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勇者と剣聖③

前話の引きからやっぱり過去に。


 リヨン王国は、比較的温和な気候と豊富な水や森林が存在する、大陸でも有数の穀倉地帯を有する豊かな国だ。

 魔王が降臨したことによって、魔物による被害は年々増加の傾向にあったが、魔王が支配する領域との間にはレムルシル帝国とペテルシア王国が存在するため、魔物の被害はまだ少ない平和な土地だった。

 

 その大国リヨン王国の第一王子として生まれたラウルは、幼い頃に父であるリヨン王から剣の師匠を紹介された。

 リヨン王国の南西に位置するカシアート王国から招聘された、当代の【剣聖】の称号を有する老齢の女性だった。

 

 王子として強くあって欲しい。


 リヨン王は六歳になったばかりの息子のために、【大陸最強】の一角と呼び声高い【剣聖】を師匠として呼んだのだ。


「僕は最強になりたい」


「へえ、最強ねぇ……私に師事したからといって、最強になれるとは限らないよ?」


 初めて【剣聖】と会ったその日、彼女はラウルに「どのくらい強くなりたい?」という質問への答えを聞くと、苦味の混じったような笑みを浮かべていた。


「先生は【大陸最強】なんでしょう? どんな奴にも負けないくらい強くなりたいです」


 武を志そうという者であれば、ましてや子供であれば誰しも一度は夢見る【最強】の夢。


「確かに私は最強候補の一角として数えられているけど、【剣神】や【剣匠】とも剣を交えたことはないし、魔導士の最高峰である【大賢者】や【天魔】とも戦ったことはないから、本当に最強というわけじゃないよ。

 ましてや、あくまでも【剣聖】の称号は人という枠組み内での最強候補というだけであって、竜といった幻獣や高位の魔族には勝ち得ないんだ」

 

 そう言いながら【剣聖】はまだ幼い王子へと、一振りの剣を渡してやった。

 子供でも振れるよう、細身の刀身で短剣に分類される剣だった。


「うわあ……剣だ」


 初めて持つ剣に目を輝かせ、早速鞘から抜いて剣に見入るラウル。


「離れた距離から【大賢者】や【天魔】と対峙すれば、我々剣士では彼らに敵わない。更に人の身であればこそ、人を上回る存在には勝ち得ない。

 それでも良ければ、私は王子に剣を教えよう。

 極める――言葉で言うのは簡単で、成し遂げることは生易しいものでは無いが、もしも極みへと到達することが出来るなら、少なくとも人の身としては【最強】という場所に最も近づくことが出来るだろうさ」


「じゃあ先生、本当の意味で世界最強の存在っていないの?」


「そうだね……神か魔王、それに実在するのかは分からないが、竜たちの王が最強と言われているよ――いや、神が世界に介入することがない以上、魔王と竜王あたりが真の意味で最強なんだろうな」


「だったら、どうしたら魔王に勝てるの? 魔王を倒して皆を救うことが出来るの?」


「魔王に勝つか……人の身では無理だ。王子はもう聞かされているのかな? 魔王が依代としている人間を……」


「……うん、父上から教えてもらった」


「彼は先々代の【剣聖】だった御方だ。それほどの力の持ち主でも、魔王の力に抗うことができなかったんだ」


「……じゃあ、僕が強くなっても魔王を倒すことは出来ないの? 国の皆を守ってあげることはできないの?」


「それは王子次第だよ」


 まだ六歳という年齢でありながら、国を守りたいという王子の思い。

 ラウルの言葉に【剣聖】は愉快そうに笑った。


「確かに魔族は人よりも強大な力を持ち、魔王に人が勝つには万に一つも無いに等しい。

 でも、最初から諦めていては勝てるものも勝てない。戦う意思なき者には魔王と戦うことすらも許されない……。

 魔王を倒す意思がなければ魔王は倒せないんだ」



 そして【剣聖】はひたむきな視線を向けてくる小さな弟子に優しげな眼差しを向けると、


「そうだね。私には出来なかったけど、王子ならもしかしたら出来るかもしれないな」



 ――それから九年の歳月が流れ、ラウルが十五歳の時。

 師匠である【剣聖】の死去に伴い、ラウルは正式にエメルディア大神殿より当代の【剣聖】の称号を継承したことを認められることになる。

 


