勇者と剣聖①
「大丈夫? お兄ちゃん、怪我してない?」
「大丈夫。怪我はしていないよ」
(ふーん……なるほどねぇ。あのレティがなぁ……)
ウィンの身体を気遣うレティシアの浮かべる柔らかい表情。
旅をしていた四年間、仲間として打ち解けた後に、ようやく見せることがあった表情。
ラウルを始めとした四人の仲間たちの前では見せることがあったが、他者の前では決して見せることのなかった素の表情だ。
それが学生たちという大勢の目がある中、ごく自然にその表情を浮かべたレティシアをラウルは初めて見た。
「すまなかった、ウィン君。後半少し俺も熱くなってしまった」
「いえ、あの【剣聖】と剣を交えることが出来たとか身に余る光栄です!」
ウィンは頬を紅潮させてラウルへと頭を下げる。
「……【剣聖】?」
「マジかよ……俺、あの【剣聖】と手合わせしてたのか……」
絡んできた三人組の学生たちが唖然とした顔で呟いている。
まさかこの浮浪者然とした格好の男を不審者扱いしてみれば、リヨン王国の王太子であり、【剣聖】の称号を持つ英雄ラウル・オルト・リヨンだったのだ。
呆然としてしまうのも無理はない。
「【剣聖】……」「あのラウル・オルト・リヨン……」
集まっていた学生たちもざわついている。
この有り様ではあっという間に騎士学校どころか、帝都中にラウルの存在が知れ渡るに違いない。
「うーん……何か目立ってきたなぁ」
「当たり前でしょう!? 何を考えているの!」
「うっ……」
ズンズンズンっと人指し指を突きつけながらレティシアがラウルに詰め寄った。
「一国の王子が、何でこんなところにいるの! しかもそんな格好で! リアラが知ったら怒るわよ?」
「リ、リアラは関係ないだろう?」
レティシアの剣幕にたじろぐラウル。
思わず声も裏返っていた。
なお【聖女】と呼ばれるエメルディア大神殿に仕える司祭、リアラ・セインとラウルは恋人同士の関係だ。
「王太子なのに、今頃大騒ぎになっているんじゃないの?」
「いやあ、俺が抜け出すのはいつものことだしな……」
「そういえばそっか……」
はふぅ、とレティシアはため息を吐いた。
レティシアの旅に合流した際も、勝手に王宮を抜け出して追いかけてきたのを思い出したのだ。
「まあ、レティのお師匠さんに会いたかったというのもあるんだけどさ。ちゃんとレティにも会わなければならない事情があってきたんだ」
「私に?」
「とりあえず……」
ラウルは周囲をぐるりと見やってから、
「本当に目立ってきた」
「あなたのせいでしょ……」
(目立っているのはどっちもどっちなんじゃないかなぁ?)
ウィンはそう思いながらも、
「多分、ラウル様がこちらにいらっしゃることはもう報告が行っているかと思われます」
「お兄ちゃん、ラウルなんかに言葉遣いを正さなくてもいいよ」
「ラウルなんかというのは失礼だな、レティは。まあ、俺としても畏まられるよりは気楽でいいけど――もう俺がこの国を訪れていることは隠せないかな?」
「無理だと思うよ」
「だよなあ……まあいいか。アルフレッドにも会う必要があったし。ウィン君」
「何でしょう?」
「うちの国の公館に案内してくれる? さすがにこの身なりで帝国の皇宮へ向かうわけにも行かないだろう」
自身の旅装に身を包んだままの姿を見下ろしてラウルは苦笑した。
「わかりました。すぐに馬車を手配いたします」
「道案内だけでいいよ。馬車とか堅苦しいのは嫌いなんだ」
「そういうわけにも……」
「私に会わなければならない事情って何なの?」
勝手に話を進めていくラウルに、レティシアは不服そうな表情で言った。
「別に急ぐ話でもないし、こんな所で話すのもちょっとな。どうせなら皇宮で話すよ」
