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予約投稿暴発させてしまったため、連続投稿状態になっています。初見の方は前話の『旅の剣士』を読まれてからどうぞ。

大変、申し訳ありません。

 決して多いとは言えない荷物を載せた荷車を引く父親の傍らを、うつむき加減に地面を見つめて歩いている。


 そんな自分を元気づけるように父親は幾度と無く話しかけ、微笑みかけてくれた。その時だけは自分の不安な心中を隠して微笑みを返す。


 母親が自分を励ますように繋いだ手を強く握り返してくれる。

 そんな母の手を自分も強く握り返すのだ。


 顔見知りの村人の集団の中を歩く内に、やがて馬に乗った騎士たちの姿が見えた。

 騎士たちを見て始めは喜色を浮かべていた村人たち。

 だが彼らが接近してくるにつれ、村人たちや両親の顔が驚愕と恐怖に歪み、そして次の瞬間には馬に父が跳ね飛ばされ宙に跳ね上がった荷車が彼女へと迫り――。



 ◇◆◇◆◇ 



「…………っ!」


 差し込む月明かりと冷たい空気。

 悪夢の余韻に激しく喘ぎながら、セリ・トルクは包まっていた毛布から身を起こした。

 夢を見ながら泣いていたのか、枕元が濡れていた。


 故郷であるトルクの村が襲われて以来、幾度と無く見る実際に起こった過去の夢。


 住まいとしている小屋から出ると、彼女は水瓶から水を掬って喉を潤し涙の痕が残る顔を洗う。

 それから小屋へと戻ると服を整えると、薄布で耳を隠すようにして髪を纏める。

 人よりも長い耳は彼女がエルフの血を引く証。

 帝都でハーフエルフが忌避されることはないが、集団の中で少しでも違うものは弾き出されやすい。

 村ではエルフである父が魔法を使えたおかげで、酷い扱いを受けることはなかったが、商売に出向いていたネストの街では、多少避けられている感じがした。

 エルフの村に至っては、石牢に閉じ込められてしまったこともある。

 そのため、セリは帝都でも耳を隠すようにして生活していた。


「おはようございます」


「おはようセリちゃん」


 セリの挨拶に返答してくれたのは、セリが住まわせてもらっている『渡り鳥の宿木』亭の主人ランデルである。

 セリはこの宿の裏庭にある小さな小屋に、住み込みで働かせてもらっていた。

 元はこの小屋を住まいとしていたウィンという騎士の少年から、ここに住む権利と仕事を譲ってもらったのだ(セリには正騎士と騎士候補生の区別がついていない)。


 譲ってもらった時には雨漏り上等なうえ、隙間風がピューピューと吹き込み放題の掘っ立て小屋も同然だったのだが、どういうわけか訪ねてきたハイエルフの【大賢者】ティアラの手によって新品同様にまで修復されていた。


 エルフの血を半分でも引くセリには、エルフにとって貴種であり人類でも英雄である大賢者自ら手掛けた小屋に住むことは、とてつもなく畏れ多い。


 ウィンには感謝してもしきれない。


「いつものように水瓶に水を満たしてから、野菜を洗って皮むきをしておいてくれるかい?」


「はい」


 ランデルの指示に従い、セリは小さな空の壷を持つと水瓶に壷の中身を注ぎこむようにして持つ。

 それから目を閉じて呪文を唱えた。


『我、水の理を識りて奔流と為す。生命の恵み、我に与えよ』


 すると壷から滾々と水が湧き出し、水瓶の中を満たしていった。

 全ての水瓶をそうして満杯にした後、今度は野菜を水洗いしてから手早く皮を剥いていく。


「終わりました。買い出しに行きます?」


「仕事が早いな、セリちゃん。ウィンには悪いが、効率という点ではセリちゃんのほうが上だなぁ」


 ランデルが笑った。

 仕事を終える速度はウィンと変わらないのだが、魔法が使えるというただ一点のみで、セリは効率が良い。

 共同井戸を何往復もする必要がないからだ。

 

「ああ、セリ。ちょっと待っておくれ」


 客の相手をしていたランデルの女房であるハンナが、食材の仕入れのために市へ行こうとしていたセリを呼び止めた。


「はい?」


「こちらのお客さんが市に行きたいそうなんだ。案内してあげておくれ」


 赤い髪を短く切った、二十代半ばくらいの大柄な女性が野性的な笑みを浮かべてセリに手を差し出してくる。


「やあ、あんたがセリさんかい? あたいはジーニャ。ジーニャ・レグ」


「セリ・トルクです。おはようございます、ジーニャさん」


 傭兵か冒険者なのだろうか。

 使い込まれた革鎧に身を包み、腰には剣を帯びている。

 差し出された手を握り返すと手のひらが固い。

 

