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来訪者

 レティシアと別れてからウィンはふらふらと大通りを歩いていると、気がつけばいつの間にか『渡り鳥の宿木』亭まで歩いて来ていた。

 扉をくぐると、今日も宿泊客と仕事帰りに一杯引っ掛けようという客とでごった返している。


「いらっしゃいませ……って、あれ? ウィンさん」


 厨房からセリが出てきた。


「こんばんは」


「ご夕食ですか?」


「うん。何となくこっちに足が向いちゃって」


 朝もここで食べていたこともあって、ウィンは気恥ずかしげに頭を掻いて苦笑した。

 そこへ、厨房からランデルが出てきた。


「よお、ウィンも来たのか。晩メシか? 丁度よかったな、セリちゃん」


「え? え?」


「丁度良かったって何がです?」


「今、丁度セリちゃんに料理を教えていてさ、ちょっと試食してくれよ」


「ランデルさん!」


「ああ、いいですね。俺で良かったら、食べますよ」


 セリが作っていたのは、鶏の肉を使ったシチューだった。

 試作とはいえ肉が入っているシチューである。

 ご馳走だ。

 セリの目線はランデルによって深皿に盛られたシチューとウィンの顔を行ったり来たりしていた。


 食べて欲しいような、そうでないような。


 そういう葛藤がセリの瞳に見て取れる。


「じゃあ、いただきます」


 木の匙でシチューをひとすくいすると、口の中に放り込んで咀嚼する。

 その様子をセリはジッと見つめていた。


「うん、美味しい!」


 シチューに浮かぶ鶏肉を救い口の中で咀嚼すると、肉の味が口の中で広がっていく。

 肉を飲み込むと、旨さに自然とウィンの顔が綻んだ。


 ホッと胸を撫で下ろすセリ。


「良かったな。食べてもらった人に美味しいと言ってもらえたら、作ったかいがあったというものだ」


 美味しそうに食べるウィンと、嬉しそうにその姿を見るセリを見てランデルが言った。

 肉も野菜も蕩けるくらいによく煮込まれていた。

 シチューとは別に注文しておいたパンも一緒に咀嚼する。


「やっぱり、料理が上手い女の子が嫁に欲しいよなぁ」


「そうですね……」


「ウィン、セリちゃんなんてどうだ? 嫁にはちょうどいいかもしれないぞ?」


「ぶふぉ!」


「ち、ち、ちょっと、何を言っているんですか!」


 ランデルの言葉にウィンは食べていたパンが喉につまりむせ返った。

 セリも動揺して声を上げる。


「ウ、ウ、ウィンさんにはレティさんがいるじゃないですか!」


「ああ、まあ、確かにそうだなぁ」


 ゲホゲホとウィンは激しくむせている。

 セリは激しい動揺に頭に巻いている薄布が乱れ、長い耳が少し飛び出していた。

 先端部がほんのりと赤くなっている。

 

 そんな二人をランデルは面白そうに見つめていた。


(だってなぁ……レティちゃんは明らかに貴族の娘だろう。ウィンとレティちゃんが結ばれるのってありえるのか?)


 ウィンを幼い頃より見てきたこともある。

 ランデルには二人の息子と同様に、ウィンにも幸せになって欲しいという思いがあった。

 そしてレティもまた幼い頃より知っているので、本音ではウィンとレティが結ばれることが一番幸せなのだろうということもわかっている。

 

 だが、レティは明らかに住む世界が違う娘だ。


 ウィンはセリのような娘と結ばれたほうが幸せかもしれないとも思うのだ。

 セリもウィンには好意を抱いている素振りがある。

 ランデルは若い二人を見ながら腕組みをして相好を崩すのだった。



 食事を終えて、ウィンが何となく厨房で後片付けを手伝っていた時――。


「おい、この宿にウィン・バードという男はいるか?」


 宿の食堂の方からウィンの名前を呼ぶ大きな声が聞こえ、


「ウィンさん」


 戸惑ったような表情でセリがウィンを呼びに来たのは、その声がしてから間もなくのことであった。


「ウィンさんにお客様がお見えになられています」


「誰だろう? 騎士団の人?」


「騎士ではないと思います」


 ひとまずウィンは厨房から食堂へと出て行くと、客たちの視線が食堂の入り口へ集まっている。


「いやぁ、参った。『渡り鳥の止まり木』亭じゃなくて、『渡り鳥の宿木』亭だったんだな。帝都中を走り回ったおかげで、一日を潰しちまったよ」


 使い込まれてボロ布のようになっている外套を身にまとい、丈夫そうな厚手の布のズボンを履き、重厚な革の靴を履いた旅装の長身の男だった。

 口から鼻にかけては土埃を吸い込むのを防ぐため毛皮の襟巻きで隠し、長い旅路によるものか少し赤茶けてしまった金色の髪は伸び放題に荒れ果てて、唯一露出している目をほとんど隠した状態。


 要するに人相がまるでわからない。

 