 ◇◆◇◆◇ 



 史上最年少にして【剣聖】の称号を継承してから四年の年月が過ぎ去り――ラウル・オルト・リヨン二十歳。


 若くして最強候補の一角となった彼は、リヨン王国の国民たちだけでなく、魔物によって苦しめられる大陸中の民衆から尊崇と畏怖と憧憬の念を受けていた。

 今はまだ、彼の祖国は魔物との戦いにおいて最前線にあるわけでもなく、王太子という立場上、大陸同盟軍にも参戦してはいなかったが、いずれ来るときには民衆の期待に応えるべく、常に戦いへの準備へ余念が無かった。


 そんなある日、ラウルの身辺を世話する者がとある話を彼の耳に入れたのである。


「勇者?」


「はい。我が国だけでなく、全ての国々の聖職者たちが神の言葉を聞いたとのことです」


「何でも神託によると【勇者】とは、魔王と対を為す存在であり、生きとし生ける者の頂天に立つ最強の存在とのことです」


「何だそりゃ」


 ラウルは鼻で嗤った。


 先代の【剣聖】――ラウルの師匠ですら到達することが出来なかった境地へ、神からの神託を受けたという、ただそれだけで【最強】の呼び名を手に入れた。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いがこみ上げてくる。


「どんな奴なんだ? その教会に祭り上げられた【勇者】とかいう者は?」


「さあ、何でも年端もいかない少女とのことでしたが……」


 この時、ラウルは【勇者】とは度重なる魔物による襲来で権威を失墜し始めた教会勢力が作り出した幻想の類だと考えていた。

 教会が威信を保つためのプロパガンダに【勇者】と呼ばれる虚構の存在を生み出したのだと。


「ふん。本当にそんな奴がいるのなら、ぜひ会って手合わせしてみたいな」


(教会が【最強】と認める存在を打ち破れば、少なくとも教会は俺を【最強】として認定せざるを得ないはずだ。

 例えかりそめの称号だとしても、【剣聖】を名乗る者こそが最強だったと認めさせれば、師匠への手向けにできるだろうさ)


 いずれ戦場に出た時に出会うことになるのか。

 だが、ラウルと【勇者】との邂逅は思ったよりも早い時期に訪れるのである。



 ◇◆◇◆◇ 



 神によって祝福された【勇者】が来訪する。

 創世神アナスタシアを信仰する教会の総本山。

 そして魔族に対する各国の大同盟軍の盟主を務めているエメルディア大神殿へと向かうには、リヨン王国を通る必要がある。


 リヨン王国の王宮では、【勇者】の来訪を歓迎するべく、盛大な式典が催されることになった。

 

 玉座の前にはリヨン王が、そしてリヨン王国の貴族たちや名だたる高名な将軍や武官たちが整列する中、王太子であるラウルもまた玉座の横に控えて勇者の登場を待っていた。

 

 そして――。


 謁見の間の扉が開き、二人の少女が入ってくる。

 一人は精緻な装飾の施されたローブを身に纏い、長い耳は彼女がエルフであることを示していた。


(あれが【大賢者】のハイエルフ、ティアラ・スキュルス・ヴェルファか? ということは……)

 

 ティアラに導かれるように進んでくるもう一人の少女。

 ティアラも女性としては小柄な方だが、その彼女よりも更に小さい、というよりも幼い少女だった。

 

 しずしずと玉座の前へと進んでくる二人。

 謁見の間には小さなざわめきが起こった。


「あれが勇者様?」


「まだ子供ではないか……」


「だが……まるで女神の生き写しのような美しさだ」


「ああ……だが、あれは」


【勇者】への畏敬の念と感嘆の中に混じった戸惑いのざわめき。


(まるで人形のようだな)


 玉座の前まで進んできたため、王の横に控えていたラウルは【勇者】の顔を正面から確認することが出来た。


 端正な容貌をした少女。

 まだ十歳くらいだろうか、美しい容姿とその聖性を醸し出す雰囲気。

 教会がプロパガンダとするには十分な素材といえるだろう。

 だがしかし、その瞳は儚さと憂いに満ちて、どこか空虚さを感じさせた。


(あれが最強?)


