旅の剣士
ちょっと酷い猫写がありますので、苦手な方はご注意を。
なお、主人公とヒロインはこの回も出ません。今回はあるキャラの顔見せ回です。
国に戦争の空気が漂うと、人心の荒廃は加速する。
つい四年前まで続いていた魔物と人類の激しい戦争の爪あとは、いまだにレムルシル帝国の各所に残っていた。
国境から遠く離れている帝都周辺は大規模な被害を受けることは無かったが、魔物の領域の拡大に伴い、魔物領と接することになった北側国境付近の街や村は、壊滅的被害を受けて多くの民たちが難民となっている。
多くの場合行くあての無い彼らは各街に流れ着いて貧民街を形成し、そこからも弾かれた一部の者たちは、他人から富を強奪して糧を得るようになってしまった。
帝都シムルグと都市クラナドを結ぶ街道には、街道から幾つも伸びるシムルグとその周辺に位置する村々を結ぶ支道がある。
数刻前、そんな支道の一つを走らせていたこの荷馬車も、いまそんな野盗連中に襲われそうになっていた。
馬車を操っているのは母娘の二人。
荷馬車の御者台では三十代半ばくらいの母親が馬を御し、荷台ではまだ十歳くらいの年頃の娘が荷物を押さえている。
畑で取れた作物を村で別の作物や特産品と交換して貰っての帰り道。
狼や熊といった獣や小型の魔物による被害は極稀に発生するが、シムルグに近いこの場所で野盗の襲撃があるとは思わなかった。
野盗たちが駆っている馬――これも誰かから奪ったものだろうが、決して良い毛並みをしているわけではない。
しかしそれでも荷車を引いて奔る馬とは比較にならないほど速度は出る。
「待てや、こらぁ!」
支道ゆえに狭い一本道。
野盗の男たちの野太い声がドンドン近づき――。
「きゃあああ!」
母親が悲鳴を上げる。
馬の鼻面を掠めるようにして前方から数本の矢が飛来していた。
待ち伏せされていたのだ。
当たりこそはしなかったものの、馬を驚かせて足を止めさせるには十分。
そしてその足を止めてしまった時間は、馬を走らせる野盗たちが馬車に追いつき包囲するには十分だった。
「おい、お前ら。そいつら二人は殺すなよ?」
身を寄せ合い震える母娘に、あまり手入れのよろしくない剣を突きつけながら、野盗どもの親玉らしき男が手下へと指示を下す。
「兄貴、荷物は野菜やら食い物とか、あとは何かよくわからん草やら木の実みたいなものばかりですぜ?」
「ちぃ……シケてやがんな」
「この二人はどうします? 母親のほうは少し歳行ってますが、結構美人ですぜ?」
「そうか、それなりの値段では売れそうだな?」
「兄貴、兄貴! 少し遊んでも構わないかい?」
下卑た笑いを浮かべて手下の一人が母と娘のほうを見た。
母親が娘を抱きしめるようにして庇う。
娘もまた母親に抱きつくようにしながら、ただ気丈にも野盗からは目を逸らさずに睨みつけていた。
「まあ、いいだろう。ただ、傷はつけるなよ?」
「ヘヘヘ……わかってまさぁ! さすが、兄貴だぜ」
「おいおい、お前も好きな奴だな!」
男の一人が母娘に近づいていく。
「やめて! お母さんに近寄らないで!」
「うるせえ! ガキは黙ってろ!」
男が座り込んでいる母親の腕を掴み上げ、別の男が母親から離れまいとする娘を押さえつける。
「――――!」
「痛い! お母さん!」
母親が乱暴に押さえつけられた娘へ声にならない悲鳴を上げながら手を伸ばし、娘もまた押さえつけた男の腕の中で何とか逃れようと必死にもがき――。
「娘には傷つけんなよ。まだガキだが、あれくらいの年頃が良いという変態もいる。お手つきじゃないほうが高く売れるからな。シケた上がりだから、少しは稼がないとな……」
「分かってますよ、兄貴!」
男はもがく娘の頭を押さえつける腕に更に力を込めていき――突如、脇腹の辺りを蹴り飛ばされて大地の上を転がった。
「うげっ……」
「な、何だ?」
いつの間に現れたのか、一人の男が立っていた。
厚手の毛皮の外套に身を包み、丈夫そうな布でできたシャツとズボンを身に着け、足には頑丈そうな分厚い革の靴を履いていた。
口から鼻にかけては、土埃を防ぐための毛皮の襟巻きで覆われている。
長い旅を続ける為の旅装。