「それだと私も皇宮へ参内しなくちゃいけないじゃない」
レティシアが露骨に嫌そうに顔をしかめる。
「どうせ禄に夜会とかにも出席していないんだろう? レティはもっと社交界へと出るべきだよ。せっかく可愛いんだからさ。美しい花は多くの人に見られ、愛でられるべきなんだぜ? ウィン君だってそう思うだろう?」
「えっ? えっと、俺は……」
話を振られてウィンは困ったような表情を浮かべる。
「夜会に出たって疲れるだけだもの……」
夜会――社交界は貴族にとって出会いの場所でもある。
魔王を討伐して帝都へ凱旋して以後、レティシアも何度か夜会へと出席したが、その度に彼女の周囲には多くの男性が集まってくるため辟易していた。
会場中の若き貴公子たちの視線を独り占めにしてしまうレティシアだが、意中の人がいる彼女にとってその視線は鬱陶しいだけだ。
「コーネリア殿下も出席されるだろうから、ウィン君も夜会に来ることになるんじゃないの?」
意味ありげにラウルがウィンへと視線を向けた後、レティシアへと片目を瞑ってみせる。
「そっか」
隣国の王太子であるラウルを饗す夜会であれば、皇女であるコーネリアも出席することになるだろう。
コーネリアが出席すれば、従士となったウィンも出席するはずだ。
(お兄ちゃんが夜会に出るなら、一緒にダンスを踊ることが出来るかも……?)
ラウルの視線の意味を理解できずに疑問符を浮かべているウィンをレティシアはちらりと盗み見る。
宮廷楽士が奏でる優雅な調べの中、ウィンがレティシアの細い腰にそっと手を回し、レティシアはウィンへ身体を寄せて、曲に合わせて静かに踊る。
柔らかで美しい旋律が流れる中、ウィンのぎこちないリードに身を任せながらも、ステップを踏んでいる姿を想像して思わずにへら~としてしまうレティシアだった。
「……うん、悪くないかも」
「何が悪くないんだ?」
レティシアの呟きを聞きつけたウィンが不思議そうに聞いた。
「……ナンデモナイ」
はっと我に帰ったレティシアはゴニョゴニョとごまかす。
「とりあえず馬車を手配してくるまで、騎士学校にある貴賓室にでも案内して……」
「それだとお偉いさんと挨拶かわす必要があるから嫌だなあ」
「でも、ここにいつまでもいると騒ぎになっちゃう。どこか目立たない所で……お兄ちゃんとロックさんの部屋は?」
「俺たちの部屋? そんなところにラウル様をご案内して失礼じゃない?」
「ラウルだからいいんだよ」
「おいこらレティ!?」
突っ込みを入れつつラウルは、ウィンと会話しながらコロコロと変化するレティシアの表情を見て、ラウルはニヤニヤと笑みを浮かべていたが、ふと目を逸らすとすっかり明るくなってしまった空を見上げた。
『――師弟というものは親子の関係みたいなもんさ。師は弟子に対してほんの少し手助けをしてやるだけで、後はただ見守ることしかできない。
だけど不思議なもので、弟子というものは師が思っていた以上に見守っているだけだった師の姿を見て育ち、最終的には弟子が自分を超えていく。指導者冥利ってやつだね』
ラウルの師、先代の【剣聖】が遺した言葉。
レティシアは幼い頃から家族からも疎んじられていたという。
そんな彼女がこの世界で見つけだした、生きる意味、見つめ続けた背中。
彼女はウィンを見て育ち、彼がいたからこそ【勇者】としての折れない心を手に入れたのだろう。
(なるほどね……ウィン・バード、か。レティが見続けてきた者。レティを見守り続けた者。そして――レティが魔王と戦えた理由か)
ラウルの脳裏に初めてレティシアと会った日の事が蘇る。
今でもはっきりと鮮明に思い出せる記憶。
あの頃のレティシアの瞳。
