休日
時系列では1日前『旅の剣士』、『噂』と『休日』が同じ日の出来事です。
「なんでわざわざここで待ち合わせなんだ?」
ウィンはボソリと呟いた。
コーネリアの従士となって初めての休暇。
今日はかねてより約束していたレティシアと彼女の服を買いに行く日である。
「帝都の中央広場にある大噴水で待ち合わせね!」
「え? なんでわざわざ?」
「もう、お兄ちゃんわかってない! こういうのは雰囲気が大事なの!」
どうせ毎日早朝に男子寮へと来るのだから、いつものようにそこで合流すればいいのではないかとウィンは思ったのだが、レティシアに強く押し切られてしまった。
というわけで、朝食を『渡り鳥の宿木』亭で食べたウィンは、一度騎士学校の寮の部屋へと戻り汗を流した後、待ち合わせの場所である帝都のど真ん中に位置する広場、大噴水の前でボーっと立ち尽くしている。
この中央広場は宮殿、騎士学校、東大門、西大門を結ぶ大通りが交差する場所であり、帝都で最も賑わう場所だ。
ここの広場を中心として様々な商店、または露店が雑然と並んでいる。
昼の刻限前ということもあり、広場は人が溢れかえり喧騒に包まれていた。
特に大噴水のある場所は帝都でもっとも目立つ場所ということもあって、恋人たちの逢瀬にもよく使われる場所だ。
ウィンの周囲にもそんな雰囲気を醸し出している男女が多くいて、ウィンは何となく居心地の悪さを感じた。
(おれ、何をやってるんだろう?)
噴水の縁に腰を掛けて項垂れていた。
加えて、すでに待ち続けて半刻の時が経過していたりもする。
「遅いなぁ」
周囲では待ち合わせ相手とうまく落ち合って、それぞれが目的の場所へと向かっていく。
何となく周囲の視線を感じる。
待ち合わせの相手から約束をすっぽかされたかわいそうな男みたいに見られている気がした。
ふと、周囲に満ちる喧騒が変化した。
それまで無秩序だったざわめきが、何か一つの事に集約されたかのような――。
何事かあったのかと、ウィンが視線をあげる。
レティシアがウィンの前に佇んでいた。
薄い水色を基調とした生地にピンクと白のフリルをあしらったワンピース。
緑のリボンで髪を纏めている。
雑踏の中にあっても、レティシアは圧倒的な存在感を放っていた。
「うわぁ……すごく綺麗……」
「お姫様みたい」
「どこのお家のお嬢様なんだろう?」
周囲の視線のほとんどがレティシアへと注がれている。
「遅れてごめん、お兄ちゃん」
「あ、ああ」
そんな周囲を気にもとめず、レティシアがニコッと笑う。
ウィンは曖昧に頷くのが精一杯だった。
そんなウィンを見つめて、レティシアが何故か一瞬迷うような素振りを見せ、胸元に右手を当てる。
「いこ!」
レティシアがウィンの手を取ると強引に立ち上がらせた。
「え? 嘘だろ? あんな奴と付き合ってるのか?」
「どこかのお金持ちのお嬢様と、下働きの男の禁断の恋じゃない?」
「お金持ちそうだから、毛色の違った者を好むのかも」
周囲から上がるやっかみ混じりのざわめきがあがった。
レティシアがしっかりとウィンと手をつないで、グイグイと引っ張って歩く。
(さすがレティ。人の視線を集めるのに慣れてるなぁ)
心の中でウィンは感心していたのだが、ところでその実レティシアも内心ではテンパっていたのである。
◇◆◇◆◇
「服! 服はどうしよう? お兄ちゃん、どんな服が好きなの!?」
前日の夜からレティシアはウィンと一緒に歩くための服選びに迷いに迷っていた。
騎士学校の寮からわざわざメイヴィスの屋敷にまで帰っていた。
貴族として、勇者として贈られた宝飾で飾り付けられた豪華絢爛なドレスならいくらでもある。
しかし、そんな服装で街を歩けるはずもない。ましてやウィンは庶民。
レティシアがあまりに着飾ってしまうと、逆に彼を浮き立たせてしまう。
普段から身に着けている服は基本、動きやすさを優先とした機能性重視の物だ。
