7話 正体
「ここはどこ?」
水崎を見て沙希が言った。
「え?」
答えられるわけがなく、水崎は神内に視線を向けた。
「あなたは死んだんです。私は魂を天国に連れて行く天使。こちらの水崎さんを連れて行くついでに、あなたも一緒に連れて行くんです。猶予の道にね」
「死んだ……私が?」
死ぬ直前の記憶が思い出される。自分の夫に刺し殺された記憶。
椅子に座ってうつむいたまま顔を上げない沙希を見て、水崎は掛けるべき言葉が思いつかない。死んだことがショックなのだろうと思うと、ただ見守ることしか出来なかった。しかし、沙希がうつむいて顔を上げないのはそれだけが原因ではない。
あの野郎……私を殺しやがった。
唇を噛みしめて体を震わせる。無念で仕方がなかった。あと少しで、遺産を自分の物に出来たのにと思うと。
金、金、私の金が……
地獄行きだけあって、高橋に負けず劣らず、沙希も屈折していた。
「歩けますか? もう少し休憩してから行きましょうか?」
神内が様子を確認をする。沙希は顔を上げると神内に聞いた。
「さっき天使って言ってたけど、私は天国に行けるの?」
沙希は、自分が天国に行けるような人間ではないことは自覚している。生きている時にそれだけのことをしてきた。
「天使は魂を天国に連れて行くのが仕事ですから」
と、神内が答えた。
何の手違いかは知らないが、天国へ行ける。なら悪くないかもしれない。生きている間にある程度のことは楽しんだと思って、後は天国で悠々と暮らすとするか。
天国と言っても神様に仕えなければいけないので、さほど楽しいものではないが、沙希はそのことは知らない。
「ねえ、私の夫は天国と地獄、どちらへ行くの?」
「もちろん地獄です。あなたを殺したような人ですよ」
神内は淡々と答える。沙希はうつむいた。笑みを浮かべたのがばれないように。
「殺されたって……」
驚いたのは水崎だった。自分の目の前にいる人は殺されてここに来た。自分の彼女と重ねてしまい、胸が苦しくなる。
「あなたはなぜここに? 見たところまだ若いみたいだけど」
沙希はどうにか笑みを鎮めると、水崎に尋ねた。
「え? 僕は、ええと、その……」
殺された人間を前に、自ら命を絶ったとは言い辛い。
「……自殺だから」
それでも消え入りそうな声でそう言った。
「ごめんなさい、聞かれたくないことだったわね」
沈痛な表情で沙希は謝った。本心では馬鹿にしていたが。
「さて、それではご案内しますので、二人ともついて来てください」
神内は猶予の道に向かって歩き出した。今からある計画を遂行する。上手く行けば、天国に持って行く魂が増えるかもしれない。
***
猶予の道。神内は魂の簡単な説明をしながら天国に向かう。
内容は、人間の時と違って魂は自殺出来ないこと。しかし、自殺は出来なくても、他者から手を下されれば魂でも死ぬということ。魂が死ぬことは完全な消滅を意味して、生まれ変わることは二度と出来なくなる。
それでも自殺は出来ないようにしておかないと、地獄行きの魂は消滅してでも自殺を選んでしまう。
「ああ、それとですね。会いたい相手がいるなら、後で私に言ってください。天国では極力その人のそばで暮らせるように配慮しますから」
地獄にはない天国の優しさ、と思うかもしれないが、好きな人の近くで働かせた方が不満を溜めずに神様に仕えるだろうという目論見があった。
これを聞いて、水崎に希望が湧いた。天国で好きな人と一緒になれると思った。
「あそこですよ」
神内が指差した。二又に道が分かれているのが見える。
「右に行けば天国。左に行けば地獄です」
二又の中央部分では夜魔田が、神内が来るのを待っていた。
「さてと、お返ししてもらってもいいですかね」
と、夜魔田が確認してきた。
「そうですね、では、あなたはこちらへ」
