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錯綜する思惑

主人公、ヒロイン共に出てきません。

説明回みたいなものなので、流し読み程度でも問題無いです。

 薄暗く保たれた部屋の中に、一人の魔導士が立っていた。


 彼はその手に分厚い古文書を開き、ものすごい速度で頁をめくりながら書かれている内容に目を走らせている。

 周囲には読み散らかされた書物が散乱し、それでも尚、書棚には古めかしい書物がパンパンに詰め込まれていた。


 ギギィと軋むような音を立て、部屋の扉が開き室内に光が差し込んだ。

 差し込む光を受けて埃が舞い上がっているのが見える。


 部屋へと入ってきた男は、少し顔をしかめた。

 右腕で宙を漂う埃を払いながら、侵入者があったにも関わらず無視して書物を読みふける魔導士へと声をかける。


「どうだ? 私が用意した研究施設は?」


「……いいね。施設もだけど研究で使用する薬品、道具、魔法具、それに僕が読みたくても手に入れることのできなかった貴重な書物や魔導書。全てが想像していた以上だよ。ありがとうジェイド。君のおかげだ」


「私はただ便宜を図っただけだ」


 返答はしたものの、書物に目を落としたまま顔すらあげない魔導士にジェイド・ヴァン・クライフドルフは僅かに顔をしかめた。


 部屋の中を見回すと散乱している書物以外にも、遥か南方の国々から輸入される貴重な硝子製の瓶や何かの金属の棒上のようなもの、磨き上げられた水晶や様々な種類の宝石で作られた宝玉など、何の用途に用いられるものなのか分からない怪しげな品物が無造作に転がっていた。

 

「さっさと扉を閉めてくれない? 太陽の光は貴重な薬品に変質をもたらすんだ」


 侯爵家の嫡男に対する言動とは思えない不遜な態度。

 だが、ジェイドは男の言葉に素直に従い扉を閉めた。

 この部屋の中にある無造作に転がっている品物が、宝物と呼んでも差し支えない高価な品物であることを知っていた。


 例えば足下に転がってきた少量の液体が入った硝子の瓶。

 ジェイドには何の用途に使用するのかわからないものであるが、おそらくこれだけでも一般庶民が数ヶ月は遊んで暮らせるだけの金額となるはずであった。


 光源が無くなると、部屋の中は再び薄闇に閉ざされる。

 男の手元で揺らめいている燭台の炎が頼りなく部屋の中を照らしていた。


 いや、よく見ると中には僅かな光を放っている宝玉や木の棒にしか見えない物体もあった。

 これらは全て魔法が付与されている魔法具である。


「進捗状況はどうなっている?」


「これだけの資材と資料があれば、当初の見積もりよりはよほど早く研究の完成が見られそうだよ」


 魔導士がようやく書物から顔を上げると、大きく伸びをした。

 だがその表情は伺えない。

 彼はフードを目深にかぶり、薄暗い光源の中で口元だけが伺えるだけだ。

 読んでいた書物を無造作に床へと放り出す。

 

