。お入り」
 
 相変わらず荒れた家だった。おそらく母が焦がしたのであろうパンが真っ黒になって転がって、さらには洗濯物もとりこんだまま山積みになって、放置されている。
 そんな部屋の暖炉の前に、母はゆったりと座っていた。
 その光景に、リュートはいつも思う。
 
 ――母の周りは空気が違う、と。
 
 美しい母だっだ。
 流れるような金の髪、抜けるような白い肌、息子と同じエメラルドの瞳。その背には汚れ一つない純白の翼が輝いている。
 母はいつも少女のようだった。うっすら赤く頬を染めて、いつもあどけなく微笑んでいる。
 
 美しい、美しい母だった。
 
「おかえりなさい、リュート」
 そう言って息子を抱き寄せる指は、世俗の手垢にまったくまみれていないような白くて細い指だ。
「母様、具合はどう?」
「ええ、先生のお薬のおかげでだいぶ楽になったわ。ねえ、先生」
 机の上で、ゴリゴリと薬草を乳鉢でつぶしていた医者に、ラセリアがゆったりと話かける。
「え? いや、そんな私のおかげなんて照れちゃうな、あはは」
「何鼻の下伸ばしてるのよっ!」
 娘のトゥナが父親の尻にきつい張り手を食らわせていた。
「まったく、いつもいつもリュートのお母さんにはデレデレと。死んだ母さんに申し訳ないわ」
「姉さん、やりすぎよ」
 そう妹が制するが、姉はまったく意に介していない。
 トゥナは女ながらにして医者を志すだけあって、気の強い少女であり、その気性には、幼なじみであるリュートも、いつも手を焼かされている。一方で、妹のマリアンは、心優しく、いつも控えめ、姉妹ながらにして、まったく正反対と言って差し支えのない二人であった。

 その一方で、医者のにやけた態度にもラセリアはまったく動じていなかった。おそらく何も感じていないのだと、リュートは思う。

 ……母の心はいつも父で占められている。いつだって母は父に恋する少女のままだ。

 それは、何より母の体が、証明していた。
 父がいなくなって以来、発作が激しい。体を蝕むほど父に恋いこがれているのだ。今も、ずっと母は父からもらったペンダントを握りしめている。台座は金でできた高価な物だが、そこに嵌っているのは安物のガラスに過ぎない。それでも母にとっては一番の宝物なのだ。
 そんな母の父への執着を、リュートはいつも複雑な思いで、見つめていた。

 ……母様は、自分よりも、ずっと父様の事が、好きなんだ。僕の事なんか、母様は、ちっとも……。

 思い当たったその嫌な考えに、即座にリュートはその金の(かぶり)を振る。
 違う、違う。母様は、僕にもいつだって優しいじゃないか。大丈夫、大丈夫。戦争も終わって、もうすぐ父様も帰ってくるんだから。

 ――大丈夫だよ。

 そう自分に言い聞かせると、リュートは、嫌な考えを完全に振り切るように、努めて明るい笑顔で、医者家族に提案をしていた。
「先生、トゥナ、マリアン。奥様から色々もらったんだ。よかったら一緒に食べていかない?」
 



 
「嬉しいね、さすが城のパンは柔らかくてうまい」
「父さん、食べ過ぎよ。これはリュートが頂いた食事なんですからね」
「いいよ、たくさん食べて。みんなで食べるとおいしいもの」
 久々の楽しい夕食だった。もう日はとっぷりと暮れて、夜の闇が辺りを包んでいる。夜になって、心なしか風が出てきたようだ。流されてきた雲が、月を覆い隠し、辺りは、不気味なほどに、真っ暗になっていた。
 
 皆の皿が空になり、マリアンが皿を流しに運んだ時だった。

 ――キャア……!!

 何か、悲鳴の様な声が聞こえた。
 それを訝しく思い、マリアンが裏口からそっと外の様子を窺おうと、外に出る。……その時。
 
「動くな」
 
 低い声が聞こえるとともに、マリアンの喉元に何か冷たいものが触れていた。
「きゃ……」
 叫ぼうとするマリアンの口を、男のものと思われる大きな手が塞ぐ。と、同時に、力づくで、そのまま裏口から、家の中へ連れ込まれた。


「静かにしろ!! みんな動くな!」
 マリアンの口を塞いだまま、男が、居合わせた医者達に向けて、叫ぶ。
「マリアン!」
「動くなって言ってるだろ!この娘殺されたくなかったら、さっさと金目の物出しな!」

 ――強盗だ!