「仕事をする前に傷薬とかの補充をしておきたくてさ。そういう店に行ってもいいんだけど、市で安くて良い薬とか扱ってるお店があったら教えてくれない?」


「丁度良かったです。私が今から行くお店、安くてとても良く効くお薬も扱っていますよ」

 

「ほんとに!? そいつはついてるや。あたい前の仕事でも一儲けできたし、ここの所運が良いのよね。じゃあ、案内してくれる?」


「ええ、いいですよ」


 買い物用の籠を持つと、セリはジーニャを伴って『渡り鳥の宿木』亭から、朝靄が立ち込める大通りへと出て行った。



 ◇◆◇◆◇ 



 朝市は帝都外壁の東門前の広場と、南門前の広場で開催されている。

 

「おお、セリちゃん。今日も綺麗だね!」


「どうだい、セリちゃん。今日はこの魚が安くなってるよ?」


「おはようございます。今日はお客様に案内を頼まれていますので、また今度寄らせてもらいますね」


 美形揃いのエルフの血が混じったセリの顔立ちは非常に整っている。

 そんなセリに露店を出している男たちが次々と声をかけた。

 セリは彼らに笑顔で挨拶を返しながら、南門側の市場の中をジーニャと並んで歩いて行く。


「セリさんは人気あるねぇ!」


 先程から頻繁に声をかけられているセリに、ジーニャが驚いたように言った。

 

「私、この市に良く買い出しに来ていますから」


「いや、それだけじゃないだろ。あんたが美人だからだよ」


「そんなことないですよ」


 そんなことを言ってくるジーニャに軽く笑って流すと、


「ジーニャさん、あそこのお店です」


 セリが指さした先には、三十半ばくらいの女性が敷布の上に野菜などを並べていた。


「おはようございます」


「おはよう、セリちゃん。今日は何がいるの?」

 

「おはようございます。今日はお野菜を見せていただけますか? あと、それとこちらの方がお薬を見せて欲しいそうです」


「傷薬と腹痛止め用の薬が欲しいんだ。できれば長く保存できるものがあるといいんだけど」


「なら、これでどうかしら?」


 ジーニャと露店の店主の女性が丸薬状になっている薬を幾つか出して話をしている間に、セリは頼まれていた野菜を一つ一つ手に取って吟味していく。


 帝都の郊外で娘と一緒に作っているという彼女の野菜は、非常に瑞々しく実っていて、口に含むと微かな甘みもあって人気が高い。

 早めの時間に行かねば売り切れになることも多いのだ。


「いつもありがとうね」


「いえ、おばさんのとこの野菜。とっても新鮮ですから」


「セリさん助かったよ。こんなに良さそうな薬が安く手に入って」


 セリより一足先に薬の代金を支払っていたジーニャが、ホクホクとした笑顔を浮かべて言った。


 お目当ての薬を予算よりも安く手に入れることができたらしい。

 セリも選んだ野菜を籠に入れて代金を支払う。

 