憂いと儚さを湛えつつ、空虚さを漂わせながらも、いざ魔物を、敵を前にして剣を握った時、彼女の瞳には強い意思の光が――それは過酷な運命に必死で抗おうとする強い意思の輝きを見せる。
ラウルはその瞳に魅せられ、レティシアの旅に同行したのだ。
忘れることなど出来はしない。
(本来いるべき場所に帰ってきたんだな、レティ)
「ちょっとラウル、呆けていないで行くよ?」
「はいはい、わかったよ。じゃあ案内を頼むね、ウィン君」
「かしこまりました」
「だからお兄ちゃん、ラウルなんかに敬語なんて必要ないよ!」
「いや、そんなわけにもいかないよ」
ラウルは苦笑しながら、先に立って歩く二人を追いかけた。
じゃれあっているウィンとレティシアの姿。
(出来ることなら……レティにはこのまま穏やかに暮らしていて欲しいんだが……)
心の底からラウルはそう思う。
ゆえにラウルはこれから彼女へと話さねばならない事について、再び彼女を巻き込もうとしている者たちに対して怒りを覚えていた。
ところで、何の前触れもなくレティシアとラウルを連れて寮へと戻ったウィンが自室の戸をノックすると、中からノソノソとロックが鍵を開けてくれた。
部屋の戸を開けて出てきたロックは、まだどこか寝ぼけ眼で髪には寝ぐせもついており、手には朝食であろう齧りかけのサンドイッチを持っていた。
「おう、お帰りウィン……っと、おはようございますレティシア様!? すいません、変な格好で」
「ううん、気にしないでロックさん。朝から押しかけてごめんね」
「お客様がいてさ、ちょっと俺たちの部屋に案内してきたんだ」
「ん? 誰? このおっさん」
「お、おっさん!? 俺はまだ二十五だ!」
「ロック! ロック! こちらは剣聖! 剣聖様!」
「けんせい? けんせいって何さ……って、まさか、【剣聖】ラウル・オルト・リヨン様!?」
「ロック! サンドイッチ! サンドイッチ!」
さすがに目が覚めたらしい。
目の前に立っていた男が名高き【剣聖】と聞いて、目をまん丸く見開いたロックの手から齧りかけのサンドイッチが滑り落ちかけて、ウィンが慌てて空中でキャッチ。
「ちょ、ま、おまえ! 何で、剣聖が!? あ、いや、それを言うとレティシア様もいるからおかしくはないが? おかしくはないんだけど!?」
結局、リヨン王国公館への馬車を手配するためにウィンが騎士学校の事務所へと行こうとすると、
「待て待て待て、馬車の手配には俺が行くから。おまえ、部屋にいろ? な? レティシア様もいらっしゃるし、そのほうがいいって」
ロックは半ば本気で泣きそうになりながらウィンを押しとどめた。
ラウルに対してはウィンも若干腰が引けているものの、彼にはレティシアという【剣聖】と互角以上の強い味方が存在する。
ロックにしてみれば、この常人なら耐え難い緊張感ある空間に対してウィンのほうがまだ耐えられると思った。
(勇者に剣聖とか……俺みたいな凡人が、同じ部屋に一緒にいろとか無理無理無理!)
一刻も早く魔境と化した自室から離れるべく、廊下を駆け出していく。
(やっぱりウィンの周りはいろいろおかしいんだ! 【剣聖】とこんな間近で会話するとか信じられねえ!)
だが、ロックは知らない。
この後、確かに魔境と化してしまった自室からは逃げられたものの、【剣聖】の来訪を知った学生はもちろん、騎士学校中の人々から彼について質問攻めをされる展開が待ち受けていることを……。
その日のロックは(レティシアはまだともかく)、【剣聖】ラウルとの遭遇に加え、好奇心旺盛な学生や同僚たちの質問攻めに遭い続け、勤務を終えて自室へと戻ってきた時には食事も出来ないほどに消耗することになる。
(くそぉ、ウィンの天然ばかやろう……)
ベッドに崩れ落ちながらロックは心のなかで、いつかウィンに仕返しすることを固く誓ったのだった。