「だけど、被験体が足りない。ここのところ、全く届かなくなったんだけど?」


「仕方がない。辺境の領主どもが自領の警備に力を入れている。

 ペテルシアが注意を引いてくれているので、我々の目的は明るみにはなっていないが、少し活動を自粛する必要があった」


「ペテルシアの方はおかんむりじゃないの?」


「話は裏でついている。皇族や貴族、騎士団の目がペテルシアを向いている内に計画をさっさと進めたい」


「政治のことは君に任せるよ。僕はただ、師匠が残した研究を、その成果を実証したいだけだから」


「ところで、どうして宮殿に研究室を用意してくれなんて言ってきたんだ? 禁じられている素材の持ち込みなど難しいだろう?」


 ジェイドの問いに男は苦笑する。


「あのねジェイド。僕も一応貴族の端くれだ。僕は確かに貴族としての出世には興味はないけどさ、貴族としての権力の使い方は知ってるんだよ。

 その気になれば宮殿の警備なんてザルさ」


 床に積み上がった書物をかき分けるようにして魔導士は書棚へと歩み寄る。

 魔導士の動きに合わせて埃が舞い上がり、ジェイドは口元と鼻に手を当てた。


「逆に言えば、持ち込んでさえしまえば後はどうとでもなるからね。

そういえば、あの皇女とかとても被験体には良いんだけどね。さすが宮殿というか、侍女一人をとっても被験体には相応しい……」


「侍女の一人や二人程度であればどうとでもなるが、あまり目立つようなことはしてくれるなよ?」


 苦虫を噛み潰したような顔で苦言を呈するジェイドに、魔導士は蛇を思わせる赤い舌で唇をちろりとなめた。

 その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


「だったら早く僕に被験体を用意するんだ。でないと、我慢ができなくなる」


「そのために貴様を帝都くんだりまで呼び寄せたんだ。すでに我が領内には貴様の望み得る被験体は存在しないし、近隣から狩るのも難しくなってきた。

 だが、帝都にはまだ多くの素材がある。とはいえ、目立つことをすると目をつけられるぞ?」


「いつも偉ぶっているわりには案外心配症なんだな」


「なんだと!?」


 元々ジェイドに対して不遜な態度を取る男だったが、さすがにその言葉にはジェイドも激高しかけた。

 だが拳を強く握り、何度か深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻す。


「先程も言ったが帝都には十分な量の素材がある。いくら行方不明者が出ようが誰も気にしない理想的な場所だ。そこから調達するまで少し待て」


「できるだけ早くしてくれよ?」


 すでに男はジェイドの方を見てすらいない。

 また一冊書棚から引っ張りだした書物へと目を落としている。

 その姿にジェイドは再び顔つきを険しくしたが、ひと睨みするとすぐに踵を返し部屋を辞去していった。

 

 バタンと扉が乱暴に閉まる音を聞き、男は顔を上げた。


(師匠の研究は正しかった。師匠は間違っていたのだ。

 勇者などに頼るのではなく、師匠の研究成果こそを使い世界は救われるべきだったのだ。

 それを僕が証明する。誰にも邪魔はさせない……)


 薄暗い部屋の一室で、ただ頁をめくり続ける音だけがいつまでも聞こえていた。



 ◇◆◇◆◇



 魔導士の塔を辞去したジェイドは帝都にあるクライフドル家の屋敷へと戻ってきていた。

 

(よくもああいうジメジメした場所に籠もることができるものだ)


 帰宅するなり使用人に湯浴みを準備させ身体を流したが、まだうっすらとカビの臭いが染み込んでいるように感じる。

 ジェイドが不快さに顔をしかめた時、扉を叩く音が聞こえた。


「入れ」


 音もなく、初老の騎士が室内に入ってきた。

 クライフドルフ侯爵家に仕えているジェイドの腹心クラウスである。


「どうかなさいましたか?」


「被験体をもっと寄越せと言われた」


 吐き捨てるように言うと、ジェイドは乱暴に剣帯と上着を乱暴に放り出した。

 そのままドカッと椅子に腰掛けると、こめかみを揉みながら天井を仰ぐ。

 クラウスは主の服を拾い上げると、丁寧に畳んで傍らの椅子へと置いた。


「いったいいつになったら研究が完成するんだ!? やれ金を寄越せ。やれ実験体をもっと寄越せ。もっと良い設備を整えろ。宝石、貴重な薬、魔法の道具。

 あいつは俺のことを金の湧き出す泉か何かとでも思っているのか! だいたい、被験体にしてもあとどれだけ必要としているのだ!? 

 研究が完成する頃には、この私が支配する民が誰もいなくなっているのではないだろうな!」


「魔導士というものは得てしてそういうものです。自分の研究を実証するためならば、どんな手段もいとわない。利用できるものは利用し尽くす」


「それにしてもだ! 時間と費用が掛かり過ぎる!」


「研究は失敗の繰り返しですからな。焦ることはございません」


 怒りを露わにするジェイドに対し、淡々とした口調でクライフは言葉を返す。

 冷静さを保っているクラウスの態度にジェイドも徐々に頭に昇った血が下りてくる。


「ペテルシアは何か言ってきたか?」


「いつでも力を貸せると……」


「その代償は何だ? 領土の割譲が条件か? それともペテルシアの傀儡になれとでも?」


 ジェイドは薄く笑みを浮かべると、銀杯の葡萄酒を一気に喉へと流し込んだ。

 卓の上に空となった銀杯をやや乱暴に置く。


「奴に研究の完成を急がせる。ペテルシアには利用されてやるが、ただ傀儡にされるつもりもない。対向する力も手に入れておく必要がある。

 そのためには手段を厭わん、選別を急げ」


 一礼して退室するクラウスを一瞥すると、ジェイドは椅子の背にもたれかかって天井を仰いた。

 