「ウィン・バードは俺のことですけど、どちら様でしょう?」


「へぇ、お前が?」


 男は名乗りながら前に進み出てきたウィンを、頭の天辺からつま先までじっくりと見た。


「なるほどなぁ……気配は普通だな」


「どこかでお会いしましたか?」


 長旅をしてまでウィンを訪ねて来る親しい人物に心当たりはない。

 あり得るとするなら、少年時代に出入りしていた冒険者関係の人たちだが、声音を聞く限り心当りがない。

 声音からすると、まだ若い感じの男だった。


「いや、初対面だよ。ちょっとした知人から君の話を聞いていてね。一度会ってみたいと思っていたんだ」


「知人?」


「俺の事はそうだなぁ。本名はマズイよなぁ……ロウとでも呼んでくれ」


 前半は本人は小さく呟いたつもりだったのだろうが、しっかりと聞こえていた。


(偽名だよね、これ)


 ウィンはそう思ったが、頷きを返す。


「そうかそうか、君がウィンか。ところで、ここの宿は部屋空いてる? 泊まることはできるかな? とりあえず汗を流しておきたいんだよね。部屋があるならお湯が欲しいな。あと食事も用意してくれ」


 ロウはランデルをこの宿の主人と見受けたのか、歩み寄ると一気に喋った。


「部屋なら空いてるよ。湯も用意できるけど前払いだよ」


 少し引いていた所で様子を見ていたハンナがロウに答える。


「そうかい。そいつは助かるぜ」


 ロウはそう言うと宿のカウンターへ来いと促すハンナの後を追いかけようとしたが、ふと足を止めた。


「そうそう。ウィン君はこの宿に住んでいると聞いたんだけど、今もそうなのかい?」


「今は騎士学校の寮に住んでいますよ」


「ああ、やっぱりそうか。厨房奥から出てきたみたいだけど、何となく従業員ぽく思えなかったんだよねぇ……」


 ロウはボリボリとボサボサの髪を掻いた。

 

「ちょっとあんた、埃が落ちるから頭を掻くのは止しておくれ! さっさと湯浴みでもしてきたらどうだい?」


「昨日、世話になった家で湯は使わせてもらったんだけどね……まあ、悪かった」


 ハンナの苦情にロウは素直に誤り、あごの無精髭をさする。


「それで、明日とか時間は取れないかな? 実は知人に見つかる前にお願いしたいことがあるんだ」


「俺にお願いしたいこと?」


「そうそう。俺と一戦、勝負してもらいたいんだ」



 ◇◆◇◆◇ 



 翌朝。

『渡り鳥の宿木』亭で一夜を明かしたロウは、ウィンが騎士学校の寮で生活をしていると聞いて、早速学校へと訪れていた。

 まだ朝靄がけぶる早朝である。


「おい何者だ、貴様! ここから先は立入禁止だ、と……これは! ははっ、し、失礼しました!」


「いやいや、お勤めご苦労さん。俺のことは秘密にしててね。頼むよ? はあ、ここが噂に名高いレムルシルのシムルグ騎士学校か……」


 不審者と見て槍を突きつけ誰何の声を上げた騎士学校正門の守衛に、何やら小さな紙切れを見せたロウは、その巨大な正門を見上げて感嘆の声を上げた。


「前来た時は皇宮から出ることがなかったから、遠目にしか見ることができなかったんだよな。確か、かつての皇宮跡を学校にしているんだっけか?」


「は、そうです。他にも騎士団の本部などの各施設などございます。と、ところであの……」


「ん? 何だい?」


「あ、握手してもらってもよろしいでしょうか?」


「うん、そのくらいなら良いよ」


「ありがとうございます! あ、それとこちらが通行許可証になります。各施設を訪れる際には示してください」


「ありがとう」


 許可証という朱印が押された手のひらサイズの木札をズボンの隠しに突っ込み、門番に立っている衛視の差し出した手を握る。


「ああ、俺はもう一生この手を洗わないぞ……」


 と、呟く衛視にロウは軽く手を振ってやって門を潜り進んでいった。

 門の中から伸びている道にはまるで人気がない。

 それもそのはず。

 教会の起床の鐘が鳴る時刻にはまだ相当に早い。

 街に住む人々同様、まだ多くの者たちが眠りについている時間だ。

 

 静寂の中、石畳を敷き詰めてある道を歩くロウの足音だけが響く。

 敷地内には植林された木々の合間から、幾つもの建物が黒い影となって見えていた。


「うーん……よくよく考えてみると、ウィン君が住んでいる建物がどれなのか、俺知らないや」


 ウィンが早朝に一人で鍛錬をしていると聞いていたので、こうして朝も早くから騎士学校へと出向いてきたのだが、肝心の彼がいる場所を聞いていなかった。


「さっきの門番の人に聞くというのもあるけど、今から聞きに行くのも間抜けな話しだしなぁ……」


 腕組みをして考え込みながら歩いていたが、


「おっ?」


 微かに、本当に極わずかに空気が変わったのをロウは感じた。


「こっちかな?」


 ほとんど勘に等しいような僅かな気配。 

 今までこの勘を頼りにして生き残ってきた。

 ゆえに、ロウはその勘を信じてそちらの方へと進んでいく。


 そして程なくして――。


「お? いたいた」


 ロウはお目当ての人物を見つけたのだった。



 ◇◆◇◆◇ 



「へぇ、なかなか……」


 ロウが呟く声音も抑えてしまうくらい、ピンっと張り詰めた空気。

 ロウは今まで多くの戦場や様々な騎士たちの稽古を見てきたが、目の前で剣を振っているウィンの姿は尋常ではない空気を纏っていた。


 鬼気迫る表情を浮かべているわけでもない。

 むしろ、その表情は穏やかと言っていいだろう。


 ――現在、ロウが立っている場所からウィンのいる場所までは、かなりの距離が開いている。

 しかし、ロウはそれ以上前に足を踏み出せない。

 ウィンが放つ気配がそれを邪魔していた。


(試したい……!)