沙希に夜魔田のもとへ行くように促した。
「どういうことかしら?」
「だって、あなた地獄行きですから」
微笑みながら地獄行きを告げる神内。
「な? さっき天国へ連れて行くって言ったじゃない!」
沙希は声を荒げた。
「私はね、天使は魂を天国に連れて行くのが仕事だと言っただけです。天国行きは水崎さんだけ。あなたには猶予の道を一緒に連れて行くと言っただけです。ですので、ここから先は悪魔である夜魔田さんのお仕事になります」
夜魔田が歩み寄ると、沙希は後ろに後ずさった。殺された上に地獄へなんか行きたくない。
「水崎さん、どうして私がこの人とあなたを一緒に連れて来たと思います?」
神内は水崎に質問した。
「え、どうしてって……」
質問の意図が分からないので答えられない。神内は沙希を見た。
「水崎さんはあなたが誰なのか分かってないようです。あなたと水崎さんの関係を教えて差し上げたらどうですか?」
神内が関係を教えるように促した。水崎は、どういうことなのかと、疑問が湧いた。沙希とは今日初めて会ったはずで、生前には会ったことないはずだった。
沙希は夜魔田に警戒しながらも、水崎を見る。ここで沙希は良いことを思いついた。いや、良いことではないが最悪から逃れる一つの案だった。それは神内の計画の一つでもあった。
「そうね、私は生きている時にあなたに会ったことがあるわ」
沙希が水崎に話しかける。しかし、どうしても水崎には思い出せない。
「分からないようね。それもそうよね。あの時、私は顔を隠していたし。あなたはすぐに逃げてしまったし」
顔を隠していた? すぐに逃げた? まだ水崎には察しがつかない。
「まだ、分からない? あなたはそれのせいで刑務所に入ったんじゃないかしら」
「え……まさか……」
思い出す。あの日の夜のことを。彼女を捨てて逃げた時のことを。
「そうよ。あなたの彼女は私が殺した。あの時は愉快だったわ。私の身代わりにあなたが警察に捕まったんですもの。笑いながら毎日ニュースを見ていたわ」
「何で……どうして……」
呟くように水崎は尋ねた。
「どうして? あの女はね、私の夫と依然付き合っていた女だったのよ。それが振られた癖に、よりを戻そうとして、また近づいてきた。夫が画家として成功を収めたものだから、金目的で寄って来たのよ。冗談じゃないわ。夫の稼いだ金は全て私のものよ。だから、殺してやった」
何と言うことだろう。最愛の彼女を殺した犯人が目の前にいる。水崎は呆然と立ち尽くしている。その様子を見て沙希は満足気に笑っている。もううつむいて隠す必要はない。地獄行きだと知っている。
「あの女はね、あなたがいたのに、他の男に言い寄っていたのよ。馬鹿よね、あなたは。それで牢屋の中にまで入ってたんだから」
他の男に言い寄っていた? 水崎は両拳を握り締めて震えさせている。
「嘘だ……そんなことあるわけがない」
信じられるわけがない。二人は上手く行っていたんだ。殺される前までは。
水崎は沙希を睨んだ。目には殺意が込められている。しかし、それは沙希にとって思うつぼだった。
さあ、私を殺しに来い。地獄へなど行くものか。魂が自殺できないなら、殺してもらうまでのこと。沙希の方から先に一歩、水崎に向かって歩みだした。
「うわあああああぁぁ!」
水崎が叫んで沙希に突進した。押し倒して首に手を掛ける。
「殺してやる!」
手に力を込める。
水崎は猶予の道を歩いている間、ずっと沙希を気に掛けていた。助けられることなく殺されたことはどれだけ辛かっただろうかと思いながら。
それが余計に怒りに拍車を掛けた。絶対に許さない。殺してやる。今の水崎はそれしか考えられない。沙希を殺すまでそんなに時間はかからないと思われた。
しかし、それは神内と夜魔田がいなければの話だった。