「帝都の暮らしにはもうすっかり慣れたようね」


「はい、おかげさまで」


「でも、気をつけてね。帝都には悪い虫が多いからね」


 セリにお釣りを渡しながら店主の女性が周囲をじろりと見回す。と、セリをチラチラと盗み見ていた周囲の若者たちはバツが悪そうに視線を彷徨わせた。


「はい、気をつけます」


 クスクスと笑いながらセリは釣り銭を受け取った。

 故郷でとても哀しい思いをしたけれど、帝都に来てから多くの優しい人たちに巡り会えていると心から思う。


「セリさんと歩いていると、男どもの視線が集まってきて驚いた」


「セリちゃんはこの市の男どものお姫様だからね。この娘に憧れてる男どもはいっぱいいるよ」


「あたいには縁の無い話だなぁ」


「でも悪い虫じゃないんだけど、ここの所物騒だから本当に気をつけなさいよ?」


 ちょっと照れたように笑っているセリに店主の女性が声を潜めて言う。


「戦争が始まりそうというんで、色々と人が流れ込んできてるから。私も昨日危うく野盗に襲われそうになったんだよ」


「え!? 大丈夫だったんですか?」


「たまたまとても強い剣士さんが通りかかってね。運が良かったわ」


「そういえば最近、うちのお客様もジーニャさんみたいな傭兵さんや冒険者さんみたいな人が増えた気がします」


 客同士の会話から聞こえた話だと、辺境に領地を持つ貴族たちが傭兵や冒険者をかき集めているらしい。

 傭兵や冒険者たちは帝都にあるそれぞれのギルドで情報を集め、最も高く値を付けてくれる雇い主を探したり、または傭兵団へと参加したりしている。

 荒くれ者が増えて、酒場などでは喧嘩や諍いが増えていた。

 それは『渡り鳥の宿木』亭も例外ではない。


「若い女の子の誘拐事件なんかも多いらしいわね。うちの娘も心配だわ。セリちゃんもできるだけ人通りの少ない道は避けたほうがいいわよ?」


「娘さん、とっても可愛らしいですものね」


「もう少し大きくなったら、街のお店で奉公させようかと思ってるのよ。

 最近、人手不足な所が多いのか、貧民街とかでも大規模な求人をしているところもあるのよ?」


「そうなんですか?」


「戦争で物が売れてるのかしらね。色んな物が値上げされたりするけど、商品の売れ行きも良くなるから複雑だわ……」


 と、店主の女性が苦笑しながら言った。


「おばさん、あたいは心配してくれないのかい?」


「あなたなら逆に返り討ちにしちゃいそうだわ」


「ハハハ、まあね! むしろ襲ってきてくれたら、とっ捕まえてやるのに」


 ジーニャは「臨時収入が欲しい!」と吠えている。


「誘拐事件なんか起きているんですか?」


「ここ最近立て続けに何人も行方不明になっているらしいのよ。被害者のほとんどが貧民街の子か、他所から来た人らしいんだけどね」


「ああいった所だと、人買いとか人さらいは多いもんだろう?」


傭兵をしているだけあってジーニャは貧民街の事情にも詳しい。

 食い詰めた人々が流れ着く場所だけあって、身売りしたり、子供を売るといった行為はよく聞く話。

 中には拐かして奴隷商などに売る者もいる。

 

「噂になるくらい最近は特に頻繁に起こっているらしいのよ」


「まあ、あたいらみたいな真っ当なギルドに所属している傭兵や冒険者以外にも、野盗崩れのような奴も流れこんできてそうだしなぁ」


「だから、セリちゃんみたいな若くて綺麗な娘は気をつけたほうがいいわ」


「わかりました。ありがとうございます」


 心配してくれた店主の女性にお礼を言って、野菜でいっぱいになった籠を抱える。

 そろそろ帰らないと、お昼の仕込みが間に合わなくなる。


「あたいはまだ市をちょっと見て回るよ。さっき、良さそうなナイフを売ってる露店を見つけたんだ」


「じゃあ、私は先に宿へ戻っていますね」


 まだ露店を見て回りたいというジーニャに手を振って別れると、セリは『渡り鳥の宿木』亭に向けて帰り始めた。


 帰る道すがらよくよく注意して見ると、市には武装したいかにも戦いを生業としていますという男たちの姿が多く見受けられた。

 ジーニャと同様に掘り出し物の武器や必需品の補充に来たのだろう。


 ふと、セリの身体に好色な視線を向ける者がいることに気づいた。

 三人組の若い冒険者か傭兵のような身なりをした男たちだ。

 セリに視線を送る目元がニヤけている。

 

 視線に気づいたセリは俯いて足早に歩き出す。

 宿に訪れる客の中にも彼らのような者たちがいるが、本音を言うとセリは彼らが苦手だ。

 と言うより、武装している男たちが怖かった。

 やはりトルク村での記憶を刺激されてしまうからだ。

 

 ところが――。


(あれ? 誰かついて来てる?)


 振り向くと、先ほど好色そうな視線を送っていた三人組の男たちがセリと同じ方向へと歩いていた。


(きっと偶然同じ方向に向かっているだけ)


 気にし過ぎかと思ったがセリは歩く速度を上げた。

 幾度か露店を覗く振りをして、後方を確認してみる。


(……いた)


 三人組もまた足を止めていた。

 セリと同じく露店を物色している振りをしつつ、時折視線をセリへと向けている。

 

(……やだ、怖い)


 尾けられてくる不気味さに泣きそうになりながら、セリは一刻も早く宿へと帰ろうと足を早めた。

 だが、早朝の市場である。

 人が混み合っているためなかなか上手く歩けない。

 ただでさえ、田舎育ちのセリは人混みの中を歩くのはまだ慣れていないのだ。


 セリと三人組の距離が徐々に狭まって来ていた。

 