 男の言葉から、皆が、即座に今、起きている出来事を理解する。そして、それと同時に、響く、外からの悲鳴。おそらく、この男一人ではないのだろう。先の悲鳴は、他の仲間が、余所の民家を襲ったものに違いない。
 
 
「おい、そこの男! そこの鞄ごとよこしやがれ! そこの女! おまえはその胸の首飾りだ!!」
 あまりの突然の出来事に、動けぬ家族達を前に、男は、焦れる思いを体現するかの如く、きつくマリアンに剣を押さえつけた。
「か、金ならやる。だから娘を離せ」
 そう言って、医者がその鞄を男に投げて寄越すが、未だその娘は解放されない。もう一方の要求を飲むように、とさらに、剣に力を込める。
「そっちの女もだ!」
 
 その怒声に、びくり、と母ラセリアの体が震える。だが、その怯えの表情とは裏腹に、母の口から飛び出したのは、明確な拒否の言葉だった。

「い、いやです。差し上げられません……」
 
「な、何ぃ? この娘がどうなってもいいって言うのか? ああ?」
「奥さん、頼む。娘の命がかかってるんだ! 渡してくれ、お願いだ!」
 シンの必死の懇願に、ラセリアは、一瞬逡巡の後、ためらいつつも、ペンダントを首から外し、男へとそれを渡す。そして、男はラセリアの手から、それを受け取ると、その手で、ぐい、と彼女の顎を力強く引き寄せた。
「こらぁ、別嬪だ。こっちのガキと一緒に高く売れらあ」
 そう言って、両手にマリアンとラセリアを抱きながら、男が家を後にしようとした、その時。

 突然、脳天をかち割るような、鈍い音が響いた。

「母様とマリアンを離せ!!」

 リュートが、フライパンを手に、男に殴りかかっていた。
 その衝撃で、男の手が緩み、マリアンとラセリアが解放される。だが、男は、すぐに落ちていた剣を拾ってリュートへと斬りかかる。

 ――殺った!

 男はそう感じるタイミングで剣を振り下ろしたものの、その手応えは何もない。それと同時に感じたのは、下半身の猛烈な痛みだった。

 リュートが男の懐に入り込み、急所を蹴り上げていた。
「このクソガキっ!」
「なめるな! 僕はこの家の男だぞ。父様から母様のこと任されているんだ」 
 そう啖呵をきるリュートに、男は、尚も襲いかかる。
 だが、その瞬間、男の顔目がけて、きつく乳鉢が飛んでいた。乳鉢ですられていた刺激性のある薬草が目に入り、ひどく染みる。
「医者の娘もなめるんじゃないよ!」
 トゥナだった。彼女はもう一つ持っていた乳鉢をとどめとばかりに顔に投げつける。赤い粉が見事に再び顔面に命中した。
「体を温めてくれる唐辛子だよ!! お大事に!」


 この攻撃には堪らず、男は這々の体でその場から逃げ出して行った。解放されたマリアンが父に泣きながら抱きついてくる。幸いその傷も深くないようだ。
 そんな中、母ラセリアが男が置いていった鞄の中を、一人おろおろと探していた。
「ない……ないわ。ペンダントがない……。まさかさっきの男が……」
 そう思い当たるや否や、ラセリアは外へと脱兎の如く駆け出す。
「母様! 行っちゃ駄目だ!」
 リュートが母を制するものの、ラセリアは止まらなかった。
「あれがないと帰れなくなるわ! お父様に申し訳がたたないもの! 取り返してくるわ!!」
「母様!!」

 ――キャー……。

 また、別の民家から上がる叫び声。
「だめだ! まだ仲間がいる。トゥナ、君、城まで飛べる? 奥様にこのこと知らせに行って!」
 リュートのその言葉に、トゥナは力強く頷いたが、父がそれを止める。
「危険だ、私が行く」
「いいえ」
 父を制したのは、妹のマリアンだった。
「叫び声がしたってことは、誰か斬りつけられたに違いないわ。父さんは誰かを助けてやって。城には私と姉さんで行くから」
 この申し出に、父親たる医者シンは一瞬逡巡したものの、一刻も早く娘達を安全な場所にやりたいとの思いから、これに渋々同意した。
「じゃあ、お願いね。僕は母様を連れ戻してくる!!」
 そう言うと、リュートはシンが止めるのも聞かず、一目散に暗闇へと飛び出して行った。

 ――母様! どうして!