「クソ……胸くそ悪い場所に居合わせちまったぜ。まあ俺にとっては運が良かったのか悪かったのか。こんな奴らには助けてくれとは言えないし……」
長旅で手入れをしていない髪の毛で、唯一露出している目元すらも伺えないが、声音からまだ若い男のようだった。
武器と呼べるものは腰にある一振りの剣しか無い。
足下も酔っ払っているかのように定まっておらずフラフラとしていた。
「てめぇ! 何しやがるんだ、こらぁ!」
「ぶっ殺されてぇのか!」
仲間を足蹴にされて殺気立つ野盗たちを、親分が手を制する。
「よぉ、兄ちゃん。良さそうな剣を持っているじゃねぇか……」
「これか?」
旅装の男が唯一帯びている一振りの剣。
鞘こそは普通の鉄ごしらえのようだが、剣の柄頭に施されている金でできた装飾は素人目から見てもかなり立派なものだった。
「俺様の手下にしたことはその剣をよこせばチャラにしてやってもいいぜ? ただし、ここを通るには通行料が必要だ……通行料は、てめぇの命だがな!」
「へへへ……」
「こいつはやれないな。結構大切にしているものだし、それにその通行料も払えないぜ」
腰の剣に手をやり、どこか困ったような声を上げる旅人風の男。
「誰もてめぇの意思なんて聞いてねぇよ。悪いがこれは強制だぜぃ? 今日この道を通りがかったてめぇの運が悪かったってことだ」
親分の言葉に手下たちも哄笑を上げる。
「ああ、俺もさっきまで運が悪かったと思ってたんだ。道をどういうわけか見失って森の中で一週間以上も迷い続けるし、やっと人を見つけたと思ったらあんたらみたいな連中だし……」
「はっはっは、そいつは本当に運が無いな、兄ちゃん。少し同情を覚えちまうぜ?」
「だからさ、お嬢ちゃん」
「は、はい」
旅人風の男に急に話しかけられ、娘が戸惑ったような声を上げた。
「君はこの辺りの人? 何か食べる物とかある? もし良かったら分けてくれない?」
「え? え? えっと……はい、一応近くに……」
「飯……飯、食わしてくれない? 助けてあげるからさ」
勢いに押されて思わず頷く娘。
「よっしゃぁ! 運が向いてきたぜぃ!」
「おいおい、何言ってんだ兄ちゃん……」
「いやぁ、悪いな。あんたらに俺の悪運を押し付けちまったみたいだ……」
「何をわけのわからんこと言ってるんだ? こいつ」
「親分、もうサクッと殺っちまいましょうぜ?」
旅装の男を囲むようにして、野盗たちが手に手に得物を持って包囲した。
「良かったな、おめぇの運の悪さもここまでだ。死んじまったら運がどうとか関係ねぇからな!」
「あのなぁ……親切に教えておいてやるけど、この人数のあんたらの前にわざわざ姿を見せたんだ。それがどういうことがわかるか?」
――俺はむちゃくちゃ強いぜ?
言葉が終わるか終わらないかと同時に――ちんっと小さな金属音。
抜く動作も見せず、一瞬で抜いた剣を再び鞘へと納めた音。
一拍置いて、物も言わずにドタドタっと崩れ落ちる野盗たち。
「子どもの前だ。殺しはしないよ。だけど、数日は起き上がれないと思え!」
親分が状況を把握する前に最後に見た光景は、長い前髪の合間から見える戦場に身を置き続けた者のみが持つ特有の強烈な眼光だった。
「は、腹……減ったぁ……」
瞬く間に野盗どもを無力化しながらも、力無く情けない一言を残して崩折れるように倒れてしまった旅装の男に、母娘は恐る恐る近づいていく。
「あ、ありがとうございました」
「いいって……それよりもさ、何でも良いから食べ物……」
「こ、これ……」
荷馬車の荷物から取り出した自分たちの弁当であるパンを差し出すと、男は飛び跳ねるような勢いで上半身を起こすと、毛皮の襟巻きをずらしてパンに齧り付いた。
ガツガツとパンを食らう男を母娘は唖然とした表情で見つめていたが、彼が食べながらシムルグを目指して旅していたのだと聞くと荷馬車に乗って行くように薦めた。
街道の小さな凹凸を拾ってはガタゴトと音を立てて揺れる荷馬車の荷台の上、男は胡座をかくようにして座り込む。
娘がさらに荷物から出してくれた大振りのパンをひたすらせっせと口へと詰め込む作業に勤しんでいる。
「いやあ……モグモグ……本当に助かりました。食べ物……モグ、ゴクン……まで分けていただいた上に、馬車にまで乗せて頂いて」