(父上にも動いてもらうか……)


 皇族と貴族の間に軋轢を生みだして隙をつくる。

 レムルシル帝国という得物に対して、牙と爪を研ぎ続けているペテルシアはその隙を見逃さないはずだ。


 帝国には勇者という切り札があるが、所詮は個人。

 ペテルシアの圧倒的多数の軍勢の前には為す術も無いはずだ。

 勇者個人は軍を圧倒するだろうが、帝国の中枢へと牙が届くのが先だろう。


 密約では帝国が滅びた後、ペテルシアの後ろ盾のもと皇族の女性を伴侶にしたジェイドが皇帝の地位へと就く。

 その場合、ジェイドの傍らにあるのはコーネリアか、勇者メイヴィスが相応しい。


 皇族の血を継ぐ女を手に入れられれば、手段はどうでも良かった。

 そのためならばペテルシアの力を借りることも厭わない。


 皇族の血が必要ならば別にコーネリアとレティシアに拘る必要もないが、直系であるコーネリアを伴侶にすれば皇位の正当性を訴えることができるし、レティシアであれば勇者としての力が振るえる。

 ペテルシアはジェイドを傀儡として利用する腹積もりだ。

 それに対向するための力を研究させてはいるが、勇者の力が利用できるならペテルシアの干渉を跳ね返すことは十分に可能だ。

 

 ジェイドは立ち上がると、葡萄酒の入った瓶をもう一本開けて銀杯へと注いだ。

 芳醇な液体が喉へとゆっくりと流れこむ。

 それから、壁に掛けられている巨大な肖像画の前へと歩み寄った。

 肖像画には優しげな微笑みを浮かべた、若く美しい女性が描かれている。  


 ジェイドは胸に手を当てると、深々と頭を下げて肖像画に描かれた女性に祈りを捧げる。


(――母上。あなたを犠牲にしたこの国をきっと私が手に入れてみせましょう。

 選ばれし正当な血筋の者によって、あなたを裏切った薄汚い平民どもを支配する正しい国を私が作ってみせます)

 


 ◇◆◇◆◇



「はあ」


 ロック・マリーンは大きく溜息を吐きながら、騎士団本部にある部屋へと帰ってきた。

 ここはロイズの小隊に与えられている、騎士団本部内の詰め所の一つである。

 騎士団では小隊ごとに詰め所として小さな部屋が与えられていた。


 現在、ロイズの隊に所属している騎士は隊長のロイズに副隊長のケルヴィン、そしてロックとウェッジ、リーナの五名である。


 ウィンが抜けた穴はまだ埋められていない。

 本来であれば十人で一つの小隊を組まれるのだが、人員の補充は行われていなかった。

 騎士団自体が魔物と長く続いた戦争、そして先年のクーデターで人手不足なうえ、最前線の部隊から人員補充が行われているため、中央騎士団の偵察小隊には人が回してもらえないという事情もある。


 剣帯を外して上着を脱ぐと、ロックは自分に与えられている席に腰掛けて机に突っ伏した。


(ふぅ……疲れた)


 日々の鍛錬に加えて、正騎士としての仕事が増えた。


 騎士学校に在籍してからの教練、准騎士としての下積み――ロックたち新しく昇格した若い騎士たちは、本来学ばねばならない項目を飛ばして昇格してしまった。

 そのため現在は習うより慣れろの状態で仕事をこなしている。


 机に突っ伏した姿勢のままで、首だけを横に傾けて隣の席を見る。 

 ウィンの席があった場所だ。


(コーネリアさんの従士か……羨ましいような、羨ましくないような)