 まるで何もかも、この世の全てに興味を覚えていないといった表情。

 

(こんな奴が……こんな奴が魔王を倒す勇者!?)


 ラウルが睨みつけている間に、王の前まで進み出た二人。

 ティアラは跪き――そしてレティシアは叩頭せずにただその場に立ったままだ。

 だがそれを咎める声は何処からも出ない。

 王すらもそれを咎めない。

 神権を有する皇帝や王、神殿の大神官と同格の存在として、教会が【勇者】を認めているからだ。


 リヨン王が二人を労う言葉を述べたが、その発言に対しての答えを返すのも、ほとんどが王の前に跪き礼を取っているティアラのほうだった。


【勇者】と呼ばれる少女は、その名を問われた時に「レティシア・ヴァン・メイヴィスです」と名乗っただけで、後はただティアラの横でぼうっと所在なげに立ち尽くしているだけだ。


 そんな少女をラウルは強い視線で睨みつける。

 一挙手一投足を観察し続ける。

 レティシアへの挑発のつもりだった。


 しかし、そんなラウルの態度に反応を示したのは、レティシアではなく謁見の間に参列している者たちだった。

 真っ先に将軍や騎士といった武官たちが、そんなラウルの行為に気づき始めた。

 王と言葉を発しているため誰も口こそ開かなかったが、高官たちの間で声にならない動揺のさざなみが広がっていた。

 

 だが、レティシアはまるで表情を変えない。

 ラウルへと視線を向けることすら無い。


 王と言葉を交わしているティアラでさえ、無表情の中に僅かな困惑の色を浮かべ、たまに顔をラウルへ向けてきているというのに、レティシアはまるで見向きもしない。

 真っ直ぐに王を見――いや、王すらも実は見ていないのかもしれない。


 ただ無関心。


【剣聖】であるラウルの気を受けてさえも、まるで意に介さない。

 それがラウルのプライドに大きく傷をつける。


(俺など取るに足らない相手ということか? いいだろう。お前が真実、神によって選ばれた勇者だろうと、教会によって祭り上げられたハリボテだろうと……俺はお前を超えてやる!)


 ――そして王との謁見が終わり、大広間にて行われた祝宴の席上で。


「勇者レティシア・ヴァン・メイヴィス。少し余興に付き合ってもらえないか?」


 ラウルはレティシアへと挑戦状を叩きつけたのである。

 


 ◇◆◇◆◇



 祝宴の会場となった大広間には、リヨン王国中の貴族や富裕層の人々が、老若男女問わず大勢集まっていた。

 大広間の中央奥は数段ほど高い作りになっていた。


 そこにリヨン王と王妃、そしてこの宴の主役であるレティシアとティアラの席が設けられており、段の下では招待客が長い列を作って、順番に檀上に上がってはリヨン王とレティシアたちに挨拶をしていた。

 すでに挨拶を終えた者は、それぞれがあちこちで談笑や挨拶をしている。


 そんな彼らをかき分けるようにして、遅れて大広間へと到着したラウルはズカズカと主賓席のある壇へと進んでいった。

 腰には実用的な騎士剣を帯び、服装は動きやすさを重視したシャツの上から瀟洒な装飾が施されているとはいえ、この場にはふさわしくない白の皮鎧を身に付けていた。


 まるで観閲式に挑む将校のような格好だ。


 傍若無人にも大広間の中央を突っ切っていく場違いな風体の青年に気付いた招待客や近衛騎士たちが、顔をしかめて制しようとしたが、その青年が自国の王太子ラウルであることに気づくと、目を丸くしてポカーンと見送ってしまった。