だが、今回はレティシアの中でそういった服は許されない。
(お兄ちゃん、服はどんなのが好みなんだろう)
そして現在、寝台の上には様々な服が拡げられていた。
ドレスを見るとどれも淡い色をしたものが多かった。
結局、迷いに迷った挙句、清楚な印象を与える水色のワンピースを選ぶ。
刻々と迫る待ち合わせ時間に焦るレティシアを見かねた侍女の見立てだ。
普段は侍女から傅かれるのを嫌っているレティシアだが、今日ばかりは手伝ってもらうことにした。
念入りに髪を梳ってもらい、リボンで纏めてもらった。
「結局、いつもの髪型になっちゃった」
「いつもどおりでいいんですよ。お嬢様」
侍女の言葉を信じてレティシアは待ち合わせの場所へと急ぐ。
日は既に高く昇っている。
待ち合わせた場所は帝都シムルグの中心、大噴水のある広場。
わざわざ待ち合わせまで指定したのは、恋人同士の逢瀬を演出してみたかったから。
一度やってみたかったのだ。
帝都の中心部というだけあって、人が混み合っている。
ウィンがいた。
大噴水の縁に腰掛けて項垂れているように見える。
待ち合わせから一刻近く待たせてしまったから当然だと思う。
レティシアは駆け出したくなる気持ちをようやくの思いで抑えて、ウィンの所へと歩いて行く。
駈け出してしまって、ウィンから子供っぽく思われたくない。
ウィンと二人でお出かけするのはいつものこと。
別段、珍しいことではない。
(なのに何で、こんなに胸がドキドキするんだろう……)
この間、ウィンにプレゼントした時もそうだった。
今日はただ、待ち合わせの場所を恋人の逢瀬の名所である中央公園の大噴水としただけである。
ただそれだけのはずが、なぜかとても恥ずかしくそれでいて心地よい興奮をもたらせてくれる。
逸る気持ちを抑えてウィンの前に歩いて行くと、ようやく彼はレティシアに気が付いた。
にっこりと微笑みを浮かべて、
「遅れてごめん、お兄ちゃん」
「あ、ああ」
いつものようにウィンの手を取ろうと手を伸ばしたが――。
(あれ? 何で……?)
いつもどおりのはずだ。
幼い時からいつもそうしてきたように、ただ自然にウィンの手へと己の手を伸ばして握るだけ――。
なのになぜか、レティシアは尻込みをしてしまう。
胸元に手を当てる。
そこにある小さな固い感触。
銀の細い鎖に通してある子供向けの小さなアクアマリンの小さな指輪。
子供の頃、ウィンからプレゼントされたレティシアのこの世で一番大切で、何物にも代えがたい宝物。
レティシアに勇気を与えてくれる――。
逡巡したのはほんの一瞬。
レティシアはウィンの手を取り指を絡ませると、
「いこ!」
ウィンの手を引っ張った。
(今の私の顔、知っている人には見られたくないくらい甘い笑顔になっているだろうな……)
だから――。
レティシアはウィンの手を引っ張って、彼に正面から自分の顔を覗きこまれないように歩き出した。
頬がとても熱かった。
◇◆◇◆◇
帝都シムルグの街は北から西にかけて貴族や金持ちの屋敷が並び、南から東へと向かうに連れて所得層が下がっていく。
所得層が下がるとはいえ、街の壁内に住んでいる者たちは困窮した生活を送っているわけではない。
今日、ウィンとレティシアが訪れた店は、中央公園から東外壁門へと伸びている大通り沿いに面した服飾店だった。
ウィンにとって古着はもちろん、既成品の服が売ってある服飾店へと訪れたのは初めてのことだ。
金持ちが来るような店ではないが、平民の中でも少し余裕ある生活が送れる階層が訪れる店である。
「いらっしゃいませ」
と、声を掛けられて戸惑うウィンに、レティシアが慣れた様子で店員に自分にあった服を何点か見繕って欲しいと頼んだ。
公爵令嬢であるレティシアが決して訪れて良い格式の店ではないが、彼女本人は公爵邸に御用伺いに訪れる御用商人が持ち込む服よりも、こういった店のほうが動きやすい服を見繕えるので気に入っていた。