 皇女の従士という立場なら書類を抱えて走り回る必要はないだろうが、宮殿という皇族と貴族の世界に放り込まれ、精神的な疲れは大きそうだ。


 帰ってきたウィンに差し障りの無い範囲で従士の仕事を聞くと、基本的にはコーネリアが僅かに与えられている公務の際に、傍らで控えているだけのようだ。


 皇族が本格的に内政などの公務を行うのは十八歳からである。

 まだ正式な部隊となっていない親衛隊も、それほど仕事があるわけではない。


「だから今は鍛錬と空いている時間を利用して勉強するようにだとさ」


 侍女のメアリという人から渡されたという、分厚い規則集を示しながら、ウィンは苦笑を浮かべていた。


「おい、弛んでるぞ?」


 不意に扉が開き、でっぷりと太った禿頭の小男が入って来た。


「た、隊長!?」

 

 ロックは思わず立ち上がった。

 入室してきた小男の、はちきれんばかりに膨れ上がった腹、たるみきった顎。


 彼の初対面の印象を聞けば、十人中十人が裏で悪い事を企んでいるに違いないと答える。

 そんな容姿をしたこの男こそ、ロックの上司でありこの部屋を預かるロイズ十騎長だった。

 もっとも今ではロックも、ロイズを見た目で判断してはならない人物の一人と評価している。

 レムルシル帝国でも右肩上がりに発展し続けているエルステッド伯爵領の現当主であり、かつてはクーデターの首謀者であったザウナスの腹心として、千騎長の地位にまで昇進していた男だ。


 でっぷりと太った、いかにも悪徳貴族然とした風貌は、初対面の相手を騙すためにあえてそうしている――というわけではない。


 ロイズとは旧い付き合いらしいケルヴィン副長曰く、


「この件に関しましては、ロイズ隊長の奥方様がたに責があります。一度、しっかりと説教せねば……」


 日頃の食生活が原因なだけだった。


 席に座ったロイズのためにお茶の用意をしているロックに、ロイズが声を掛ける。

 

「どうした? 何かあったのか?」


「いえ……」


 ロックは少しためらったが、口を開いた。


「上はなぜ、ウィンの親衛隊従士の就任を発表しないのでしょうか?」


 ロイズは部下が淹れてくれたお茶の香りを少し楽しむと、一口、ふた口と口をつけた。


「君が淹れてくれたお茶は、軍の安い茶葉にしては旨いな」


「実家が商売をしているもので、少しだけ齧っているのです」


「大したものだ」


 ロイズはカップを卓の上に置いて一息ついた。


「親衛隊従士就任の件に関しては、レティシア様にも関係がある」


「レティシア様に?」


「貴族と平民の婚姻は帝国では認められていないのは知ってるか?」


「はい」


「だが騎士となれば貴族の娘と結婚が認められる。そして平民上がりの騎士と貴族の娘が婚姻を結んだ例はいくらでも出てくる」


 最近でこそ騎士学校に平民が通えるようになり、騎士となることが出来るようになったが、かつては平民が成り上がる手段は限られていた

 平民が貴族位に成り上がるには、金で地位を買うか手柄を上げるかの二つ。


 魔物との戦いで手柄を上げた平民が、戦地で騎士に取り立てられることはよくあることだ。

 ただし、彼らが中央に配属されることはなく、大抵の場合は前線である辺境配属だ。

 そして生存率も低いため、生きて凱旋する者の数は少ない。


「ただ、さすがに公爵家の姫となると騎士でも釣り合わないかもしれない。そこで親衛隊従士というわけだ」


「近衛よりも信用が置けるものにしかなれない親衛隊にウィンを就任させることで、レティシア様とも釣り合いが取れるようにしたわけですか」


「ウィンを重要な地位に就けることで、他国へ出奔されないようにするという見方もあるな。ウィンがこの国から出て行くことがなければ、レティシア様もこの国に縛り付けることができる。

 さらに、そのウィンの手綱を握っているのが皇族であれば、帝国に対する叛意も防ぐことが出来るわけだ」

 

 ロイズはカップに残ったお茶に再び口をつけた。


「だが、公爵家の姫君と結婚しても問題がない地位ということは、皇女殿下の伴侶として選ばれても問題がないわけだ。

 それは外国の貴族から求婚される可能性を、皇女の伴侶候補ということで牽制することもできる」


「思っていた以上に面倒くさい事情ですね……」


「どちらにしても皇族が力を強めることになる。そうなると一部の貴族は面白くないわけだ。皇族と貴族の力の均衡が偏るからな。そうすると面白くない貴族としてはどうするかわかるか?」