 そしてラウルの振る舞いはすぐに周囲の関心を惹き、招待客たちは彼の行く先が賓客の座る壇にあると悟ると、そこへ至るまでの道を空けた。

 そうなると、さすがに檀上にいる者たちもラウルの存在に気づく。


 サーっと開いていく道を悠々と進む王太子の姿に、リヨン王と王妃は戸惑ったように互いの顔を見合わせ、ティアラは腰を浮かせる。

 レティシアも顔だけはラウルへと向けた。

 招待客たちの挨拶にただ頷くだけを繰り返していた彼女も、さすがに今度はラウルへと視線を向けざるを得なかった。


 謁見の間に姿を表して以来、初めて【勇者】と【剣聖】の視線が絡み合う。


「ラウル……どうしたというのだ? その格好は?」


「父上、お騒がせして申し訳ございません」


 檀上に上がったラウルは恭しく父であるリヨン王に一礼すると、レティシアへと向き直った。


「……陛下。こちらは?」


「ティアラ殿。こちらは我が息子のラウルだ」


「確か【剣聖】の」


 ティアラの視線を受けてラウルはレティシアとティアラの二人にも一礼をする。


「この国の王太子のラウル・オルト・リヨンです」


「ティアラ・スキュルス・ベルファです」


「……レティシア・ヴァン・メイヴィスです」


「それで、ラウルよ。突然どうしたというのだ? その姿にこの席への遅参。お二人に些か無礼だろう」


「そのことに関しましては謝罪を。ですが……」


 ラウルはリヨン王に苦言に対して一言謝罪をすると、再びレティシアを睨みつける。

 それから固唾を飲んで見守る大広間中の人々に聞こえるように、よく通る声を張り上げた。


「率直に申し上げよう。勇者レティシア・ヴァン・メイヴィス。少し余興に付き合ってもらえないか?」


「余興?」


「そうだ」


 ラウルは声を掛けられたレティシアの代わりに眉をひそめたティアラに対して頷くと、


「この私と剣を交えていただきたい! 教会が言う、魔王をも滅ぼせるという【勇者】の力――疑うわけではないが、もしもそれが本当であれば、我が国の民たちは大いに勇気づけられることだろう! 私もいまだ師には及ばぬと思いつつも【剣聖】の称号を戴いた身。この私と戦うことでその力が本物であると証明し、我が国の民たちにも安寧をもたらせていただきたい!」


 大広間の中にどよめきが奔る。


「確かにラウル様でもかなわない力の持ち主とあれば、民たちに大いなる希望を与えることが出来る」


「素晴らしいお考えだ。これから魔物と戦っていく上で勇者殿の力を見ておくことは重要だ」


 リヨン王国の貴族や武官たちの間でにわかに熱気が高まっていくのに対して、反対に青ざめていくのは教会の関係者だった。


 対魔大陸同盟軍の盟主である教会としては、エメルディア大神殿への旅路の途中でレティシアをリヨン王国へと立ち寄らせたのは、勇者への支援金という名目で資金を調達しようという目論見もあったからだ。

 神託を疑うわけではなかったが、いざこの国にある神殿を訪れたレティシアを見て、そのあまりの幼さに不安を覚えていたのも事実だ。

 ここでラウルと戦って負けてもらっては困る。


「ち、ちょっとお待ちいただきたい!」


 招待客として招かれていたこの国の司教の一人が慌てて壇の下へと駆け寄る。


「王太子殿下。いくらなんでもこのような席上でその振る舞いは無礼ではございませんか? 勇者殿はエメルディアの大神官様がお認めになられた神権を有される御方ですぞ!?」


「大神官様がお認めになられたとしても、我々はまだその力を見たわけではないのだ。だからこそ、今ここで! 皆が注目しているこの場所で! ぜひともその力を見せて欲しい!」


「し、しかし、いやですが、それは!」


「案ずるな司教殿。何も私に敗れたからといって、それがすぐさま勇者の降臨を伝えた神のお言葉を否定するものではない。勇者殿がまだ幼くて、その力を全て発揮できていないということもあるからな……」