 市場をやっとの思いで抜けると通りを急ぎ足で歩く。

 だが、市場が開催されている時間は、普通の人々が起きだす時刻よりも早朝だ。

 大通りとはいえ、人通りが滅法少ない。

 背後の足音がどんどんと近くなってくる。

 セリは恐怖で身体が強張り、涙が溢れそうになった。


 その時――。


「やっぱりセリさんじゃないか、おはよう!」


 前方から名前を呼ばれ、セリははっと顔を上げた。

 セリの前方から彼女をエルフの石牢から連れ出してくれた騎士――ウィンが走りながら手を振っていた。

 セリは安堵の思いで小走りに駆け寄る。


「ウィンさん!」


「え? 何? どうしたの?」


 涙目で駆け寄ってきたセリにウィンが足を止める。

 そして、セリの背後から駆け寄ってきた三人組たちを見て、ウィンは瞬時に事情を悟った。

 セリを自身の背後に隠して、三人組を睨みつける。

 三人組も足を止めるとウィンと睨み合いとなったが、


「ち、行くぞ」


 三人組は揉め事になるのを嫌ってか、足早に元来た道を引き返して行った。

 ウィンの背後でセリが安堵の溜息を大きく吐く。

 

「セリさん、大丈夫?」


 セリは安心して腰が抜けてしまい地面にへたり込みそうになり、慌ててウィンが手を伸ばして身体を支えてくれる。


「あ、ありがとうございます」

 

 結局、ウィンに肩を借りるような格好でセリは『渡り鳥の宿木』亭へと帰ることになった。



 ◇◆◇◆◇ 



「そうか。しばらくはセリちゃんだけに買い物へ行かせないほうがいいかもしれないなぁ」


「国境付近の情勢がかなりきな臭い事になっていますよ。街の衛士から騎士団へ治安の悪化を懸念する報告が上がっているし」


 朝の鍛錬を中止して、セリを『渡り鳥の宿木』亭へと送り届けたウィンは、そのまま朝食を食べることにした。

 ランデルにセリが道で絡まれそうになっていたことを話すと、ランデルは頷きながら宿の食堂内を見渡す。

 ウィン以外にも朝食を食べている客達がいるが、その半数以上が傭兵の男たちのようだった。


「戦争が始まりそうというんで、人の流入と泊まりの客が増えてうちとしては儲かるんだが、犯罪が増えるのは勘弁だな。そういえば、戦争になるとウィンも行くのか?」


「うーん、俺は後方任務だから出ることは無いんじゃないかなぁ?」


「そうかそうか。レティちゃんもそれなら安心だな!」


 ハッハッハと笑いながら、ランデルは厨房へと戻っていく。

 入れ違いにセリがウィンの所へと来た。


「先程は助けて頂いてありがとうございました」


「市民を守るのは騎士として当然だよ。むしろ、俺のほうが謝らないといけない気がする」


「そんなことないです!」


 セリの声が大きくなる。

 周囲で飲み食いしていた客たちの目線が一瞬セリに向く。

 注目を集めてしまったセリは首元まで赤くなったが、それでもペコリと頭をウィンに向けて下げた。


「本当に怖かったんです。ありがとうございました」


「うん、今度から気をつけて」


 ウィンの答えにセリは笑顔を浮かべてみせた。


「ジーニャさんみたいな方がいつも一緒にいてくれると助かるんですけど」


「ジーニャさん?」


「今、うちに泊まってくださっているお客様です。傭兵をしているらしくて、何だかとても強そうな女の人でしたよ」


「へえ」


「そういえばジーニャさん、帰ってくるのが遅いなぁ」


 もう朝市はとっくに店仕舞いされている時間だ。

 

「お店を巡ったりギルドにでも顔を出してるんじゃないかな?」


「……そうですね」


 露店のおばさんから誘拐の話を聞かされたからかもしれない。

 やがて朝食を食べ終えたウィンは宿を後にし、セリもまた仕事へと戻る。


 仕事をしながらも、何となくセリはジーニャの事を気にしていた。 

 自身が怖い目にあったこともあって、セリは胸の内で何か得体の知れない不安のようなものが広がっていくのを感じていた。



 ◇◆◇◆◇ 



「姉ちゃん、別嬪さんだから少し負けておいてやるよ」


「やったね、おっちゃん! 話がわかるじゃん!」


 セリと一緒に歩いていた時に目をつけていたナイフを首尾良く、しかもかなりお手頃な価格で手に入れることができてジーニャの足取りは軽かった。


 露店を出していた親父は鍋などを扱う工房を構えているらしいのだが、趣味でナイフを造っているらしい。

 工房で刀剣類を扱うには職人のギルドで免状を買う必要があるが、朝市で売るぶんには不要である。


「あくまでも趣味で造っているものだから」と、出来栄えは本職には及ばないと謙遜していたが、傭兵としてはそれなりに経験を積んでいるジーニャの目から見ても、十分に満足できる品物だった。