「……ウィンを殺すか、取り込む?」


 レティシアの影響力は帝国のみならず、各国に対しても絶大なものがある。

 そしてその師であるウィンもまた、各勢力関係に大きな影響を及ぼしてしまう。

 アルフレッドは立場を利用して、いち早くウィンを皇族側へと取り込んで諸外国、貴族に対して牽制しようとしているのだ。


「慎重になる理由もわかるというものだろう?」



 ◇◆◇◆◇


 

 レムルシル帝国の皇太子アルフレッドの執務室は、国の規模とその高い地位に反して決して広いといえるものではない。


 執務用の机に、多少は装飾が施されている椅子。

 そして書棚が置かれてあるだけだ。


 その部屋の主アルフレッドは、先程からコツコツと椅子の肘掛けを叩いていた。

 アルフレッドを苛立たせている原因はでっぷりと太った男、ウェルト・ヴァン・クライフドルフ侯爵。

 朝からアルフレッドの執務室に押しかけてきて熱弁を振るっている。

 

「おそれながら殿下。忠誠厚き我ら貴族の意向を無視し、平民を厚遇するような真似はペテルシアに付け入る隙を与えるようなものでございます。

 宮中いたるところでこの度の皇女殿下の従士への人事、不満の声が上がっておりますぞ」


「正式に公表もしていないのに随分と耳が早いね、クライフドルフ卿。ところでどういった不満の声が上がっているのか聞かせてくれるかな?」


「その従士が近衛騎士でもなく、また皇女殿下と年齢も近く、異性であること。その者が出自不明の卑しき平民であることですな。

 万が一間違いでも起これば、この帝国の威信が損なわれますぞ」


「卑しき平民というけど、あれには勇者の師匠というれっきとした功績があるよ」


「ですが、皇女殿下の従士が平民の若い男一人では、悪い噂となっても仕方が無いかと。ここは皇室に忠誠心厚き近衛騎士からも幾人か従士へと任官するべきでしょう」


「近衛騎士……つまり貴族の従士を付けろと?」


「まあ、早い話がそうですな。別に近衛騎士でなくても、忠誠心が厚く身体能力の優れた貴族の騎士から選ばれればよろしいかと」


「その幾人かの中には卿のご子息も?」


「もちろん愚息が選ばれることがありましたら、過不足なく任を果たすことでございましょう。

 まずは殿下。あまり貴族をないがしろにされますといらぬ不審を与えることになりましょうぞ。そしてそれは、ペテルシアの思惑通りとなりましょう。

 どうぞご考慮くださいませ」


「……皇女の従士の件は私と皇女で決めたことだよ。それにまだ正式に部隊として発足もさせていない。正式な部隊になったら貴族からも従士に選ばれるだろう。もちろん、実力が伴えばの話だけどね」


 アルフレッドが手元の書類へと目を落とす。

 無言で下がれと意思を表明しているのだ。

 ウェルトは今にも舌打ちしそうなほどに忌々しげに顔を歪めると、一礼をしてから退室していった。


 扉が閉まりその巨体が見えなくなると、アルフレッドは書類を執務机の上に投げ出した。

 すっかり冷めてしまったお茶を一口飲むと、ふぅっと小さく息を吐き出す。


「お疲れ様です」


 ウェルトが愚にもつかない事を述べている間中、ずっと部屋の隅で待機していた文官がアルフレッドへと声をかけた。

 元々は彼がアルフレッドへ報告を上げに来ていたのだが、ウェルトが強引に割り込んだのだ。

 ウェルトは侯爵としてだけではなく帝国四軍の一つ、中央騎士団の団長という要職にもあるため無碍にはできない。

 そこで仕方なく時間を取ってみれば、平民を従士とした事に対する批判のみだった。


 時間を無駄にしたという思いが強い。


「本来であれば奴から報告があるべきなんだろうけど、ペテルシアの動きはどうだい?」


「国境付近に向けて、大規模な部隊を動かしているようです。演習中に我が国の軍が侵攻したという大義名分がありますので、この機会に進軍するつもりかもしれません。

 現在は南方面騎士団を中心とした各領主の私兵団で牽制をしていますが、いずれ侵攻してくる可能性は高いかと」


 その国境付近の領主には先程のクライフドルフ侯爵の領地も含まれている。

 