「た、確かにそれは……まだ、勇者殿は幼いですから、【剣聖】である殿下をお相手するにはいささか厳しいかも知れませぬし……」


 レティシアが負けてもそれが即、勇者の存在を否定するわけではないというラウルの言葉を聞いて安堵の表情を浮かべる司教。

 しかし、すぐさまその安堵の表情は凍りつくことになる。


「そうだな……もしもまだ力を発揮できないというのであれば、その時は私が勇者殿の師を務めてもいい。力を身に着けるまで我が国に滞在されるがよかろう!」


「バカな! 勇者殿には大神殿に赴いてもらう必要が!」


「この【剣聖】が師を務めようというのだ。不足はないだろう?」


「そ、それは……し、しかし勇者様には一刻も早く大神殿へと赴かれ、魔物に対する戦いにおいて人類の旗印になってもらわねばならず……」


「見ればまだ勇者殿は幼い。ならば、この私の下で研鑽を積んで貰えばよいだろう。そうだな、勇者殿が一人前になるまでは、この自分が同盟軍の旗印となってもいい」


 現在の対魔大陸同盟の主導権はエメルディア大神殿が担っている。

 ラウルも魔物との戦いで不利な戦況にある人類が一つとなって戦わねばならないことは重々承知していた。


 現在、大陸にある全ての人間の国に対して表向きは中立を表明しているエメルディア大神殿が対魔大陸同盟軍の主導権を握っている。

 だが、それをいいことにエメルディア大神殿は各国に対しての資金提供を始めとした様々な物資の融通を強要し、また各国の内政に対しての発言権も強めていた。

 だが、ラウルがレティシアを弟子という名目でリヨン王国の庇護下におけば、対魔大陸同盟軍の主導権をリヨン王国が握ることになる。

 

 ラウルの発言の意図に気づいた人々のざわめきが大広間の中に満ちた。


「それでは、他の国が納得しませぬ!」


「なに勇者殿が一人前になれば、魔物との戦いにおいて先頭に立つことになるだろう。それまでの間、我が国が勇者殿を保護し、私が師になるというだけの話だ」


 実際には勇者を傀儡として、リヨン王国が完全に主導権を握るつもり。

 

 だが――。


「――私の師?」


 レティシアがポツリと呟いた。

 その小さな声は人々のざわめきにかき消され、かろうじてレティシアの横にいたティアラの耳に届いた。


「……レティ?」


 リヨン王国とエメルディア大神殿という二つの勢力の間で、政争の道具とされそうになっている小さな勇者を案じていたティアラは、レティシアの瞳に魔物を相手にして対峙した時の光が宿っているのを見た。


「私は誰にも教わらない。私のお師匠様はこの世界で唯一人だもの……」


 それまで人形のように席に座ったまま動かなかったレティシアが、スッと立ち上がったのに気付き、大広間内の人々のざわめきが小さくなった。

 壇の下にいる司教と会話をしていたラウルも、その人々の変化に気付き後ろを振り返った。

 立ち上がったレティシアがゆっくりと前に一歩二歩と進み出ると、腰に帯びていた剣をスッと流麗な仕草で抜いた。


 ――勇者は教会の傀儡であり、ただ各国を纏めるための飾りにすぎない

 ラウルが、己が大きな勘違いしていたことに気付いたのはその時かもしれない。


 ただ剣を抜いてみせただけ。

 しかしただ普通の動作が、物理的な力を発現させた。

 レティシアを中心にして突風が大広間の中を吹き荒れたのである。

 

 不意の突風に人々は顔や身体を庇い悲鳴が上がる。

 壇の近くにあった卓上では、料理を載せた皿が敷布もろとも吹き飛ばされ、大広間中を彩る美しい花々が風に散って舞い上がった。


 やがて突風が収まると、人々はようやく檀上でラウルと向き合うレティシアへと視線を向けた。


 畏怖を込めた人々の視線は、力を発現させた幼い勇者へと集まり――そして彼女のその瞳に魅了されてしまった。

 剣を抜いて立つレティシアの瞳には、つい先程まで浮かべていた儚さと憂いの色が消え、空虚さではなく強い意思の輝きが宿っている。

 

 今にも消え失せてしまいそうな儚い印象は完全に消え失せ、逆に強烈な存在感を纏ってそこに立っていた。


 空気が変わった。


「あなたは先ほど、余興に付き合えとおっしゃいましたか?」

 

 思わぬ事態に静まり返ってしまった大広間に、レティシアの細くそして美しく透き通った声が広がっていく。


「そんなに――」


 ――死にたいの?