 それに親父さんの「別嬪さん」という言葉にも気を良くしていた。

 

 女性の傭兵はやはり数が少ないのと、ジーニャもそこそこ容姿が良いこともあって、周りの男どもからチヤホヤされることが多かった。

 しかし、今朝は旅の間に切らしてしまった薬を補充するために、泊まっている宿の使用人であるセリという少女に市へと案内をお願いしたのだが、彼女の市場での人気の高さにジーニャの女が刺激されたということもある。

 もっとも、セリはジーニャの目から見ても綺麗で可愛らしい魅力的な女の子だと思うが、それはそれとして面白くない。

 親父さんの「別嬪さんだから少し負けておいてやるよ」という言葉に、女の誇りが満たされたのだ。


「最近のあたいは怖いくらいに運が上向いてるね!」


 予定していたよりも出費を抑えることができた。

 

(浮いたお金で朝食は奮発しようかしらん)


 鼻歌混じりに露店で串焼きや麦酒を買って食べながら歩く。

 

「あれ? ここどこだっけ?」


 混雑した市の中を適当に歩いていたため、どうやら道に迷ってしまったらしい。


「ま、いいか」


 特に急ぐ用事もない。

 市が開かれている南門前の広場を離れると、それまでの喧騒が嘘のように静かになる。

 まだ市民に朝の訪れを告げる教会の鐘は鳴らされていない。

 しかも迷ってしまったために、どこかの裏通りへと入りこんでしまったらしく、まだ朝市の喧騒が遠くに聞こえるものの人影がまるでなかった。


「参ったね。道を聞こうにも人っ子一人いやしないし……」


 ぼやきながらも、いずれは大通りに出るだろうとジーニャは歩き出す。

『渡り鳥の宿木』亭は大通りに面した、なかなかに良い立地の立派な宿屋だ。

 大通りにさえ出ることができれば迷うこと無く帰れる。

 

(…………ん?)


 周囲に響く足音は自分が立てているものだけ。

 だが、十年という傭兵稼業で鍛えられた勘が、ジーニャに何か危険な気配が迫って来ることを告げていた。

 うなじにビリビリと嫌な予感が走っている。


(……尾けられてる? 物盗り? いや……)


 革鎧を身に着け、剣を帯びているジーニャはどこから見ても傭兵か冒険者。

 しかも革鎧は使い込まれ、ジーニャの剥き出しになっている腕と太腿の筋肉はまるで肉食獣のようにしなやかさを持ちつつ鍛えあげられていることが見て取れるはずだ。

 普通の物盗りであれば、女性とはいえ間違いなくジーニャは危険度の高い相手。


 ここでジーニャは朝市で薬を購入した際に聞いた、セリと露店のおばさんとの会話を思いだす。


 ――ここ最近立て続けに何人も行方不明になっているらしいのよ。被害者のほとんどが貧民街の子か、他所から来た人らしいんだけどね。


(さては噂の人攫い? フフ、いい度胸だね。このあたいを狙うなんて……)


 左手で左の腰に帯びている剣をさり気なく確かめる。


(やっぱ、最近のあたいはとんでもなくついてるね!)


 さらに細い路地裏へと進路を取る。


 もしも尾けてきている何者かが、ここ最近帝都を騒がせているという人攫いだとしたら、返り討ちにして衛士の詰め所に突き出せば報奨金が貰えるだろう。

 人攫いでなかったとしても、物盗りや暴漢であれば幾許かの礼金が貰える。

 そして、ジーニャに街のゴロツキ程度に遅れを取るつもりは無かった。


 街のゴロツキ程度であれば――。


 やがて、教会の鐘が朝の訪れを告げ住民たちが街へと溢れだし、帝都は夜の静寂が嘘だったように喧騒に包まれる。

 その細い路地裏からも、近所の住人たちが通りへと出てくる姿が見られた。


 だが、背丈の高い女傭兵が出てくる姿を見たものはいなかったのである。


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