 どうして僕と一緒にいてくれないんだ! どうしてあなたはいつも父様の所に飛んでいこうとするんだ?
 あのペンダントが僕よりも大事なのか!

 リュートはそんな思いに駆られながらも、暗闇の中を一心不乱に翔け抜ける。
 あちこちから悲鳴が上がり始めていた。どうやらおおっぴらに盗みを始めたようだ。彼らに見つからぬように移動しながら、母を捜す。幸いにして月明かりもなく、容易く身を隠せる。
 どうやら二十人ほどの強盗団のようだ。だが、すこし様子が変だった。皆、顔は隠しているものの、その体格が明確に語っていた。この強盗団には小さい少年、老人、果ては女性まで含まれている。
 それに、こんなに悲鳴が上がるのもおかしい。これでは気づかれて盗みがしにくくなるだけではないか。プロにしては、手際が悪すぎるのだ。

 そうこうしながら、町中を駆けめぐっていた、リュートの瞳が、一人の男を捕らえていた。
 今し方、向かいの民家からでてきた男、間違いなくさっきの男だった。今度は両手に革袋を抱えている。男は、他の男に指示され、革袋を抱えたまま、町とは逆方向へ飛んでいく。
 その方向には、町はずれの暗い森。
 男達は、その森で、先ずは身を隠すに違いない。
 リュートはそう確信して、そっと気づかれぬように彼のあとを追った。


 森に入ると、何やら男の声が聞こえてきた。
「もういいだろう、そろそろ引き上げさせろ」
 壮年の男の声で、他の仲間達に、そう撤退の指示を出している。
 リュートは、気づかれないように森に着地すると、そっと声のする方へ近づいた。数々の戦利品の中に縛り上げられた女性の姿が数名。おそらく売られるのだろう。だが、その中に母の姿はない。
 さらにリュートが近づいた、その時。

「これはこれは。さっきのクソガキ様じゃねえか」
 
 背後にさっきの男が立っていた。
 リュートは咄嗟に垂直に飛び上がり、木々を抜けて森の上へと出る。だが、下を見るとさっきの男がすぐそこに、剣を振り上げて追ってきていた。
 全力で町の方向へと逃げる。飛ぶのが速いと風見の爺に認められるだけあって、大人ですらなかなかリュートには追いつけない。だが、男は執拗に追ってくる。

 ……追いつかれる! 誰か、誰か助けて!!

 リュートは咄嗟に懐にしまっていた笛を取り出し、勢いよくそれを吹ききった。 

 ――ピィィィィ……!!!

 甲高い笛の音が辺りに響いた。リュートは翔びながらも、助けを求めるようにして、何度も何度も笛を吹く。

 しばらくして、その音に反応するかのようにして、町の方向にちらちらと明かりが揺れた。リュートはその明かりを頼りに、一直線にその方向を目指す。
 明かりは町の小さな神殿からだった。神殿に繋がる参道沿いには決まった間隔で木が植えられており、まるで、そこだけ切り取られた様に、木の道が出来ている。リュートは、その木の道を神殿の入り口に向かって、ひたすらに翔んで行った。だが、それを追うようにして、後ろに続く男は一向に振り切られることはない。
「ばかめ、神殿の先は行き止まりだ」
 神殿の入り口に差し掛かり、木の道が途絶える頃、男はそう言って、リュートの足を捕らえんとして手を伸ばした。
 「捕まえたぞ、クソガっっ……」
 男の手が、今にもリュートの足首を捕まえようとした、――その時。