それに加えて今日は、ウィンがレティシアのために服を選んでくれるのである。
もちろん、ウィンが女性物の服を選べるとは思えないが、レティシアが見繕ったものを似合うかどうか見てもらえるだけでも嬉しい。
レティシアの明らかに庶民離れしている洗練された服装と、白くなめらかな肌。黄金に輝く金髪緑眼の美貌。
声を掛けはしたものの、あまりにも住んでいる世界が違う存在の来訪に言葉を失っていた店主は、その隣でおどおどとした庶民のウィンを見出し、ようやく我に返った。
何着か店員が見繕った物を試着し――レティシアはウィンが一番似合うと言ってくれた、淡桃色のワンピースと若草色のスカーフをプレゼントしてもらった。
試着した際にクルクルっと回ると、刺繍の施された裾がふわりと広がり、スカーフが舞う。
「うん、すごく似合っていて可愛い」
店員が他にも幾つか薦めてくれたが、レティシアはウィンが気に入ってくれた服を身に着け嬉しそうに頬を染めていた。
◇◆◇◆◇
「残念だなぁ、お兄ちゃんが選んでくれた服を着て一緒に歩きたかったのに……」
「仕方ないよ。また今度一緒に出かけるときに着ればいいじゃない」
「ほんとに? また一緒に歩いてくれる?」
「もちろんだよ」
「うん。じゃあ、我慢する」
買ったばかりの服は、今一度レティシアに合わせて裾などを直すと言うことで、騎士学校の寮まで送り届けるように頼んだ。
公爵のお屋敷に送ってもらったほうがいいのではないかとウィンは思ったが、レティシアは騎士学校の寮に送ってくれるように主張した。
着て歩けないのなら、せめて送り届けられてすぐにでも部屋で着てみたいらしい。
すぐに身に付けて歩けなかったことに少し不満気な表情を浮かべていたが、ウィンが「また一緒に出かけよう」と言うと、嬉しそうにはにかんだ。
そのはにかんだ表情がとても可愛くて、ウィンは見とれてしまった。
すれ違う人たちが男女の性別関係なく、思わず驚いて振り返って見てしまうくらいに美しかった。
その視界内にはウィンは入っていなかっただろう。
例え入ったとしても、どこかの貴族のお姫様と下男程度にしか思われていないのではないか。
「ねえ、お兄ちゃん。私、お腹すいちゃった。何か食べよ?」
「あ、ああ。そうだね。どこかお店にでも入ろう」
お昼にはパンに肉と野菜を挟んだ食べ物を売っているお店に入ると、料理を注文した。
店内を見回すと、ウィンとレティシアの二人のように、恋人同士と思われる若い男女の二人組みが多かった。
卓と席も二人がけで用意されているため、恋人同士を客層としているお店のようだった。
「ねぇ、ティル」
「何だい、アニー?」
「いま、カリッシア広場に何だか有名な劇団が来ているんですって」
「本当に! 僕はその劇団の大ファンなんだ。見に行ってもいいかい?」
「もちろんよ、ティル!」
隣の席で同じようにお昼を食べていた恋人同士と思われる男女の会話が、レティシアの耳に届いた。
(名前で呼び合ってるんだ……)
レティシアは届けられた料理に早速齧り付いているウィンの顔をジッと見つめる。
「?」
ジッと見つめられて、ウィンがきょとんとレティシアを見返した。
レティシアはサッと顔を伏せると、料理へと目を落とす。
(私も名前で呼んでみたいな……)
ウィンのことはずっと「お兄ちゃん」と呼んできたが、これではいつまでもウィンに妹分的存在のまま認識されてしまうのではないのか!
「……ウィン」
「ん? 何か言ったレティ?」
「ううん、ナンデモナイ! こ、これ美味しいね、お兄ちゃんって言ったの!」
「そうだね」
慌ててごまかすように口に料理を頬張るレティシア。
顔が湯だったように熱い。
(うわうわうわ……だめだめ! 恥ずかしくて言えない~。でも、名前で呼んでみたいな……)
心のなかで悶絶しているレティをウィンは不思議そうに見つめながら笑っていた。