「あのねぇ。魂同士の争いを私たちが黙って見ているわけはないでしょ」
神内が言う。二人を引き離すと、夜魔田は沙希をはがいじめにしたまま地獄へ歩き出す。
「止めろぉ! 離せぇ! 私は地獄へなんか行きたくない!」
沙希は抵抗するが、下っ端といえども悪魔である夜魔田の力には敵わない。
「ちくしょうぉぉ!」
沙希は叫びながら地獄へと落ちて行く。後には神内と水崎に二人が残された。殺す相手がいなくなった水崎は一歩も動かずに佇んでいる。
「どうして……こんなことを? あなたは天使ではなかったんですか? 僕を苦しめて一体何になるんですか?」
力ない口調で、水崎が神内に問いかけた。
「あなたには色々と知ってもらいたかったんですよ。自分のことをね」
「自分のこと?」
「そうです。水崎さん、あなた天国に行ったらどうします?」
「どうしますって……それは、もちろん彼女に会いたい……」
彼女に会う。この言葉に神内はため息をついた。
「それはあなただけの天国です。良いですか、あなたは自殺したんです。天寿を全うしたわけではない。あなた、彼女に会った時、それをどう説明するんですか?」
そう言われて水崎は気付いた。確かにそうだ。何て言えば良いのか。自殺をして後を追って来たと言われて喜ぶとは思えない。天国で彼女と一緒にいたい、それは自分にとって天国でも、彼女にとっては……
「理解してくれましたか? あなたを天国に連れて行けば、彼女は苦しむ。そういうことです」
水崎は黙り込んでいる。自分は天国には行けない。
「それに、水崎さんは悪人ではないので、地獄へ行くこともできません」
では、どこに自分の居場所があると言うのか?
「水崎さん、もう一度頑張って生きてみませんか? 生まれ変わるのではなくて、水崎さんとしての残りの人生を」
自分は死んだはず、と神内の顔を見た。
「実を言いますと、あなたはまだ完全に死んだわけではないんです。正確には危篤状態です。もし、あなたが望むなら、私はあなたの魂を体に戻します」
水崎は何も答えない。
「家族が、あなたが目を開けるのを待っていますよ。だから頑張って生きてみませんか」
優しく水崎に話しかける神内。水崎は言葉を発することはなかったが小さく頷いた。
「良く決心してくれました。それでは戻りましょう」
水崎の手を取る神内。今から魂を体に戻しに行く。
後は、水崎が壊れてしまうことを期待するだけ。計画通りに事は進んでいる
***
「やあ、どうやらあの人の魂は戻して来たみたいですね」
休憩所にいた神内に夜魔田が話しかけた。
「使えませんから。自殺した魂は。下手に天国に連れて行けば、魂同士の揉めごとの要因になりかねません。好きな人が自殺してここまで来たと言われても、ね。そうなると、怒られるのは連れてきた私になります。体に戻すのが最善なんですよ」
「ま、そうですね。しかし、何で、私から魂を借りたんですか? 知らなくても良い真実を告げても傷つけてしまうだけではないですか? 人間は脆いですよ」
「脆いからこそ、です」
神内は一言そう返した。しかしこの一言で夜魔田は感づいた。
「ああ、そう言うことですか。神内さん、最初から壊れた人間を作ることが目的だったんですね。壊れた人間は、破壊衝動を持ちますから。あわよくば家族皆殺しにでもしてくれれば、魂をまとめてかせげますしね」
夜魔田の読みは正解だった。神内は水崎を天国には連れて行けないと判断したために、沙希を借りた。全ては水崎の心を砕くために。
「しかし、まぁ、悪魔みたいなことを思いついたものですね」
皮肉交じりに夜魔田が言った。
「たまには、天使もこういうことをしないと、やってられないんですよ」
神内は極めて平静にこう返した
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