 その言葉が発せられた瞬間、ラウルの背筋にゾッと戦慄が奔った。


 言葉を発するどころか、呼吸すら困難な程の強大なプレッシャー。


 勇者とはいえ、自国の王の前にしての抜剣。

 本来ならば、すぐにでも近衛騎士が取り押さえねばならない状況である。

 

 だがしかし、誰もその場を動けない。

 招待客の中には、幾多の戦場を渡り歩いた高位の武官たちもいたが、揃って動けずにいた。

 万を超す大軍を前にした時のような重圧、いやそれ以上のものを感じていた。


(魔王と対を為す者。神に限りなく近づきし者――これが【勇者】か!)


 ラウルはグッと腹に力を入れるとレティシアを見下ろすようにして目線を合わせた。

 そう、見下ろすほどの背丈なのだ。

 なのに、まるで逆に呑み込まれてしまいそうな威圧感を覚えてしまう。

 

 もうラウルにも分かっていた。

 レティシアが最強と呼ばれる勇者であることは。

 それでも自らの目で確かめたかった。

 だから、振り絞るようにして口を開く。


「お前の力が本物かどうか見せて欲しい。民衆に希望を与えることが出来るのか、この目で確かめさせて欲しいんだ」


 ラウルは身を翻すと、壇の下へと飛び降りた。

 そして真っ直ぐに大広間の中央、先程まで宮廷楽士の奏でる旋律に合わせてダンスが踊られていた場所を目指す。

 その後ろをレティシアもまたついていった。


 人々が二人に道を空け、そして中央の開けた場所へと辿り着く。

 この場所であれば、少々剣を振り回しても差支えが無さそうだった。


「剣のみで」


 足を止め振り返って発したラウルの言葉にレティシアが頷く。


 大広間の中央には、剣を抜いて対峙する二人を中心にした人の輪が形成された。

 二人が対峙した当初、どこか息苦しげな呼吸を伴いつつそこかしこから囁き声が聞こえていたが、それも徐々に聞こえなくなり、周囲が静寂に満ちた。


「行くぞ」


 静寂の中で響くラウルの開始の声。


 次の瞬間――。


 人々が目にした光景は、刃の半ばから切り落とされた剣を横薙ぎに振り切って静止したラウルの姿と、その首筋にピタリと剣の刃を当てたレティシアの姿が映っていたのだった。


 呆気無い決着。

 

 武の心得が無い者にはもちろん、この場にいた将軍職にある者や高位の武官たちでさえもが、勇者と剣聖の剣閃はおろか動きすら把握しきれなかった。

 

 一瞬の出来事。


 だが、この勝負が圧倒的な武の極みで行われたのは確かなものだった。

 二人の足が踏み込んだ床には深い亀裂が走っていた。


 静寂が支配する中、切り飛ばされ、宙高く舞い上がったラウルの剣先が床に落ちた。

 甲高い金属音が響くと同時――その場でこの戦いを見届けた者その全ての背中に、歓喜と興奮の震えが奔り、聖職者たちは神に感謝の祈りを捧げながら膝を折り、涙を流した。


 レティシア・ヴァン・メイヴィス。


 確かに【神に限りなく近づきし者】として、【勇者】として、今間違いなく目の前に人類の希望がそこにいた。

 そしてこの時、レティシアには新しい称号が与えられることになる。


 ――【剣の神姫】


 これが、後々の世にまで吟遊詩人の紡ぐ詩や数多の物語によって語り継がれる、【勇者】レティシア・ヴァン・メイヴィスと【剣聖】ラウル・オルト・リヨンの出会いの顛末であった。


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[良い点] 「私は誰にも教わらない。私のお師匠様はこの世界で唯一人だもの……」 くううう! 泣ける! なんて素敵でストレートな言葉!
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