「いえいえ、私たちも危ないところを助けて頂いて、本当に助かりました」
「モグモグモグ……ッン? ンンッ!?」
貪るように食べていたパンを喉につまらせたのかドンドンと激しく胸を叩き出す男に、少女が水筒を差し出す。
男はそれをひったくるように受け取ると、ゴクゴクと勢い良く水を飲み干した。
「……ぷはぁ! スマン、助かった。ありがとう」
少女は旅装の男にニッコリと微笑むと、再び荷物を両手で押さえ込む。
外套のようなゆったりとした服を身に着け、街の娘と違う素朴さを感じさせるがとても綺麗な少女だった。
(もしもあのまま野盗に襲われていたら、きっと売り飛ばされていただろうな)
少女はまだ十歳くらいかそこらといった年齢。
慰み者にされるにはまだ幼いが、特殊な性癖を持つ層に需要がありそうだった。
食事を恵んでもらったことも含めて、男はこの馬車を救って良かったと思う。
「今から帝都まで行かれますと日も暮れますし、よろしければ一晩家へ泊まって行かれます? だいぶお疲れのご様子ですし」
「本当ですか!? いや、それは助かります! わりと本気で死ぬかと思ってた所でありがとうございます」
荷台に頭を擦り付けんばかりに頭を下げる男に、母親が恐縮したような笑顔を浮かべてみせた。
「そんな、私どもも野盗に襲われるなんて……もしもあなたがあの時あそこを通りかかることがなければ、今頃私たちも生命がなかったか、娘と離れ離れにされていたかもしれません」
なお、野盗たちは荷物を括りつけるためのロープで木に縛り付けてある。
数日は目を覚まさないだろうし、森の獣に襲われることがなければ通報した衛視が駆けつけるまで逃げられることはないだろう。
「それにしてもお腹を空かせて倒れられるなんて、随分と遠いところから旅されていらしたのですか?」
「ええ、まあ西の国境の方からですかね」
「まあ、西から?」
「ええ、ちょっとシムルグに知り合いを尋ねるところでして」
「あらそうなんですか。剣をお持ちなので、てっきり傭兵さんか何かだと思っていました。最近、よく見かけるので」
「この剣は旅のお守りですよ。ところで、やはりペテルシアとの関係悪化で?」
「私たち庶民にはよくわからないのですけどね……やはり戦争になるのかしらと、噂が広まっていますわ」
「魔物との戦いが終わったばかりだというのに、次は同じ人間同士でとか……愚かな話です。まあ、自分も人のことは言えないのですがね……」
「お兄さんも戦うために来たの?」
荷台で男の横に膝を抱えて座り込んでいた娘が尋ねる。
それに男は破顔すると、娘の頭を撫でてやった。
「まあ、ある意味ではそうかもね。俺は戦争しに来たんじゃないんだけど、昔何度か戦った相手がシムルグにいてね……」
男にとって忘れられもしない相手だ。
幼き頃より剣の道を歩み始めた男には、幸い剣に関しての才能があったらしく、瞬く間に剣の腕は伸びていった。
次々と高名な師範の下で教えを請い、気が付くと周囲に彼に剣を教えることが出来る者はいなくなっていた。
天狗になっていたように思う。
自分に勝てる者はこの世に存在しない。
魔王や魔族が強大な力を持っていると聞いていたが、いずれ前線に出ることが許された際には、自らの剣で最強を証明してみせるつもりだった。
その自信があった。
その人物と出会うまでは――。
聞けば丁度、男と十違う年齢だった。
「こんなガキが?」
自分ではなく周囲の誰もが期待している人物が、ようやく十に届いたばかりの子どもであると聞いて、無性に腹が立ち大勢の人々の前で勝負を申し込んだ。
引込みの付かない舞台を整えて、相手が逃げられないようにという卑劣な手段を計らって。
そして勝負を挑んだ結果――。
「強かったなぁ……あれは」
負けた。
しみじみと呟く男の顔を娘が不思議そうな顔で見上げた。
(そういえば、初めて戦った時もあいつはこの少女と同じくらいの年頃だった――)
「私も明日の早朝にシムルグへ行きますから、よろしければお送りしましょうか?」
娘を見下ろしながら、感慨に耽っている男に母親が声をかけてくる。
森に放置してきた野盗たちの件も通報しなければならない。
「お言葉に甘えさせてもらいます」
男にその提案を断る理由はどこにもなかった。