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「あなたは何者ですか?」という問いから始まる小説書きの話

作者:丸屋嗣也
 どうしたわけか人前で創作論を話す機会があります。そういう機会の折に触れて、繰り返し述べていることがあるのですが、この前某ライター養成セミナーでその話をしたら、こちらが面食らうくらい主催者側に驚かれました。
『こんなことを喋ってくれたのはあなたが初めてです!』
 そういうもんか、と小首をかしげつつ、案外皆喋らないことなのかもしれない、と考え直し、こうしてエッセイ風書き物に仕立てたものです。

『あなたは一体何者ですか?』
 セミナーの場で、わたしはライター志望の皆さんにそう問いかけることにしています。
 そう訊くと、大抵の方は俯いてしまうか明確な答えを出せずに口を濁らせてしまう方が大抵です。
 実は、かくいうわたしも昔はそうでした。『小説っていうのは、わたし以外の人間の人生の綾を描くものなのだから、わたし自身が何者であろうとも構いやしないではないか』と。
 けれど、それは違います。小説において、『あなた』は重要なファクターなのです。
 まず、『小説を書く』という行為は身体的な行ないだということを指摘しておきます。
 たぶん昨今の小説家志望の皆さんはパソコンを前に小説を書いていることと思います(え、スマホ? 時代は変わるものですねえ!)。そうするとやっていることは「座っているだけ」なので、『身体的行ない』という意味が分からないかもしれません。でも、冷静に考えてみましょう。たとえば、ずっと座り続けていると腰や肩が痛くなってきて効率が落ちるでしょう? もしかしたら、目が霞んでドライアイになってしまっているかもしれません。そうやって体に変調をきたした状態では書いている小説そのものにも悪影響が出てきます。そう、小説を書くという行為はまさに『身体的な行ない』なのです。
 また、『書く』という行為そのものだって身体的行ないであり、その方法によってまるで頭の使い方が変わります。
 パソコンで書いている人と、ペンと紙で書いている人の間でも、脳の使い方が違うのではないでしょうか。パソコンの場合だと、ローマ字かひらがなか……。いずれにしても五十ほどあるボタンを駆使して小説を仕上げていきます。それに対し、ペンと紙を使う場合、頭の中にある、ないしは脇に置いてある辞書を頼りにして頭の中で文章を仕立ててから、ようやく紙の上に文章を書きつける形になります。これはまったく頭の使い方が異なるといっていいでしょう。わたしの経験から物を言えば、パソコンでの執筆は即興的、瞬間的なのに対し、紙とペンでの執筆は長考的にならざるを得ないと思っています。そう、小説を書く方法、という『身体的行ない』は、小説を紡ぐ際の思考にまで影響を与えているということです。(ちなみに、以前大学の教授から聞いた話だと、パソコンで書かせるようになってから、学生の出してくる論文におけるセンテンス当たりの文字数がはるかに多くなったとも聞いています。)
 執筆を長く続けると目がかすむ、とか、パソコンで小説を書いています、というのは、小説の登場人物の状況でも、読者の置かれた状況でもありません。今小説を書いている『あなた』が置かれた状況なのです。
 そして、小説を書く際には、どんなに突き詰めても「あなたの視点」から逃げることができません。
 小説を書いているとき、著者は確かに俯瞰的に物語世界を見下しています。その中で、特定の人物に近づいたり、逆に神様視点に戻ったりしながら小説は紡がれるわけですが、けれど、その世界を構築し、眺めているのはあくまで『あなた』なのです。小説を書くという行為は、あなたが自分の意識の上に作り上げた世界を自分の目で観測し、それを書きつける行為とも言い換えできましょう。
 しかし、「あなたの視点」には癖が必ずあります。
 わたしの例で恐縮ですが、わたしは判官びいきが強くあります。そうすると、つい判官びいきのキャラを前面に押し出してしまう癖があるのですね。ツンデレが好きで小説書いてます、という方も多いのでは(同志よ)。