 素早い音とともに、男の目の前に、突然網が張られていた。

 勿論男はその網をかわすことなど出来ず、ぶつかったその反動で、勢いよく地上に墜落してしまう。
「今だわ、それっ!!」
 そのまま網が男にかぶせられた。男は何とか脱出しようともがくが、網に羽が絡まってさらに出られなくなる。ツン、とした独特の潮の臭いが鼻を突いてくる。
「ちくしょう! なんだこのくせえ網は!」

「漁師さんから借りてきたのよ。大漁だこと」
「借りたって言うか、無断で持ってきたんでしょ、姉さん……」

 その言葉と共に、暗い夜空に、薄紫と薄桃の翼が揺れていた。

「トゥナ! マリアン!」

「小娘どもか! ちっ! こんな網、切り裂いてやる!」
 男が腰の剣を抜こうとしたその瞬間、その喉元に、ひゅ、と鋭い剣が突きつけられた。
「そこまでだ。夜盗ども。これ以上俺の領地を荒らすことは許さない」

「レミル!!」

 薄青の翼を持った少年が、凛としてそこに立っていた。 
「坊っちゃま達! 大丈夫ですかい?」
 レミルの背後から駆け付けてきた大人達によって、男はすぐに取り押さえられる。男は激しく抵抗するが、毎日網を引く屈強な漁師達にかなうはずもない。
「リュート、大丈夫だったか?」
 レミル達が、慌てて倒れているリュートに駆け寄る。
「僕は大丈夫。それより母様が……。それに森にこいつの他の仲間が!!」
「大丈夫。あっちには母さんが行ってる」




「無駄な抵抗はやめて、おとなしく武器を棄てなさい」
 その言葉と共に、女領主、リーシャは尚も勇ましく、弓を引いた。
 ギリッと弦を鳴らし、狙いを定める。その矢の先には怯えながらも尚、抵抗する盗賊達の姿があった。だが、もはや逃げることはかなわない。彼らは既に、リーシャと彼女が率いている自警団にとり囲まれていたからだ。

「女が治めている土地だと侮らないで。戦争に行った男達の後ろを守るのは、女の務め。お前達などに好きにさせるものですか」

 毅然としたその台詞と共に、リーシャの手から、矢が放たれていた。
 その矢は寸分違わず、武器をもっていた盗賊の右手に突き刺さる。そして尚も、リーシャは新しい矢をつがえると、さらに低い声で堂々と盗賊達に言い放った。

「降伏なさい」





 ――母様、母様!

一方、その頃、リュートはレミル達の制止を振り切り、暗闇を翔けて、襲撃を受けた地区へと、再び戻っていた。
そこは既に自警団によって制圧されていたが、今だに生々しい血の匂いがあたり一面に充満している。
 無惨に殺された同じ街の住民達と、それに泣いてすがる家族達。そして、甲高く響く子供の激しい泣き声。見ると、額に切り傷を負った子供が、医者のシンに治療をうけているところだった。
「先生!」
「おお、リュート! 無事で良かった」
「先生、母様を見なかった?どこにもいないんだ!」

 




「何か申し開きがあるなら聞きましょう。これが最後なのだから」
 
 暗雲がたれ込めている暗い闇夜の中、盗賊達は即座に、全てクレスタの自警団に捕らえられ、町の広場に引き出されていた。その中の若い男がぺっと唾を飛ばし、目の前で、凛とした台詞を吐く女領主に向かって、悔しげに毒づく。

「へっ、腐れ貴族の女がオレらを裁くってか。反吐がでらぁ」

 だが、その侮蔑の台詞にも、リーシャの眉は一つとして動くことはない。何よりも冷静な領主の視線で、彼らを見据えると、彼女はおもむろに、既に没収されていた盗賊達の武器を、手に取ってみせた。