「ペテルシアは魔王軍との終戦後の混乱に紛れて、疲弊していた二つの国を合併して急速に国力を増してきてるからね。

 国土の広さではうちが優っているけど、北方の魔王領と直接領土を接していなかったのと、戦争による特需で大量の物資を売り捌いて国力を増した。

 魔王との戦いで最前線となって消耗した我が国と、国力では圧倒的な差があるよ。長期戦に持ち込まれると勝てないな」


「やはり殿下も、ペテルシアの侵攻は遠からず始まるとお考えで……?」


「この機会を見逃すとは思えないからね。帝国の東部は海に面している。豊富な漁場と港は内陸の国であるペテルシアからしてみれば、喉から手が出るほど欲しいはず。

 でも、消耗戦は向こうも避けたいはずだ。彼の国の脅威を感じているのはうちだけじゃない。戦争中に他国からちょっかいは掛けられたくないだろうさ」


 アルフレッドの言葉に文官は頷いた。


「先ほどのクライフドルフ候の話ですが……」


「従士の件?」


「貴族の間に不平不満の声が上がっているという噂なのですが、アルフレッド殿下が貴族を蔑ろにし平民を重用する考えであると地方貴族にまで広がっています。

 ですが、その噂の広まる速度が些か早い気もします」


「意図的に噂を広めている者がいるのかな?」


「そう考えるほうが自然かもしれません。それに、捕らえていた盗賊団の残党が牢内で殺害されていた件も合わせて考えるべきかと」


「……内通者か」


「はい」


「……一応、見当はつけているんだけど事が大きいな。この件も内々で調べる必要がありそうだね。ロイズを呼んでくれる?」


「かしこまりました」


 一礼して出て行く文官を見送ると、アルフレッドは立ち上がって窓辺に立った。

 眼下、遠くには帝都シムルグの街並みが見える。


 一見すると多くの市民たちが平和な営みを送る繁栄した街並みだ。

 だが、アルフレッドはここからでは見えない現状があることも知っている。

 

 貴族の役人たちの口からは決して知らされることのない現実。

 一見繁栄している帝都の片隅では、その日の糧を得ることに精一杯の人々が、両親を失い孤児となった子供たちがあふれていることを。

 生きるために身体を売り、犯罪に手を染める者がいることを


 アルフレッドの師であった男が、貴族たちが隠してきた影を教えてくれた。

 知らないことが罪であることを教えてくれた。 

 

 影のことを知って以後、宮殿から出て実際に目にすることは大切であると、アルフレッドはよく単身街へとお忍びで出かける機会を増やした。

 万が一アルフレッドの身に何かあった場合も考え、妹であるコーネリアにも騎士学校へと通わせ街を見聞させていた。

 そしてアルフレッドは何度も救済の手を差し伸べようと動いた。


 しかし、アルフレッドの意思がどうあろうとも、実際に現場を動かすのは利権のみを追求する貴族である。

 いまだアルフレッドは全ての民に陽の当たる場所で生活をさせることができていない。

 例え皇太子といえども貴族を押さえこむのは難しかった。 


 そしてアルフレッドが貴族を押さえきれず手をこまねいている内に、帝国の英雄と呼ばれ師であった男は、力尽くで現状を打破しようとし間違った手段に出てしまい命を落とすことになった。


 アルフレッドにとって痛恨の極み。

 眼下の街並みを見つめながら、力無く笑みを浮かべる。


(――内乱になるかもしれない)


 無辜の民からも犠牲が出てしまうかもしれない。

 しかし、後顧の憂いを断つにはそれも止むを得ないかもしれないと、アルフレッドは考えを固めつつある。


 しかし、その隙をペテルシアに突かれてはならない。

 ペテルシアの支配下に収められた自国の民が、幸せになれるとは思えない。

 今まで彼の国によって滅ぼされた国の民たちの末路が、それを教えてくれる。


 ペテルシアの侵略を制しながら、尚且つ国内の内憂を断たねばならない。


「いっそ……罠を仕掛けて釣り上げるか?」


 アルフレッドはそう呟くと、窓辺を離れ執務机に座り筆を取るのだった。  


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