 ロウは身震いする。

 思わず歩みを止めてしまったほどだ。

 話には聞いていたが、確かに自分が認めた人が尊敬するだけの事はある。

 

(今のままならまず負けることは無いが、その底を見てみたい)


 剣士としての本能がロウに語りかける。

 

 そして――ロウは一歩、ウィンに近づくために足を踏み出した。


「――――っ!?」


 ウィンが剣を振る手を止めて、ロウの方を見た。


「よお」


「ロウ……さん?」


 手を挙げて近づいてくるロウにウィンは驚きの表情を浮かべていた。

 

「すげーな。俺、結構気配を抑えていたつもりだったんだけど……」


 ロウが足を止めていた所が、ウィンが気配を感じ取れるギリギリの境界だったのだろう。

 いわば、結界である。

 そこを踏み越えて侵入したため、ウィンはロウの気配に気がついた。


 無論――ロウとしては、気配を本格的に殺せばさらに近づくことができただろうが、この場でそんなことをしても意味が無い。


「おはようございます、ロウさん。ですが、ここは部外者立入禁止ですよ?」


「ちゃんと許可をもらって入ってるよ」


 挨拶をしながらも、どこか警戒の表情を浮かべているウィンに向かって、ロウは右手をひらひらとさせた。


「言ったろ? この国に知り合いがいるって。ここではちょっとした偉いさんなんだ」


「……そう、なんですか」


 確かに、騎士学校は元々皇宮であったため、外壁も非常に頑丈かつ高く作られており、簡単に侵入を許すことはない。

 騒ぎにもなっていないし、本当に正面から堂々と入ってきたのだろう。


「それで、騎士学校まで何の用向きなんです?」


「昨日も言ったと思うけど、君と一勝負したい」


「一勝負?」


「そう。できれば知り合いに見つかる前に、君と一度戦ってみたいと思っていたんだ。知り合いから君の事はさんっざんっ! 聞かされていたからね」


「えっと……」


 ウィンは頬をポリポリと掻くと、


「俺なんて、そう大したもんじゃないですよ? 魔法も使えないから、騎士団でもそんなに強いわけでもないですし……」


「らしいね。だけど、さっきからウィン君の鍛錬を見させてもらっていたけど、やはり一人の剣士として一戦交えてみたい。そう思わせる何かがある。お願いだよ、ウィン君」


「そうは言われましても……」


 ウィンは迷った。

 鍛錬になるし、手合わせをしてみたいという気持ちは強い。

 ロウは間違いなく一流の剣士だろう。

 物腰からわかる。

 髪はボサボサで伸びっぱなし。

 無精髭もそのままだ。

 旅装を解いているため分厚い外套などはもう羽織っていないが、長旅を共にしたシャツとズボンはくたびれてしまっている。


 だが、自然な感じで立つロウの姿はどこか気品のようなものが漂っている。

 帝国の偉い人にも知り合いがいるということから、貴族か名のある騎士なのかもしれない。


 ――手合わせをしてみたい。

 レティシアに追いつき、横に並ぶためには少しでも強い相手と戦って経験を積みたい。しかし――!


「立場のことを気にしているのかな? 皇女殿下の親衛隊従士になったんだっけ?」


「――っ!? どうしてそれを?」


 そのことは宮中の者か、騎士団の関係者しか知らない情報である。


 いや、人の口に扉を建てられぬ以上、どこからか情報は漏れるだろうが、ロウのような旅人が手に入れられる情報では無い。


「大丈夫。君が咎められることは無いと思うよ。むしろ、俺と剣を交えたなんて話、自慢してもいいくらいなんだぜ?」


 自慢話に出来ると大口を叩きながらロウは片目を瞑る。


「なあ、頼むよ。一度だけでいいんだ。知り合いに見つかったら、真剣勝負させてもらえるかどうかわからないんだよ……」


「……はぁ、わかりました。でも、ここで勝負するのは迷惑ですし、練武場の方で試合しましょう」


「やった! それでこそわざわざ来た甲斐があったってもんだ!」


 拳を握って踊りだしかねないほど喜ぶロウを見て、ウィンは苦笑する。

 ウィンも実のところ、少し身体が熱く興奮していた。


 ロウは間違いなく一流の剣士。

 その彼に自分の剣技がどのくらい通用するのか試してみたい。

 

 ウィンもまた、騎士であると同時に一介の剣士なのだ。


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