「これは国王軍に支給された剣ね。あなた達はさしずめ軍規違反を犯した半島からの逃亡兵というところかしら」

 リーシャの問いに男達は互いに、口を噤む。だが、その沈黙こそが全てを語っていた。

「やはり、国王軍の脱走兵ね。それにしては……」
 リーシャは男たちの後ろに捕らえられていた小さな人影達に目を馳せる。少年、老人、女性……。とても兵士には見えない者まで混じっているのだ。
 その目線に、逃亡兵と思われる一人の男が、口を開いた。
「オレらは元々死刑になる身だ。オレらのことは好きにしろ! だけどこいつらは兵士じゃねえ。オレらについてきただけだ! 見逃してやってくれ!」
「そ、そうだ! 頼む! この爺ちゃんや、ガキらは何も悪くねえんだよ!」
「頼む! 頼むから!!」
 次々と、夜盗達の間から、懇願の言葉が上がる。中には、哀れみを乞うあまり、泣き伏す者もいるくらいだ。

 そんな夜盗達の惨状を受けて、尚、女領主リーシャの表情は、一分も揺るぐことはなかった。ただ、毅然と、一言、賊に向けて、言い放つ。

「どのような者であれ、我が領地を侵し、領民を殺害したのは事実。私はクレスタ伯の名において貴方達を断罪します」

「――お前たちに何がわかる!」
 女領主の言葉を遮るように、一人の少年の叫びが闇夜に木霊していた。






「母様! 母様! どこにいるの!」
 リュートは一通り治療を終えたシンと共に、襲われた民家を一軒一軒まわる。しかしどこにも母の姿はない。
 未だに夜の闇は深く、松明の明かりに頼る他ない。一軒一軒、母の不在を確認するたびに、リュートの心臓はいい知れぬ不安に駆られ、その鼓動を速めた。

 ――母様、どうか無事でいて。あんなペンダントどうだっていいから!お願いだ、母様!!






「俺の母ちゃんはリンダール兵に殺された」

 先に叫んだ少年が、暗い広場の真ん中で、ぽつり、と言い放っていた。それから堰を切ったかの様に、少年は次々と、その感情を溢れさせる。
「姉ちゃんは、リンダール兵に攫われて、帝国に連れて行かれた。俺達の村は焼かれて、家も何もなくなった。みーんな、あいつらに持ってかれた」
 告げられた事実に、夜盗を囲んでいた自警団の面々に、些かの憐憫の色が滲む。同胞の受けた、あまりにも生々しく、残酷な現実。それに同情するな、と言う方が難しいだろう。いくら、自分の街を襲った夜盗だった、としてもだ。
 そんな自警団の哀れみの視線を受けて、尚、少年は、悔しげに唇を噛んで、さらにその先を続ける。
「後から来た国王軍は俺達を保護するどころか、皆、城から追い出しやがった。何が国王軍だ、笑わせるなよ」
 少年は憎しみをぶつけるかの様に、リーシャをきつく睨み付ける。

「俺達を断罪するだって? ふざけるな。お前たちに何がわかる。山脈に守られ、のうのうと暮らしている北部の人間に半島の、南部の人間の気持ちの何が分かる!」





「どこにもいない……」
 一方で、町はずれの地区では、憔悴しきったリュートが、家へ戻ろうとしている所だった。
 もしかしたら、母様は、既に帰ってきてるのかもしれない、という淡い期待を抱きながら、リュートは家の扉に手をかける。だが、その家のドアを開けようとした瞬間、目の前に、ふわり、と一枚の羽根が飛んできた。

 それは、真っ白な、汚れのない純白だった。

 その白の羽に、いい知れない嫌な予感を感じ取ったリュートは、咄嗟に風上の方角を見つめていた。だが、何も見えない。そこには、ただ夜の暗闇があるだけだ。
 その暗闇が、さらに、何かを語りかけてくる。
 何か、不気味で、そして、不吉な、暗い、暗い、夜の闇。
 それに堪らず、リュートは、風を頼りに、松明も持たず、暗闇に向かって駆け出していた。

 ――ドクン、ドクン。

 心臓が、早鐘のように激しく鳴っている。息も、ぜえぜえと、酷く荒い。

 そんな体を押して、さらに、風を追ってゆくと、ある民家に植えられた大木へと、辿り着いた。
 ふわり、とまた風が吹き、それに乗って、大木の葉がひらひらと舞う。その中に白い羽根が混じるのを、リュートは見逃さなかった。