 よく、「私を殺して透徹な視点で小説を書く」とおっしゃる向きがありますが、これをするためには、殺すべき「私」が何者なのか判っていない人にはできない作法です。
 というか、著者が自作小説に対して超然的な態度を取ることなど事実上不可能だとわたしは考えています。
 小説を作る際には無限に分岐が存在します。もしイメージできないという人は、恋愛シミュレーションゲームなどを思い描いてください。主人公の選択肢一つでハッピーエンドにもバッドエンドにもなるあの感じです。小説だって一緒です。書き始めのその瞬間には、そのお話しがハッピーエンドにもバッドエンドにもなりえます。理屈上は、主人公が突然超能力に目覚めてアメリカ軍と戦うようなお話になっても問題ありませんし、主人公が恋している女の子の死を看取るお話になってもいいわけです。しかし、実際には一つの結末に向かって小説は収斂していきます。なぜか。
 それは、著者であるあなたが、無限にある選択肢のうち、意識的、無意識的に無数の選択肢を取り払っているからです。ここで重要なのは、『無意識的に選択肢を取り払っている』というくだりです。
 著者という存在は、自分の脳内に世界を組み上げる際に、観測しながらその世界に影響を行使しています。なぜなら、影響を行使してやらないとお話が動かないからです。意識的に新規キャラクターを投入したり、物語世界に波乱を起こしたりしているはずです。しかし、著者は意識下でも物語に影響を与えているのです。
 端的に言えば、手癖、とか、性癖、とか、萌え、とか言われるものですね。著者の中でこれは外せないという王道のパターンは必ずあって、それが著者の個性と呼ばれるものの正体なのです。
 最後に、著者はキャラクター造形をするときに必ず自分の実感をキャラクターに植え込みます。
 今、隆盛している小説の叙述法は、一人称か、三人称の視点固定です。どちらも特定の人物の肌感覚や思考を小説内に反映させやすい叙述法ですね。そうすると、あなたの物の感じ方や自然に対するリアクションがキャラクターに刷り込まれていきます。なぜかというと、そういったものを織り込んでいかないとリアリティが生まれないからです。
 わたしなどは、「キャラクターは著者が演じるもの」という意識があります。台本を渡された俳優のように、キャラクターについての洞察を深めながらも「わたし」がキャラクターを演じている、そういう風に小説を書いています。もちろん、わたしのように書いていない方もたくさんいらっしゃることでしょうしわたしのほうが少数派でしょう。けれど、わたしのようなスタンスでなくとも、どんなに意識的に振舞おうとも、あなたのキャラクターには「あなたらしさ」が滲んでしまうのです。

 さて、ここまでのお話で、なんとなくわたしの言わんとするところは見えてきたのではないでしょうか。
 小説を書くにあたって、「小説を書くあなた」は決して無視できません。
 あなたのキャラクターが小説を書く様々な場面で影響を与える以上、あなたのキャラクターは重要なファクターなのです。もちろん、自分のキャラクターに無自覚なまま小説を書くこともできなくはありません。実際、無自覚なままいい小説を書いている方もたくさんいます。
 しかし、自身を知っておくことで、己の手癖や傾向、はたまたテーマ選定などの場で役に立つ場面があるはずです。自らを知れば、自らの弱点や得意ではないこと、逆に得意なところや個性なども見えてくるはずです。そうやって自らを見つめ続け、自分が何者なのかを問い続けることで、「自分らしさ」が見えてくるのではないでしょうか。

『あなたは一体何者ですか?』
 この問いを以て、本エッセイの結びとさせて頂きます。


蛇足
 ちなみに最近のわたしは、『凡人である』、『中庸である』、『浪花節である』、『負け犬根性である』というのがわたしのキャラクターであると思っています。しかし、これはこれで戦いようがあるなあとも思っています。

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