 ……ざわざわ、ざわざわ。

 木が不気味に、ざわめく。それと同時に、風がたれ込めていた雲を流し、月明かりが辺りを照らしだした。






「――わからないわね」

 ようやく顔を出した月明かりに照らされたリーシャの横顔は、冷たく鋭利だった。
「自らが不幸だからといって、他者から奪い、他者を殺してもよいという道理など、私にはわからないわ」
 月に照らされた惨劇の街の中心で、そう言い捨てたリーシャに、少年は尚も食い下がる。
「田も耕さず、狩りも漁もせず、ただ俺達の税金で養われている貴族の女が! お前達貴族は俺たちに一体何をしてくれた? 何もしてくれなかったじゃないか! その女が偉そうに!!」
 泣きながら訴える少年の哀れなるその叫びにも、リーシャはまったく揺るがなかった。ただ、堂々として、自分の矜持を、夜盗達に向けて言い放つ。
「ええ、貴方の言うとおり私は領民達に養われている身。だからこそ貴方達に同情などできないわ」

 女のその決意と共に、風が、再び、辺りを駆け抜ける。

「私の役目は私を養ってくれている領民をあらゆる外敵から守ること。私は私の領民を手に掛けたお前たちを決して許しはしない」







 リュートの目の前に、月夜に吹き抜ける風を受けて、長い金髪が揺れていた。

 ……いつも、風呂上がりに梳いていた金髪が好きだった。自ら光を発しているかのような美しい髪を指に絡ませて眠ると、いつもいい夢がみられた。
 その金の髪よりも好きだったのが、白く柔らかい肌だった。抱きしめられる度、いい香りがしてとても幸せな気分になった。その肌は白くとも、いつも内側からうっすら上気していて、ほんのり暖かく、まるで赤ん坊のようだった。
 今、目の前にある冷たい大理石のような無機質なものとは似ても似つかない。

 羽もそうだ。
 汚れのない真っ白な純白こそが、彼女だった。新品のシャツよりも、空の雲よりもただひたすら白い純白。
 こんなに紅に染まった羽など、自分は知らない。

 いつもうっすらと細められている碧の瞳も、そこにはない。
 何も映さぬただの球体が、そこにはあるだけだ。
 
 まったく知らない物ばかりだ。
 なのに、どうしてだ。
 どうして、どうして、どうして、……それは母の姿をしている。
 どうして。

「う……あ……あ…あ」
 
 ――どうしてだ。

「……いやだあぁあああーーーー、母様ぁあーーー!!」







 絶叫が、町中に響き渡った。
 
 その叫びに、リーシャは、愛おしんできた少年の身に、何が起こったのかを、全てを理解した。
 悔しさと、そして、あまりの憐憫と。
 守ってやれなかったこの、自分の力の無さと。
 全ての後悔を胸に、リーシャは、目を伏せ、切れんばかりに、その唇を、ぎゅっ、と噛みしめる。そして、この惨劇を引き起こした者達に向け、残酷な最後通告を突きつけていた。

「――自らが犯した罪を償いなさい」
 
 翌朝、その言葉通り、賊達は、全て極刑に処され、広場に吊された。






 それから、三日後、リュートの元に父が帰還した。
 父は、リュートの両手に収まる、小さな箱に入れられていた。

 ……戦死だった。

 父の哀しい帰還は、母を亡くしていた少年をさらに打ちのめし、彼から声と表情を奪った。あの陽気に風見の塔から流れてきた夕暮れの音を、永遠にクレスタの街は失ったのである。
 
 食べることすら拒み、抜け殻のようになった彼を救ったのは、幼なじみの少年とその母だった。
 二人はリュートを城に引き取り、献身的に彼を支え、励まし続けた。


「リュート、俺が今日からお前の家族だ。ずっと、ずっと、一緒にいよう」


 幼なじみの少年は、繰り返し、繰り返し、毎日、リュートにそう言い続けた。

 雨の日も、風の日も、ひたすら側に寄り添って、手を取ってくれる。そして、繰り返し、何度も、『……お前は、家族だよ』と。
 何よりも献身的で、何よりも、嘘のない、その幼なじみの優しさ。

 それは固く閉ざされたリュートの心を、少しづつ溶かしていった。
 
 ――彼のために生きよう。

 それが、あの惨劇の日から、初めて見いだしたリュートの、生きる希望だった。
 


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